痴漢冤罪というのは国家による犯罪ではあるが司法府の犯罪ではない
さて、痴漢冤罪について取り上げる作品としては、2作目となります。
結論から言えば、痴漢冤罪は誰のせいなのかという話なのですが、国家による犯罪と規定すると、立法府の犯罪となります。
まず、大前提です。
現段階では、痴漢を従来型の犯罪として扱えるだけのリソースが、現代日本には存在しません。
これを理解する能力のある方が、司法府にも立法府にも有識者にも、存在していないようです。
※リソースはあるかもしれないが、そもそも立法府に、痴漢を重要な犯罪と位置づけてリソースを投入するつもりはない
前作品の報復感情は大事な人と共にで、犯罪の摘発において、冤罪問題を回避する必要な最低条件は、該当する犯罪の水準に見合った司法当局の財源と技術である。
そして犯罪は、金、権力、暴力、知能、技術の何れかか、複合的な要因で進化し続けるとしました。
摘発側の司法当局の財源と技術と、犯罪側の進化や水準は、常に追いかけっこの関係にあるのです。
司法当局側が勝てば、冤罪問題の解決も摘発も可能になりますが、司法当局側が負ければ、該当する犯罪は、完全犯罪となるのです。
誰彼構わず摘発するのなら、完全犯罪といえ摘発出来ますが、誰彼構わずですから冤罪被害を免れません。
これが、司法制度問題の原理原則です。
摘発に至る水準に、財源と技術が届かない犯罪に対して、司法当局が動く時には、冤罪を産むか、摘発など出来ない完全犯罪を産むかのどちらかしかないのです。
※割合の問題ではあるのだけれど
近い例ではYouTubeが、規則違反の動画を自社の未熟な技術で摘発しようとして、冤罪被害を大量に生み出しました。
※因みに、本作は、YouTubeのBAN祭りの動画で作ってみようかなと思いできた作品です。
該当する犯罪、規制に対して、摘発するための技術が完全に届いていないのなら、冤罪被害者を出しつつそれを無視するか、そもそも摘発をしないかの二択しか、選択は存在しない。
そして、仮に犯罪を摘発をしないのであるならば、犯罪被害は全て自己責任になる。
よって、摘発しないのであるならば、私刑を容認するしかない。
モブジャスティスの事情で書きましたが、同司法問題は、現代の多くの地域でさえ解決の出来ていない、司法制度始まって以来の頭痛の種なのです。
自身や、所属する組織に、能力の足らないことを認めるというのは、成功し、権威を持つ人ほどに非常に辛い物です。
しかし、それならば、いっそ、冤罪被害者など無視してしまおうというのはどうなんでしょうか。
※死刑制度の合理性において、私は国家の重要視している重犯罪では、冤罪被害者の無視をむしろ効率的だとしています。痴漢冤罪被害との兼ね合いは馬鹿らしいという話となります。
痴漢冤罪が最高裁判までいった例においても、3対2と、司法当局は、冤罪被害者をこのまま完全に無視するのか。それとも疑わしきは被告人の利益にの近代法の理念を守るかの、究極の二択において、最高裁はギリギリの選択を迫られました。
※有罪になった例もあり、今回はたまたま近代法の理念を取ってみたけれど、痴漢冤罪については一切解決してない、やっぱりスゲえぜウチの最高裁判所は!というのが同迷判決でした
同判決はギリギリになること自体が、もうおかしいのですが、司法当局の能力には、このように物理的な限界と、そのための妥協という物があります。
というか、最高裁は、同問題において自身のリソース不足を痛感し、迷判決によって、とっくにキブアップしていると言えます。
ここを、理解されている人が、どうも居ないようなので声を大にして言ってみましょう。
最高裁判所はとっくにギブアップ!
もう来ないで!それ解決なんて出来ねえから!
ギブ!それもうギブしてるから!
痴漢冤罪問題ギブアップ!
