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第72話 憎悪感染①


「お前はなんだ?」


 夜空に赤い血が舞った。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、血とともに宙を舞った。殴り飛ばされた男はイラの背丈ほどに飛び、建物同様レンガ造りの道路に落下した。

 銀色の、人一人なら軽く殺せそうなナイフも仲良く落ちる。カランと音を立てて転がったナイフを踏み砕いて、イラは男を見下ろす。


「あ……くぁ」

「答えろ」

 男は鼻の骨が折れたのか、顔が醜く歪んでいた。イラは男の横腹を蹴り上げる。


「いきなり人をナイフで突き刺そうとするなんて、随分な了見じゃないですか。誰の指示です? まさか物取りということもないでしょう? こんな人目のあるところで、正々堂々襲う物盗りなんて聞いたことがないですよ」

 イラを殺すつもりだったとするなら、ずさんにもほどがある。玉石の殺気を込めた尋問だ。特殊な訓練でも受けていない限り、ぺらぺらと聞いてもいないことまで話し出してもおかしくはないほどの威圧だ。


 だが男はイラの問いに何一つ返さなかった。男は痛みに苦しむ素振りもなく、()()()()イラを見上げていた。

「大丈夫ですか!」

 その反応に違和感を覚えていると、近くにいた兵士がイラのところまで走り寄ってきた。騒ぎに気付いたのだろう。まだ若い兵士は腰に差した()()()()()()()近寄り、そのまま()()()()()()()()()


「なっ……」

「死ねぇ!!」

 予想外の事態にイラが驚愕したのは一瞬。すぐ落ち着き、状況に対応しようと一歩下がろうとする。


 その足首を、地面に転がっていた男がつかんだ。男はぎりぎりと手が壊れるのではないかというほど強く足を握りしめる。イラは舌打ちをして、つかまれた足を大きく振りあげた。

「ぎ……」

「あっはぁ!?」

 男はつかんだ腕を離すこともできず、振り子のように振り回された。振り回された男はそのまま武器になり、剣を振りあげた兵士に衝突する。


 男は兵士の頭にぶつかり、兵士の手から剣でこぼれると同時に、男の手がイラから離れた。二人仲良く空を舞う光景をイラは見て、同じく空を舞った剣を取った。


「大丈夫ですか!」


「大丈夫ですか!」


「大丈夫ですか!」


 駆け寄ってきた兵士たちにイラはためらうことなく剣を向ける。兵士たちもごくごく自然に剣や槍をイラに向けた。


「しっ!」

 酔ってはいても玉石。町の兵士程度にやられるようなイラではない。兵士の数は三人。イラは手にした剣を下段に構えると、一歩踏み出した。刹那。十歩以上あったはずの距離が消え、イラの間合いに兵士が入る。

 月明りを反射した剣閃がほとばしる。イラが瞬きの間に剣を振る。振られた数は三度。その数だけ兵士たちの持っていた武器が破壊される。


 殺すか?まだ自分たちの武器が破壊されたことを認識していない兵士たちを前にイラは思考する。理由はどうあれ、こいつらはイラを殺そうとした。なら殺されても文句はいえないはずだ。

 殺すのは簡単だ。手に持った鈍らを三度振ればいい。それで全てが片付く。


 イラが剣を振りあげようとした時、彼の目に兵士の顔が入った。

 無表情。兵士たちの顔には何の感情も浮かんでいなかった。眉を顰める。これではまるで森にいた軍服と同じだ。あるいは操り人形か何か。

「……ちっ!」


 イラは剣を持ち換えた。逆手に構え、柄頭で三度兵士の鳩尾を撃ち抜く。

 イラがとったのは殺害ではなく、()()だった。この兵士たちは何者かの干渉を受けている。ならばわざわざ殺す必要もない。

「どうせ殺すのも生かすのも大した違いはない」

 これで地面に転がった人間は五人。周囲は異様に静まり返っていた。イラは意識を刈り取られた男たちから視線を外し、周りに目を向ける。


「これは……」

 視線。視線。視線。大通りにいた住人全てがイラのことを見つめていた。男も女も老人も若者も。兵士も商人も職人も皆、皆、皆。目の前で繰り広げられた殺陣に、誰一人として悲鳴や歓声を上げる者はいない。

 明らかに異常だった。さすがのイラも背筋にわずかな鳥肌がたった。月明りや街灯が照らす彼らの表情は一様に無表情。手を止め、足を止めてイラを見ていた。


 そして何もこもっていなかった視線に、感情がこもり始める。彼らの無表情が崩れていく。

「……くい」

 誰かが言った。


「憎い」


「憎い」


「殺したい」


「憎たらしい」


「死ね」


「死ね死ね」


「殺してやる」


「憎い」


「引き裂いてやる」


「苦しめてやる」


「呪ってやる」


「指の爪をはがして」


「足の爪もはがして」


「髪の毛を一本一本抜いて」


「目をくり抜いて」


「歯も抜いて」


「死ね」


「殺す殺す」


「皮をはいで」


「憎い」


「肉を裂いて」


「殺す」


「死ね死ね死ね」


「骨を砕いて」


「神経をつぶして」


「殺す」


「憎い憎い憎い憎い」


「肝臓に穴を空けて」


「胃をバラバラにして」


「腸で縄跳びして」


「殺したい」


「憎たらしい」


「心臓を握りしめて」


「脳みそに手を突っ込んで」


 殺したい。


 イラを見る住民たちは口々に憎悪と怨嗟(えんさ)を呟き、それは反響してどんどん大きくなる。住民は顔を赤くし、目をこぼれんばかりに開き、歯をむき出しにしてイラをにらみつける。

