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最適な婚約者


 怪我の功名とは、まさにこのこと。

 ジーンの放った水球の飛沫を頭からかぶったわたしは、侍女たちによって急遽浴室へ連れ込まれ、頭から爪先までピカピカに磨き上げられていた。

 あの男、涼しい顔をして「手元が狂った」なんていけしゃあしゃあと言っていたけど、絶対嘘だ。絶対わざとだ。ジーンめ、公爵令嬢を何だと心得るか。

 ……でも今回は、そのおかげでこうしてお風呂に入れたので、特別に不問に処す。

「あー……」

 頭皮を揉むベティの指圧がちょうど良くて大変極楽です。これでお風呂上がりにキンキンに冷えたビールでも用意されていたら言うことなしよね――と、昔の“わたし”ならそう言ったんだろうけど、今世では如何せんまだ八歳なので、お酒には少しも興味がない。

 それより、早く体調を戻して美味しいご飯が食べたい。おかゆやスープにはもう飽きてしまった。

 アマーリ殿下から快気祝いにアップルパイを頂いたら、ロッテを呼んで一緒に食べよう。二人だけの、ささやかなお茶会だ。


「それにしても、ラセットさんがミスするなんて珍しいですね」

 ベティは、ジーンのことを「ラセットさん」と呼ぶ。彼のファミリーネームがノビーラセットだから、略してラセットさん。山田さんを山さんって呼ぶような感覚に近いんだろうけど、ちょっとイメージと違うんだよなあ。

 本人はまったく気にした様子も見せず、「お好きにどうぞ」と言っているので、本当に何ごとにも頓着しない男である。

 従者だけでなく一般教養の家庭教師も務めるくらいだから、それなりに優秀であるはずなのに、本人からはまったくと言っていいほど覇気を感じない。仕事は完璧だし、なんでもそつなくこなすんだけど、なんて言うのかしらね、こう……出世意欲を感じないのよね。

 飄々としてつかみ所のない、雲みたいな男だ。だからさっき、燃える天蓋を見て表情を変えたときは驚いた。


 ジーンにも、あんな顔が出来たんだ。

 ちゃんと人の心があったのね……


 あの後、ジーンより少し遅れてやってきた侍女たちは、惨憺たる部屋の有様を見て顔を青くしていた。

「私の不注意です。説明は後で、早く湯浴みの用意を」

 濡れ鼠になったわたしを素早く毛布にくるみながら、ジーンがベティたちに指示を飛ばす。

「お嬢様、お怪我は」

「それは平気……えっ、ちょっと!」あっと言う間に簀巻き状態にされた。「巻き方!!」

「我慢なさってください。お怪我がなくて何よりですが、まだお身体が万全ではないのです。この上、お風邪まで召されてはめんど、大変です」

「いいわよ、怒らないから素直に面倒臭いって言いなさいよ」

「大変面倒です」

「ダメだ、やっぱ腹立つ!」

 ジーンと言い合ってる間に湯浴みの準備を終えてベティが戻ってきた。今世のように魔法の発展した世界って、場合によっては科学より時短に優れてるのよね。浴槽にお湯を溜めるのも、少し魔法が使えればチョチョイのチョイだ。

「こら、待ちなさい! ジーニアス!」

 まだ文句を叫び足りないわたしをさっさとベティに引き渡して、ジーンは部屋を出て行った。あいつ、あとで覚えてなさいよ……!




「びっくりしましたよ。ベッドは焦げてるし、お嬢様はずぶ濡れだし……一体、何があったんです?」

「うーん……」

 魔法で燃やしたって話は、まだしない方がいいよね。とにかく今は、両親に相談するのが先だもの。

 それに、自分でもまだ信じられない。

 わたしは泡風呂に浸かった右手を持ち上げ、じっと手のひらを見つめた。

 ここから火の玉が飛ぶのを確かに見た。一瞬だけど焼けるような熱を感じたのだ。だけど不思議と、少しも苦痛はなかった。

 たぶんジーンは、父へ報告をしに行ったのだろう。

 魔法であれなんであれ、主人の娘のベッドが燃えてたら、そりゃ一大事だものね。

「わたしにも、よく分かんない」

 子どもで良かったと思うのはこう言うときだ。都合が悪くなると、大抵はこの一言で逃げられる。あれれ〜?おっかしいぞ〜?と同じ類の呪文だ。

「では、次はお顔ですよ」

「んー」

 髪を綺麗にしてもらったわたしは、ご機嫌のまま目を閉じた。蒸したタオルが顔に当てられて、とても心地が良い。

 その世界は、前世で言う中世ヨーロッパの雰囲気にとてもよく似ているけれど、文明の発達や衛生観念の徹底具合は、前世のそれとは比べ物にならなかった。魔法のおかげで上下水道は整備されているし、下水処理施設もきちんと機能している。中世のおトイレ事情とは雲泥の差なのだ。

 シャワーも使えるし、最高!

