閑話⑪ 女神様
今日から閑話です。
「どうしてこんなことに」
その日、と言っても時間も空間も曖昧な世界たちの狭間のこと。
その狭間に一柱の美しい女神がいた。足首まである長い金髪の神に、古代ギリシャ風の純白の衣服。肌は白磁のように滑らかで、顔は異様なまでに整っている。まるで作り物のような印象を受け、人間みがなく、それを助長するように、背中に大きな白の両翼があった。
彼女は転生をつかさどる女神。女神は一つの世界の光景を見て、呆然としていた。
巨大とも矮小ともいえない、大きさという概念のない奇妙な鏡に映っているのは、真っ黒な龍の死骸を纏った真琴の姿。真琴は女神が以前、異世界に送った少年だ。
もともと真琴が住んでいた地球と呼ばれる世界には魔法はない。にもかかわらず類稀な偶然で魔法を実現した少年に、女神はいくつかの特典――チートを与えて別の世界に送り込んだのだ。
記憶を維持したまま他の世界に転移する魔法は珍しいが全くないではなく、そうした魔法を行使したものは必ず女神のいる世界の狭間を通る。そして女神は大抵の場合、彼らにチートを与える。
特に深い意図はない。転生を、さらに言えば魂の漂流を統べる女神は基本的に暇なのだ。世界を管理する神たちよりも上位の権能を持つ女神だが、退屈には抗いがたい。魔法行使者に力を与えて、その行く末を見守ることは、女神にとっての数少ない娯楽だった。
そしてチートを与える時には、送る世界の力を使うことが一番安定しやすい。魔法のない世界に、魔法の才能を与えても不和が生まれるだけだ。
だが女神は大きな力を与えることはあっても、過ぎた力を与えたことはなかった。
「まさかあの龍がまだ自我を保っていたなんて」
真琴に与えたチートはまず簡単に死なないようにと、肉体の高い再生能力。付随する身体能力と送った世界で生きるために必要な精霊術の素養に魔剣の才覚。魔眼。そして龍剣だ。
龍剣こそが、女神が真琴に送った最高のプレゼントだ。実を言えば、他の能力は龍剣のおまけと言っていいくらいだ。
世界の裏側に括り付けるように封印されていた龍を、女神は一度封印を解き、真琴が成長する度に力が解放されるように再度封印し直して真琴に渡した。初めに白炎という強力な能力を解放しておき、真琴が異世界に馴染んだ頃に幻影剣を、真琴が精神的に成長した時に加速を解放できるようにしていた。
だが間違っても“龍骸”などという最後に解放されるような力のものを四番目に置いた覚えはない。本来であれば、真琴が次に獲得するのは“龍眼”という、数秒先の未来を見通す異能のはずだった。
異世界に行った真琴は最初こそ、自分勝手に生活していたが、現地の人間が仲間になり、生徒になって随分と成長した。最近では真琴の変化を見守ることが楽しみになっていたのに。
げに恐るべき龍の執念というべきか。幸運だったのは、“龍骸”に飲まれた真琴を救い出してくれたイラ・クリストルクという人間がいたことだ。それに真琴という器が完成されていなかったおかげで、“龍骸”の出力も一割弱だったようだし。
「でもこのイラ・クリストルクって人間。転移者じゃないですよね……?」
出力が制限されていたとはいえ、“龍骸”は並の人間に対処できるようなものではない。軍隊を持ってきても無駄。英雄とか、勇者とか、魔王とか呼ばれるような存在をぶつけないとどうにもならないレベルの存在だった。
ならイラ・クリストルクは英雄か勇者か? 違う。調べてみれば、イラと同等の人間はまだ五人もいるらしい。この世界の基準からすると、明らかに逸脱した実力だ。
「彼は彼で謎ですけど……それ以上に」
鏡の向こうの戦いは終わっていた。真琴もイラも倒れ、町を一人の女が立ち去っていた。
「この人間は、明らかにイレギュラーですよね」
神代の英雄を名乗ったセラという女。その名前に女神には聞き覚えがあった。だがつじつまが合わない。
「この世界のセラという人物は、神代の人間。ずっと昔に死んでいるはずで生きているはずがないんですが」
人間の寿命は長くも百年程度。神代はそれよりずっと昔だ。生きているはずがない。
女神には現在の情報を探ることはできても、過去にまでさかのぼることはできない。いや、やろうと思えばできるが、それは世界への干渉になる。ただでさえ異世界人を送り込むというマナー違反をしているのだ。管理者たる神を失った世界であっても、過度の干渉は避けたいところだ。
女神がうんうん頭をうならせていると、鏡の向こうにいるはずのセラと目があった。
『あら。のぞき見は悪趣味よ』
「嘘。世界の枠組みの中にいる人間が、私の存在を認識できるはずが」
『ま、私には関係ないからいいけど。今はとっても機嫌がいいから見逃してあげる。どうせ私には、手が届かないのだし』
セラはそれっきり興味を無くしたようにどこかへ消えていった。含みのある言い方が気になるが、今は真琴のことだ。
「龍剣を取り上げるべきでしょうか……」
あの力は真琴に分不相応などころか、世界の崩壊すら招きかねないものだ。ならば過度の干渉と理解した上で、手を出すべきか?
