手に入れる為ならどんなことでも。
残酷な表現、性的な表現が若干あります。人死あります。ご注意ください。
今日も婚約者は不機嫌だ。愛しの平民娘に会いたくて仕方ないのだろう。顔を背けて紅茶を飲んでいる。
こっちだって、貴方とお茶なんてしたくもないわ。
はしたないけれど、紅茶を一気に飲み干した。驚く彼を一瞥して、立ち上がった。
「本日はこれにて失礼致します」
美味しいはずの紅茶が彼と飲むと不味く感じるのよね。
返事を待たずに馬車へと急ぐ。さっさと家に帰りましょう。
馬車の前に我が家の家令が立っていた。私を見て、ホッとしたような表情を浮かべる。
「あら?どうしたの?家で何かあったの?」
「いえ。お嬢様が浮かない顔をされていましたので気になってしまい、ついてきてしまいました」
「そうなのね。こんな美味しくもないお茶の時間、毎回憂鬱なんだもの」
「では帰ってから美味しい紅茶をご用意致しますよ」
「ありがとう!」
彼の綺麗に整えられた、少し白髪混じりの髪がふわりと風で揺れるのを眺める。
幼い頃から家令は私を育ててくれた。
両親は仕事一筋、子供なんてただ後継ぎに必要だからと作っただけ。と、侍女達に愚痴を言っているのを聞いた時は泣いてしまった。
いつもそばにいてくれた家令に泣きながら抱きついた。
『貴方も私が邪魔?いらない?』
『いいえ!私はお嬢様がとても大切なのです。誰よりも何よりも。…愛していますよ』
ぎゅっと強く抱きしめられて安心したのを覚えている。
優しい家令が大好きで、幼い私は常に引っ付いていた。どこへ行くにも一緒だった。
私が成長し、淑女教育を受け、学園へ通うようになると一緒にいられる時間は減っていった。
あんなろくでもない婚約者とのお茶なんて無駄な時間より、家令とお茶した方が楽しいのに。
「…あのお方では、お嬢様が幸せになれるとは思えません」
家令がポツリと呟いた。私だって、あんな人と結婚したくないわ。けれど、この婚約はお父様が決めたこと。私は抗うことも出来ず、嫁がされてしまう。
「…私だって嫌よ。結婚なんてしたくない。でも、お父様もお母様も、私のこと駒としか思ってないんだもの。…逃げられないわ」
会話なんてまともにしたことがない。ただ勉強をしろ、恥ずかしくないよう成長しろとしか言わない。褒められたこともない、愛されたこともない。
それが当たり前になってしまったことに、私は何も感じなくなってしまった。
結婚が嫌だと言えば、修道院行きかしら?それとも平民にされるのかしら?…いいえ、更にろくでもない男の元へ嫁がされるだけね。
一ヶ月後、最悪な報せが届いた。
両親の乗った馬車が崖から落ちたと。
悪天候の中、仕事の為に急いで馬車を走らせたのが原因だろうと。
生き残った御者が泣きながら謝罪をするのを他人事のように聞いていた。
死んだ…両親が。現実味がない。思い出を語れる程、そばにいたこともない。会話だって。
だからだろうか。悲しみが湧かない。
「私、おかしいのかしら」
「いいえ…家族とは呼べない程に関わりが無かったのですから、仕方ないことです」
家令は私をそっと抱きしめた。悲しくないけれど、この温もりに泣きそうになった。家族よりも家族らしい彼の存在が嬉しかった。
久々の彼の温もりが私の心も癒してくれた。
葬儀を終えてからが忙しかった。後継ぎの私が当主となったので、婚約を解消した。
元婚約者は何故か嫌がっていたけれど、学園での浮気を盾にすると、彼のまともな両親が謝罪をしてくれて、解消も受け入れてくれた。
何が『嫉妬して欲しかったから』よ。口付けもしてたくせに。嫉妬ではなく、嫌悪しか無かったわ。最低男。
「やっとあの顔を見なくて済むのね!」
「婚約解消、おめでとうございます」
「ありがとう!貴方のおかげよ。支え続けてくれたんだもの」
のんびりと庭を二人で歩く。誰も見ていないし…と彼の手をそっと握った。
ピクッと反応したかと思えば、力強く握り返された。
大きくてゴツゴツしてるのね。手を繋いだのなんてもう随分と懐かしい。
「お嬢様」
熱い眼差しを向けられる。ドクンと心臓が高鳴る。
「新たに婚約者をお探しでしょう?」
「え、ええ」
「私を選んで頂けませんか?」
彼を…選ぶ?
