第8話ー1
「あれが、妖樹……」
萌菜は、その異様な木を見つめて、寒気を感じた。
一見すると、普通の木なのだ。だがよく見ると、その木が異様だとわかる。仄かに赤黒い不気味なオーラを放出し、そして何よりも根本が違った。根本には大きな樹洞がぽっかりと開いているのだが、その中で何かが蠢いているように見えた。
萌菜は、恐怖のあまり身震いし、自分の体を抱きしめる。
「な、なんで、あんな洞が開いているんですか……」
萌菜は、ソウハに聞くように呟いた。
「贄を捧げる洞だ。妖魔は、贄の血は根に捧げ、肉体は洞に捧げる」
その光景を想像して、こみあげてきたものを我慢するように、萌菜は口を押えた。
そのとき、風が吹いた。
(な、なに? この腐ったような臭い……)
おもわず鼻を抑える。腐臭ともいえる死臭が漂ってきた。だが死臭など知らない萌菜は、臭いと感じただけだが、ソウハは違った。
眉をしかめる。そして呟いた。
「この強烈な死臭……やはり、相当な数の贄を捧げているな……」
「これが、死臭……」
萌菜は唾を飲みこむと、思わずソウハの袖を掴みしめた。
「やめろ、離せ!」
男が引っ張られてきた。そして地面に転がされる。
「なぁ、俺は、あんたたちの役に立っていただろう?」
男は、大柄の妖魔にすがりついた。
だが、妖魔は男を見下ろしただけだ。その瞳は、なんら感情を映してはいなかった。
「ソウハさん」
萌菜はソウハを見た。
「先程、新しい男が連れてこられただろう。だから、古い男を妖樹に捧げるのであろう」
萌菜は、ソウハの落ち着いた態度に驚愕した。そんなことを聞きたくて、呼びかけたわけではない。助けないのかと、呼びかけたのだ。だが、ソウハはじっと妖魔を見つめていた。
男はその後も何度も命乞いをするが、妖魔には通じなかった。大柄な妖魔が、男の頭を掴んだ。
「見てはいけない」
ソウハは鋭く小声で言うと、萌菜の頭を無理やり押さえつけた。
(な、なんなのこの人……本当に人間? 私を気遣うぐらいなら、助けに行くべきでしょ……)
ソウハの行動が理解できなかったが、男の悲鳴が聞こえたため、萌菜は目をつぶった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
大柄な妖魔に、男は頭を引っ張られていた。肉が裂ける音がした。そしてそのまま男は頭を引きちぎられた。
頭を失った男の首から、血が溢れだす。
妖魔は男を逆さまにすると、その血を妖樹の根へと振りかけていく。
そして頭を、洞の中に投げ入れた。
しばらく男の血を妖樹の根へと振りかけていたが、血が止まると、妖魔は男の体を折りたたむ。そして頭と同じように、洞の中へ投げ入れた。
妖樹が、はっきりとわかるほど、赤黒い光を放ち始めていた。
萌菜は、ふと手がどかされ頭が軽くなったのがわかったが、顔を上げる気にはならなかった。
(こ、この人、見殺しにした……)
萌菜は、冷汗が流れてくるのを感じた。
(こんな人と旅をして、大阪に行くの……)
萌菜は、本当に嫌だと思った。だから、言わなくてはならないと感じた。
「なぜ、見殺しにしたんですか? あまりにも、酷すぎます……」
萌菜は顔を上げ、ソウハを睨んだ。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「なにを、生ぬるいことを言って……」
ソウハは萌菜を見たが、彼女の瞳が涙で濡れているのを見ると、バツが悪そうに視線を逸らした。
妖樹の輝きが強くなってきた。そして枝に一つの実がなり始める。
「あの群れの、長を知るためだ」
ソウハは、その様子を見ながら、短く答えた。
「え? そんなの、わかりきっているじゃないですか。あの大きい妖魔に、決まっています」
萌菜は、男の頭を引き抜いた、一番大柄な妖魔を指さし、反論した。
「君は妖魔について分からないだろうから言っておく。見た目と強さが、必ずしも関係するとは限らない。妖魔は、人間ではないのだ」
「え?」
「だが、確実に長がわかるときがある。妖樹の実を食べるときだ。必ず集団の中で一番位の高いものが、まず最初に口にする」
「だからって……」
「君が異論を抱くのは理解できる。だが、妖魔は狡猾だ。敵わないと知れば、再起を図るため逃げ出す妖魔は結構な数いる。あの死臭から、あの妖魔どもの長は、結構な数の実を食べ、力をつけている。並みの衛士では、残念ながら勝てるとは思えない。だからここで逃がさず、私が必ず滅しなくてはならない」
「……だからって」
「そうだ。私は逃がすかもしれないという憶測で、あの者を犠牲にした。だが、強力な妖魔をここで逃がせば、もっと犠牲者がでる。だから私は、確実な方法をとった」
(理解できる……理解できるけど……受け入れられない)
それはそうだろう。萌菜は今まで安全な生活を送ってきたのだから。
二人が話しているうちに、実が大きくなり、成長が止まると、ひとりでに落ちた。
妖魔の一匹がそれをキャッチする。
(あの妖魔が、長?)
