第二十一話 1階層の事情
八十島は、部下たちが戻らないことに焦燥感を募らせていた。手元の古びた腕時計に目を落とし、針が無情にも約束の時間を過ぎていく。彼の苛立ちは、暴力を駆使して支配しようとする野心が裏切られていることへのフラストレーションから来ていた。力で制圧できるはずの状況が、思うように進まない。
「真中商店街の連中はいい、奴らは時間の問題だ。しかし、『ひやま』の連中が…」
八十島の拳が机を強く叩き、鈍い音が部屋に響いた。「ひやま」という学生グループは、彼にとって最大の障害だった。桧山が率いるこのグループは、商店街や里のどちらにも属さず、しかも抜群の結束力を持っていた。生意気な学生風情が、自分の計画を邪魔していることが許せない。
八十島はさらに苛立ちを感じ、視線を扉の方に向けた。部下たちが戻らなければ、状況を把握できない。敵の動きを知ることができなければ、自らの次の一手も打てない。
「…奴らに何かあったのか?」
八十島は立ち上がり、冷静さを失いつつあった。
八十島は、椅子を勢いよく蹴飛ばし、荒れた足音で部屋を歩き回り始めた。じりじりと胸の中に広がる苛立ちは、部下たちが戻らないことで一層激しくなっていた。
「どうなってやがる…」
口を噛み締めながら、彼はもう一度、腕時計を確認した。約束の時間からすでに一時間近く経過している。これほど遅れるのは尋常ではない。
扉がノックされる音が鳴った。
「ようやく戻ったか!」
八十島は鋭い声で叫び、扉を開けるよう命じた。しかし、部下たちの顔は見当たらず、一人の若い男が静かに部屋へ入ってきた。彼は八十島が送り込んだ部下ではなく、別のグループに属する人物だった。青白い顔をし、冷や汗を流しながら、畏まった態度で八十島の前に立った。
「…何の用だ?」と、八十島は疑念を隠さず問いかけた。
若者は一瞬、言葉を飲み込み、目を泳がせながら答えた。「ひ、ひやまの連中が、八十の里の部下たちを捕らえました。連絡を取ろうとしたが、全員…その…」
八十島の表情が一気に凍りついた。「何だと?」
「全員、ひやまの奴らに捕まってしまいました…しかも、ただの捕縛じゃない。完全に潰されかけているらしいです…」
その報告を聞いた瞬間、八十島の血が逆流するような怒りが湧き上がった。「ふざけやがって!あのガキどもが、俺の部下を潰しただと!?」
彼の拳が震え、部屋の壁を殴りつけた。怒りはますます強まり、彼の冷静な判断を奪い取っていく。
「ひやま…桧山のガキども、やりやがったな…」八十島は低く呟き、決意を固めた。
「自分で動くしかないか。奴らを叩き潰して、俺がこの街を支配する!」
◇
健司は報告を受けた後、椅子に深く座り直し、薄暗い部屋の中でじっくりと状況を考えていた。捕らえた八十の部下たちが囚われている場所を頭に描きながら、その場所が自分の「エリア」の中にあることを確認していた。
「ここから出さない限り、奴らは手も足も出せない…」
彼のエリア内では、まさに無敵の存在であり、どんな脅威も彼の手中に収まる。だが、そのエリアの外に出た瞬間、彼の力は消え失せ、ただの人間と化す。
だからこそ、慎重さが必要だった。
そもそも、ただの学生の集まりが、暴力が本職のやくざ相手にここまで対抗できているのは、健司の力があってこそだった。
健司のスキル『領主の搾取』は、支配エリアに対して力を振るうものであり、エリア内にいる支配下の者達の能力を数段階アップさせることが出来る。
支配下に置いた学生の中にはユニークスキルを顕現した者たちも多数いるので、支配エリアの無きアにいる限り、そこらの暴力が取りえだけの人間が対抗できるわけがなかった。
逆に言えば、エリアから出ては勝ち目がない。だから、八十島のような連中を直接相手取るには、このエリアに彼を引き寄せて完膚なきまでに叩き潰すしかないのだ。