確か…昔、何かで国を救って爵位を貰ったとか…伯爵だったかしら。身分もいいし、彼との性格も私に合っている。年の差は父親程にあるけれど、美丈夫だし…
彼を…選びたい。
「私でいいの…?」
「貴女でなければいけないのです」
力強く抱きしめられて、彼の思いが伝わってくる。心臓の音…速いわ。
「私も貴方がいい」
ようやく手に入れた愛しい人。
幼く、いつも私の後ろをくっついてこられたお方が、あっという間に成長し、美しい淑女へと変わられた。
成長していく姿を見ていた時は、お嬢様のことは娘のような気持ちでいた。
それがいつしか、誰にも奪われたくないと、邪な気持ちを持ってしまった。
普段は淑女の鑑。私の前では、少女らしい笑みを浮かべる。私だけに見せてくれる素。
誰にも言えないことを私になら教えてくださる。
秘密よ、と恥ずかしそうに微笑む姿を何度、妄想の中で汚したことか。
それなのに婚約者が決まってしまった。憎悪しかなかった。あの男をどうにかして引きずり降ろさねば、と。
私がしたことといえば、お嬢様を街へ連れ出したり、なるべく屋敷にいる時間を減らしたこと。男がやってきても追い返せるからだ。
『いつもどこへ出かけているんだ?』
『お嬢様は最近、演劇がお好きになられたようで…その、好みの俳優がいるんだとか』
嫉妬心丸出しの男は、悪態をついた後、帰っていく。それをほくそ笑む私は悪い男だ。
その後も何度も来ては、空想上の男に嫉妬して帰っていく。いつしかお嬢様との仲が悪くなっていくのは、笑いが止まらなかった。
そこに平民の女が男に近付いていることを知った。これはチャンスだ。と、男に『お嬢様を嫉妬をさせるのに利用するのです』と唆した。
お嬢様が男に嫉妬することなんてない。何故なら関心がないから。それなのに嫉妬してもらえるだなんてよく思えたものだ。
どんどん冷えていく二人の関係。逆に慰め、そばにいることが増えた私とお嬢様。
そっと寄り添えば、嬉しそうに微笑んでくださる。
あぁ、本当に愛おしい。もうすぐだ。もう少しで、私のものになる。
旦那様に取引を持ちかけた。私の所有している鉱山が欲しい旦那様に、お嬢様との結婚を交換条件として。
家族に関心のない旦那様は、すぐに飛びついてきた。
『あの娘がそんなに良いか?確かに美しいが…ふっ、純潔かどうか怪しいものだから気を付けろよ』
憎悪が生まれた。お前如きが!私のお嬢様に!
怒りを押し殺しながら契約の話を進めた。
私の所有している鉱山と爵位は、昔、前国王陛下からのお詫びとして貰ったものだ。若かりし頃、婚約者がいたが現国王陛下に横取りされた。不貞を働いた二人は、前国王陛下により、罰を受けた後に結婚をした。
前国王陛下からはお詫びという名の口止め料だった。それを『褒賞だ』ということにして。
別に愛していない婚約者だったので、どうでも良かった。面倒だということもあったので、婚約者を奪われたことを理由に独身を貫いた。
元婚約者…王妃は、罰として子を産めぬ体にされた。
陛下は、罰として数人の側妃との子を産ませた後、不能にさせられた。
今ではお互いを憎み合っているのには呆れたが。
鉱山などくれてやる。お嬢様が手に入るなら、どんなことでも。
旦那様は鉱山が手に入ると喜び、書類の準備を始める為に部屋を出ていく。そこに入れ替わるように奥様がやってきた。
『まさか鉱山だけ?』
強欲な女だ。盗み聞きまでして、浅ましい。
『何をお望みで?』
『そうねぇ…貴方、かしら』
私の胸に手を添えて、上目遣いをしてきた。気色悪い。
口付けをされそうになり、そっと避けた。誰がお前なんぞに唇を許すものか。
美しく成長されたお嬢様に嫉妬をするような醜い女だ。夫婦揃ってクズだ。
この二人を消さねば、私とお嬢様の幸せは訪れない。
陛下に昔の話を持ち出して、ふたつ叶えて欲しいことがあると頼んだ。
私に罪悪感を持っていた陛下は、それくらいならお安い御用だと叶えてくれた。
ひとつは、あの二人を呼び出してもらうこと。道中、あの場所に盗賊が現れることは私しか知らない。陛下はただ『呼び出した』だけ。不運にも、あの二人は亡くなってしまう予定だ。それも事故で。
二つ目は、私とお嬢様の婚姻届が提出され次第、すぐに認めること。お嬢様を狙う輩は、いくらでもいる。邪魔されない為にも急ぐ必要がある。
それから一ヶ月後。
『不運な事故』で亡くなられた二人の葬儀を終え、これでもう邪魔者は消えた。
お嬢様、私は貴方を愛しているのです。それは家族として、ではなく。男として。
「結婚式、楽しみね」
「今すぐにでも行いたいのですが…」
「ふふっ。あと数日よ。それより、敬語はやめて」
「分かったよ。愛しい妻よ」
「もうっ…愛しい旦那様」
抱き寄せて口付ける。甘く、うっとりとしてしまう。
ようやく手に入れた愛しい人。
結婚したらすぐにでも子を作らねば。妻の理想の家族を作ろう。愛し愛される幸せな家庭。
「もう貴女に寂しい思いはさせない」
私が死ぬその最期まで、貴女を幸せにすると誓う。
願わくば、貴女の最初で最後の愛する者になれるように。
二人の間には子供が五人生まれた。
誰もが羨むおしどり夫婦になり、子供達もすくすくと育っていった。二人の遺伝子と教育のおかげか、五人はそれぞれ得意分野を活かし、国を発展させていった。
妻を一人にはせず、常に隣で寄り添う姿は美しかったと後の人々が言う。お互い見つめ合い、微笑む姿は誰よりも何よりも幸せが溢れていた。
十数年後、夫が亡くなっても、妻は再婚せずに死ぬその最期まで夫への愛を語っていた。
最初で最後の人なのよ、と。
結婚指輪を眺めながら彼女は亡くなった。
最期まで、愛しい人を思いながら。
後に、妻がこっそりと書いていた日記には、幸せな日々と愛する夫への感謝と愛の言葉で溢れていたのを孫が見つけた。
どうか、あの世でも二人一緒に暮らせていますようにと残された家族は祈った。