第1話
少女は、先を歩く男の背中を見つめながら歩いていた。
疲れているはずだが、あまりの現実離れした出来事に感覚が麻痺してしまったのか、長時間走り続けた疲労は、どこかに飛んでいった。ひたすら先程の妖魔と呼ばれた化け物と、男の戦闘を思い出しながら歩いていく。
「やば過ぎでしょ。あの妖魔とかいう化け物もだけど、あんな木刀を当てただけで消えちゃうなんて、実は何かの映画の撮影?」
実はカメラで撮影されているかもと思い、少女は辺りを見回す。だが、カメラマンらしき者は見当たらなかった。
「これが現実だとしたら、一体全体なんなの……」
とんでもないことに巻き込まれたのかと思いながら、少女は目が覚めるきっかけとなった言葉を思い出した。
『大阪に、行きなさい』
少女は、その一言で目が覚めたら、神社にいたのだ。
「なんで、私が大阪に行かなかきゃいけないのよ。それに一体全体、どこよここ?」
少女はバイトの休憩時間に、眠ってしまったのだ。そして起きたら神社にいて、妖魔に襲われ、逃げて、男に助けられた。
「もしかして、眠っている間に拉致されて、神社に捨てられた?」
碌でもない想像をしながら、少女は歩いていたが、男が道路を外れ、森の中に入っていくのを見ると、立ち止まった。
「冗談でしょ。なんで村に行くのに、わざわざ森の中に入るわけ? 普通に道路を歩いて行けばいいじゃん……」
ボヤいていると、男が振り返った。
「何を立ち止まっている! 離れるな!」
男が怒鳴った。
「な、なによ偉そうに……怒鳴んなくたっていいじゃん……」
少女は仕方なく男の後に続いて、森の中へと入っていった。
二人は一時間以上、森の中を歩いていた。
「あのぉ、村っていつになったら着くんですか?」
少女は先を歩く男の背中に、大声で呼びかけた。
「もう少しだ」
男は振り返ることなく、短く答えた。
「すみません、ちゃんとした道路を歩きたいんですけど?」
「残念ながら、村には道路は無い」
「は?」
(ありえない……道路が無いって、どんな田舎なの?)
「本当に、ここはどこよ?」
その後、少女は何も聞かずに男の後に続いて、黙って歩いた。
日が沈み始めた。辺りが暗くなる。
男は土地勘があるのであろう、迷わず歩いていく。
そして完全に日が暮れた頃、視界が開けた。
森の中に、惣構えと呼べるような、木板らしい壁で囲われた村があった。門らしき場所には篝火がたかれ、見張りらしき者が、二人いた。
男は門へと歩いて行くが、少女は立ち止まった。
「ありえない。篝火って、いつの時代よ……」
あきらかに、電気が通っていない。少女は、この令和の時代にそんな村は日本には存在しないと、村を警戒して近寄るのをやめた。
見張りの二人は若い女性だった。いや、一人は少女と呼べる年齢だろう。
若い女性は槍を持ち、少女は拳にメリケンのような物を装着していた。
若い女性が、男に声を掛けた。
「失礼ですが、決まりですので、春はあけぼの」
「やうやうしろくなりゆく山ぎわ」
男が答えると、若い女性はホッとした表情に変わった。
(枕草子を使うって、いつの時代よ……)合言葉なのだろ。それが聞こえた少女は、思わず心の中でツッコまずにいられなかった。
男と若い女性は、話しを始めた。
「御無事で何よりです。定刻にお戻りにならなかったので、捜索隊を編成するところでした」
「すまぬ。心配をかけたな。妖魔どもがな……」
男は振り返り、少女を見る。
「奇妙ななりをした、娘ですね」
「妖魔共が、追い立てていたのでな……」
「なるほど。それで遅くなられたのですね」
若い女性は、少女に声をかけた。
「奇妙な格好をした娘、早く村に入らぬか。門を閉められぬでないか」
「は? 奇妙な格好って、私の事? あなたたちの方が、よっぽど奇妙な格好をしているんだけど」
少女は、男と若い女性を見る。
「あの人たちが着ている服って、神職が着る浄衣に似ている。けど、色が黒って、男の服は緑色だし。そんな恰好をしているあなたたちの方が、よっぽど変……」
少女は、さすがに聞こえるほどの声で、言ったりはしなかった。
呟くと、若い女性と男を交互に見ながら、ゆっくりと門に近づいていく。
「何を警戒しているんだ?」
男が少女に問いかける。
「な! 分かりました、入ればいいんでしょ」
少女はぶっきらぼうに答えて、門へと近づいていく。横目で若い女性の槍を見た。
(この女性の槍も、木製だ……)
そして門をくぐるときに、門番の少女の拳を見た。
(この子の武器も木製だ……もしかして、鉄すらないの?)
