余命一ヶ月の死に戻り令嬢と祝福の魔法使い
それはいつも国王陛下の誕生日を祝する舞踏会にて行われる。
「エリー・ユアワーズ! この場を以て貴様のような悪女との婚約を破棄させてもらう!」
王太子殿下は怒りに顔を歪めながら、そう宣告するのだ。三年前までは唯一の王位継承権所持者に相応しく優しく知性に溢れていたのに、周りの甘言に堕落し、判断能力を投げ捨て傀儡となることを選んだ哀れな王太子殿下。何度言っても彼は楽な方へと逃げてしまう。
だからこそ、私は諦めた。
「分かりました! 何を言っても無駄なので、私はさっさと国を出ていきます! さようなら!」
一刻も早くこの場を去らなくては。この後に待つことを知っていれば悔しさも怒りも最早ない。ただ逃げなくては死ぬ、というだけだ。
「国を出……待て!? 貴様、自らの罪から逃げる気か!」
生憎、冤罪を吹っ掛けられるのを待つほど暇じゃない。家族は守ってくれないと知っている。ヒールを脱ぎ捨て、先程ドレスの裾に隠した使用人用の靴で一目散に走り去っていく私を見て、その人は爆笑していた。
◆◆◆
私エリー・ユアワーズは何度も死に戻っている。冗談では無い。実に様々な死因で死に戻っている。
一回目は冤罪による絞首刑、二回目は追放の際強盗に襲われ、三回目はまさかの突発的に発生した竜巻による墜落死。その後もありとあらゆる方法で死に続け、婚約破棄される舞踏会で意識が覚醒する。その数、なんと既に三桁に突入した。私、死にすぎである。おかげで最近なんか死ぬ事が怖くなくなってきた。いや、確かに痛いし苦しいけど、どう頑張っても一ヶ月以内に死ぬのが確定してたら最早どうでもよくなってきた。怖い? いいえ、さっさと次の周回始めますわ、ぐらいの感覚だ。むしろ次はどんな死に方をするのかしら、ぐらいの感覚である。ちなみに前回は脱輪した結果、馬車ごと水没した。外にいた御者は泳いで助かっただろうけれど、また馬車に閉じ込められていた私はそのまま沈んでいった。溺死は死に方としては微妙だと学んだ。
「君! ちょっと! 待って!」
未知の展開を求めて全力疾走していく私に誰かが声をかけてくる。ふむ、初めてのパターン。これが今回の死因かな?
「なに、その死の呪い!何回死んでるの!? 笑いがっ、笑いがっ止まらないんだけど!」
彼は先程舞踏会の会場で爆笑していた青年だった。初めて見る顔だ。少なくとも今までの周回で彼はいなかった気がする。笑っているせいでますます息切れする青年を私はじろりと睨んだ。
「……貴方は?」
「あー、辛かった……君が観測された異常な魔力反応の犯人だったんだね。僕は【祝福卿】オルフ・ガルシア。呪いと祝福の専門家だ」
それ自体が仄かに光っているかのような金の髪。虹彩どころか白目まで赤く染まった人間離れしている柘榴石のような瞳。性別をどこかに置き捨ててきたかのような中性的な顔。華奢な体を覆うようなゆったりとした豪奢なローブを着ていることもあり、人間離れした青年という印象を抱いた。
「【卿】って……あの魔導帝国が誇る至高の魔法使いの一人?」
「そうだよ! とはいえ、僕は前線で戦うタイプじゃないからあれだけど」
ところで、と息を整えていたオルフは私を見て首を傾げた。
「君は、変わってるね。普通の人なら何回死んでも足りないほどの複雑な死の呪いをかけられているのに、たった一つの祝福がそれを防いでる。君、誰かから恨みは……いや、買ってそうだね? 無茶苦茶な婚約破棄されてたでしょ、さっき」
一人ブツブツと呟かれても困る。このままだと八回目の人生みたいに兵士に捕まって殺されてしまう。そして出遅れてもまた山賊や自然災害、病が私を殺しにくるのだ。
焦りが顔に出たのだろう。オルフは真面目な顔になって懐から杖を取りだした。
「さて、僕はこの国の王族を言祝ぐために連れてこられたけど、あんな醜い場面をこの僕に見せるぐらいだ、祝福なんていらないよね!」
次の瞬間。
