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恋に落ちる方法


「うわあ……」

 わたしのベッドは本当に散々なことになっていた。天蓋は焦げて、布団は水浸し。これではとても寝台として使えない。

 今日はどこで休んだらいいのかしらと思案していると、見計らったようにジーンが戻ってきた。

 なぜか、車椅子を押して。

「……なにそれ」

 どこから引っ張り出してきたのよ、そんなもの。

「客間をご準備致しました。お連れしますのでお乗りください」

「バカなの?!」

 客間くらい自分の足で行けますけど! その場で足踏みをしてみせるけど、ジーンは首を振った。

「お嬢様は病み上がりですから」

「心にもないことを……」

 さっきから、その病み上がりのお嬢様の血圧を爆上げしてくれてるのはどこの誰かしらね?

「ラセットさんはお嬢様に甘過ぎますよ」

「はあ!?」

 耳を疑う発言に目を剥く。

 ベティたちが微笑ましげに笑い合っているけれど、騙されてはいけない。こいつは単に、わたしをおちょくって遊んでいるだけだ。

「さあさあ、お嬢様」

「あまりラセットさんを困らせてはいけませんよ」

 リサとメイに両脇を抱えられ、車椅子に座らされる。前から思っていたけど、うちの侍女たちこそ、この従者に甘い。顔か、顔なのか。あの顔面に惑わされるのか。あんたたち、婚約者と見合い相手はどうした。

 三人娘がジーンの味方に付いたため、もはやこれ以上抵抗してもわたしに勝ち目はない。仕方がないから今回は大人しく車椅子で運搬されてあげた。

 途中、階下へ降りる階段でジーンがわたしを抱き上げたので、

「初めからこうして運んでくれたら、車椅子なんかいらなかったじゃない」

そう言ったら、いつも通りの能面顔で、

「拷問ですか」

と返された。

 この男とは、一度ちゃんと話し合う必要がありそうだ。



 二階にある客間の一室に連れ込まれたわたしは、ふっかふかに整えられたベッドの上に放り出され、さっさと寝ろとばかりに布団をかぶされた。

 病み上がりのお嬢様の扱い、雑過ぎない?

「今度こそ大人しく眠ってください」

 ベティたちに聞こえないよう、ジーンが声を抑えて耳元で言う。

「別に、暴れたりしないわ……」

 うっかり放火をした身なので強くは言い返せないのが悔しい。ジーンの冷めた視線がチクチク刺さって痛い。目は口ほどに物を言うのよ。

 無言の圧に耐えきれず、わたしは頭のてっぺんまで布団をかぶった。

 敗北だ。敵前逃亡だ。腹立たしいことこの上ないけど、この男にはちっとも勝てない。それが年の功だと言うなら、精神年齢四十路のわたしに立場はなかった。

「カーテンは閉めておきますか?」

「……開けておいて」

 起きた時に真っ暗だといやだもの。布団に潜り込んだまま伝えると、ジーンは布団をぽんぽんと軽く叩いて答えた。







 深く寝入っていた。

 夢も見ずにぐっすりだ。

 目を覚ましたとき、見慣れない部屋の様子に戸惑い、自分が今どこにいるのか分からなくてちょっと焦った。

 知らない部屋にひとりぼっちって、間違いなく自分の家なんだけど、なんだか心細い。広過ぎると言うのも考えものだ。前世では、「もっと広い家に住みたいなあ」なんて思ってたのに、広けりゃ広いで不満がある。人間って贅沢な生き物よね。でも、このお屋敷ってホント、バカが作ったみたいにデカすぎるのよ。門から玄関までの距離も頭が悪い。ゴルフでもするの?

 王都にあるタウンハウスですらこの有様なのに、カントリーハウスはさらに部屋数が多いのだから呆れる。ちょうどいい大きさの家はないのか。

 もちろん、こんな苦情を家族には言えない。由緒正しい血筋の公爵令嬢であるわたしに求められているのは、それに相応しい振る舞いだ。庶民派アピールなんかしても誰の得にもならない。

 スリッパを履いて、窓辺に寄る。レースのカーテンをめくると、藍色の夜に星がいくつも煌めいていた。西の空には溶け残った茜色が滲んでいる。

 ひとりきりの広い客間にクゥンと子犬の鳴き声が響いて、それが自分の腹の音だと気付くと、なんだか無性に虚しくなった。

 ……死にかけたって言うのに、我ながら図太い神経してるわ。ステンレス製かしら。

 でも食欲があるのは良いことよね、うん。


 ――王族の暗殺未遂。

 どこの世界でも起こりうる珍しくもない事件だけれど、平和ボケして生きていたわたしは、自分が巻き込まれるなんて夢にも思わなかった。

 父の言うところによると、わたしが飲まされた毒は未確認の薬物であったらしい。だから、予想以上に毒の解析と解毒に時間が掛かってしまったのだとか。

 飲み込んだ量が少量だったから良かったものの、あれ以上を摂取していたら助からなかったかも知れないと言われ、肝がキンキンに冷えた。

 それにしても、果たして宮廷医師団や薬師ですら取り扱ったことのない特殊な毒を、一介のパーラーメイドが簡単に手に入れられるものなのかしら?

