第9話ー2
あまりの現実離れした光景に、しばらくその場に立ち尽くしていた萌菜だったが、妖魔が全滅したことに気付くと、ソウハのもとへ向かった。
「凄い……あんなことができるなら、もっと早くに使えばいいのに……」
妖魔といい、仙樹の衛士といい、未来の日本は現実離れした世界になってしまったのだと、萌菜はつくづく思った。
妖魔が見当たらないため、すっかり安心し、萌菜はのんびりと歩いていた。だがすぐに、恐怖に震えあがることとなる。
ソウハがいるであろうビルが見えたとき、空から何かが降ってきた。
「ミツケタゾ、ニンゲンノメス」
萌菜は、その妖魔を見た瞬間、震えあがった。今まで見てきた妖魔よりも、明らかに凶悪だったからだ。
痩せ細った猿のような体、痩せこけた醜悪な顔、頬からは牙が突き抜け、前足とは別に背中からはカマキリの鎌のような腕がもたげる。そして体の所々に、顔の目とは別に、複眼のような目がいくつも付いていた。
「フー」
猿のような妖魔が、萌菜に息を吐きかけた。
萌菜は、さらに震え上がった。息が臭いわけでは無い。圧倒的な死の匂いを漂わせていたからだ。
「いや……いや……イヤァァァァ!」
萌菜は絶叫すると、ソウハに助けを求めるべく走り出す。
だが、すぐに足を止めた。ビルの屋上でソウハが、宙に浮く別の妖魔と対峙していた。
「来るな!」
ソウハの怒鳴り声が、響く。
「今すぐ、逃げろ!」
「ソウハさん……そんな……」
ソウハと対峙している妖魔も、強いのだろう。
ソウハの焦った声で、萌菜は瞬時に理解した。
「なんで、なんで……強そうな妖魔が二体も……」
萌菜は、ゆっくりと近寄ってくる猿のような妖魔に、振り返った。
そして、恐怖に顔をゆがめると、必死に走り出す。
「私もすぐに後を追う。西へ、走れ!」
ソウハの怒声を背に、萌菜は西に走った。
この猿のような妖魔は、あきらかに楽しんでいた。いつでも萌菜を捕まえることができるはずなのに、捕まえなかった。時折、萌菜の前方に跳躍して、萌菜を驚かせたり、近寄り息を吐きかけたりと、萌菜が怖がる様子を楽しんでいた。きっと捕まえる前に、萌菜の心を折ろうとしているのかも知れない。
そして萌菜は、さらに絶望する。低級妖魔たちが、また集団で現れたからだ。
萌菜は再び低級妖魔と猿のような妖魔に追われながら、必死に走る。そして、木が生い茂る廃墟と化した神社へと、逃げ込んだ。
茂みに隠れながら、息を整える。落ち着くと、一人でいる不安が一気に襲ってきた。
恐怖からか、自分の体を抱きしめた。
妖魔に捕まったら、いずれ自分もあのような淫乱な女になってしまうのか……
昨日、小屋で見た光景を思い出し、震える。まだ十五歳の萌菜には、到底受け入れられなかった。
「ギュ、ギギ」
不気味な声が聞こえた。そっと、辺りを伺う。妖魔がいた。意味不明な言葉を発しながら、萌菜を探していた。
(どうしよう、どうしよう……)
萌菜は少し考え、この場を離れることにした。
しゃがみ、木の陰に隠れるようにして、移動する。
(また、妖魔がいる……)
どうやらたくさんの妖魔が、この神社に集まりつつあるようだ。
萌菜はそっと通り過ぎようとしたとき、口をふさがれ木の陰に引きづり込まれた。
「ん、んんんんん」
萌菜はソウハに引きづり込まれた昨日のときと同じく、口をふさぐ手を引きはがそうとしたが、優しく語り掛けられた。
「モエナちゃん、私よ。サイカよ」
萌菜は力を緩めると、口をふさぐサイカの手を離した。
「手をどけるけど、静かにね」
萌菜が頷くと、サイカは手をどける
