第14話ー1
「ほら、妖魔だ。早く滅しなさい」
平等院を出発した、萌菜とソウハ、そしてニャニャ太の二人と一匹は、一路大阪目指して歩いていた。
時折やってくる妖魔を滅するのはソウハ、ではなく、萌菜の仕事である。
「ソウハさんも、手伝ってくださいよ……」
萌菜は、フレイル型の樹器を振り回しながら、ソウハに振り返った。萌菜一人で妖魔を滅するようになって、もはやこの戦闘で十回目だ。ソウハが手伝ったのは最初の一回だけである。
「何をしている。戦闘中に、よそ見をするな!」
つまり、仙樹と契約し、新米衛士となった萌菜は、絶賛スパルタ指導中であるということだった。
「ご、ごめんなさぁぁぁい!」
ソウハに鋭く睨まれながら叱責され、冷汗をかきながら樹器をふるっていく。
(ソウハさん、絶対今までのこと、根に持ってるよね……)
ソウハに対して心の中で文句を垂れながら、萌菜は頑張った。次々と妖魔が消えていくさまを見ながら、思う。所属しているラクロス部でも、こんな熱血指導は行われないと……
散々ソウハを煽ってきたことを、まったく反省していない萌菜であった。
大阪に近づくにつれ、空に輝く赤き光がはっきりと見えるようになってきた。否応が無しにもわかる。強大な妖魔が待ち構えていることに。
漂ってくる空気が、少し近づくだけで重くなっていくのを感じる。それに伴い、妖力の気配も濃くなっていった。
その後も、萌菜が妖魔を滅しながら、二人と一匹は牧方市から大阪府へと入り、四条畷市の森の中で一泊した。
夜空だからだろうか、一際妖しく輝く赤き光を見ながら、萌菜が口を開いた。
「あそこに、何があるんでしょうか……」
萌菜は不安だった。衛士になりたての萌菜でもわかる。あそこには、とんでもない何かがいるのだと。不安になり、ニャニャ太を抱きしめる。ニャニャ太が離せと言わんばかりに非難がましく鳴いた。ニャニャ太は妖魔なのだが、萌菜はすっかりと愛着を抱いていた。ニャニャ太は諦め、人のようにため息をつくと、萌菜の腕の中でおとなしく目を瞑る。
「わからない。不安になる君の気持も理解できる。引き返すのなら今のうちだ。戦闘になってからでは、逃げるのも容易ではないだろう」
ソウハは不敵にも夜空に輝く赤き光を睨みながら、高揚している自分がいることがわかった。それは強敵と巡り合う喜びか、それとも……
自分は戦闘狂ではないと思いながらも、なぜ心が騒めくのか、ソウハは不思議でならなかった。
食事を済ませると、萌菜とソウハは早々に就寝した。
「はぁ、眠れない……」
萌菜は、目を開けるとため息をついた。
気になるからと、赤き光が目に入らない東側を向いている枝を選んだ。だが、興奮かそれとも不安からか、萌菜は心の騒めきを抑えられず、なかなか寝付けなかった。
少し下の枝で、赤き光の方を向きながら寝入っているソウハの豪胆さに呆れながらも、萌菜は何とか眠ろうと努力した。
きっと明日は、激戦になると覚悟を決めながら……
萌菜は目を瞑ると、唇を引き締めた。
翌日、森を出て大東市に入ると、萌菜は白骨化した人々の亡骸の多さに思わずえずきそうになった。
道路の至る所に骨が散乱している。
「妖魔が現れた時、真っ先に犠牲なった人たちであろう。この先、赤き光に近づけば近づくほど、亡骸は多くなるであろう」
ソウハも眉をしかめながら歩いている。
いったいぜんたい、妖魔が現れた最初の一日でどれほどの多くの人が犠牲になったんだろうか。萌菜は恐怖に乱れた呼吸を必死に整えながら、妖魔によって引き起こされた虐殺の跡が色濃く残る道路を、赤き光目指して歩んでいった。
どうやら、赤き光は情報通り大阪市の上空に浮かんでいるらしい。二人と一匹は、道路をはずれて学研都市線の線路上を歩いていた。亡骸が散乱する道路を歩くよりも、精神的に楽であるという理由からだが、学研都市線の線路が赤き光の方へと走っていると萌菜が思い出したからでもある。
放置され風化した電車の車両を避けながら、赤き光目指して進む。
光に近づくにつれ、感じる妖力が強烈になり、一段と空気が重たくなっていく。