 さらに言うなら、犯行計画も杜撰だった。確実性がない上に、足がつきやすい。実際、殿下は毒を口にしなかったし、事件後にあのメイドはすぐに捕らえられた。

 素人のわたしでも分かってしまう。

 彼女は捨て駒だ。

 それも、おそらく今回はそれほど重要な一局ではない。言い方は悪いけど、黒幕は「殺せたらラッキー」くらいの腹づもりだったのではないだろうか。

 あのメイドが何を思って暗殺計画に加担したのかは知らないけれど、恐れ多くも精霊殺しを企てた重罪人としてすべての罪を背負わされた彼女の運命は、ひとつしかない。

 死人に口なし。真犯人は野放しだ。

 げに恐ろしきは人の欲である。


 ……上流階級マジ怖い。


 これはわたし、真剣に平民落ちを考えた方が良いのかもしれない。

 積極的にヒールになる気はないけど、上手くやれば断罪ルートからの平民落ちエンドが待っているのだと思えば、試す価値も――いや、ないな……。リスクの高さに比べてリターンが低過ぎる。

 だいたい悪役令嬢の末路なんて処刑か投獄か没落、国外追放と相場が決まっているし、良くて修道院行きか平民落ちってところだろう。シナリオライターがエグい場合には、もっと救いがなかったりする。わたしはマミりたくない。

 確実に生き残りつつ、厄介な上流階級のあれやこれから逃げる方法なんて――これがまた、難しいのよね……

 例え魔法が使えなくても、わたしが政略結婚から逃れる術はないだろう。最も大事なのは家柄なのだ。グラニースミスの名を冠した美しく聡明な御令嬢であるわたしは、悲しいかな、なかなかに優秀な手駒なのである。

 さらに、とうとう魔法の才能まで開花させてしまった。

 才色兼備とはわたしのことよ。

 これではもう、世間が放っておくはずがない。ぜひ婚約者になってくれと引く手数多の未来しか見えないではないか。

 ふふふ……押すな、押すな……高嶺の花でごめんあそばせ……


「お嬢様」

「ひぇいっ!?」


 妄想から戻ると、目の前にランタンを持ったジーンが立っていた。魔法の炎が彼の白い肌をオレンジ色に染めている。

「い、いつの間に……」

「申し訳ありません。ノックをしたのですがお返事がなかったので、まだお休み中なのかと……」

 言葉だけは殊勝なんだけど、表情とまったく一致しない。

 ジーンは杖を一振りしてシャンデリアに明かりを灯すと、ランタンの火を吹き消した。

 加護を受けた精霊の属性以外の魔法を使えるのも、優秀な使用人の条件だ。彼はアカデミー出身で、五属性すべてを扱えるチートである。本人は「魔法は人並みです」と言うのだが、謙遜も過ぎれば傲慢だった。憎い。

「何を考え込んでいらしたんですか? お顔が大変ユニークでしたよ」

「ひと言多い!」

 妄想中の顔を見られた気恥ずかしさに憤慨しながら、令嬢らしからぬ荒々しさでどっかりとソファに腰を下ろす。

 モッテモテになってイケメンたちを袖にする未来予想図が楽しくて、つい興が乗ってしまったけれど、本来の目的はそこじゃない。むしろ、その逆だ。

 いかに上流階級のハイスペック男子に目を付けられないでいられるか、さらなるステルス技術の追求がわたしの課題である。

 ヒールになって目立つより、わたしは透明レイヤーになる道を選びたい。

「……アカデミーって、平民の子も来るのよね?」

「はい。王立アカデミーの入学資格は国の定めた基準値に達する魔力保有者で、かつ入学年度に十四歳となる国民すべてが対象となります」

 王立アカデミーは義務教育機関だから学費は無料だ。王都だけでなく各地方に分校があり、それぞれの行政で魔力保有者の管理と教育を行っている。

 魔力の扱い方を知らない人間に暴走されても迷惑だものね。子どもが刃物を振り回すようなものよ。……まあ、つい数時間前にそれをやらかしたのが、このわたしだ。恐ろしさは身を以て立証済みである。天蓋、よく燃えたなあ……

「ねえ、例えばなんだけど」

「はい」

「わたしがアカデミーで、平民の男の子と恋に落ちたりなんかしちゃったら……」

「寝言ですか?」

「起きてますぅ!」

 勢いあまってバチン、とテーブルを叩いた手のひらが痛い。

「み、身分差の恋が生まれる可能性だってあるでしょう?!」

 だってそこは若い男女の通う学び舎! 若さゆえに恋に溺れ、手に手を取って逃避行なんてこともあるかも知れないじゃない!

 力の限りで切実に訴えると、ジーンは青い目を丸くした。いつもの、人形みたいにツンと澄ました顔が格段に幼く見えて、そう言えばこの人ってまだ十八、九なんだっけ、と思い出す。

 それにしては所作が落ち着きすぎていて全体的に年寄り臭いから、すっかり忘れていたわ。

 今だって、スッと無駄のない動きでティーカップをわたしの前に置く。リラックス効果があるのだと前に教えてくれたハーブティーだ。彼の眸と同じ、深く澄んだ青色をしている。

「……お嬢様も、人並みに恋なんてものに憧れたりなさるんですね」

「言い方ひどくない?」

「それで、巷の少女小説のように非現実的な浪漫に富んだ身分差の恋がしたい、と?」

「…………そうよ」

 冷静に返されるとめちゃくちゃ恥ずかしいわ……

 別にキラキラした恋物語に憧れてるわけじゃなくて、わたしは生き残るために必死なだけなんだけど。

 こちとら死活問題なのよ。どんな男性と婚約するかで、文字通り生死が決まるんですからね!

「地位も権力も見た目もそこそこでいいの、浮気さえしなければ」

「途端に夢のない話になりましたね」

 浪漫はどこへ行ったんですかと、ジーンが冷めた声で呟く。

「その条件に合えば誰でもいいと?」

「そうね。付け加えるなら、田舎で静かに暮らしたい」

「……覚えておきます」

 空になったティーカップを片付けて、彼は静かにため息をついた。




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