豪雪師匠の名前
「行くぞ、弟子よ」
「はい、師匠!」
私達は、互いに名前を呼んだことはない。
弟子入りの初日から、互いに一度も名乗らなかった。
魔法使いにとって、名前は大切なのだろう。
これが普通なのだ。
と、思っていた。
3大陸魔法会議に初めて同行が許されたとき、他の魔法使い達は、互いに名前で呼びあっていた。
師匠は、そこでも、ニックネームで呼ばれるだけ。
ブリザードが得意技の極北に住む魔法使い、二つ名前を「豪雪」と呼ぶ。
一瞬名前なのかと思ったが、
「いや、違うよ」
と、呼び掛けてきた別の魔法使いに笑われた。
当然私は「豪雪の弟子」。名前を聞かれもしなかった。
豪雪師匠は、極北に住む。弟子の私も共に住む。私が使う魔法も、師匠と同じブリザード。
もうずっと、雪と氷に囲まれて暮らして来た。けれども、私は、初めから豪雪人間だったわけではない。
そもそも私は、南国の生まれだ。火山がしばしば噴火する、小さな島の出身である。
私の魔法が発現したのは、噴火から逃げる時だった。
その日は、避難警報が発令されたとき、家から離れて遊んでいた。火山の辺りで拾える、ゴツゴツだけど、ガラスみたいな表面をした不思議な石を探していた。
つまり、子供の考えなしの行動だ。
私は、活発な少女らしく、赤い髪を短く切って火山の山腹をサンダルがけでうろついていた。袖の無い緑色のワンピースから、日に焼けた細い手足をにょきにょきだして、独り石探しに夢中であった。
観測所から警報が鳴ったあと、村に居たなら余裕で避難できた時間を走った。転ぶこともなく身軽に駆け降ったが、間に合わない。真っ赤な岩が飛び出してきた。
「ひゃあ~」
防衛本能により、ブリザードが私を安全圏へと運んだ。
避難船へと乗り込んでいた島民達は、突然の吹雪によろめいた。経験したことのない災害である。
港へ向かう路はパニックだ。
噴火には慣れていて、粛々と行列していたのに。両親も、私は列の何処かにいるものと安心していた。
それが、突然見たこともない白く冷たい渦巻きに乗って、悠然と港に降り立ったのだ。
私は、上空から両親を容易く見つけ、目の前に降りたのだから、彼らの驚きは相当なものだっただろう。
幼さ故に、そんな配慮は出来なかった。
それどころか、真っ白になってよろめく島民に、声をあげて笑ってしまった。
島民も、知識としての吹雪は知っていた。魔法使いの存在も理解していた。
そして、私と言うブリザードを目撃した。
「すまんが、島では面倒見きれん」
ブリザード事件の後で、島の代表が、中央魔法協議会の連絡先を家に持ってきた。
その場で、適切な施設へ送られる事が決まった。
ただ、ブリザード被害が小さかった事もあり、危険な性格だとは思われずにすんだ。真っ白によろめく島民を笑ってしまった事は、子供らしさと見逃されて、然程問題視されなくてよかった。
「ごめんね、家では魔法を教えてあげられない」
「元気で暮らすんだよ」
「魔法が制御出来るようになったら、すぐに帰っておいで」
両親とは、存命中、ずっと手紙や贈り物をやり取りした。遠くはあるが、たまには里帰りもした。
私が修行を始めた後に生まれた弟や、その家族とも、それなりに交流した。
中央魔法協議会の紹介で預けられた先が、極北の豪雪師匠である。師匠と私は、うまがあった。得難い出会いに感謝する。
ある年のこと、故郷に未曾有の大噴火がおこった。予想より早く激しい噴火に、島民の避難が追い付かない。
ニュース速報で事態を知った私は、思いきって救助に向かった。
私には、転移魔法は使えない。しかし、ブリザードに乗った移動は、かなりのスピードである。その頃には、幼いあの日と違い、周囲に被害を出さずに移動出来た。
自分の足にだけ纏わせて、飛んで行けるのだ。
故郷に到着すると、巨大な岩や真っ赤に焼けた岩を吹雪で押し戻す。同時に、軽い吹雪で、人々を巻き上げて船に乗せる。多少の寒さは我慢してもらおう。
それから、船に追い風を送る。あまり冷やすとエンジンが止まるので、気をつけた。
後に帰島がすんでから、私は島から表彰された。
もう、私を知る人は殆んどいないのだけれど、島の誇りと言って貰えた。時々、島の親戚を訪ねていたのが良かったのだろう。得体の知れない魔法使いに、吹雪を見舞わされた、とは思われずに済んだ。
さらに嬉しかったのは、師匠から誉められた事だ。
制御も判断も完璧で、人的被害を零に押さえたことが、魔法使いとして評価されたのである。
「褒美になんでもひとつ、教えてやろう」
「それじゃ、師匠の名前を教えて下さい」
「豪雪だ。知ってるだろう?」
師匠は不思議そうな顔をする。
「いえ、人間としての名前です。二つ名じゃなく」
「えっ」
師匠は虚を突かれたように、動きを止めた。
「やっ、忘れた」
どうやら、本気のようだった。
あまりに呼ばれなさすぎて、記憶の彼方に消し飛んだらしい。師匠は、もう二千年の時を生きている。
私もいずれそうなるのだろう。私も千数百年は生きてきた。実際、近頃は自分の名前があやふやになってきている。
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冬の童話祭2021、投稿3作品目です
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