そして赤き光の細部が見えるようになってきた。
上空の一点、裂け目らしき所から赤黒いグラデーションがかかったマーブル模様の光が放射状にゆらりと漂う様に伸びている。そして、その裂け目の中心には、何かが見えた。
「赤き光の裂け目を確認したい。あのビルの屋上に登るぞ」
ソウハと萌菜は線路をはずれ、高層マンションの屋上へと昇った。そこから赤き光を見渡す。
「大阪城……ううん、違う。セントラルタワー……赤き光があるのはあの高層タワーの真上だ……」
萌菜は、大阪城の隣に高層タワーが立っているなんてことは知らなかった。だが青砂インターネットテクノロジーズのネットワークシステムが言っていたセントラルタワーは、あれで間違いないことはわかる。
そしてセントラルタワーの先端から、なにかエネルギーらしきものが赤き光が溢れだす空間の裂け目へと流れ込んでいる。それとも逆か……萌菜は、それについて考えるどころではなかった。すぐに別のモノ、裂け目の中心にある何かに目を奪われていた。
だが、まだ数キロほど離れている。そのため、さすがに肉眼では、それがなんなのか、はっきりとは見えなかった。
突然、ソウハが背負い袋をおろし、何かを取り出した。それを目に押し当て、赤き光を見る。どうやら単眼鏡のようだ。
「あれは、まさか……あれらは妖魔か……だとすると、妖魔とは……」
ソウハは唸りながら、裂け目の中心にある何かを見続ける。
「ソウハさん、私にも見せてください」
一人で何か納得するように呟いていたソウハを見て、萌菜も見たくなった。
「ああ、そうだな。しっかりと観察するように」
敵の観察は重要である。ソウハとしても萌菜にはしっかりと敵の情報を知ってほしかった。
ソウハから単眼鏡を受け取ると、萌菜は裂け目の中心にあるものを見始めた。
「なにあれ……」
驚きのあまり、それ以上声が出なかった。無心でひたすら見る。
裂け目の中心には、十三の顔がついた不気味で奇怪な、ねじり狂った歪なオブジェクトが浮かんでいた。いや、浮かんでいるというよりは、裂け目の中から姿をのぞかせていると言うべきであろうか。
そして悪魔のような十三の顔は、それぞれ苦悶に表情を浮かべながら涙を流していた。
目から零れ落ちた涙に、何か靄のようなものが纏わりつく。その瞬間、それは人の形をとった。全てが赤黒い造形のため、よくわからないが、シャツを着た男のように見える。萌菜は、その赤黒いシャツを着た男が落下していくのを追いかける。男の造形が落下しながら歪に歪む。それはこの世界に来て今までさんざん見てきた低級妖魔の姿だった。萌菜は、さらに視線を十三の顔がついたオブジェクトへと戻す。今度は涙が犬のような形になった。その後も観察をしていると、様々な生物へと変形していく。だが多いのは人間と犬、そして猫だった。
「ソウハさん、妖魔って、もしかしてここから生まれていたんですか……」
萌菜は単眼鏡から顔を外し、ソウハを見た。
「おそらくそうであろう。そしてこれは私の推測だが、妖魔とは上空のあれによって仮初めの肉体を与えられた、怨霊かなにかであろう」
萌菜はソウハの考えが正しいだろうと思った。ミツナリという強大な妖魔が、関ケ原に居座っていた理由も納得がいく。怨霊は、なにかと恨みを抱く原因となった地に留まりやすいものだ。
そしてミツナリの今際の一言を思い出し、なんとなく分かってしまう。この先に、まだ豊臣の怨霊が待ち受けていることに。戦国時代を含め、日本でも数多の戦という名目で殺しが行われてきた。もちろん戦争以外でも殺されたり、恨みを持って死んだ人や、動物は数多くいるであろう。だが、あの時代の人々の意志の強さを鑑みれば、それに比例するように恨みも現代人より強烈であることは想像するに容易い。徳川に裏切られた豊臣の恨みは、押して知るべきである。怨霊としてこの地に留まり、妖魔となったとしても不思議ではない。
そして萌菜はさらに思う。本能寺跡地の方へ行かなくて良かったと。きっと、妖魔となった織田信長が待ち構えているにちがいない。信長はミツナリよりもさらに強大であろう。