オルフと私は見知らぬ街に立っていた。ローブ姿の人々が楽しそうに買い物袋や本を抱えて走っている。まさかここは。
「魔導帝国へようこそ。エリー・ユアワーズ」
◆◆◆
今回はひょっとしたら死ななくて済むかもしれない。今日もまたオルフが実験に使った道具を片付けながら私は思った。
私が連れてこられたのは魔導帝国にあるオルフの工房だった。普段オルフはここで呪いを解くための研究をしているらしい。
「妖精って酷いよね。僕の見た目が気に入ったからって攫って余計なものくっつけてくるとか!」
そう、彼もまた呪われている身である。厳密に言うと妖精による祝福なのだが、こんな物が祝福であってたまるか、と本人は認めない。呪いや嘘を強制的に視覚に反映させるというそれは幼少期から彼を苛んできたらしい。元の人間らしい視界に戻りたいという願いから祝福と呪いについて学んだところ、適性があり、気が付けば第一人者になっていたとか。
「少なくとも僕と違ってエリーは体自体には呪いがかけられていない。でも確かに呪われている形跡はある……あー!もうお手上げだ!」
それでも私のこれは彼でもどうにもできないらしい。一応彼には自分の置かれている状況を全て話してはある。予想していた以上の死亡回数に途中から彼の表情は引き攣っていたが。
「何が【祝福卿】だ! 女の子一人救えなくて何が天才だ!」
「あらあら、私を女の子として見てくれるのはオルフぐらいよ」
あの日までいつも私は王太子の婚約者としてある事を望まれていた。完璧で、弱みを見せず、素晴らしい淑女であれ、と私自身を見てくれる人は誰もいなかった。そして、婚約破棄をされてからは私は人間としてすら扱われなかった。だから何だか胸がきゅっとして誤魔化すように微笑めば、オルフは全体が赤いせいでどこを見ているか分かりにくい瞳でじろりと睨んでくる。
「君はもっと怒るべきだ。少なくとも僕の知り合いの魔女は婚約破棄された時に周りの馬鹿共を全員空に打ち上げた。ちなみに今は【龍滅卿】の奥様」
「……苛烈な方なのね」
そもそも私は魔導帝国の出身でもなければ魔法使いでもない。ただの非力なやたら死ぬだけの令嬢だ。数多の死の呪いをなかったことにするほどに強力な祝福があると言われても首を傾げるしかないぐらいに。そういえば私が持つ祝福とはなんなのだろうか。私の疑問に彼は答える。
「回帰の祝福。ある時点を起点に全てを巻き戻すとされる。物に宿るのはごく稀に見たことあるけど人には初めてかな」
これとかもそうだよ、と見せてきたのは砂が落ちてはすぐ上へと巻き戻っていく砂時計だった。
「これは大体五分毎に回帰する砂時計。少なくとも普通回帰の祝福って、祝福持ち単体にしか効果はないし、時間も短いはずなのに、君の言葉だと世界が丸ごと回帰しているように思える。呪いが見えてなければ僕も疑ってたかもしれない」
君のそれによって、回帰の祝福の定義が変わるかもしれない、と彼はどこか好奇心を抑えきれないようだった。一方の私と言えば、明らかに不自然な砂時計を見て、心が徐々に冷たくなっていくのが分かった。周りから隔絶された不自然な存在に思えたからだ。
「……これは私なのね。呪いで死んではすぐ戻って、また死んで。死ぬのには慣れたけど、そこに意味なんてあるのかしら」
「それは違うよ」
そんな私に彼は強く、穏やかに告げた。
「慣れちゃ、いけないんだよ。死ぬことに。だから僕は君の死の呪いをどうにかしようとしている。それは忘れないで」
「慣れるな? 一ヶ月しかろくに生きられないのに?」
途中から私も気付いていた。一ヶ月では何も出来ないと。他国に逃げても、あらゆる死因から引き篭っても死ぬのだ。それこそ死なないようにする手段は全て試して、それでも死ぬのだ。だから平気になるしかなかった。その時はいくら苦しくて痛くて辛くても、すぐにまたあの婚約破棄の場に戻れるから。あの場所は心がすり潰されそうでも、体はその時は痛くないから。