「サイカさん……」
萌菜は涙ぐみながら、サイカに抱き着いた。
「落ち着いた?」
「はい、すみません」
しばらくサイカに抱き着いていた萌菜は、落ち着くと離れた。
「どうして、サイカさんが?」
「詳しい話は後。それよりも、あの猿のような妖魔に見つからないように、ここを離れないと……」
「やっつけちゃえば、いいんじゃないんですか?」
「私一人では無理。あの妖魔は、あきらかに私よりも強い」
「そんな……サイカさんよりも強いなんて……」
萌菜は沈黙した。
「とにかく離れましょう。すこし北に行けば、他の衛士たちがいるはず。そこまで行けば安全よ」
「北……ソウハさんは、西に向かったと思います」
「大丈夫。ソウハ様のところには、アケミが行ったから」
「アケミさんも、来てるんですか?」
「アケミだけでなく、オウメもね」
「ははははは……」
(きっとソウハさん、怒るだろうな……)
萌菜は助けに来てくれたサイカに感謝し、怒るであろうソウハから、サイカを庇おうと決めた。
サイカが何体かの低級妖魔を消滅させながら、二人は静かに木が生い茂る神社を離れた。
萌菜とサイカは休憩を挟みながら、北へ走っていた。
まばらにある木々に隠れて休憩したり、頻繁に遭遇する低級妖魔を消滅させたりしながら、北に進む。
「あの猿のような妖魔は、もう追ってきませんね。諦めたんですかね?」
「まさか……私たちのこと見失っているみたいだけど、まだ探しているわよ」
サイカが空を指した。そこには小さな黒い点が見える。
「あれが、そうなんですか?」
「そうよ。モエナちゃんには分からないでしょうけど、あんな妖力を漂わせている妖魔は、そうはいないわ。だからあれが、きっとそう」
二人は、北へ急いだ。辺りが夕暮れに染まる頃、衛士たちが集う山の麓の茂みにたどり着いた。
「サイカ殿」
ほとんど女性ばかりの衛士たちの一団から、三十過ぎの女性の衛士がでてきた。
「ホナミ様」
サイカが頭を下げる。
「彼女が、旧時代から来たという娘ですか?」
「はい、そうです。彼女はモエナちゃんです。モエナちゃん、こちらは岐阜の衛士副長ホナミ様よ」
萌菜は、お辞儀をして名乗った。
「ソウハ様はまだいらしてませんが、移動しましょう。まもなく日が暮れます。みな、砦に引き上げますよ」
ホナミの命令で、移動が始まる。萌菜は、サイカと二十人近い岐阜の衛士たちに囲まれながら、木々が生い茂る山の中へと、入っていった。
一行は山へ入り、暗闇の中を進む。
しばらくすると、頭上に明かりが灯されているのが分かった。
頭上には、木々の間に板を渡し、無数のツリーハウスが立ててあった。
衛士たちが、次々と跳躍し、上に上がっていく。
「えっ、ええええ!」
跳びあがれるように、全ての木々には小さな踏板が取り付けてあったが、その間隔が広すぎた。萌菜には、とてもジャンプできる高さではない。
結局、萌菜は荷物運搬用の籠で、上にあげて貰った。
萌菜とサイカは、一軒のツリーハウスへ案内された。どうやら今日は、ここに宿泊してよいらしい。
萌菜は背負い袋を降ろすと、床に座り込み、足をマッサージする。走りっぱなしで、随分とふくらはぎが硬くなっていた。
そしてマッサージをしながら、サイカに聞く。
「ここって、何なんですか」
「ここは、関ケ原の監視砦だそうよ。私も来たのは初めてだから、詳しくは知らないわ。岐阜の衛士の管轄だから」
その後も、萌菜が色々とサイカに質問していると、声が聞こえた。
「入るぞ」
ソウハが入ってきた。アケミを小脇に抱えながら。オウメもいる。
