薔薇の裏側には秘密がある
お茶会当日の空は、雲ひとつない快晴だった。春の名残を残した柔らかな陽光が新緑に降り注いでいる。
晴れ晴れとした気持ちのいい天気とは裏腹に、鏡に映るわたしの顔はどんよりしていた。
結局、風邪も引かなかったし、頭痛も腹痛も歯痛も起きる気配はない。悪いのは顔色だけだ。健康優良児な自分が、このときばかりは恨めしい。
例のごとく、わたしは髪をグルングルンに巻かれている。ベティがやたら張り切っているせいで、今日は一段とドリルが鋭い。
この日のために新しいドレスを新調したのだけれど、母が推してくるのは赤や青や緑と言った自己主張の激しい色ばかりで、絶対に目立ちたくないわたしは母を説き伏せるのにだいぶ骨を折った。
母に似て派手な顔立ちをしているわたしに、色鮮やかなドレスを着せたい気持ちはよく分かる。前世の“わたし”だって、リアル着せ替え人形が目の前にあったら喜んで飾り立てていただろうし、それにわたしにだって、綺麗な服を着たいと言う気持ちはあるのだ。一応。
だけどそれ以上に、風景と同化できることを望んでいる。
わたしは壁になりたい。
目に優しくない色が並ぶ中、わたしの選んだベージュの生地に母は難色を示したけれど、「ごらんになって、お母様。この繻子、光に当てるととても上品な金色に見えますわ。この髪と同じですね。わたくし、どうしてもこれがいいの」とゴリ推して、どうにかドレスを仕立ててもらった。
本当のことを言うと生成りが良かったのだけど、流石に公爵令嬢が王家主催のお茶会で着るわけにはいかない。わたしだって妥協したのだ。
肌触りの良い上質な繻子で仕立てた膝丈のドレスは、ツヤツヤとした光沢を放っている。ノースリーブの右肩には同じ生地で出来た大きなリボンが、ウエスト部分には白い花束のような豪華なコサージュが縫い付けられていて、これだけでもかなり目立つ。それにも関わらず、さらにドレスの裾には金糸をこれでもかとふんだんに使った刺繍が施されているのだから、出来上がりを見たわたしが白目を剥いたのだって仕方のないことなのだ。
わたしは、このお茶会にかける母の本気を侮っていた。
なぜ、本人より張り切っているのか。これってなんか、前世で見た「親が子どものために婚活パーティーに参加する」と言うトピックを思い出させるわ。
眉間にしわを寄せて姿見を睨みつけるわたしに、「どこかお気に召しませんか?」と侍女のひとりが遠慮がちに声をかけてきたので、あわてて笑顔を繕う。
「大丈夫、完璧よ」
むしろ完璧すぎて気に入らないのだけど、そんな理不尽は言えない。
わたしの本心を知るベティだけが、鏡越しに目が合うと、こくりと深く頷いてこっそりサムズアップを送ってきた。やめて。
「皆様、本日はお忙しい中をお集まりいただきましたこと、心より感謝いたします」
保護者同伴のお茶会は、王妃様のご挨拶で始まった。
初めてお会いしたけれど、とてもお美しい方だ。真珠のような白い肌と金の御髪が午後の日差しに煌めいている。眩しい。
そっと周囲を見回すと、わたしと同い年くらいの御令嬢、御令息がやる気を漲らせて王妃様とその隣に立つ殿下を注視していた。もちろん、王家と懇意になるため我が子を売り込もうとする親たちの視線も熱い。
まさに虎視眈眈と言う表現がピッタリの獰猛な雰囲気に、前世の“わたし”がドン引きしている。今世のわたしもドン引きだ。
彼らの服装にも気合いが入っている。特に少女たちのドレスはキラキラしく色鮮やかなものばかりで、庭園の薔薇がくすんで見えるほどだ。
我こそはと勇み喜んで目立ってくれる彼女たちのおかげで、安心して背景に溶け込めそうである。
ひそかに安堵するわたしの隣で、穏やかな笑みを貼り付けた母が口惜しそうに扇子を握りしめていたのは見なかったことにしよう。