気が付けばオルフが私の目の前に立っていた。そして、優しく私の頭を撫でる。その赤い瞳はあたたかな炎のようだった。
「一ヶ月どころか一瞬でもあれば、恋に落ちるなんて簡単だよ」
彼は優しすぎる。もう少しで一ヶ月の刻限が来てしまう。次の周回では彼と出会うことはないだろう。何故なら彼の姿は今まで見たことがないから。今回限りの一度だけの奇跡。少しだけ、泣きたくなった。
◆◆◆
一ヶ月の刻限の日、オルフが私にプレゼントをくれた。あの砂時計と赤い石がついた指輪だった。
「それは僕のことを攫った妖精がくれたものだ。君にあげる。君の黒髪によく似合ってるよ」
どちらも古めかしいデザインでその赤さはどこか彼の瞳のよう、と言うより、彼の瞳の色彩そのままで。思わずオルフの顔を見る。彼は左目に眼帯をしていた。まさか。嫌な予感がして、私は彼の眼帯を毟りとった。そこにはちゃんと目があった。ただ、その色彩は色褪せ、真っ白な何かが納まっていた。つい、指輪の石と見比べて血の気が引いていく。
「べ、別にそれは僕の目じゃないよ! それは祝福の元になる魔力を限界まで注ぎ込んだ魔石。祝福を使いすぎて一時的に色が抜けただけだから!」
ほら、ちゃんと物は見えているよ、と慌てた様子でオルフが弁明する。それが何だか可愛く見えて、思わずくすりと笑ってしまった。
「今貰っても明日死んじゃうのに」
結局、死の呪いは溶けていないのだ。そしてまた私は死に戻る。すると、彼は真面目な顔になる。
「それなんだけど……君は、今回は死なないよ」
「でも呪いは解けてないんでしょ?」
「うん。だからこうすることにしたんだ」
彼は指輪をはめた私の手を取る。そしてゆっくりと口付けた。
「【君に万難を斥ける祝福を その身は損なわれることなく贖いの血をもって罪は赦される】」
指輪の石が赤く光り始めた。そしてその光は私と彼を覆うように広がっていき。やがてその光は私の全身から立ち上り始めた何かで黒く濁り始める。
「なに、これ」
「【我が身よ 厄災を招く依代となれ】」
彼がそう呟いた瞬間、濁りは一目散にオルフへと目がけて集まり、そして色を失っていた左目を黒く染めあげていく。オルフは少しだけ苦しそうに目を見開いたが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「これで、おしまい。君の呪いは、僕が引き受けた」
次の瞬間。
彼は胸元をおさえながら崩れ落ちた。
◆◆◆
痩せ我慢をしようとしたら気絶していた。
オルフはゆっくりと瞼を持ち上げる。全身に呪いによる激痛が走っていて、気をしっかり持たないとまた意識を失ってしまいそうだ。
「……運んでくれたのか」
そこは寝台の上だった。エリーが運んできたのか、看病をする体勢のまま、エリーはうたた寝をしていた。自分より重い体だというのに無茶をする、とオルフは呆れる。
初めての出逢いは舞踏会で婚約破棄をされる場面だった。婚約破棄の宣告で初めて彼女の存在に気付いた彼は唖然とした。あんなに呪いにまみれている人は初めて見た。それなのに漆黒の髪を靡かせた彼女は気高く、そして嘘一つなく美しかった。
「分かりました! 何を言っても無駄なので、私はさっさと国を出ていきますわ! さようなら!」
舞踏会のような権謀術数や虚飾が蔓延る場で、あんなに無垢で清廉な存在がいるとは思ってなかった。それどころか呪われ、いわれのない罪で貶められているのにあんなに凛としていた。そのアンバランスさに笑いが止まらなくなっていた。
そして呪いの究明のために一緒に暮らし始めてからは彼女の飾り気のないすっきりとした性格に魅了されていた。だが、あらゆることを諦め、死への恐怖さえ失い壊れてしまった彼女の心は注いだ愛も傾けた熱も甘い言葉も全てを受け付けなかった。だから、この呪いは解けない、と諦めた。
呪いと祝福は表裏一体だ。死の呪いは転ずれば生の祝福になる。きっと最初に彼女にかけられたのも回帰の祝福が示すように、本来だったら生の祝福だったに違いない。両者は近く、反転することがある。祝福は悪意によって容易く呪いへと変わり果てるのだ。
