【緊張の会合】
霧の晴れかけた幻想郷の一隅、廃寺を一時的に転用した臨時会議所には、静まり返った空気と、歴史の重みが立ち込めていた。
一つの長卓を挟んで座るのは――
ロシア軍のハルコフ大佐と副官ウォルコフ少佐。
ウクライナ陸軍からはカティンスキー中佐。
自由ロシア軍のマルコフ大佐。
そして、この三勢力の間に立つのは、NATO代表にしてアメリカ陸軍の老練な将校、マクファーソン准将であった。
彼の背後には、アレン少佐、ラミレス大尉、そして通訳としても支援に入ったアリス・マーガトロイドの姿もある。彼女の表情はいつになく険しかった。
「……それでは確認する。我々はこの幻想郷における軍事行動を即時停止することに同意する。例外は自衛行動に限る。よろしいか?」
マクファーソン准将の冷静で低い声が、会議場に響く。
各指揮官が頷いた。中には明確な表情を見せぬ者もいたが、誰も異を唱えることはなかった。
「次に――ポーランドにて観測された“異常現象”。我々がこの世界に接触した門の一つだと考えられている。この原因と構造の調査については、日米欧、そしてEUの科学者チームにより共同調査を行うことで合意したい。」
マクファーソンが目を配ると、再び各国の将校たちは静かに頷いた。
それは、言葉よりも深い決意の頷きだった。
霊夢は壁際からその会合を見守っていた。
幻想郷という非現実の世界に、現実の戦争と、世界を動かすような会談が入り込んでいる……その不思議な現実感に、肌が粟立つのを感じていた。
「これじゃあ、まるで……G8か、国連の安全保障理事会ね」
と、アリスが小声で呟いた。隣にいた魔理沙は、神妙な面持ちで静かに頷いた。
マクファーソンは最後に口を開いた。
「最後に、今後の対策として、この世界における国際法的空白と武力衝突のリスクを避けるため、幻想郷タスクフォースの設立を提案する。初期段階では自衛隊、NATO、自由ロシア軍の三勢力によって運用される。ロシア正規軍およびウクライナ軍の今後の参加は追って検討される。」
その提案に、重苦しい沈黙が落ちた。
だが、それは拒絶の沈黙ではない。
受け入れるしかないという、現実への直面の沈黙だった。
この日、幻想郷において――
歴史に残るかもしれない軍事協定が、一つ結ばれた。
それは血と怒りの火種がくすぶる中での、
わずかばかりの希望の種でもあった。
薄曇りの空から差し込む光が、幻想郷の会議所の木製の床に斜めの影を落とす。その中で、新たな決定が静かに、だが確かに積み上げられていった。
EU・ウクライナ合同科学研究チームの設置――
これは、ポーランドで観測された「異常空間」と幻想郷との接点を調査するための国際共同プロジェクトである。ウクライナの科学者、そしてポーランド・ドイツ・フランスを中心としたEU加盟国の研究者たちが、NATOの支援の下、近日中に幻想郷入りを果たす。
また、それに伴い設立されるのが――
「幻想郷タスクフォース」。
多国籍による統合任務部隊であり、民間人保護・治安維持・学術調査・外交調整を目的とする、前例のない存在だった。日本・アメリカ・イギリス・フランス・ウクライナ・自由ロシア軍が中心となることが決まり、幻想郷の住民代表者も一定の関与を持つ構想だ。
だが、そんな建設的な合意の裏には――
祖国と信念の対立という、重く苦しい議論が横たわっていた。
ハルコフ大佐が静かに口を開いた。
「私は……今さら君たち自由ロシア軍を非難するつもりはない。はっきり言おう。私も祖国に失望している。戦地で見たものは、もはや“ロシア”ではなかった」
彼の顔には、長年の軍務によって刻まれた深い皺と、それ以上に深い後悔の影があった。
すると、マルコフ大佐が身を乗り出した。
「ならば、あなた方も我々と共に行動する意思は? 今のロシア政府は間違っている。プーチン同志も……もう“かつての彼”ではない。変えねばならん。我々が変えるのだ」
ウォルコフ少佐が低く唸ったように反論した。
「……だからといって祖国に牙を向けることはできない。父が眠る地に、私の愛した村に、銃を向けるなど……我々にはできないんだ」
その言葉に、一瞬空気が凍った。