「う……」

 バタン、バタンと扉の開く音がした。イラのいる通りに面したドアが一斉に開いたのだ。出てきたのはそこに住む住民。彼らもまた外にいた住民と同じように憎悪に顔を歪めていた。


 憎悪に満たされた人間たちは、ゆっくりとイラを囲むように歩を進める。その数はすでに数百を超えていた。

 気が狂わんほどの憎悪の群れを前に、イラは手に持った鈍らを握りしめる。イラは先ほどまでの彼らと同じで無表情だった。虹彩異色の目は眼鏡が月光を反射してよく見えない。


 ただ、イラは持った剣を右手に地面と水平になるように構えてたった一言、言った。


「なめるな」


   *


 それから約一時間が経過した。人の群れはますます数を増し、怒り狂った声を上げてイラに襲い掛かる。

「あああああああああ!!」

「うるさい」

 真正面から大柄な男が棍棒を振りかぶってきた。服装からして料理人だろうか。イラは鈍らで棍棒を受け流し、体勢を崩させる。多少なりとも武術を学んだものならその程度で体勢を崩すことなどありえないが、この男は非戦闘員。武器を握ったこともないのかもしれない。

 イラは剣の腹で男を殴り飛ばした。男は肋骨を砕きながら体のいい砲弾となって背後にいた他の人間ごと飛んでいく。だがここまで酷使してきたせいで剣に大きなひびが入った。


「ちっ」

 イラは剣を投げ捨て、腰に差した六色細剣を抜く。抜き際に近くにいた中年の女の足を砕く。

「あああああっ!! 痛い! 痛いぃぃぃ!!」

「黙れよ」


 みっともなく叫ぶ女をイラは冷たく一瞥すると、胸を軽く踏みつけて気絶させた。泡を吹いて倒れる女のそばから小さな人影が飛び出てくる。

「死んで!」

 包丁を固く握りしめて襲ってきたのはまだ幼い少女。さっきの女の娘だろうか。憎悪にまみれた殺意をにじませてイラに迫る。

「ふん」


 少女が襲えばイラが止まると思ったか?そんなことありえない。イラは遅い少女を剣すら使わず蹴り飛ばす。そして精霊を集めて詠唱。

「エザク エタナウ」


 イラの眼前に暴風が吹き荒れた。人がまるで紙切れのように飛んでいく。イラは細長く息を吐きながら風を生む精霊術を唱え続ける。

 都合四度。それでイラに群がっていた住民は無力化された。だがそれで終わりではない。イラは気絶した住民でできた絨毯を避けるように走り出す。


「しぃあっ!!」

 そんなイラの真横から飛び出してきた槍。これまでとは別次元の鋭い一撃だ。イラは急ブレーキをかけて槍を避け、六色細剣を振りぬく。

「かっ……」

 別次元だとしても、イラには到底届かない。革と金属の複合鎧を身に着けた若い男は持った槍ごと吹き飛ばされる。入れ替わりに今度は剣を持った男がイラに飛び出す。


「殺す!」

 建物の隙間。剣を持った男と反対方向からもう一人斧を持った男が迫る。顔は他の住民と同じでも、練度が違い、連携があった。

「冒険者か」

 身なりや動きからして間違いはないだろう。ただの住民がこうなっているのだ。冒険者が同じようになっていない理由はない。

 そして冒険者がこうだというのならば。


 イラはまず剣士を掌底で沈め、剣を奪い取り、斧使いに投げつけた。強烈な風切り音とともに飛んで行った剣は斧使いの肩に突き刺さり、そのまま建物の壁に張り付けになる。

「があああああっ!」

「出直してこい」

 斧使いの首に手刀を当てて気を失わせた後、イラは六色細剣で流水の刃を生み出した。イラの思うがままに動く水は、放たれた矢を受け止める。


「兵士もいるか」

 イラを囲む弓兵。そして無限に湧くのか思うほどの住民たちの群れ。


 イゾの町に住む人間全てが、イラに牙をむいていた。

 どうしてこのような事態になった? イゾの町はイラが一度破壊した町だ。それで住民から恨みを買ってこうなった――


「ありえない」


 だとすればもう少し会話があってもいいはずだろう。イラのことなど知らない少女が憎しみを抱いて襲い掛かってくることもないだろう。

 まずもって、戦時中イラが襲撃したイゾの町には当時の住民はほとんどいなかった。帝国に攻め込まれた際に、住民の大半が逃亡、もしくは殺害された。残された数少ない住民は帝国に奴隷のように扱われていた。

 ともかく、新ロエ村同様、イゾの町に住む住民がイラに恨みを抱いている割合は多くない。いたとしても味方からも悪鬼のごとく恐れられたイラだ。徒党を組んで襲い掛かることなどないだろう。


「今をもって理由は不明。敵の数はおそらく町の住民全員」

 戦いの時は常に最悪の想定しておくべきだ。ならば現状における最悪は……


「不愉快極まりないな」


 脳裏をよぎる見知った顔に、イラは舌打ちをしたくなった。

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