第10話ー1
漆黒の闇夜に包まれる森の中、静かに蠢く者たちがいた。遮られていた月夜の光が、雲の隙間から妖しく顔を出す。月明りに照らされ浮き出た姿は、千を下らない妖魔の軍団だった。
おびただしい妖魔の群れを指揮するのは、身の丈七尺(2m50cm)を超える甲冑姿の大武者。その甲冑は、妖魔の群れを指揮するのにふさわしい異様な出で立ち。腹は裂け、禍々しいものが蠢いている。さらに右手には、刀身が死に瀕した無数の嘆き苦しむものたちの顔で彩られた、妖魔の身の丈を超える大太刀、大妖刀ともいうべき刀を携えていた。
大武者の刀が、振り下ろされる。その切っ先が示す先は、木々の上に作られた衛士たちが休む、数々のツリーハウス。
今、妖魔の大群による関ケ原の監視砦への攻撃が始まった。
萌菜は寝入っていた。布団の無い硬い木の板の上とはいえ、横になって眠れるのは何日ぶりのことか。連日の疲れが極限に達した萌菜は、悲鳴が聞こえたにも関わらず、熟睡していた。
真っ先に起きたのは、隣のツリーハウスで寝ているソウハだった。すぐさま跳ね起き、樹器を手に取る。そして外に出ると、状況を確認した。眼下に蠢く大量の妖魔を目にすると、すぐさま萌菜たちがいるツリーハウスへ走る。
「起きろ!」
「ソウハ様、やはり妖魔ですか?」
サイカは起きていた。樹器に水をやり、仙気を流していた。
「そうだ。全員を起こせ。すぐに一旦ここを離れる」
「はい。直ちに」
ソウハは、萌菜たちがいるツリーハウスを離れると、岐阜の衛士長のところに向った。
「モエナちゃん、起きて」
サイカは寝入っている萌菜や、寝言を言っているアケミ、すやすやとお行儀よく眠るオウメを、起こし始めた。
「本当に、妖魔が来たんですか?」
萌菜は、寝ぼけながらサイカを見た。
辺りでは、時々衛士たちの怒号や悲鳴が聞こえてくるが、それだけだ。だが、それは当たり前だった。妖魔が触れることができるのは、生きとし生けるもののみ。物に触れることができない妖魔は、物を破壊することはできない。だから、生きている木がなぎ倒されたり、衛士が吹き飛ばされ、ぶつかった物が壊れることはあっても、それ以外では、破壊音などはでない。基本的に衛士の怒声と、妖魔の意味不明な叫び以外は、静かな戦いだった。だから現代映画の派手な効果音と演出に慣れている萌菜には、切羽詰まった状況にあるとは瞬時に思えなかった。緊張感なく、ゆっくりと起き上がる。
「モエナ、のんびりするな!」
アケミが鋭く萌菜を一瞥すると、外に出ていった。オウメは、すでに外に出ている。
「はいはい……」
(はぁ……人が疲れているところに来るかな……妖魔って、本当に迷惑……)
危機感のない十五歳は、足の疲れを取るためにストレッチをする。
それを、唖然としながらサイカは見ていたが、すぐに気を取り直し、追い立てた。
「なにやってるの。行くわよ」
そこに、ソウハが戻って来た。
「何をもたもたしている!」
怒鳴り、萌菜を睨む。
「いえ、足がちょっと……」
「それどころではない。行くぞ」
「あ、まってください。荷物を」
「置いておきなさい」
「けど、妖魔が……」
萌菜は現代人の感覚で思った。妖魔が、荷物を滅茶苦茶にしたらどうするんだと。
「なにを言っている。妖魔が荷物をどうこうするわけなかろう」
「あっ、そっか」
だがすぐに、妖魔は荷物には触れることはできないと、思い出す。
萌菜はサイカに続いて、ツリーハウスをでた。
眼下に群れる妖魔の大群を見て、萌菜の顔が青ざめた。実際に目の当たりにして、差し迫った危機的状況を理解した。
「これ、全部妖魔なんですか?」
「そうだ。だが幸い、低級妖魔ばかりだ。今は岐阜の衛士たちが頑張っているため、持ちこたえてはいる。だが、このような木の上では戦いづらい。君の安全のためにも、ここから移動する」
ソウハはそう言うと、跳んだ。眼下で妖魔を駆逐しているアケミとオウメの近くに着地する。樹器を抜くと、すぐさま妖魔を消滅させ始めた。
サイカは萌菜の隣に残り、周囲を警戒している。
妖魔が一匹跳んで上がって来たが、すぐさまサイカが突き、消滅させた。
しばらくソウハ、アケミ、オウメの三人で付近の妖魔を駆逐し安全を確保すると、ソウハが叫んだ。
「下りてきなさい!」
萌菜は、サイカの顔を見る。
「どうやって降りればいいんですか? 私、衛士の皆さんみたいに、こんな高さを飛び降りることはできませんよ?」
「モエナちゃん、無理?」
数メートル下の地面を見て、萌菜は頭を振った。
「無理です。絶対……」
「そうよね。この高さは衛士だって、身体を強化して着地するしね」
サイカは少し考える。
「ソウハ様、モエナちゃんを下で受け止めて頂けますか?」
「え……えええええ!」
素っ頓狂な声を上げたのは萌菜だった。涙目になりながら、アケミを見る。
「萌菜ちゃん。ゆっくりと降りていたら、妖魔が襲ってくるかもしれないでしょ。だから、飛び降りるしかないの」
「そ、そんな……」
萌菜は再度下を見て、尻込みする。
「さ、勇気を振り絞って。大丈夫、絶対ソウハ様が受け止めてくれるから」
サイカが優しく励ます。だが、ソウハの苛立った怒声が響いた。
「早くせぬか! 妖魔が来たらどうする!」