国家には限界など無いのだと、無意識に思っている方が、現代社会では多いのかもしれません。
しかし、考えてみれば、何に対しても限界があることなど、自明ですよね。
さて、痴漢冤罪の解決方法ですが、まず、立法府は、痴漢という犯罪に対して、冤罪を全て解決出来る程度のリソースを投入する(誰かに投入させる)つもりが元からない事を再認識し、そしてそれは国家による犯罪なのだと認識する。
そして、素直に司法当局側が、自分たちには、まともに痴漢を摘発する能力がないと再認識し、立法府に差し戻しを求め、立法府もそれを認める事が必要となるでしょう。
存在するかさえ解りませんが、もしも適切なリソースを投入しないで、現状のまま痴漢の摘発を、従来までの犯罪の摘発の通りにすれば、冤罪を回避したまともな摘発など出来ないのです。
となれば、リソースを投入しない場合に、痴漢犯罪においては、軽犯罪に近い、特殊な摘発の枠組みを、新たに創設するしかないとなるようです。
この摘発の方法ですが、その前に、そもそも、痴漢冤罪の多発の理由というのを、調べてみましょう。
これも酷い内容となります。
1990年代に痴漢が社会問題化し、世論に上がると、各都道府県は、その摘発方法と問題を深く考えずに、防止条例を施行しました。
1999以降に痴漢の送検件数は急増します。
それ以前には、強制わいせつ罪までは問えないような、比較的軽度な痴漢は、軽微事件として、交番で訓戒を与えて釈放という例が多かったのです。
ここまでは、アメリカの人気取りによる重罰化の失敗の典型例です。
考え無しの重罪化は、従来無かった問題を拡大するきっかけになる事が多いのです。
痴漢冤罪問題において真に肝要なのは、ここで説明した通りに、当時(今も)の司法当局には冤罪を回避出来るような、まともに痴漢を摘発出来る能力自体が存在しなかった事です。
その多くが現行犯逮捕である痴漢に対して、司法当局が摘発しない理由はありませんでした。
よって司法制度問題の原理原則通りに、能力が水準に達していない犯罪の摘発を、結果的にですが優先したので、冤罪被害は多発するようになったのです。
調べてみても、同問題は、司法当局の能力と、犯罪の水準や冤罪の関係の問題であると理解出来ている方があまりにも少ないようです。
皆さん、あまりにも、無知が過ぎるのでは無いでしょうか。
痴漢冤罪とは、司法当局の能力を完全に無視した立法府の条例施行によって、冤罪が多発し、その訴えに最高裁判所がギブアップした事例なのです。
同冤罪問題では、冤罪被害者の報復、つまりほぼ原理原則通りに、司法当局が機能しないことによる私刑での殺人事件が一件。
そして、痴漢冤罪による自殺が一件起きています。
司法当局は、同冤罪問題を受けるようになってから、物的証拠を重視するために、司法当局の持つ重犯罪水準のリソースを、極一部の痴漢冤罪問題に投入するようになりました。
しかし、日本特有の報道陣による推定無罪の無視や、長期拘束を含めて未だに痴漢冤罪問題はまったく解決していないのが現状です。
※因みに筆者は電車をほぼ利用しないので、言ってしまえば、たまたまテーマで扱っているだけで、どうでも良いと先に指摘しておく
何故、振り回した側の立法府は、未だに自分たちの作り出した痴漢冤罪問題を放置し、司法当局に痴漢を重犯罪と同等に扱わせるのだろうかと疑問に思う方は居ないでしょうか。
はっきり言ってしまえば、痴漢に、重犯罪と同等、むしろそれ以上のリソースを使い続けられるような能力は、司法当局には存在しません。
そして、その結果を延々と待つ冤罪被害者のリソースも、この世には存在しません。
立法した後なので、全ては司法当局の責任だとした縦割り特有の弊害があるのであるならば、司法当局には、能力以上の問題を、立法に差し戻す新たな権限が必要だという事になるでしょう。
※まぁ、これって違憲立法審査でも良いんじゃない?
そもそも、立法府側に、人気取り以外で
『我々は、痴漢問題を重犯罪と同等に扱いたいのだ。
よって、痴漢冤罪問題を解決出来るだけのリソースを投入する』
という意思はあるのだろうかという点に、私は疑問に思います。
痴漢冤罪問題は、問題となる条例の施行後、司法府に一切合切が任され、同問題の元凶、かつ解決出来る唯一の存在である立法府に、既に10年以上放置されています。
ここから、正直に言って、立法府側も、痴漢を本音では只の軽微事件だと認識していて、その冤罪も、割とどうでも良い事だと思っていると見るのは、穿った見方なのでしょうか。
将来、技術の向上によって痴漢犯罪の摘発は、冤罪をほぼ出さずに出来るようになるでしょう。
それが今では無い事は、冤罪問題の10年以上の放置と、司法制度問題の原理原則からして、もはや誰の目にも明らかです。
立法責任も負わずに、司法制度問題の原理原則も知らず、愚かしい国家による犯罪を、立法府は何時まで続けていくつもりなのか、痴漢冤罪問題と痴漢問題のこれからの予想は困難ではあります。
しかし、能力の足らない時に、自分たちはどうすれば良いのかと考えてみれば、その解決自体は、非常に簡単な事のように私は思います。
仮に冤罪となっても大きな問題とならないように、摘発の方法や量刑を変えるだけ、もしくは立法府が本音で重犯罪のように扱いたいのなら、解決のための適切なリソースを割り振れば良いだけなのですから。
※そのためのリソースがそもそも存在するかどうかは置いておく
痴漢冤罪問題は、一度だけでも、現状がどれほど馬鹿らしい状態なのか、考えてみて欲しい物です。
司法当局も、ウチだけが無理難題にリソース投入させられるんだから、功績として理由が必要だろうと、罪状を足したというのがあるのかな?
司法当局が摘発を放棄した場合に、犯罪被害は自己責任になると書きましたが、国家による犯罪だとその自己責任もクソも無くなりますよね。
これだけ長引いて、痴漢冤罪問題は対立だけで未だにまとまってませんよねぇ。
※後から読んで、どう見てもしかしが多すぎたので編集して直しました。