【ターニング・ポイント】
迷いの竹林――その奥深く、仮設の集会所として設えられたNATO軍の簡易テント。
木々に囲まれた一角に、今まさに歴史的な対話の場が整えられようとしていた。
朝田三佐と霊夢の到着に続き、ドイツ連邦軍のシュルツ中佐が現れた。
彼の隣には副官のハルトマン少佐が控え、鋭い目で周囲を観察している。
「情勢は限界ぎりぎりだな、朝田三佐。」
シュルツ中佐が苦笑を交えながら呟く。
「だからこそ、ここで止める。私はそのために来た。」
「感謝します、中佐。あなたの冷静な判断が今、必要です。」
朝田は丁寧に頭を下げた。
そして、竹林の奥から、自由ロシア軍の部隊が姿を現した。先頭を歩くのは、ロシア語で部下に短く指示を飛ばす初老の軍人――マルコフ大佐であった。
彼はかつてロシア連邦軍の将校であり、今は自由ロシア軍の現地指揮官。穏やかながらも一切の妥協を許さぬ目を持つ男だった。
「……ここが、話し合いの場か?」
マルコフは静かにそう言うと、テーブルを挟んで朝田、シュルツと向かい合って座る。
「私はマルコフ大佐、ロシアで戦い、そしてその体制を否定し、ここに来た。まず確認したい。――君たちは、我々を“敵”として見ていないか?」
朝田はわずかに息を飲み、霊夢と永琳が背後で静かに見守る中、ゆっくりと口を開いた。
「日本、自衛隊、NATO……そして幻想郷の者たちは、あなた方を“敵”とは見ていません。むしろ……この混乱を止めるための協力者だと考えています。」
沈黙が流れる。
迷いの竹林。張り詰めた空気の中、自由ロシア軍とNATO、そして自衛隊の将校たちが対峙するその場に、もう一つの足音が鳴り響いた。
駆け込んできたのは、ジョージア軍の制服に身を包んだ軍人――ニコ・タヴァディゼ中佐であった。
彼は鋭い眼光と整った軍帽の下に、戦場で鍛え上げられた風格を漂わせていた。
「遅れてすまない!」
その声に、自由ロシア軍のマルコフ大佐が振り返る。そして、目を見開く。
「……ニコ?まさか……」
「そうだ。俺だよ、マルコフ。」
ニコ中佐は微笑みながら前に進み出た。
「ジョージア軍所属、現在はNATO連絡団として幻想郷入りしている。だが、お前は知っているはずだ――俺はあの戦争、ドンバスにもいた。ウクライナ義勇兵として。あのとき、共にいた仲間の一人が……お前だった。」
霊夢、永琳、朝田三佐、シュルツ中佐――誰もがその言葉の意味を静かに受け止めていた。
マルコフはかすかに目を伏せた。
「俺は、ロシア連邦の中で戦い、そしてその体制に背を向けた。お前は、義勇兵としてウクライナの地を守った。……皮肉なもんだな。あの頃、互いに信じた“敵”の定義が、こうして逆転している。」
ニコは真っ直ぐにマルコフを見据える。
「信じたのは、敵じゃない。“人間としての誇り”だ。だから今、俺はここで戦うんじゃない――話すために来た。」
彼の言葉に、マルコフの瞳がわずかに揺れる。
「……俺もだ。仲間をこれ以上死なせたくない。幻想郷でまで、また同じ過ちを繰り返すつもりはない。」
シュルツ中佐が沈黙を破る。
「我々は今、“かつて敵だった者”が並んで話すという歴史的な場に立っている。ターニング・ポイントだ…今度こそ、違う答えを導く時だ。」
朝田三佐は静かに、だが強く頷いた。
「そして、我々がその一歩を共に踏み出せるなら――未来はきっと変えられる。」
――かつて戦火の中で交わした友情。
その記憶が、幻想郷という異郷で、再び灯となって静かに燃え始めていた。
竹林に設けられた即席の簡易会議スペース。
周囲には武器を下ろした兵士たちが静かに目を配り、永琳が竹林内部の安全を監視し続けていた。
中核に立つ三人――
自由ロシア軍【マルコフ大佐】
ジョージア軍/元ウクライナ義勇兵【ニコ中佐】
ドイツ連邦軍【シュルツ中佐】
そして、自衛隊【朝田三佐】と、博麗の巫女【霊夢】が側に立つ。
この場は、ただの軍人同士の接触ではない。
幻想郷という「どこにも属さぬ地」で行われる、過去の戦争と国家の業を越えた対話の第一歩だった。
マルコフ大佐が静かに切り出す。
「我々、自由ロシア軍は……“脱出”ではなく“脱皮”を試みている。我々の存在はロシアという国家の枠からも、NATOや西側の枠からも外れている。だが、それはあくまで戦火を避けるためだった。幻想郷において我々は……余所者だ。お前たちとて同じだろう?」
ニコ中佐がうなずく。
「同じだ。だが、その“余所者”同士だからこそ、話し合えることがある。俺たちはこの地で、もう一つの歴史を刻むことができるかもしれない。」
シュルツ中佐は地図を広げる。
「我々ドイツ軍は、ここ幻想郷における衝突回避のため“非武装中立帯”の設置を提案している。特にこの竹林周辺――永遠亭と呼ばれる地域を含むエリアを、各国共用の監視・連絡地帯として、最低限の装備と共同管理体制で運営することを望む。」
マルコフはしばし地図を睨んだ後、重い口を開いた。
「我々にとって、この地での存在は唯一の“避難所”でもある。だが……この提案は、互いに信頼がなければ成立しない。あのドンバスで、俺はそれを学んだ。」
彼はニコを見る。
「お前を信じる。だから、自由ロシア軍としてこの案に参加する。」
空気が緩み、沈黙の中にわずかな安堵が流れた。
ニコ中佐は口元に微笑を浮かべる。
「……ありがとう、マルコフ。これで、少なくともここ幻想郷での“次の戦争”は避けられるかもしれない。」
朝田三佐は小さく息を吐き、霊夢に目をやった。
霊夢は静かにうなずく。
「この場所は、戦うための地じゃない。“意味を見つけるための地”なのよ。」
永琳が端から歩み寄り、医療物資の入った箱をそっとテーブルに置いた。
「ではまず、薬と情報の交換から始めましょう。互いの部隊の健康と安全は、この地の安定に直結するわ。」
マルコフが、その手にあった旧式の戦地用通信端末をテーブルに置いた。
ニコも、ジョージア製の暗号通話端末を差し出す。
それは、武器の交換ではない――信頼の橋渡しだった。
こうして、幻想郷・竹林にて――かつて交戦した者たちが、今、共に守るための協議を始めた。