 ここには漫画もラノベもスマホもパソコンもないけれど、今世のわたしはダンスやマナーレッスン、お勉強に忙しいので、オタ活してるヒマはないからちょうどいい。

 でも、もう少し成長したら観劇に連れて行ってもらいたいと思っている。今世でも推しを見つけて、応援したい。生きがいを感じたい。

 誤解されがちだけど、推し=恋愛対象ではない。むしろ恋愛対象とは真逆の位置にいるからこそ、気兼ねなく全力で応援出来るのである。

 顔のいい男は信用ならないし、油断出来ない。イケメンは、恋愛ではなく鑑賞するに限る。

 結婚するなら家柄や見た目より内面を重視したい。まず、浮気をしないことが絶対条件……と言うか、最低条件だけど。


 前世で“わたし”は、父親に捨てられた。

 父は、無駄に顔だけは良い男だったが、中身は真性のクズ野郎だった。

 優しい父親だと信じていたのに、わたしたち家族に隠れて、せっせと「真実の愛」とやらを育んでいた裏切者だったのだ。

 妻子を放り出して若い女に走るとか、マジであり得ないから。

 これが最後の恋とか、既婚の中年が不倫ドラマのテンプレみたいな気持ち悪い台詞を言ってんじゃないわよ。要は、妻に飽きたから若い女に乗り換えたってだけでしょ。

 若さなんて目減りしていくだけのモノにホイホイ釣られて、馬鹿みたい。

 養育費もろくに払わない男のせいで、母は子どもを三人抱えて本当に苦労させられた。

 幸いわたしは当時高校三年生だったので、進学から就職へ進路を切り替え、小学生だった弟妹たちの学費を稼ぐことが出来たのだ。

 あの子達が大学進学したのを機に、わたしは実家を出て一人暮らしを始めた。おひとり様満喫ライフの始まりである。

 好きに生きろと家から送り出してくれた家族は、わたしがいつまで経っても結婚する気配を見せなくても、何も言わなかった。

 だってわたし、結婚と言うものに何の期待も希望も持っていなかったもの。

 そりゃ、そうなるでしょう。あんなクズの中のクズ、キング・オブ・クズみたいな男が一親等にいたんだから。









「あなた達なら、どんな方と結婚したい?」

 風呂上がりのわたしの身体にオイルを塗ったり髪を乾かしたり、せっせと働くベティ達に問いかけると、彼女らは手を止めることなく「そうですねえ」とわたしの雑談に乗ってくれた。

「やっぱりお金持ちがいちばんじゃないですか?」

 杖の先から温風を出してわたしの髪を梳かしながら、ベティが夢のないことを言う。

「いくらお金を持っていても、お相手がギトギトの脂っぽい男性だったら、わたし耐えられませんわ」

 同じく杖を構えてドライヤー役を務めるリサが、軽く身震いをする仕草で反論した。

 わたしの金髪、長くて量も多いから、とにかく乾かすのに時間が掛かるのよね。もっと早く乾かないかなっていつも思うのだけど、風魔法に火魔法を応用した温風魔法があるだけ、まだマシか。

 魔法って、小難しい魔法陣を描いたり、格好よく長い呪文を詠唱したりするのかしらってワクテカしていた時期がわたしにもありましたけど、実際はもっと地味だった。

 まず、呪文なんてない。

 技名もない。

 名前を付けたきゃ勝手にそう呼べばいいけど、なんか、「おれのかんがえたさいきょうのまほう」みたいに聞こえて、どうにも痛々しい。

 魔法陣は、場合によっては使うこともあるんだけど、すっかり形骸化してしまっていた。

「わたしも、油分の多い殿方は厳しいですわ……」

 細っそりとした指先で丁寧にわたしの肌へオイルを塗り込んでいたメイが同調すると、ベティも「確かに」と神妙に頷いた。

「じゃあ、顔?」

 重ねて問いかけると、三人の侍女は揃って「うーん」と唸り出した。

「顔が良いのに越したことはないですが」とベティ。「やはり、それなりに資産もないと結婚生活は厳しいかと」

 リサとメイが首肯する。

 彼女たちはみんな良家の子女だから、いずれはそれなりに身分の釣り合う相手と結婚するのだろう。

 貴族なんて政略結婚のイメージしかないわたしだけど、実はそうでもないと前にベティが教えてくれた。アカデミーに通う令嬢ならば、そこで貴族の令息と知り合って恋愛結婚ってパターンもあるのだと言う。


