十 .4
貴族街から数キロ離れた区間。先程の整然とした街並みとは打って変わり、崩壊し変わり果てた元は街だったろう廃墟が並ぶ。
雨上がりか、ぬかるんだ道を歩く神父とシスター。
建物は軒並み潰れており、雨風を凌ぐのさえ困難な酷な環境の風景が延々と続く。
「スラム街、通称ゲットー。吸血鬼の支配する街には必ずと言っていいほどある光景ですね。煌びやかな街の灯りの陰には、このような闇の部分が自ずと存在します」
「……"人間狩り"か。碌でもない趣味だな」
神父の説明にボソリと呟くシスターの少女、ミハエル。
人間狩り。文字通り人間を狩る行為であり、吸血鬼が種族の嗜みとして行う遊戯である。付き合いとしての吸血鬼同士の社交の場の意味合いもある。
狩られて生き残る人間は稀だろう。運が良ければ吸血鬼の愛玩品となるかその場で屠殺が暗黙の了解だ。
「……オレたち人間は奴らにとっちゃ狐や犬畜生以下の存在なのさ。そんな奴らに飼われる貴族どもは豚、牛で街は奴らのとっての牧場だ」
まさに家畜であり、人はもはや人並みに生きることさえままならず、搾取され生かされている。
「おや、どうやら我々のお迎えが来たようですね」
神父の言葉の天に召される前の殉教者みたいな台詞に心の中でツッコミするシスター。周りを何処から現れたのか十数人の男が取り囲む。
「………グ、ギ…ギ…」
身なりが粗末な複数の男たち。だが、様子がおかしい。皆一様に同じ白眼を見開き剥き出した歯は剃刀のように鋭さを帯び涎をボタボタと垂らしている。
明らかに異常である事が理解できる。
「おうおう、雁首そろえてお出ましか。ノッポ神父はともかく、年端もいかない可憐な美少女シスターを歓迎してくれるのは嬉しいけど興奮しすぎだろ、完全にイッちまってるぞ」
「シスターミハエル。彼らが貴女に個人的な感情を催すことについて主は咎めることはしません。それに彼らは自己の意思を持ち合わせていないようですよ」
神父が奇怪な異常者集団の首元に注目する。
彼らの首にはふたつの大きく穿たれた深い穴状の傷が痛々しく刻まれている。
それはまるで、吸血鬼の噛み跡のような――――
「……"喰人鬼"。喰われたか」
けたたましく、人があげる声では無いおぞましい叫びを放ち、食人鬼と呼ばれたそれらはシスターと神父に襲いかかってきた。
爪は猛禽類の如く鋭利で、牙は獰猛な肉食獣を彷彿とさせ、眼球は白濁し血走り、さながらパニック映画で出てくるゾンビのようだった。
「熱烈な歓迎は嬉しいけど、お触りは禁止だ、ぜっ!」
触れれば少女の白い柔肌など肉ごと抉り取られる鉤爪。
ふわり、と修道服の裾をひるがえし、スカートから覗いたガーターベルトに包まれた美麗な足捌きが宙空で躍り、喰人鬼の延髄部を編み込まれた重厚なブーツが蹴り抜いて吹き飛ばした。
と同時に旋回する動作で背後からシスターに食らいつこうとした喰人鬼に小さな、だが確かな手応えとともに放たれた裏拳が側頭部に必中、横薙ぎに弾き倒す。
すれすれに爪が掠め、唸りと唾を吐きながら大きく開いた口が唐突に畳まれ、犬歯が砕けて上空へ顎先が向く喰人鬼。
高く伸び上がった健康的な美細な脚元の付け根には白いフリルがふんだんにあしらわれたレースのガーターベルトとは真逆の黒く透けた布面積が極端に少ない煽情的な下着が露わに。
瞬間、ブーツの分厚い踵部が喰人鬼の頭頂部に吸い込まれぬかるんだ大地に接吻を強制投下する。
次々と襲い来る怪物に年相応な少女が華麗に果敢に勇ましく翻弄し闘う姿は瑞々しさと大人に至りきれない危うさを重複し妖しくも観るものを魅了する。
しかし倒されても倒されても起き上がる異形の化け物。
手足が折れ、首すら有らぬ方向に曲がろうとも物ともせず向かってくる凶悪な姿は筆舌に尽くしがたい恐怖をあたえる。
このまま力尽きていずれ怪物どもにシスターの少女は喰われてしまうのか。
「――――汝もろもろの罪咎をその躯に受けよ」
銃声。喰人鬼の頭に風穴が開く。
「――――汝十字架を背負いて高き丘を登れ」
重なる銃声。喰人鬼たちの頭がまとめて消し飛ぶ。
「――――災なるか汝穢れの血を孕む不貞の輩なり」
度重なる銃声が異形の化け物どもを次々と灰の塊に変え、薄煙を燻らせる銀彩の銃口が幼い掌の中で踊る。
「――――汝の流す血だけが汝の罪科を浄化せしめん」
幼さの中に密む獰猛な嗤いが可憐な唇の少女の口角を吊り上げた。
「――――灰は灰に、土くれは土に還れ、化け物ども。amen」