アケミが床の上に崩れ落ちた。蒼い顔をして、呼吸が乱れている。
「アケミ!」
サイカが近寄り、アケミの脇腹を見る。アケミの戦衣に、血が滲んでいた。
「サイカ姉、やっちゃった」
「軽口を叩く前に、早く傷を見せなさい」
「大丈夫だよ……こんな傷、仙気を流しておけば、明日にはなおってる」
「いいから、見せなさい。それからソウハ様、申し訳ございませんが、外でお待ちください」
サイカがソウハを見ると、頷いて外に出ていった。
アケミが戦衣を脱いで、脇腹を見せる。あまり日焼けしていない肌に、大きな傷が一本走っていた。
「この傷は、結構深いわね。消毒して、縫ったほうが良いわ。多分、仙気を流しただけでは、明日には塞がらない」
「ハァ……縫うのか……」
アケミが嫌そうに、眉をしかめた。
「仕方がないでしょ。オウミ、ソウハ様と一緒に、消毒の軟膏と、縫合道具を借りてきて」
オウメが頷き、出ていった。
「モエナちゃん、私の背負い袋から水筒と布を出して」
「わかりました」
萌菜が水筒と布をサイカに渡すと、傷を拭き始めた。
「くっ、しみる!」
アケミが、痛そうに歯を食いしばった。
傷口を綺麗にしていると、小瓶と小箱を抱えたオウメが入ってきた。
サイカは、軟膏を傷口に塗って消毒をすると、縫い始める。
「痛い、痛い。サイカ姉、もっと優しく……」
「何を言ってるの……動かないで」
針を刺すたびに身をよじるアケミに注意をしながら、サイカが傷口を縫い終えた。
するとアケミは、息を大きく吸う。
「よし」
少し気合を入れると、仙気を活性化させた。傷口の辺りからオーラが漂い始めた。
それを確認すると、戦衣を着る。
「ソウハ様、どうぞ」
アケミが戦衣を着終えると、サイカが外に声をかける。ソウハが入ってきた。
「さて、ではなぜお前たちがいるのか、理由を聞かせて貰おう。特に、サイカだ」
開口一番、ソウハはサイカを睨んだ。
「ソウハさん、サイカさんを叱らないで」
萌菜が庇う。ソウハが、萌菜を睨んだ。萌菜はその視線に怯みながらも、ソウハの目を見つめる。
「サイカさんが来てくれなかったら、私はきっと……」
「ふむ……確かに、それは認める。だが、サイカが私の言いつけを破ったのは事実だ。木曽の守りは、どうでもよいと思ったのか? 臨時とはいえ、サイカは副長だ」
「ソウハ様、その言い方は酷いよ」
アケミが反論を始めた。
「まず、サイカ姉を誘ったのは、私だし。それにソウハ様だって、危なかったよね。あの妖魔に、苦戦してたじゃん」
ソウハが、バツが悪そうにそっぽを向いた。
「それで、その妖魔は倒したんですか?」
ここぞとばかり、萌菜は流れを変える。そして宙に浮かびながらソウハと睨み合っていた、妖魔について聞く。
「ああ、滅した」
ソウハは、「私が」とは、言わなかった。きっと、三人で協力して勝ったのだろう。
「じゃあ、お小言はなしですね。来てくれたから、倒せたんでしょ?」
「さすがモエナ。わかってる」
アケミが、萌菜に笑いかける。
「仕方ない……」
ソウハは萌菜を軽く睨むと、外に出ていった。
しばらくすると、ソウハが岐阜の衛士長キヨミとともに戻ってきて、夕食に誘われる。
萌菜たちは、岐阜の衛士長キヨミ、衛士副長ホナミとともに、贅沢ではないが、山菜などの山の幸をふんだんに使った夜ご飯を食べる。
昨日今日と見た妖魔の情報を伝えたり、今この砦には、岐阜の衛士五十人ぐらいが詰めていることを聞いたりして、夕食を終えた。
その後、それぞれ、あてがわれたツリーハウスで眠りについた。