呪いを祝福に変える方法がない訳では無い。そのうちの一つで最もメジャーなものが、真実の愛によって呪いが解けるというものだ。だが、心が壊れてしまっている者がはたして愛を感じられるだろうか。
それでもオルフはせめて彼女を、愛した人を無為に死なせたくなかった。だから死の呪いを代わりに引き受けた。そのせいで自分が死ぬと分かっていても。
「やっぱり死ぬって怖いね……」
エリーは何度もよく耐えられたな、と思った。直に日付が変わる。呪いが、胸を、心臓ごと握り潰そうとしているのが分かる。オルフは口から溢れた血を拭いながら眠り続けるエリーへと手を伸ばした。
「エリー・ユアワーズ、君は生きるんだよ」
◆◆◆
翌朝、目が覚めるとオルフが死んでいた。日付が変わった頃に亡くなったのか、体は冷えきっていた。それでも穏やかな優しい死に顔だった。
「どうして……どうして……?」
私と違って貴方は初めて死ぬのに。怖くなかったのか、痛くなかったのか。私の指先にはオルフが手を伸ばしたのか、とうの昔に乾いた血がついていた。指輪は相変わらず赤く煌めいていた。
「いやっ……オルフ、私を残していかないでっ……」
私は死の恐怖と寂しさを思い出していた。
◆◆◆
オルフが亡くなって五日。何も食べずに泣き続けたせいか、頭が重い。ひもじいという感覚さえ消えて、ただただオルフがいなくなってしまったのが悲しくて。
「どうして、巻き戻ってくれないの……?」
やはり死なないとあの舞踏会には戻れないのか。それなら。私はオルフがよく作業の時に使っていたナイフを手に取り、そして迷う。
これで巻き戻れず、ただ死ぬだけだとしたら?
思い出した死の恐怖に手が震える。終わりが怖かった。それでも握りしめたナイフは手放さなかった。
「諦めない……このまま諦めてしまったら、今度こそ心が死んでしまう」
そう思えば手の震えは自然と止まった。
死ぬなんて愛する人を喪った世界で生きていくよりずっとましだ。
◆◆◆
目を覚ますとそこは知らない場所だった。周囲では私が体験してきた今までが流れては弾けていく。そしてその先にある光。指輪の石から一直線に伸びた赤い光はそれを指し示すようで。割れた砂時計からさらさらと溢れ出す砂もまた先へ先へと私を導いていく。
私は走り出す。自慢だった黒髪から色素が抜けていくのが視界の隅に見えた。それでも走り続ける。
きっとこの先に、オルフに繋がる何かがあると信じて。
◆◆◆
その日、舞踏会は騒然としていた。
王太子殿下の婚約者として知られ、そして王太子殿下に嫌われているが故に婚約破棄も間近と噂されている公爵令嬢エリー・ユアワーズの姿が今までと変わり果てていたからだ。
美しい黒髪は雪のように白く染まり、瞳は柘榴石のように赤く。清楚な白銀のドレスを纏っていたこともあり、どこか神秘的な姿に参加者はおろか、婚約破棄を突きつけようとしていた王太子殿下ですら思わず目を奪われた。それ程に彼女は神々しく、そしてそのあり方が美しかった。
それでも彼は告げる。
「エリー・ユアワーズ! この場を以て貴様のような悪女との婚約を破棄させてもらう!」
その残酷な宣告に、だがその少女は穏やかに微笑んだ。そして。
「冤罪による婚約破棄を私は受け入れます。ところで……オルフ・ガルシア、貴方はどこにいますか?」
誰かを探すかのように周囲を見回す。やがて気まずそうな表情を浮かべて前に出てきた魔法使いを見て、彼女は歓喜に頬を赤らめる。その瞬間、王太子は彼女は自分のことなど最初からなんとも思っていなかったと気付く。恋をしているとひと目でわかる乙女は公衆の面前だというのにその魔法使いに抱きつき、そして。
「オルフ、生きるなら貴方と一緒です!」
その瞳は喜びの涙に濡れ、赤い光が周囲を優しく彩る。
その瞬間、死の呪いは生の祝福へと反転したのだった。