だが、篝火を見て、鉄製のように見えたため、すぐさま鉄は確かにあると、考え直した。
男と少女が村に入ると、門番の二人も村に入り、門を閉じた。
少女は辺りを見回した。結構な広さがありそうな村だった。夜の為、篝火が焚いてある付近しか見えないが、それなりの数の家があるのがわかった。
「仙樹の君が、お戻りになられたぞ!」
門の付近にいた男が叫ぶと、家々から村人が出てきた。
(嘘……この人たちが着ているのって、確か作務衣だよね……)
少女は洋服、きちんとした格好ではなく、ラフなシャツ姿でもよい。誰か一人でも洋服を着ていないか探したが、全員が作務衣を着ていた。
(タイムスリップだ。絶対タイムスリップだよ……あれ? けど、昔から作務衣ってあったっけ? じゃあ、あれは甚平? それにあの男の人の服は、黒の浄衣っていうより、昔の公家が着ていた直衣に似ている?)
村人たちから挨拶を受けながら、男は歩き始めた。
(いや待って、道路はアスファルトだった。ということは、もしかしてここは現代世界から隔離された隠れ里?)
少女があれこれ考えていると、同じく黒の浄衣を着た少女がやってきて、男の腕をとった。
「よかった。ご無事だったんですね」
「ああ」
男が短く答えると、浄衣を着た少女が、メイド服の少女に近寄り、まじまじと眺めた後、フンと顔を逸らしてどこかへ行ってしまった。
男は、一軒の大きな家についた。この家は、他の家と違い塀があった。
男が玄関を開けると、一人の少女が出迎えた。
「ソウハ様、お帰りなさいませ」
「ユズカ、拾い物をしてきた。あの者のぶんの食事も頼む」
「はい」
ユズカと呼ばれた少女は返事をすると、脇に退く。
ソウハと呼ばれた男は、獣の皮をなめして作られた靴を脱ぐと、そのまま奥へといってしまう。
家の中に上がって良いかわからず、少女は蝋燭が灯る薄暗い玄関に立ち尽くした。
「どうぞ、おあがり下さい。拾い物様」
ユズカが少女に声をかけた。
(ひ、拾い物って……私にだって、ちゃんと名前があるんだけど……)
感情的に怒りそうになったが、今までの出来事が少女を慎重にさせた。
思いとどまり、ムッとしながらも靴を脱いで、家の中へと上がる。
ユズカの案内で客間らしき、部屋へと通された。
簡素な部屋だった。木張りの床に、簡素な座卓と座布団があるだけの部屋だった。
「どうぞ、こちらの部屋でおくつろぎ下さい」
ユズカは少女を案内すると、家の奥へと下がった。
少女は座布団に座り、部屋の中を見回す。何もなかった。それが分かると座卓に突っ伏して「わけがわからない、わけがわからない」とぶつぶつと何度も呟き始めた。
だが足音が聞こえたため、あわてて顔を上げた。
お盆に湯飲みをのせたユズカが、立っていた。
「あ、ごっめんなさい」
少女は、慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべた。
「お茶をお持ちしました。飲めば、元気が出ますよ」
ユズカはお茶の入った湯飲みを二つ座卓に置くと、部屋を出ていった。
「お茶ね……」
少女は香りを嗅ぐ。
「お茶は緑茶っぽい……」
飲むかどうか悩んでいると、すぐに作務衣に着替えたソウハが、客間にやってきた。
そして何も言わずに少女の対面に座ると、お茶を啜り始めた。
ソウハのお茶をすする音が室内に響く。少女は何か聞くべきか悩んでいたが、聞くだけの勇気を出せなかった。
「湯の準備が整いました」
ユズカがやってきて声をかけた。
「先に入るとよい」
ソウハが少女に声をかけた。
「はい……」
少女は返事をすると風呂へと向かった。
少女は湯舟に浸かりながら、妖魔のことを思い出し震えはじめた。
「帰りたいよ……」
一人暮らしだから、家に帰っても誰かがいるわけではない。だが、安全な日常生活が送れることが幸せだったと、命の危険にさらされて思い知った。
少女はひとしきり泣いた。
少女は泣き止むと、風呂を出る。メイド服の横に作務衣が用意されていた。よく見ると、メイド服は汚れている。
「これを着ろってこと?」
少女は作務衣を着ると、客間へと戻った。
少女が客間に戻ると夕食の準備がされていた。全部で三人分だった。
そしておかずには、魚と肉の両方が用意されていた。
少女が座卓に着くと、ユズカが説明を始めた。
「今日はヤマメが手に入ったので、塩焼きにいたしました。豚は味噌につけて焼いたものです」
良い香りがした。少女のお腹が鳴った。バイトのシフト上、早い休憩だったため、十二時前にお昼を食べて以来、何も口にしていない。
「ユズカ、君も一緒に食べなさい」
ソウハがユズカを見ながら言った。
「わかりました」
ユズカは台所に行くと、自分の分の食事を持ってきた。
(もう一人は誰の分だろう?)