「ううう……わかりましたぁぁぁ!」
萌菜は怒鳴り返すと、目を瞑って跳ぶ。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
絶叫を上げながら落ちる萌菜。
「馬鹿者!」
萌菜は、随分とソウハからずれた所をめがけて跳んでいた。
ソウハは瞬時に仙気を活性化させると、跳ぶ。空中で萌菜を抱きかかえ、着地した。
「離れぬか」
ソウハは、抱きついていた萌菜に、冷たく声をかける。
「え……あ、ごめんなさい」
萌菜は、慌ててソウハから離れた。
「ソウハ様、樹器……」
鞘に収めず、地面に落としたソウハの樹器を、オウメが持ってきた。
「済まない」
ソウハが樹器を鞘に収めると、アケミも来た。
「モエナ……」
じろじろと、萌菜を睨みつける。
「ううう……」
萌菜は、アケミの刺すような視線に怯んだ。
(アケミさんて、絶対ソウハさんのことを好きだよね……)
萌菜は、アケミがそばにいるときは、あまりソウハと馴れ馴れしくするのはやめようと決めた。
サイカが降りてくると、一同は砦を後にして、暗闇の中を走る。
「いや、離してぇぇぇ」
時々聞こえる悲鳴に目をつむりながら、萌菜は走った。
「妖魔が、衛士の人たちを攫っているように思えるんですが……」
萌菜は、隣を走るソウハを見た。
「衛士は、妖樹にとって極上の贄だからな。女性の衛士が生む赤子もそうだ。だから、衛士は捕まるわけにはいかない。優秀な衛士であればあるほどな。そして妖魔が衛士を殺すのは、よほど余裕がないときだけだ」
「妖魔って、本当に最悪ですね」
萌菜は心底、妖魔に対して嫌悪感を抱いた。
しばらく走っていると、ソウハが隠れるように指示をだす。すぐにそれぞれ、木の陰や茂みに隠れる。萌菜は、サイカの隣に隠れた。
ソウハが隠れながら、周囲を探った。そして手で合図をだす。
「どうしたんですか?」
萌菜はサイカに小声で聞く。
「妖魔よ。それもたくさんの。モエナちゃんは、ここに隠れていて。やっつけてくるから」
アケミが、真っ先に木の陰から飛び出した。続いてオウメが。その次はソウハが飛び出す。最後にサイカが飛び出した。
その妖魔の群れは百匹近くいた。次々と襲い来る妖魔の攻撃を躱しながら、四人は消滅させていく。一番幼く身のこなしが拙いオウメは、何度か妖魔の攻撃をくらうが、すぐに立ち上がり妖魔を消滅させていく。
アケミは、その素早い身のこなしで、妖魔を翻弄しながら消滅させていたが、不意を突かれて大型犬のような妖魔に吹き飛ばされる。昨日の傷口はほぼ塞がっていたが、まだ完全では無かった。痛みに息が止まりかけたところに、妖魔が殺到する。サイカとソウハがその妖魔たちを消滅させた。
「ありがとうございます、ソウハ様、サイカ姉」
アケミは立ち上がると、息を整えて、再び妖魔を消滅させていく。
四人の呼吸が疲労から乱れてくる頃には、趨勢が決まっていた。
「しつこい妖魔たちだな……」
いつもなら人数差があるとはいえ、ここまで仲間がやられたら、まず間違いなく低級妖魔は散り散りになる。だが、この妖魔たちは違った。
いつもと様子の違う妖魔たちに、ソウハは眉をしかめる。
「まさか、魔将ミツナリがいるのか……」
魔将が命令を下しているからかと気付いたソウハは、呟いた。
「ソウハ様、上空!」
アケミが鋭く、注意を促す。
上空に、妖魔が一匹佇んでいた。そしてソウハたちが気付くと、萌菜めがけて急降下する。
「モエナちゃん!」
サイカが、萌菜に大声で呼びかける。
「え、何ですか? 終わったんですか?」
萌菜は上空から迫る妖魔に気付かず、呑気に木の陰から姿を出す。
ソウハが駆けた。仙気を活性化させると一気に距離を詰める。
(あれは、上級妖魔か!)
ソウハは空から迫るのが、上級妖魔だと気付くと、苦虫を潰したような表情になった。
(溜めなくては、一撃でやれぬ。だが、そんな余裕はない)
気付かぬ萌菜に向けて、猿のような妖魔が背中の鎌を振るう。昨日逃げられたためか、今度はあきらかに傷つけにきていた。
ソウハは地面を蹴ると、そのまま萌菜に体当たりをした。
吹き飛ぶ萌菜。背中を抉られるソウハ。ソウハは痛みに顔をしかめながら、猿のような妖魔に蹴りを放つ。猿のような妖魔は吹き飛び、仙気を流された痛みからか、うめき声を上げた。
「いたぁぁぁい。ちょっとソウハさん、なにをする……」
萌菜は顔を上げ、文句を言いながらソウハを睨もうとしたが、地面にうずくまるソウハと妖魔を見て、瞬時に何がおきたのかを悟った。
「ソ、ソウハさん!」
萌菜は立ち上がると、ソウハに駆け寄る。背中の戦依に、血が広がっていた。
「そ、そんな……なんで、私の身代わりに……」
「……気にしなくてよい。それよりも、あの妖魔に注意しなさい……」
ソウハは蒼白な顔で萌菜を見ると、苦痛に顔をゆがめながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ソウハ様!」
残りの妖魔を殲滅したアケミとサイカ、オウメの三人が駆け寄り、萌菜とソウハを守るように立ち塞がった。
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