萌菜は、信長と戦わなくて済んだことに安心すると、ソウハに単眼鏡を返した。
「ソウハさん、あれを滅するんですよね。作戦はあるんですか?」
萌菜は額から汗を滲ませながら、緊張した面持ちでソウハを見る。あれは空中に浮かんでいる。簡単に滅することができるとは到底思えない。
「まだ距離が離れているにも関わらず、これほど強烈な妖力を感じるということは、間違いなくあれが元凶であろう。滅するのは当然のことだが、残念ながらここからではいくらなんでも攻撃は届かない。樹法の届く距離を考えると、真下まで近寄る必要がある」
萌菜はソウハの言葉に明らかに怯えた。上空から妖魔が絶えず降りそそぐ真下に行くとは……
「き、危険すぎでは……」
考え直してと心の中で祈りながら、萌菜はソウハを見る。
「確かに、妖魔が空から降ってきている場所に行くのだからな。だが、所詮生まれたばかりの低級妖魔だ。確かに一度に生まれる妖魔の数は少し多いが、あの頻度であれば、私一人でも殲滅できなくはない」
ソウハの自信たっぷりの態度に、萌菜は今までのソウハの戦いぶりを思い出し、ソウハならそれも可能かと信じる気になった。
「つまりソウハさんが殲滅して、次が来る間に仙樹を呼んで、樹法であの大きな妖魔を滅するということですね」
萌菜の中で、ソウハ一人に任せることが決定した。だが、
「基本的にはそうなるが、もちろん君も戦うのだぞ。早く殲滅できれば、それだけ確実に仙樹を呼べる。いいな?」
ソウハに睨まれ、萌菜は怯んだ。
「も、もちろん、わかってますよ……」
考えを見透かされた萌菜は、少し焦った。
「ニャニャ太も頑張ろうね」
焦りをごまかすように、足元にちょこんと座っているニャニャ太を撫でる。
「みゃ~」
頷くと、気持ちよさそうにニャニャ太は喉をならした。
萌菜とソウハ、ニャニャ太は高層マンションを出ると、大阪城跡地目掛けて走り始める。大阪城跡地の広大な敷地を戦いの場にするつもりだった。
時折遭遇する妖魔を滅しながら、数多の亡骸で溢れる道路を走った。
(み、皆さん、成仏してください。妖魔になって蘇ってこないでね……)
萌菜は、お経の真似事をしながら走っていた。
そして、大阪城跡地目の前にある、地下鉄森ノ宮駅の近くにある店の朽ちたカウンターの上に背負い袋を降ろすと、大阪城跡地へと足を踏み入れた。
「何か、いる……」
萌菜はセントラルタワー上空に走る亀裂の中から姿をのぞかせる、十三の顔がついたオブジェクトのような妖魔の大きさに見入っていた。しかしソウハの呟きが聞こえると、すぐに視線をソウハへと移した。
「それはそうですよ。あんなに妖魔が降ってきているんですから……」
近くに来て改めて分かった。生まれた妖魔は、大阪城の堀の付近に落下している。それから四方に散っているようだった。つまりあれらが地方へと散っていく。時折遭遇していた妖魔たちもここから生まれ、彷徨う様に東へ向かった妖魔たちなのだろう。
上手くやれば、妖魔たちに気付かれることなく大元を滅することができるかもしれない。そう考えた萌菜は気楽になった。だが……
「違う、そうではない。あの城の辺りに何かいる。強大な妖魔が……」
ソウハは復元された大阪城天守閣を睨みつけた。
その一言で萌菜の血の気が、一気に引き、顔が青ざめる。
「そうだ、豊臣の怨霊がいたんだ……」
萌菜の呟きを無視して、天守閣へ歩み始めるソウハ。
「まさか、行くんですか?」
萌菜としては戦わずに済むのなら、それに越したことは無い。しかしその思いは通じなかった。
「当たり前だ。先に滅しなくては、樹法に専念できぬ」
「そうですよね……」
仙樹を呼んでいる最中に邪魔をされたら、とても樹法を成立させることなどできない。ソウハとしては、できうる限り邪魔は排除しておきたいと考えた。
萌菜は強力な妖魔に立ち向かいたくはなかったが、覚悟を決め、しかたなくソウハの後に続いて、天守閣目掛けて歩き始めた。
そして、天守閣に近づいたとき、それらは突然降ってきた。いや、おそらく天守閣最上階にいたのだろう。そこから飛び降りてきたに違いない。