カティンスキー中佐が、静かに語りかける。
「忠誠心は理解する。私にもある。だが……軍人が声を上げなければ祖国は変わらない。声を上げていた若者たちは、今や政府の弾圧を恐れて沈黙した。声を上げられぬ未来に、何の価値がある?」
ハルコフ大佐は、ややうつむきながら呟いた。
「……だがそれは、クーデターではないのか? 1991年の8月を思い出せ。誰もが叫び、誰もが武器を持ち、そして何もかもが崩壊した。あの混沌の年に戻ってしまうのではないか……」
その言葉に、誰も反論できなかった。
1991年――ソ連崩壊の年。共産党保守派によるクーデター未遂、戒厳令と市民の蜂起、ゴルバチョフの幽閉、エリツィンの登場……そして、国家の消滅。あのときの混乱と失望が、今なお心に刻まれている世代が、ここにいた。
その静寂の中、マクファーソン准将が低い声で言った。
「歴史は繰り返されるかもしれない……だが、繰り返す形を選ぶのは我々自身だ。我々は未来を形作る責任がある。幻想郷で起きていることは、その一歩目に過ぎんのだ」
再び沈黙が落ちる。だがその沈黙は、逃避のものではなく、向き合おうとする静けさだった。
霊夢はそっと呟いた。
「……敵にも、心がある。仲間にも、迷いがある。これが“戦争”ってやつなのか」
アリスはただ、黙って頷いていた。
ハルコフ大佐の言葉が、木霊のように会議場の空気に残った。
「……しかし、声を上げることすらできない国民を見捨てるわけにもいかんのだ」
その眼差しは、遥か遠くの祖国を見据えていた。
ウォルコフ少佐もまた、頭を抱え込むようにして呻いた。
「はい……ですが、クーデターは……あのときのような無秩序は……再び人々を苦しめてしまう……1991年が、それを物語っている……」
幻想郷では何もかもが“異なる”はずだったが、この場所でも歴史の亡霊は姿を変えて漂っていた。
だが、沈黙を破ったのは自由ロシア軍のマルコフ大佐だった。
「我々はすぐに蜂起を求めるつもりはない。ただ、祖国を変えようとする意思を明確に持ち、立ち上がる者たちがいることを示すだけでいい。武力ではない。今回は、まず“旗”を立てるんだ。幻想郷でな」
その提案に、ハルコフ大佐は眉をひそめたが、否定はしなかった。
【自由ロシア軍の再編】
その日以降、**自由ロシア軍は幻想郷内で組織改編を行い、「新ロシア連邦義勇軍(New Federal Russian Volunteers)」という呼称を用いるようになる。**政治的中立を保ちつつも、現政権には明確な批判姿勢をとり、祖国再建と市民保護を掲げる姿勢を世界に示した。
彼らの声明は、マクファーソン准将を通じてNATO本部や国連、各国の大使館へも非公式に送られた。
また、彼らは科学研究や幻想郷との文化的交流にも協力する姿勢を見せ、武装勢力というよりも「臨時のロシア再建支援団」としての立ち位置を築き始める。
【ハルコフ大佐の動向】
一方で、ハルコフ大佐とその部隊はすぐに自由ロシア軍への合流を選ばなかった。
彼は部隊の解散ではなく、**「一時的非戦闘態勢への移行」という形を選択する。つまり、幻想郷内において政治的行動や戦闘は行わず、「非武装地域での人道支援や防衛協力に限定的参加」**する形で中立を保つ方針をとることにした。
これには、若い兵士たちをこれ以上政治の道具にさせないという大佐の強い意志があった。
霊夢やアリスたちは、その決断を複雑な思いで受け止めた。
【幻想郷の反応】
博麗霊夢は、ハルコフ大佐の部隊に対し、**「中立守備隊としての駐在許可」**を出すことを提案する。彼らが自衛隊やNATOと共に村落の警備や魔物被害の調査に協力することで、幻想郷側の信頼も少しずつ得ていった。
魔理沙はその若い兵士たちと語り、戦うことの意味を問いかけた。彼女の「力は誰かを守るために使うものだろ?」という言葉に涙する兵士もいた。
そして、幻想郷では今、**「異界での平和を模索する各国の軍人たち」**という、かつて誰も想像しなかった構図が、少しずつ形を成し始めていた。
その始まりは、たった一人の指揮官――ハルコフ大佐の苦悩と決断から生まれたのだった。