背中に流れる冷たい汗を努めて無視しながら視線を戻す。
王妃様に促されて一歩前に出たアマーリ殿下は、ハイスペック男子には絶対に関わりたくないと全力で後ろ向きなわたしですら思わず見惚れてしまうほどの、繊細で神々しい美しさを放っていた。
夜の精霊がそのまま舞い降りたのだと言われても素直に信じてしまうほど圧倒的な存在感に、その場にいた全員の視線が吸い寄せられるのが分かる。
生まれながらに玉座を約束された人間のカリスマ性を目の当たりにして、身体が震えた。
これは恐怖ではなく、畏怖だ。
とても神聖な存在を前に、自然と厳かな気持ちになる。
実際、奇跡のようなお方なのだ。
悔しいけれどジーンの言う通り、わたしみたいな落ちこぼれが、「婚約者に選ばれたらどうしよう」などと妄想することすらおこがましかった。
自らの傲慢さを省みて、頰が熱くなる。
「今日は私のためにありがとうございます」
凛と澄んだ声が青空の下を風のように吹き抜けると、少女たちが口元に手を当てて色めき立った。
長いプラチナブロンドを三つ編みにして肩に流し、中性的な服装をされた殿下は、何も知らずに見れば物語から飛び出してきた王子様そのものだ。女の子たちがはしゃぐ気持ちも分かる。
わたしはと言えば、とりあえず母の背中にそろりと隠れながら、空気になるイメトレを始めた。
庭園での立食会だと知ったのはドレスを仕立てた後のことだった。事前に分かっていたなら、モスグリーンの生地を選んで薔薇の生垣と同化して見せたのに……
「この庭園の薔薇は、私が普段から好んで手入れをしておりましたが、今日この良き日に見頃を迎え、皆様をご招待出来たことを嬉しく思います」
近くにいた御令嬢たちの瞳はすっかりハート型で、「すてき……」とうっとりしている。
精霊に愛されたアマーリ様は、緑の手もお持ちのようだ。
前世で一時期、「実がなったら幸せになれる」と言うクチコミで爆発的に流行したワイルドストロベリーを見事に枯らした“わたし”の記憶を思い出し、胸に苦いものが流れ込んできた。やめて。
◆
あとはお若い者同士で……と言わんばかりに、保護者たちが王妃様の用意した別室で懇親会を繰り広げる中、庭園に残されたわたしたち子どもは三者三様の反応を見せた。
積極的に殿下の元へ行く者、彼らを遠巻きに見つめる者、王室専属パティシエのお菓子に舌鼓を打つ者。
言わずもがな、わたしが選んだのはケーキだ。美味しいお菓子に囲まれて、ここが夢の国かと感動する。紅茶も美味しい。この国で珈琲豆は貴重品のためか、今回の席には用意されていなかったけれど、ゲストが八歳前後の子どもしかいないのだから仕方がない。
前世では、紅茶より珈琲を良く飲んでいた。今世のわたしは飲んだことがないので興味もあったし、“わたし”が懐かしがっていたので、少しだけ残念だ。
殿下からいちばん遠く離れたテーブルで、イチゴのプチタルトをつつく。すべてをひとくちサイズに作ってあるので、色んな味が食べれて最高だ。確か、ミニャルディーズって言うのかしら?
次はどれにしようかと目移りしてしまう、この時間も楽しい。
「……はぁ、しあわせ」
紅茶を飲み干してひと息つく。そのとき、背後の生垣が小さく動いた。
なにかしらと振り返って生垣を覗き込むと、ダークブロンドの隙間から覗く大きなヘイゼルグリーンの目と視線がかち合った。
薔薇の中に、美少年。
「……へぃ?」
予想外のことすぎて間抜けな声がもれる。
少年は生垣に隠れたまま、人差し指をくちびるに当てた。静かに、と言うことか。頷いて、視線を彼から外す。あんまり覗き込んでいると、「ここに不審者がいます!」と言っているようなものだからね。
……いや、待って? 立派に不審者だよね?