「ブスイナモノタチ……」
その妖魔は、ふわりと優雅に降りてきた。豪勢な着物を幾重にも纏い、現代人にくらべると少々背が低い小柄な女性だ。そして着地と同時に萌菜たちを睨み、たどたどしく声を発した。だが、何よりも特徴なのが、肌の色も顔立ちも妖魔のそれとは程遠く、まるで生きている人間の女性のようだった。
そして、横に立つはあきらかに豊臣の者ではなかった。猟銃らしきものを担いだ、作務衣姿の男性。こちらはあきらかに一目で妖魔とわかる程、姿が歪んでいた。ねじれた腕に、節くれだった関節。
二体の妖魔とも明らかに低級のものたちとは、はるかに次元が異なることがわかる。その身から漂う妖力がけた違いだった。特に女性の方だ。きっと数多の妖樹の実を食べたに違いない。
「淀の方……」
萌菜は直観的に思った。そもそも、このような着物を纏い、大阪城の天守閣にいる妖魔など、淀の方の怨霊以外にいないと思うのも当然か。
「キカイナムスメ。ワラワヲ、シッテイルノカ。ナラバ、セイキニミチタソノミヲ、キニササゲヨ」
萌菜の呟きを理解したのか、淀の視線が鋭く萌菜の全身を検分するように舐め回した。
萌菜は改めて思い出す。妖魔が生きとし生けるものを、裸しか見る事ができぬのではないかという話を。
同じ女性とはいえ生理的に嫌悪を感じ、淀の視線から隠すように身をよじった。しっかりと樹器は構えたままだが。だが、その言葉が浸透するにつれて、疑問がわく。この場においてどうでも良いことだが、どこか緊張感に欠ける萌菜は考えてしまった。
(両方だ。服も裸も両方とも見えているんだ……)
きっと服はシースルーのような状態で見えるのであろう。そう考えた。本当にどうでも良いことだが……
そして猟銃の妖魔が、ソウハを見つめながら声を発した。
「ソウハカ……」
「ま、まさか……父上……なのですか……」
ソウハの絞り出すような苦々しい言葉が聞こえると、萌菜は驚きに目を見開いた。なぜソウハの父親が、妖魔となって大阪城にいるのかと。
「タ、タケフミハ……」
人の名前だろうか、その言葉を聞いた瞬間、ソウハの表情が酷く苦しそうに歪んだ。
「も、申し訳ございません……証拠不十分で……裁くことができませんでした」
ソウハは、唇を噛みしめて俯いた。その表情から、とてもこの話題は口にしたくなかったことが容易に察せられる。
「ム、ムラニイルノカ……」
だが、妖魔となったソウハの父親は、ソウハの心情など気にせず言葉を紡ぐ。
「…………はい……あの男は、……まだ……木曽の村に住んでおります……」
しばらく沈黙した後、ソウハはやっとの思いで言葉を口にすることができた。
その瞬間、父親の妖力が荒ぶり始めた。ソウハの苦しそうな表情など一切目に入っていなかった。
「タ、タケフミ、タケフミ」
恨みを持つ相手の名前だろうか、名前を連呼しながら身を振り乱し、形がさらに歪んでいく。
「父上、気をしっかり持ってください!」
ソウハは必死に呼びかける。
「ソ、ソウハ、ソウハ」
父親は、必死に呼びかけるソウハを睨みつけた。そして指さす。
「恨みに飲まれないでください、父上!」
ソウハの叫びは届かない。人の形がさらに崩れ、もはや人であったと区別がつかなくなりはじめる。
「ムノウ……」
その言葉にソウハは拳をきつく握りしめた。
「わ、私だって……」
ソウハが悔しそうに何かを言いかける。だが、父親の言葉は止まらなかった。
「ムノウ……ムノウ……ムノウ…ムノウ…ムノウムノウムノウムノウムノウムノウ………………………………………………………………………………………………………………………」
何度もソウハを無能となじる。だが、不意にその言葉が止まる。そして長い沈黙が支配した。ソウハも萌菜も驚きのあまり、歪な妖魔と完全に化したソウハの父親を、呆然と見る。
「ソウハ………………………………ムノウゥゥゥゥゥゥ!」
再び口を開いた瞬間、絶叫と共に、妖力が猟銃に集まり、赤黒い閃光が走った。
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