1-2 骸の躰
間違いなく、死んだ。
そう思った私は、しかし、あの時となんら変わらず、洞窟らしき暗闇の中で、再び目覚めた。
あれから、いったいどれだけ経った?何日意識を失っていたのだろうか?数日熱で寝込んだ後のように、意識が混濁し、頭の奥で響くような鈍痛がする。
私が迎えた二度目の覚醒は、当然ながら最悪の気分と共に訪れた。
前回とは違い眠るように地面に倒れていたらしく、ごつごつとした硬い寝床が直に体に触れていた。
声が出たならば、悪夢を見た後のように。それはもう、天雲を声で割くように叫びながら飛び起きただろう。声が出てならば。
暗闇の中で目覚めわけもわからず、気が付けば自らの体がなんとも頼りない白い棒でできており、出合頭の人間には問答無用で燃やされる。
そんな悪夢のような体験。…いや、悪夢ならどれだけマシだったろうか。
目が覚めても変わらず、思い通りの声を発してくれない喉は、悪夢がやはり悪夢ではなかった事をはっきりと自覚させる。
受け入れたくない、受け入れがたい現実。だが、受け入れる以外、ない。
発狂する為の声が無い。憤りに任せて叫ぶための喉が無い。愚痴を言う為の言葉が無い。私にできる事は、ただ『受け入れる』だけ。
炎の魔法が迫った時の恐怖が、熱が、幾度となく脳裏に浮かぶ。
振り払おうとしても、消えてくれない。何度も、何度も、何度も。
それと同時に、炎から自分の顔をとっさに庇おうとして出した腕の異様さも、また鮮明に蘇る。
まるで棒切れみたいな細い腕が、左右どちらの腕からも二本ずつ。似たような太さだが、比べるとより細い方。…昔聞いた事がある。これは、尺骨と言う名前らしい。
腕の中で支えになっている骨は、実は一本ではない。必ず二本入っていて、その中でもより細い方の骨だ。力の加わり方によっては、剣撃を腕で受けた時、こちらだけ骨折してしまうという事も良く聞く話なのだそうだ。
見えない事はわかっていながら、それでも気になったその手を見ようと、感覚だけを頼りに眼前あたりまで腕を持ち上げる。
…すると、気を失う前は黒一色だと思っていた視界の中に、自分の体がぼんやりと映り驚く。
座って、改めて目を凝らすと、徐々にだが、黒とは違う色がハッキリと見えてきた。
僅かに曲線を描き、端に行くにつれて少しだけ太くなる、棒。樹齢数年の木の枝だってまだマシだと思う位に、細く、頼りない。
そこへほぼ並行するように、もう一本。同じような形だが、端の太さを比べたならば、先の棒切れが肘側が太くなっているのに対して、こちらのソレは、手首の方がより太めの造りになっている。
普段は腕の中、肉と皮に守られて見る機会の無いはずのそれ。それとは、何か?
…嫌な予感と言うには、もはや確信に近い物だったが…それでも確かめずにいられなかった。
ああ、薄々、理解してはいた。
腕だけではない。
手のひら、指。肩。胸。腹。背骨の一本一本まで。胸骨から後ろに回って、背中。肩甲骨。中心、背骨を首から昇って、頭。
逆に、腰から下。足も付け根から、足の先、爪先まで。体中、隅から隅まで。
ごつごつとしていて、無機質。子供の剣士ごっこの得物としてすら嫌厭されそうな、貧相極まりない白い小枝ばかり。
………ああ、悲しいかな。
全身、骨。見紛う事なき骨である。
骨。白骨。
私はどうやら、骨の魔物………不死の化物、スケルトンになってしまったようだった。
………いや、いや。決め付けるのは良くないだろう。落ち着いて、他の可能性も無いか考えてみよう。
骨以外が透明になっているだけ、という可能性は?
これは、残念ながら、無い。全身を触った時、手は見た目通りの細々としたラインを描き、その一方で体はと言えば『骨を触れられた感覚』がした。私の体は今、見た目通り骨だけだ。なお余談だが、骨の体は脇腹よりも肋骨の中二本の方がくすぐったさに敏感らしい。
透明になった以外の、他の可能性はないだろうか?骨だけの体で、意識を持って動いているが、魔物になった以外の可能性は…
…………………………ダメだ。ない。思いつかない。
いや、初めから薄々わかっていた。他の可能性等、無いだろう。悪あがきと言う名の現実逃避に他ならない。
だから、改めて言おう。自覚しよう。
私は、スケルトンになってしまったらしい。
なんとも、滑稽な話だ。
ミイラ取りがミイラ、どころではない。
生前、私は冒険者だった。そんな自分が、気が付けば、冒険者に狩られる側の、モンスターになっているというのだから。
冗談のようにしか聞こえないだろうが、当人の身としてはとても笑える物ではない。
…まだこれが、百歩譲ったとして、『骨の姿になってしまっただけ』ならば、許容できた…かもしれない。
見た目が変わっただけであれば…いや、それでも他人の目にどう映るかはわかった物ではないが。それでも、人間らしく生き、人間と意思疎通ができたのであれば、やりようはあった。そう思う。
だが、どうだ。この状況は。この絶望的な状況は。
声は出ない。表情も無い。出会った人間の発した言語もわからない。こうなると頼れるのは、体や腕の動きだけだろう。が、言語が通じないのなら、恐らく文化もまた通じなかろう…。
地域や国が違えば、当然その常識も大きく違う。こちらの国では友好的な仕草が、あちらの国では侮蔑を表す仕草だった…なんて話は、定住しない冒険者ならば身につまされる程良く聞く話だ。
言葉が通じない、アンデット然とした見た目。それも、自分の常識が通じるかわからな相手に対して…私は、私が人間である事を、伝えられるだろうか…?