少女は疑問に思った。
だが、「いただきます」と言った後、ソウハがすぐに食べ始め、ユズカも食べ始めた。
少女も二人が食べるのを見ると、すぐに食べ始めた。
(美味しい……)
少女は、一口づつ食べ始める。味噌汁も、ナスの漬物も、ご飯も美味しかった。豚のみそ焼きも、ご飯の進む味付けだった。ヤマメは少女にとって初めてだったが、さっぱりとした身にも油があり美味しかった。
食べていると、老女がやってきて座卓に着いた。そして食べ始める。
「ソウハ様、わたしだよ!」
元気な声が聞こえたと思ったら、客間に先程ソウハの腕を取った少女がやってきた。
「アケミ、夜分に何しに来た。帰れ」
老女がアケミという少女を客間から追い払う様に追い出し、玄関へと追い立てた。
「チヨ婆、酷い!」
アケミが文句を言いながら帰っていくのが、わかった。
老女は戻ってくると、食事を再開した。
四人は特に何もしゃべらず、黙って食事を続けた。
ユズカが食後の膳を下げ終わると、チヨ婆と呼ばれた老女が少女に向き合った。
「あらためて、私はこの村の長をしているチヨメという。この村にいるときはチヨ婆で良い。そしてこの不愛想な者が、孫で仙樹の衛士をしているソウハという」
「ソウハだ」
老女が名乗り、ソウハを紹介すると、ソウハは面倒そうに名乗った。
「あらためて、先ほどは助けていただきありがとうございます。私は神崎、神崎萌菜です」
少女は、ソウハにお礼を述べた後、神崎萌菜と名乗った。
「カンザキモエナ、カンザキモエナ……長い名じゃな」
チヨ婆は首を傾げた。
「え? やだ、チヨ婆さん……神崎は苗字で、名が萌菜ですよ」
「は? 苗字じゃと?」
チヨ婆が、目を見開いて萌菜を見た。
チヨ婆だけではない、ソウハも驚いて萌菜を見ていた。
「え? え? な、何ですか?」
萌菜は、二人の視線に耐えきれず慌てた。
「いや、何でもない」
チヨ婆は首を振ると、立ち上がって部屋を出ていった。
「あの、ソウハさん……」
萌菜は早速、ソウハを名前で呼んだ。
「なんだ?」
ソウハは探るような視線で、萌菜の瞳を見つめた。
瞳をじっと見つめられ、焦った萌菜だったが、聞きたいことは山ほどある。
「まずは、先ほどの妖魔とかいう化け物のことですが……」
「……」
ソウハは萌菜の問いに答えず、じっと萌菜の瞳を見つめる。
ソウハに長々と見つめられ、萌菜は顔を赤らめ視線を逸らした。
「今日は、もう寝なさい」
ソウハは一言そう言うと立ち上がって、部屋を出ていった。
そして、入れ替わりでユズカが入ってきて、布団を敷いた。そして部屋の蝋燭を消していく。
「おやすみなさいませ」
ユズカが襖を閉めた。
萌菜は、頭の中を巡る疑問を抑え込んで、布団に入る。疲れていたためか、すぐに寝てしまった。
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