いやしかし、真琴は“龍骸”の危険性をわかっているみたいだし、仮に暴走しても抑えてくれる存在がいる。なら無理に奪う必要はないのでは?
頭を抱える女神。どれだけそうしていたことだろうか。ビキリと、女神はこの場にありえない音を聞いた。
「はい?」
音の原因はすぐに見つかった。女神は目を丸くする。女神が世界を覗くために使っていた鏡。その表面に大きなひびが入っていた。
「ありえません。この鏡は世界との境界ですよ!? それがこんな」
後の言葉は続かなかった。鏡のひびは次第に大きくなり、ついには割れ、その隙間から赤銅色のナイフが飛び出してきた。
「ひっ!」
真っすぐ女神の心臓に向かって飛んでくるナイフ。命を狙われることなどこれまでなかった女神だ。悲鳴を上げて、権能を使ってナイフを防ぐ。ナイフは女神の権能を受けて、数瞬耐えるように震えたが、すぐに溶けて消えた。
「ちっ。さすがにお前を狙うには脆過ぎたか」
「誰です!」
鏡の向こうから聞こえてきたのは男の声。割れた鏡の隙間からは見えるのは赤銅の肌をした一人の男だ。筋肉で固めたような肉体に、巌のような険しい表情。彼は不機嫌そうな顔で女神をにらみつけている。
世界の壁を越えた攻撃。強い、弱いを通り越して、神の権能に至るほどの力だ。しかも女神に干渉できるとなれば、その権能は高位の神に匹敵する。恐慌にかられた女神は全力で男から距離を取る。女神の全力の逃走だ。距離の概念を超え、時間の概念すら飛び越すような逃亡。
「逃げるな」
その渾身の逃走に、男は平然と追い付いてきた。男は鏡から女神のいる領域に出ると、手を一振り。何かを“切って”、女神の目の前に立った。
「別にあんたを殺したいつもりじゃない。さっきのナイフも腹いせで効かないと思って投げた。ここに来たのは忠告を言いたかったからだ」
「ち、忠告ですか」
「あぁ」
いくら逃げても男は追いかけてきそうだ。女神はあきらめてへたり込む。女神の様子を見て、男はため息をついた。
「はぁ。まぁいいか。忠告は一つ。見るのは構わんが、俺たちの住む世界に余計な手出しはするな」
「それだけ、ですか」
「それだけだ。簡単だろう?」
それだけを言うために、この男は世界の境界を渡ってきたのか。男の理解できない精神に、戦慄が女神を駆けあがる。コクコクと男に頷くと、男はまた大きなため息をついた。
「わかったならいい。もし忠告を聞かなかったらまた来る。それと」
「は、はひ!」
男はまた手を一振り。世界の狭間に裂け目を作る。
「久しぶりだな。感謝はしている」
「へ?」
男はそれだけ言い残して自分の世界に帰ってしまった。
「久し、ぶり?」
女神はしばらくの間、男の言った言葉の意味が分からずポカンとしていた。
その後、女神が異世界を覗く為の鏡を修復するために苦労したことは余談である。
以上、久しぶりに登場した真琴を異世界に送り込んだ女神様のお話でした。彼女は駄女神感がありますが、一応有能です。襲われるという経験がないほど上位というだけです。
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