…自信は、無い。
自分の置かれている状況はあまりに荒唐無稽で、そして打開の糸口も見つからない。
(このまま、生きていくしかないのだろうか?この暗闇の中で。人である事を忘れて。モンスターとして………………)
私は頭を抱えて、絶望した。
指の骨が、頭蓋を擦る。その乾いた軽い音が、今の私には理由なく、ただただ無性に、気に障った。
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蹲ってどのくらいたっただろう。
30分位?いや、体感は当てにならない。10分程度だったかもしれないし、逆に、数時間経ったかもしれない。
現状に嫌気がさして、心中でただただ嘆いていたが、変化の無いこの場所では、そろそろそれにも飽いてくる。
気が滅入る事にすら気が滅入る、そんな程度には経ったのだろう。
陽の無い洞窟の中、時間を認識できる物は手元に何一つない。ただでさえこんな状況の中で、今の私は人間をやめてしまっている。自分の感覚が人間だった頃と同じなのかなんて、確かめようもないのだから、どうしようもない。それに、ずっとこうしていても何にもならない。
座りながら、これまでに起きた出来事を反芻していた。
私は、人間だ。冒険者だった。目標はありきたりで、いずれ魔王を倒す事を視野に入れ、パーティー組みながら各地を旅していた。…はずだった。
だが残念ながら、最後に滞在していた場所や地域などの、近々の記憶が全て思い出せない状態になってしまっている。わけもわからず死んでしまったのだとしても、記憶を辿れる限りで思い返せば良いだけなのだが…そう言う事ではないらしい。思い返そうとしても、旅の経路も、どういう予定で行動していたかも、全く記憶が蘇らない。
恐らく、私は、死んだ。そして、アンデットになった。
推測に推測を重ねる事になるが…多分その際に、私の中からその頃の記憶が全て失われたのではないだろうか。
ありえるか?そんな事が。ありえないと言えるのか?今ここに居る自分を見ても。
どれだけ数多の可能性を検討した所で、答え合わせをしてくれる教師がこの洞窟に居るわけではない。答えも無く、不自然な違和感しかない記憶探りも、やはり気が滅入るばかりで、そのうち思考する事が馬鹿らしくなってやめた。
間違いないのは、元人間で、元冒険者で、現アンデットだという事位だ。受け入れがたい現実だが、受け入れる他ない事実でもある。
人間として生活を取り戻せるかどうかはまるでわからないが、その方法を思考し努力する事は、やめたくない。
だが、それがとても難しく、長く険しい道のりでありそうな事は、疑う余地も無かった。
ならば、兎にも角にも安全確保が最優先だろう。もう、人に焼かれるのはごめん被る。
今居る洞窟の安全性はどのくらいだろう。
考える際にまず、何より優先すべきなのは、敵と味方の判別。私の立ち位置とも言える。
自分の命は大切だと思うし、身を守る為に戦うべき時はきっとある。
……だが、どのような体になろうと、私は人間だ。可能ならば、無暗に人間と敵対したくはない。
物を奪うためにだとか金のためだとか。そう言った類の、理不尽な理由で襲われた場合はその限りではない。だが、恐らく、想定しなければいけないのはもっと別の場合だ。私は既に、恐らく、人外の者として殺意を向けられるという経験をした。
私に攻撃をしかけてきた彼らは、果たして悪だっただろうか。彼らは、憎むべき理不尽だっただろうか。
……いいや。少なくとも、私はそうは思わない。
洞窟で魔物を見たら、どうするべきだ?恐らく殆どの者が、同じように答えるだろう。問答無用で、慈悲の無い、奇襲強襲の先制攻撃。
人外魔境に足を踏み入れながら生き残るつもりなら、それはあまりにも、当たり前な心構えだ。
正直に言えば、自分自身が殺されかけた事を、気にせずに流すなどできない。できるわけがない。
ただ、理解も納得もできてしまう。そうでなければいけない。そうでなければ…今まで冒険者として数多くの魔物を、有無を言わせず殺し続けて来た自分を、否定する事になってしまう。自分の今までの生き方が、傲慢で理不尽な物だったなんて思いたくも無いし、思えない。
だから。
次に同じような状況になったとて、私は、理由もなく相手を傷つけるような事はしたくない。命のやり取り等、論外だ。
と、ここまでが第一段階。人とどう接するかの部分だ。
もう一つ、私が出会うかもしれない存在に心当たりがある。
魔物。
人から見た私は、あれらと同類、化物として見られるだろう。
だが、ならば魔物から見た私は、いったいどういう存在として映るのだろうか?
