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ロシア軍指揮官の苦悩

【幻想郷・魔法の森 交渉地点近郊】


深い森の静寂を抜け、開けた場所に入った。霧の中を抜けた一行は、会談のための簡易な野営地へと向かっていた。


道中、静かに歩を進めながら――

ハルコフ大佐はふと立ち止まり、後ろに続く若い兵士たちを振り返った。


そして、アリスに向き直る。


「……君は、幻想郷の住人なのだったか?」


アリスは頷く。「そうよ。ここでは戦は、ただの昔話であってほしい」


ハルコフ大佐は小さく笑った。その笑みはどこか、寂しげだった。


「私は……ウクライナへと召集されたとき、本国からは“演習だ”と聞かされていた。

“若い兵を鍛えてくれ”、と。あれが最初の命令だった」


彼は静かに、後ろを歩く兵士たちへ視線を向ける。


「……彼らはまだ18、いや17にも満たん。

本来は我々が、彼らを銃後で守るべき存在なのだ。

しかし“祖国のために”と、彼らはウクライナの土を踏んだ。

だが彼らは知らない――ドンバスも、クリミアも、本当の意味での戦争も」


アリスは言葉を失ったまま、大佐の横顔を見つめる。

その眼には、ただ冷徹な軍人ではない、一人の指揮官の苦悩が浮かんでいた。


「……我が軍が、民間施設を攻撃していると聞いたとき、私は耳を疑った。

病院、水道、変電所――ただの“インフラ”ではない。人間の命そのものだ」


アリスが小さく息をのむ。

ハルコフ大佐の語りは、さらに続いた。


「ブチャでは、我が連隊も間接的に関与してしまった。

命令が下り、兵を進めた。だが――後になって知ったのだ、何が起きたのかを」


言葉が震えていた。

それは怒りでも、嘆きでもない。深い後悔、それだけが確かにそこにあった。


「……我々は軍人だ。民間人を守るのが、使命のはずだ。

だが今のロシア軍には、それを貫けぬ者がいる。

略奪、拷問、誘拐、そして原子力施設の軍事利用……

何より――それを知っていながら止めようとしない、上層部」


ウォルコフ少佐は、無言で横に立ち続けていた。だがその眼には、同じ悔しさが宿っていた。


アリスは、言葉を探した。

だが、すぐには出てこない。ただ、その場に立ち尽くし、大佐の告白を受け止めていた。


やがて、大佐はふと空を見上げ、こう呟いた。


「……私は、ここで終わらせたい。幻想郷を第二の戦場にはしたくない」


その言葉に、アリスはゆっくりと頷いた。

彼女の目には、ただ“敵”を見る視線はなかった。ただ、過ちに抗おうとする軍人を見ていた。


霊夢が小声で言った。


「……この人、苦しんでる」


朝田三佐が静かに応える。


「ええ。きっと、自分の過去と、国と、そして命令の間で――戦ってきたんです」


そしてこの時、交渉の本質はただの停戦ではなく――

人として、過ちをどう受け止め、未来へつなぐかという命題に触れ始めていた。




【魔法の森の小径】


静かな森の風が竹林を揺らし、木漏れ日が淡く地面を照らす中、

ハルコフ大佐はゆっくりと口を開いた。


「私は最初こそ祖国のためにと思い戦った……

かつての兄弟の地で……ウクライナは兄弟だった。

ナチス・ドイツが攻めてきた時には、共に銃を取り、血まみれになりながらも戦った。

祖国を守ったことは誇りだった。今でもそうだ……だが、今の祖国の上層部は……」


彼の声は次第に低く、痛みを帯びていく。


「始まってみれば、民間人の家やマンションを攻撃し、空港を占拠した……

病院にも攻撃した……地下に軍事施設があると聞かされていたからだ。

だが、そんなものは無かった。そこにいたのは、子供や女性、怪我人や病人だった。

我々は取り返しのつかないことをしてしまったと、深く後悔した……

しかしそれを理由に、戦闘を現場の判断で止めることは許されなかった。

背後には督戦隊が組織され、リマンでは仲間達が殺された……同じ同志たちに……」


彼はそこで一旦言葉を止め、苦しげに息をついた。


副官のウォルコフ少佐は俯き、後悔に満ちた表情を浮かべている。

かつて冷徹だと思っていたロシア軍の一部隊も、実は己の良心と葛藤に苦しんでいたのだ。


ハルコフ大佐は続けた。


「君たちに頼みがある。私は裁かれても構わない。

だが……若い連中は助けてほしい。彼らは祖国を信じ、私を信じてついてきた。

彼らにはまだ未来がある……頼む……彼らだけは……」


若い隊員たちは不安げな顔をし、数名は涙をこぼしていた。

その純粋な瞳が、戦いの現実と未来への不安を映し出している。


その様子を見つめていた霊夢は、自然と哀れみの表情を浮かべた。

「……こんなにも若い命が、こんなにも傷ついて……」


彼女の心は重く沈んだ。



ハルコフ大佐の語った言葉は、霊夢たち幻想郷の面々の胸に、重く深く刻まれた。


かつては「ロシア軍」と聞けば、それはただの冷徹な侵略者、感情のない兵士の群れに過ぎないと思っていた。心を捨て、命令に従い、ただ破壊するだけの存在――そんな先入観が、幻想郷にいる者たちの多くにあった。


だが、目の前に立つこの大佐の言葉は、その固定観念を大きく揺るがすものだった。


「……我々も人間だ。生まれ育った祖国を想い、仲間を信じた者たちだ。だが、信じた先にあったものが……この地獄だとは、誰も思っていなかった。」


その言葉には、命令に逆らえず、民間人を傷つけてしまった痛み。若い兵士たちを連れてきたことへの後悔。そして自らの手で築き上げてしまった悲劇への、どうしようもない罪悪感が滲んでいた。


霊夢は、その姿を黙って見つめていた。


「……敵にも、心があるんだね……」


小さくつぶやいたその声は、張りつめた空気の中でかすかに響いた。隣に立つ朝田三佐も、静かに頷いた。


「ええ。だからこそ……難しいのです。命令では割り切れない戦いもある。」


魔理沙やアリス、そしてアリスの背後に立つNATOの兵士たちも、言葉なくそのやり取りを見守っていた。

マルク大尉は目を伏せ、ハルコフ大佐の告白を反芻するように、静かに息を吐いた。


幻想郷という異質な世界の中で、現実の戦争の重さ、そして「敵」にも心があるという現実が、幻想郷の人々に深い影を落としていた。


そして、この瞬間から――

幻想郷はただの異界ではなく、痛みと希望が交錯する「現実」の舞台となっていくのだった。

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