長所の活かし方
いつもニコニコしているT君の思い出で、忘れられないのは、年長の時の運動会だったという。
「T君は保育したくない。」と言って、きっぱりと担任を拒否したK保育士が母に言った。「他の子と一緒に徒競走や遊戯なんか出来るわけないでしょ。T君を笑い者にする気ですか?」
と、K先生の提案に対して母は言った。「T君も同じクラスの一員です。例え身体が小さくたって、体力や理解力に差があっても、それは個性として、捉えてあげたいんです。」
彼女はそう言って、二才児のクラスにT君を入れて、運動会に参加させるという他のクラスの担当の保育士と対立した。
園長の意見で、T君の小学校入学前に、クラスの園児と一緒に運動会を参加させる。という一言で、母の意見は了承された。
どうしたら、T君をみんなと一緒に楽しく運動会に参加させるか、彼女はプログラムの作成に余念がなかった。
そして、運動会の当日である。最初のプログラムは、彼女オリジナルのおんぶレースだ。
五才児だって、体格の差は様々である。背が高くて痩せている子、太った子、背が低い子の中でも、痩せた子も小太りの子も居る。
彼女は背の高い太った子に、背の低い小太りの子を背負わせる。といった具合に、ペアを組ませ対応した。
体の小さな子供にT君を背負ってもらう事にした。
T君を背負った園児は、そのチームのトップを切ってゴールした。園児は体系の差をほとんど感じなかった。なぜなら、T君の体重が軽いからだった。
Tくんの母は、背負われたT君を抱きかかえると、T君を高い高いして喜んだ。
まるで、T君が走ってトップになったくらいの喜びようであった。
「先生、肩が痛い。」T君を背負ったC子が自分の襟首を引っ張って肩を見せた。その肩は少し赤くなっていた。それは、T君の握力が強かったせいだった。
「C子ちゃん、偉かったね。頑張ったから一位獲れたね。」と言って、彼女はC子の頭を撫でた。
次の五才児のプログラムは、遊戯だった。曲は『お花が笑った』だ。
彼女は中心に体格の小さな子を三人配置して、座って両手を上下させ、手のひらを開いて、キラキラのポーズをとるように指導した。
他の園児は、輪になって、手を繋いだり、両手や片手を上げて、花びらが風に揺れている様なウェーブで表現した。
中心のT君と、一緒の園児はT君と手を繋いで遊戯していた。
その、遊戯の配置はT君の個性を活かした演技となった。
彼女は、遊戯が終わった後、テントの中で遊戯を見ていた園長と主任が呼ばれた。
「ようこ先生、T君がみんなと打ち解けて違和感がないですよ。お家の方も喜んでいるし、他の保護者もT君に注目してません。今の所、成功です。」自分の決断が、正しかったと、園長は満足そうだったと言う。
しかし、最後の難関は徒競走である。
母はT君のスタートの位置をゴール前十メートルに定めて、四十メートル後方から他の五才児をスタートさせた。
最後のチームにT君を出場してもらう事にして、とうとうT君の番になった。
彼の四十メートル後方から、他の園児がかけ始める。T君のそばにいた母が、トップの子がT君から二メートルまで近づいたとき、スタートの合図をして、T君に走ってもらった。
T君は小さな足を必死に回転させて、走り出した。
しかし、残念な事に、ゴールの方向よりやや、右にずれている。
そして、三メートルで転んでしまった。
その時、最後のランナーが転んだT君を追い抜いて行った。
けれども、彼はくじけず、おもむろに立ち上がり、走り始めた。
昨晩の雨で、土がぬかるみ、彼の顔も体も泥だらけだった。
思わず彼女はT君に駆け寄り、「T君こっちよ、こっちに走って。」
観客の保護者の目が一斉にT君と彼女に注がれた。
T君は必死だった。しかし、頑張れば頑張るほど、T君は転んでしまった。
すると、T君のクラスメイトの五才児が、T君と彼女を取り囲んだ。
「T君がんばれ、がんばれ、転んでも負けるなよ。」
「T君は僕たちの仲間だ。」「こっちだ、もう少し頑張って。」
クラスメイト達は、T君の頑張りの前に、行動を起こさずには、いられなくなったのだ。
いつのまにか、観衆から大きな拍手が沸き起こっていた。
それは、どんどん大きくなり、園庭に大きな渦となってこだました。
彼らを称賛し、涙を流している保護者もいた。
発達障害でも、それを一つの個性として捉えて保育した彼女の勝利だったのだ。そのシーンが全プログラムの中で、一番の盛り上がりを見せたからだ。
体中泥だらけでゴールしたT君を、クラスメイトも拍手で称えていた。
「先生ありがとう。Tをみんなと一緒に運動会に参加させてくれてありがとう。」
T君の母は感激したのか、彼女に駆け寄り、何度も頭を下げた。
「T君に対する他の子の思いやりや、励ましを見て先生の日頃の努力が良くわかりました。」園長も、主任もそう言って涙した。
人はそれぞれみな違うものだ。誰でも皆、個性を持っている。
それは、一人一人の個性であって、それぞれ認め合う事で、共生することが出来るのだ。
彼女は、自分の主張がクラスの子供たちに伝わっていると感じ、涙がとめどなく溢れていたという。
余談だが、翌々日、クラスでくしゃみをしたT君の鼻から、大きな土のかたまりが出てきた時、彼女は驚いて、目を見張ったという。