…これに関しては、今考えても答えは出ない。出会ってみるまで断定できない事柄である。ただ、仮定と推測くらいはできるだろう。
可能性はいくつかある。魔物から見ても、今の私が同類としか見られない可能性。
種によって仲間判別がされてる場合は、魔物が一律無害だとは断定できない。同じ魔物だとしても、『アンデット』や『スケルトン』以外は敵となる可能性もあると言う事だ。
そして最悪のパターンは、私はこの骨の見た目でも、魔物から見れば人間だと判断されてしまう場合。この場合、私は、この世界を孤立無援で生き抜かなければならないと言う事になる。
少し落ち着いたら、まずは弱い魔物を探して接触を試みるべきだろう。
魔物については、これ以上考えても意味が無い。後回しだ。
今度は、私が出会ったパーティーについて思い返す。
この洞窟で既に一度、戦闘に特化した冒険者パーティーと遭遇した。その事実がある時点で、絶対の安全が保障される場所ではない事は確実だ。ここは冒険者が潜るような、ダンジョンと化している事は間違いが無い。
そう言えば、まだ確認していない事がある。
ここがダンジョンである事は既に疑いようのない事実だが、その種類によっても対応が変わるだろう。
ダンジョンには複数の種類がある。洞穴や洞窟がそのままの形でダンジョンになっているここは、恐らく自然型と呼ばれる物だろう。自然型の中にも例外があるにはあるが、攻略難度の低いダンジョンである可能性が高い。
難易度が低い理由は、トラップの少なさだ。剥き出しの土壁・石壁の洞窟だと罠は設置し辛く、また悪目立ちする人工的な罠など見破られやすいので全く適さない為、そもそも無い場合が多い。大掛かりな物に関してはほぼ設置できないと言って良い。
次に、厄介な魔物が住み着いている可能性が低い点。これは、知能が高く器用な魔物が住み着いた場合はほぼ例外なく手を加えられ、いわゆる改造型になる事からの、逆説的な推論だ。
そして、これらを裏付ける理由として、遭遇した冒険者パーティーがある。
近距離・遠距離・回復等。能力別に特化した少人数の団体と言う、基本的で堅実なパーティー。だがその反面で、音や気配を潜めるという基本を怠ったまま歩いていたという事実。ただこれだけならば、『気配を消す必要もない程の実力を持っている』と言う考え方もできなるだろう。
しかし、今回の場合はそうではない。攻撃までのやりとりや焦りの表情、遅さ。どれをとっても、冒険慣れした者達とはとても思えなかった。
初めてのクエスト……とまではいかずとも、恐らく冒険者業を始めてどれくらいか。私の予想ではデビューから二ヵ月にも満たないだろう、と言う印象だ。
そして、そんな若者たちが、しっかりと戦闘態勢を整えた上で挑む場所。そんな場所が、高難度と予測されるダンジョンである可能性は…?
諸々を加味した結果、やはりここは攻略難度の低い自然型洞窟と推測できる。
だとすれば、洞窟内のモンスターは恐らく低レベル。冒険者の質もそれに比例するだろう事から考えれば、同じような状況で遭遇したとしても、ある程度適切な防具さえあれば切り抜けられる可能性は非常に高いだろうと思われる。
相手を傷つけるためではなく、牽制や防衛目的での武器も欲しい所だ。
手になじむ剣か、せめて適度な長物があれば良いのだが…
そう思って辺りを見渡して見る。
残念ながら剣らしい物は見つからなかった。その代わり、即座に視界に入って来たものがある。……気が付かなかったわけではないが、自分が寝ていた周辺には、実は大小おびただしい量の白骨が転がっていた。
人骨のように見える物が殆どだが、小動物程度の小ささな物もあれば、中には明らかに人類のモノと言えないような太ましい骨も混ざっている。
本命が見つかるまでの予備として、これを一本持っていくか…?
…いいや、やめておこう。見た目が悪すぎる。洞窟の暗闇を歩いていると、気配を潜めてひっそり、長い骨を構えたスケルトンとの遭遇。とても言い逃れできない。問答無用で攻撃されても弁解のしようがないほど魔物姿だ。
だが、無い。他に選択肢に入れられるようなモノは何一つと言ってない。有るのは骨だけ、骨ばかり。
………………………………無しだと思う。ダメだ。ただのスケルトンと比べて、禍々しさが5割増しだ。ただの骨だぞ?鈍器としても頼りない。ああ、でも、これ以外に得物が無い。
転がっている大量の白骨は、そう呼ぶにふさわしい程、暗闇の中だというのにそれでも真白とわかる程に、いやに白く見えた。
無い。ダメだ。無い。無しだ。しかし、ああしかし。
…私は、その内の一本を手に取る。
それは、ちょうど先程見た自分の腕の骨と、とても似ている形をしていた。
要約:
なんか知らんが死んでなかった。
スケルトンになってた。
辺り一面骨だった。
素手じゃ心細いから、その中から一本持った。