「部下たちはよくやった。だが、これからが本番だ…」
健司は小さく笑い、前に報告に来た者に告げた。
「全員に伝えろ。決してエリアから出るな。俺たちが安全でいられるのはここだけだ。」
部下は深く頷き、素早く命令を伝えに去っていった。
健司は椅子に深くもたれながら、静かに独り言を漏らす。
「八十の頭をここに呼び込めば…もうすぐだ。もうすぐ俺がこの地を支配する…」
その言葉の後、健司はクックックと低く笑い続けた。
彼の目には狂気が宿り、その笑い声は、彼の心が欲望に取り憑かれ、ついに目的達成が目前であることを確信していることを示していた。
◇
定正は深いため息をつき、震える手で茶を口に運んだ。苦い味が口中に広がり、彼の心の苦悩を一層深くする。
「これでよかったのか…?」
娘、雪の無事を考えると、彼には他に選択肢がないように思えた。桧山が学生たちを引き連れて商店街の秩序に対して無茶な要求を押し付けてくる状況は、どうしようもない苦境だった。話し合いでは拉致があかず、子供たちが次々と桧山に従う姿を見るにつれ、定正は不安と恐怖に包まれていった。
「俺たちの子供たちが、あんなやつの言いなりになるなんて…」
彼は頭を抱えた。桧山はただの若者ではなかった。何かしらの異様な力が彼に宿っているようで、まるで何かに取り憑かれているように、子供たちは彼の命令に従い、家に戻ってこなくなっていた。娘の雪もその一人だ。自分の家であんなにも元気に笑っていた娘が、桧山の影にすっぽりと包み込まれてしまったような感覚が、定正の胸を締めつける。
だからこそ、八十島との手を組む選択をした。八十島が「ひやま」を潰せば、娘や他の子供たちを取り戻せるかもしれない。桧山の影響力が消えれば、元の日常が戻るかもしれないと淡い期待を抱いた。
しかし、その代償はあまりにも重い。八十島は暴力による支配を信条とする男だ。彼の手に子供たちが渡れば、商店街の住民は再び支配の輪に閉じ込められるだけではないか。娘を救いたい一心で手を汚してしまったが、この選択が正しかったかどうか、定正にはもう分からなくなっていた。
「引き金は…もう引いてしまった…」
彼は虚ろな目で茶碗を見つめ、背筋を伸ばして立ち上がった。後戻りはできない。既に八十島との協定は結ばれ、動き出している。定正は、何が起こるにせよ、最後までこの道を歩むしかないと覚悟を決めた。しかし、その覚悟が彼の心を軽くすることはなく、むしろ重圧が一層のしかかってきた。
「雪…どうか無事でいてくれ…」
◇ ◇ ◇
「厄介なことになってるなぁ」と、報告を聞いた後、思わず言葉がこぼれた。
紗良が見聞きした情報と、信也と芽衣子の情報を合わせると、どうやら八十島率いるやくざ連中と健司たちの勢力が、今にもぶつかりそうな状況だという。勢力同士が睨み合っている現状は不安定だが、逆にそれが「隙」になるかもしれない。
「確かに…」と、少し考え込みながら、彼は呟く。「健司はエリア内でしか力を発揮できない。つまり、上手くいけば、エリアの外で健司を追い詰められる可能性もあるってことか…」
この不安定な状況が、誰かにとってはチャンスとなる。双方が全力を注ぎ始めた今、誰かが隙を突けば、流れが大きく変わるだろう。
「健吾、昭、お前たちが助けたい女の子かその協力者と接触できるか?……無理はするなよ。出来るだけ健司と深くかかわっていない方がいいからな。無理そうだったらスパッとあきらめろよ。」
俺は、健吾と昭にそう告げた後、紗良たちに引き続き情報を集める様にとお願いするのだった。
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