萌菜は、生唾を飲み込んだ。
だが、違った。その妖魔は自ら食べずに、大柄な妖魔へと歩いていく。
(やっぱり、一番強そうな妖魔が一番偉かったんだ……)
それも、違った。
その妖魔は、大柄な妖魔の横を素通りする。
そして一番小柄な子供のような妖魔の近くに来たとき、その小柄な妖魔が実を瞬時に掴んだ。
(まさかの逆だった……一番小さいのが、一番偉いなんて……)
萌菜は、ソウハの言ったとおりだったと思った。だが……
小柄な妖魔は、実をまじまじと見つめ始めた。
そして一通り見ると、それを……
ひょろ長い妖魔へと、差し出した。
ひょろ長い妖魔は、それを一口かじる。そして首を傾げ、実を投げ出した。
群れていた妖魔たちが、実を取り合い始めた。
「序列がわかったな……あのひょろ長い妖魔が長で、次に偉いのはあの小柄な妖魔、そして三番目は大柄な妖魔だろう。だが、実を選り好みするとは……それほど食べていたか」
ソウハの瞳が肉食獣のように細められ、口元が楽し気に歪んだ。
「あの三匹は、ここで必ず滅する」
「ソウハさん?」
萌菜はソウハの表情に寒気を感じた。
「移動する」
萌菜の戸惑いなど気にせず、ソウハは萌菜に言うと、近くにある粗末な小屋に向かって移動を始めた。
一人でその場に残る勇気もなく、萌菜も移動する。
小屋に近づくと、女の嬌声が聞こえてきた。
萌菜はその声に、顔を赤らめてしまう。萌菜には、まだそのような経験は無かった。
「この人は、なんで妖魔に捕らわれているのに……」
思わず声に出して呟く。
「仕方あるまい。快楽で恐怖をごまかしているのだ。でなければ、生きていく気力も湧かないだろう」
萌菜は、自分が捕らえられたらと考えると、複雑な気持ちになった。
「すまないが、中の人数を確認して欲しい」
近くの木の陰に隠れながら、ソウハが萌菜に言った。
「私が?」
萌菜は驚いてソウハを見る。萌菜は経験どころか、そのような動画も見たことはない。それなのに、なぜ自分がと思いながらも、非常事態だから仕方が無いとあきらめた。
妖魔に見つからないように、素早く空いている隙間から小屋の中を見る。
「やめてくれ……」
さきほど連れてこられた男が、女にのしかかられていた。連れてこられた女のほうは、まだ気絶している。そしてお腹が膨れている女も一人いた。
「全部で四人です」
萌菜は一目で確認すると、戻り告げた。
「それは?」
ソウハは樹器と思われる小刀なような木刀を取り出し、仙気を込めていた。
「君に、これを貸す」
ソウハがそう言って、萌菜に樹器を渡す。
そのとき、妖魔が一匹近づいてきた。
どうやら萌菜は、この妖魔に姿を見られていたらしい。
ソウハはその妖魔を一瞬観察すると、腕を掴み引きずり込む。そして羽交い絞めにした。
「これは、低級の妖魔だ。ちょうどよい。練習だ。樹器を当てるだけでいい。君がやりなさい」
「え、え」
萌菜は急に言われ、狼狽えた。
「早くしなさい。他の妖魔に気付かれる」
ソウハに睨まれ、萌菜は目をつぶって妖魔の顔めがけて振り下ろした。
一瞬、何かにあたった感触を感じたと思い目を開けたら、妖魔は消滅していた。
萌菜は自分が妖魔を滅したという事実に、すこし興奮した。
「凄い……私、妖魔を倒しちゃった」
「はぁ……私が仙気を込めたのだ。低級の妖魔など一撃で消えて当然だ。貸しなさい」
ソウハは、萌菜が持つ樹器を受け取ると、再び仙気を込めた。
「この樹器で、妖魔を倒せるのは、低級が五匹までだ。この樹器では、それ以上の仙気は込められない。気を付けなさい」
「わかりました。けど、私はここに隠れていて、いいんですよね?」
まさか、自分もこれで戦えなんて言うのか、鬼畜なソウハなら言いかねないと、萌菜は確認する。
「そんなわけないだろう。それならば、これは渡さない。形勢が悪くなったら、妖魔が小屋の者たちを連れ去るかもしれない。私は余裕が無いかも知れぬ。もしそうなったら、君が守るのだ」
「え……」
萌菜の顔は青ざめた。
そしてソウハは立ち上がり、背負い袋を置き、鞘から樹器を抜くと、仙気を活性化させる。そして、小屋の屋根に跳びあがった。
「ちょっと、待ってぇぇぇぇぇぇ」
萌菜は呼び止めようとしたが、ソウハは小屋の屋根を蹴って、妖魔の長へと襲い掛かった。
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