いくら子どもとは言え、王家の茶会に忍び込むなんて怪しいにも程がある。
「怪しいものではない」
衛兵を呼ぼうかと逡巡していたら、少年がそのように自己申告してきた。
マックス怪しいわ。
公園でかくれんぼしてるのとはわけが違うんだぞ。
わたしが胡乱な目を向けると、彼は困ったように眉を下げて手招きしてきた。こっちに来い、と誘われる。
「え、絶対やだ」
取り繕うのも忘れてぽろっと本音をこぼしたら、何故か傷付いた顔をされてしまった。やめてよ、わたしが意地悪してるみたいじゃない。
改めて見ると、かなり身なりの良い少年だ。こんな場所にいるのだから貴族の御子息なのは間違いないのだろうけど、どうも同い年には見えない。いくつか年上だと思う。
と言うことは、このお茶会に招待されたお客様ではない。
「えー……」
出来れば関わりたくない。だってこの子、怪しいのもそうだけど、どう見てもハイスペック男子なんだもの。
ノット没落、ノット絞首台。
いつも心にラブアンドピース。
しかし、見上げてくる目のつぶらなことと言ったら。
――仕方がない……
わたしは辺りをさっと見回して、素早く生垣の裏側へ移動した。彼のそばにしゃがんで顔を寄せる。
「あなた、どこから忍び込んだの?」
「忍び込んではいない」
「でも、招待客じゃないわよね?」
「……まあ、そうだが」
もごもごと口ごもりながら、「弟の様子を見にきた」と彼は言った。
なるほど、招待客の兄君と言うわけか。弟さんを心配してこっそり様子を見守ってるなんて、優しいお兄さんだな。うちのギル様とは大違いだな。取り替えてくれないかな。
でも、やっぱりここに居るのはマズイと思う。
「わたし、ハリエットって言うの。あなたは?」
「エリヤ」
「ではエリヤ様、あなたの弟君がどこにいるか教えてくれる? 心配なら、わたしがなるべくそばで見ていてあげるから、あなたはここを去った方がいいわ。いくら子どもでも、ここに隠れているのがバレたら咎められちゃうかもしれないもの」
わたしの提案に、エリヤは意表を衝かれた顔をした。目を丸くした表情はあどけなくて可愛らしい。撫で回したい。
前世の経験値があるせいでついつい年上目線になりがちだから、ときどき、自分がとても老けているような気がしてしまう。
「ありがとう、ハリエット」
綺麗な顔立ちをしたエリヤに至近距離で微笑まれ、思わず頰が熱くなる。
わたし、ハイスペック男子の不意打ち笑顔には耐性がないのだ。だってわたしの周囲のイケメンは、こんなにも素直に笑ったりしないんだもの。
と言うか、ギル兄様もジーンも、わたしに向けて笑ってくれたことなんてないんじゃないかしら?
あれ?
え、うそ。地味に傷付く。
エリヤの弟が羨ましすぎる。
愛情の格差社会を突きつけられたわたしは、小さな胸をひそかに痛めた。
「君の言う通りだ。私はどうも、心配性でいけない」
エリヤが苦笑いを浮かべる。
「弟だって、いつまでも幼い頃のままではないと分かってはいるのだがな」
穏やかに語る彼からは、本当に弟さんのことが大事なのだと言う気持ちが伝わってくる。うちのギル様にエリヤの爪の垢を煎じて飲ませたい。
綺麗に整えられた彼の指先をジッと見つめていたら、「どうかしたのか?」と声をかけられた。
「いいえ、なんでも」
おすまし顔で微笑んでおく。わたしだって小さな猫くらい飼っているのよ。
「私はそろそろ行くよ。ハリエット、君の大事な時間を奪ってすまなかった」
「いいのよ、おかまいなく」
おどけて肩をすくめると、エリヤは目を細めてわたしの頭を撫でてくれた。小さな子どもへするような仕草に、少しだけ照れくさくなる。
「また会おう、ハリー」
滅多に使われない愛称で呼ばれて、心臓がどきりと小さく踊った。
「え、うん……」
嬉しいのにびっくりしすぎて、ごきげんようも言えずにへどもどしていたわたしは、去っていくエリヤの背中をしばらく目で追いかけていた。