 ――ただし、お互いに婚約者がいない場合に限る。


 中には、婚約を破棄して新しい恋人と改めて婚約し直す人もいるらしいけど、家同士のしがらみが関係して、なかなか思うようにいかない場合もあるそうだ。いわゆる泥沼ね。

 わたしだって、アカデミーで華やかな恋を経験してみたい願望がないわけじゃないけれど、公爵令嬢の立場ではそれも難しいだろうなあ……

「あなた達、婚約者は?」

「わたしはおりません。うちは男爵なんて名ばかりの、貧乏貴族ですからね」

 ベティが肩をすくめる。明け透けな物言いに、思わず笑ってしまう。

 彼女は六人兄妹の長女で、実家は兄が継ぐので自分は弟妹のためにこの屋敷で働いて仕送りをしたいと言う。わたしがベティに対して安心感を覚えるのは、前世の自分と重なるところがあるからだった。

「わたしの婚約者は年上の幼馴染です。宝飾を扱う大店の長男で、今は家を継ぐための修行中なのですが、一人前になったら結婚しようなんて言いますけど、一体いつになることやら……」

 リサはくちびるを尖らせて不満そうに語っているけれど、その声は優しい。婚約者のことを大好きなのが伝わってきて、羨ましく思う。

「わたしもベティと同じで婚約者はおりません。ただ、奥様からお見合いの話を頂いておりまして……」

「えっ!」

「お見合い?!」

 驚いたのはわたしだけではなかったようで、ベティとリサの手が同時に止まる。


 行儀見習いに入る子って貴族の子女がほとんどだけど、勤め先の女主人に見合いを斡旋されるのは珍しくない。むしろ、それ目当ての子もいると言う。まあ、家柄のしっかりした大貴族のコネクションは、婚活女子には垂涎ものだろう。

 光魔法の応用で貴族間には写真が流通しているから、昔のように肖像画を送り合うよりずっとお見合いのハードルは下がっている。

 まだまだ写真は高価だし、フルカラーではなくセピア色だけど。


「……大丈夫? 年の離れたロリコン親父だったり、妙な性癖があったり、見るに耐えない不細工だったりしない?」

「どこで覚えてきたんです、そんな言葉」

 ベティの冷静なツッコミは聞こえない振りをする。

「写真は見た? 嫌ならお断りしてもいいのよ。もしお母様に言いにくかったらわたしが代わりに……」

「お嬢様、お嬢様。大丈夫ですよ」

 わたしに部屋着を着つけ、ボタンを閉じながらメイが笑う。

「年もそれほど離れておりませんし、お写真を拝見した限りでは、とても素敵な紳士でした」

「家柄は? 資産は? 好色一代男だったりしない?」

「なんですか、“こーしょくいちだいおとこ”って?」

 おっとりとメイが首を傾げる。そうだ、この世界に井原西鶴はいなかった。わたしは空咳をひとつこぼした。

「女遊びの激しい好色男のことよ」

「お嬢様……」

 ベティが呆れている。だけど、大事なことだと思うの。不倫は文化なんてふざけたことを言う男だったら、去勢しても許されるんじゃないかしら?

 指先で、チョッキンと鋏で切る真似をしてみる。

 すっかり乾いてふわふわになったわたしの髪をブラシで梳きながら、

「心配ありませんよ」

とリサが言った。

「殿下は浮気なんてなさいませんわ、きっと」

「はい?」

 なんでそこで殿下の話題になるの?

 三人の顔を見比べると、お姉さん方は生温い眼差しで微笑んでいる。

 その目をやめて。いたたまれない。

 恋だの愛だのって話題にアレルギー反応を起こしていたせいで、前世では恋バナにほとんど縁がなかった。だから、こんなときどんな顔をしていいのか分からない。笑えばいいの? 無茶言うな……

「待って、なんで殿下が……」

「毎日薔薇を摘んで送ってくださるなんて、もう実質『好き』ってことじゃないですか!」

「いやいやいや!」

 広義が過ぎる!

 おかしくない?! ただのお見舞いだって言ったよね?!

 リア充の発想、マジ怖い。

 あ、ベティだけは非リアだった。だけど彼女もあちら側に加勢してしまっている。

 なに、この四面楚歌……

「で、殿下はまだ羽化前よ」

 女の子になる可能性だってあるのだ。そうなってくれたら暫定破滅フラグがひとつ消滅するから超ありがたい。

「きっと大丈夫です!」

「何が!?」

 ダメだ、話が通じない! リア充怖い! 脳みその構造が根本から違うのかしら!?

「わたし、殿下は素敵な王子様になると信じています」

「わたしもです」

「わたしも」

 三人娘の結束が硬い。

「……そんな、曇りなきまなこで見つめられても困る……」

 仮にあの方が王子様になったとして、わたしが婚約者に選ばれるとは限らない。アカデミーに進んだ殿下が、下級貴族あるいは平民のヒロインと身分差の恋に落ちるかも知れないし、そうじゃなくても魔法の使えないわたしより最適な令嬢はたくさんいるわ。

 

 ――そう、魔法が……


 スッと背中が寒くなる。

 あれ、マズくない?

 ……わたし、魔法使えちゃったのよね……

 

 

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