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王女は森を駆ける

ワタシ、ニホンゴへた。ゴメンなさいです。

「いたぞ!こっちだ」

「逃すな!」


怒声を振りほどきながら私はがむしゃらに駆けていく。横腹を掠る枝葉を気に留める暇もない。後方では犬の遠吠えと男達の声、時折宙を貫く矢の音に心臓が悲鳴をあげていた。


無理、無理、無理!無理なんだって!


入り組んだ森と同じように入り組んだ地面。私の後ろ足(・・・)が木の根に引っかかり縺れる。重い蹄の音が迫り来る。茜色を追い出すような薄紫の黄昏が私に希望をくれる。完全な日没まであと15分ぐらいかな。


あと少しだけ頑張れる!


それにしても今日はどうしてこんなにもしつこいのかな?いつもの狩りなら、お父様は野兎で満足するのに。今日はもっと鬼気迫る必死さを感じる。今日は城下に出ないで、小屋で大人しくしていた方がいいかも。それは嫌だな、冬に向けて服とか買わないといけないからお給金が減るのは避けたい。


なら出来るだけ早く小屋に駆け込めるように、ちょっと方向を変えないと。小川の方から回れば時間稼ぎにもなる!


「見つけたぞ」


ひっ!


恐怖で足が竦むなんて本当にあるなんて。音もなく正面に現れた男に私は固まってしまう。


「悪く思うな」


罪悪感の色もなく淡々と男は弓を構えた、私に向けて。


いや、いやいやいや!!待って、待って!


私は醜い鳴き声をあげながら、後ずさると小川に足を取られバシャバシャと飛沫をあげてしまう。ヒュッ、ヒュッと音が聞こえたと思った瞬間、肩と腕に衝撃を感じる。


痛い!熱い!酷い!


踠いていたおかげで掠っただけだけど、何これ、怖い!私、本当に死ぬかも。


「なっ?!ちょっと待て!オイっ」


男の困惑した声を背に、私はとにかく小川を横切り小屋の方に駆け出す。このまま死にたくない。鬱蒼とした木々を抜けるとちょうど日が落ちたのか、細かな粒子を振りまきながら人間の姿に戻った私は文字通り小屋に転がり込む。


バクバクと痛いほど波打つ心臓を抑えて私は咳き込む。鹿の時は走ってもそこまで苦しくなかったけど、人間に戻ると耐えきれないほどの疲労と衝撃に襲われ、筋肉という筋肉が燃え上がって動かせない。


ああ、でもその分床がひんやりしてて気持ちいい。昨日掃除してよかった。しかし、このまま裸のまま床に気絶するのはいかがなものか。私はなんとか這いずって椅子にかけてあった寝巻きを引っ張り下ろした。


魔法が解ける瞬間はいつも裸なのは勘弁して欲しい。あの子の地味な嫌がらせかな。ドクドクと肩と腕から流れる血を見てうんざりする。応急処置用の薬も道具もないこの状況でどうすればいいのかしら。


ドンドンドンッ


「誰かいるのか」

「陛下、お辞めください」


私はとりあえず止血しながら、荒く板をつなぎ合わせた扉の隙間から外の様子を伺う。声の主は余程ドアに近いのか、光沢のいい布しか見えない。なんて大男かしら。私の気配に気付いたのか、男は偉そうに続ける。


「先ほどここに鹿が通らなかったか」

「…鹿、ですか」

「手負いの鹿だ。凶暴だ」


失礼な!矢を射ってきたのはそっちのくせに!凶暴なのはどっちよ。こんな無礼者なら答える義理もなかったわ。無視すればよかった。


「いいえ、凶暴な鹿なんて知りません」

「なら何故血痕の跡がここで途絶えている」


ハッと息を飲み込んだ音が聞こえてなければいいのだけれど。大丈夫、私は一応魑魅魍魎とした社交界を切り抜けてきた王女よ。これぐらい切り抜けられるわ。がらんとした部屋を見渡し、私は思いついた嘘を口にする。


「鶏を絞め時のでしょう」

「下手なんだな」


ほっといてよ。ドアに向かって睨むと、反対側で何か光った気がした。こちらには服しか見えないけど、あちらも隙間から私の姿が見えるのかもしれない。思わず私は後ずさる。


「…人と話しているのに顔を見せないのはどうかと思うが」

「国の貴賓様にお見せできる姿ではないので。扉越しで失礼いたしますわ」


ありったけの嫌味を込めてやったわ。困ればいいわ、不審者さん。


「ほう、どうして俺が貴賓だと」

「ここは王が所有している森。気軽に狩ができる場所ではありませんから」

「面白い。なら、女。お前はそんな森で何をしている」

「…主人と共に森の管理を」

「その主人は何処に?いつからここの管理を?」


畳み掛けるように問われる。ヤバいな、私そこまで設定を練っていないわ。


「今日の狩りの準備に出かけたまま、まだ帰宅しておりません」

「そうか、なら待たせてもらおう」

「「はぁ?!」」


私の声が誰かのとかぶる。そういえば従者がいたのだった。扉の隙間を色々な角度で見てみるけれど、やっぱり一色の布しか見えない。


「ちょっと陛下、もう行きましょうよ。充分鹿を狩ったんですから王女様も喜ばれますよ、きっと」


王女が、喜ぶ?まさかあの子はこの人達をけしかけたの?私を始末する為に。


「女、この森に悪魔の鹿がいると聞いたが本当か」

「さぁ、草食動物に善も悪ないかと思いますが」

「ではルシア王女についてどう思う」


どうして彼はこんな事を聞くのだろうか。あの子は私の影武者として血を吐くような努力を重ねてきたはずよ、そう簡単にボロを出さないわ。まぁ、だからこそ私もこんな事になっているのだけれど。


「…戦争でも始まるのですか」

「なっ」

「どうしてそう思う」


陛下、と呼ばれる人間は世界にそういない。少し前まで王宮にいた私は一通りの王やその後継者に会ってきたけれど、目の前の男に覚えがないわ。相手も『王女ルシア』と面識がなさそうだから、また候補が絞られてくる。大方、彼は長く小競り合いをしてきたB国の新国王かしら。報告によると血気盛んな戦王だったらしいし。


「婚約や結婚だけなら誰とも知らぬ者にそんな事を聞きませんから」

「分からないぞ、結婚に慎重なだけかもしれないだろ」

「なら王宮のメイドでも捕まえて聞けばいい事。王女に会った事もない平民に噂を聞くなんてよっぽど好奇心旺盛なのか…情報が欲しいのか」


平和協定が結ばれるとは聞いていたけれど、婚約の名目で内情視察にきたのかしら、随分手際がいい事。


強がって見たものの、ちくりと胸が痛む。別に彼と結婚したいわけじゃない、でも…私の姿と身分を奪ったあの子はどうするつもりなのだろうか。まさか一生、私のフリを続けるつもりなのかしら。


「お前は俺が誰だか知っていてそんな口を聞くのか」


いきなり核心をつく問いが私を一気に現実に引き戻す。王宮にいた頃の癖が抜けないわ、ドア越しだと余計に素が出てしまう。私は平民、分をわきまえ、私は…


「…申し訳、ありません」

「いや、咎めたわけではない」


曖昧な沈黙が流れ、私の傷口の違和感が鮮明になる。早く行ってくれないかしら、仕事に遅れてしまうわ。


「明日も会えるか」

「なに言ってるんですか、陛下!」

「いえ、日が出ている頃は小屋を離れています。日没後は…主人といます」

「…そうか」


なんだか残念そうな声が安堵したため息にかき消される。不思議な国王とその従者はしばらくして小屋を離れていた。

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