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第71話 黒い杯


 日が暮れるまで公園のベンチで考え事をしていたイラは、その足で待ち合わせの酒場に向かっていた。

 その足で、といっても鎧代わりのコートを着て、腰には六色細剣も差している。つまりいつも通り(常在戦場)だ。


 店はすぐに見つかった。周囲の建物と同じレンガ造りの建物。イラは看板に大熊酒店とあるのを確認し、扉を開けて中に入った。

「おう!先生こっちこっち」

 入ると、店にはすでに何人かのグループが酒を飲み始めており、その中に真琴たちもいた。がやがやとやかましい酒場を通り抜け、イラは空いている最後の席につく。


「お待たせしましたか?」

「いや俺たちもさっき集まったところだ」

 イラは丸いテーブルに集まっているメンツをさっと確認する。イラの右隣に真琴。そこからガッツ、ヘーハイトス、大柄な男と続き、イラの左隣がクイナスとなっている。

 イラの見知らぬ大柄な男が、前聞いていたベアという銀級冒険者なのだろう。ベアは冒険者風の装いをそのままに、じっとイラを見ている。


「えぇと、初めまして。自分が真琴の先生をしているイラ・クリストルクと申します」

「おう。俺はこの町の冒険者の頭をやってるベアだ。そうか。お前さんが真琴の……」

 ベアはニカッと笑うと、すぐ真面目な表情になった。

「あの」

「いや、何でもない」


 何か含むところでもあるのか。イラが首を傾げると、ベアは手を左右に振った。

「もう飲もう。全員揃ったんだし」

 と言いながらクイナスが手を上げると、中年の店員が次々に酒と料理を運び込んでくる。


「そら。乾杯だ」

 クイナスが運ばれてきたグラスの一つを取り、酒を注ぐとイラに差し出す。有無を言わさぬ調子にイラはグラスを受け取る。


「じゃあ乾杯!」

「乾杯!!」

「……乾杯」

 全員にグラスが行き渡ったところで真琴が立ち上がり、グラスを高く掲げた。合わせて他の冒険者たちもグラスをかち合わせる。

 イラも彼らに合わせて控えめにグラスを掲げた。


   *


「どうして酔っ払いというものはこう」

「ほら!どうした先生!飲め飲め」

 飲み会が始まって二時間。イラは盛り上がる宴会に半ばうんざりしていた。


 大熊酒店はすでに酔っ払いで一杯だ。彼らは各々酒を飲み、料理を食べ、大声でおしゃべりする。そこにデリカシーや思いやりという言葉はない。

 現にイラは酒に酔ったクイナスに肩を組まれ、強引に酒を飲ませようとグラスを口の近くに持っていかれていた。

「まず自分はクイナスさんの先生ではありませんし、それにそれはどっから持ってきたんです!?」

「俺だ!!」


 イラの頬はひきつっていた。クイナスが手にしているのは真っ黒でどろどろとした、およそ人が飲みべきではないもの。

 真琴が満面の笑みで手を上げた。その手には一本の瓶。ラベルには『玉石殺し』と書かれていた。


「真琴!!なぜそんな劇物を持ってきたんですか!!」

「いやさ、今日は先生に思い切り酔ってほしくてさ。んで、持ってきたんだ。でも安心しな」

「安心できる要素が微塵にも感じられないのですが」

「うまい割り方はあの店の店長から聞いてきた」

「んなことは誰も聞いてねぇよ!!」

 イラはスパァンとテーブルを叩いた。景気のいい(突っ込み)が店に響き、他の客からもまばらな拍手が起こった。


「んま、いいじゃん。この酒は原液で飲むとアルコール強すぎるけど……割ってもやっぱり強い!」

「駄目じゃねぇか!!」

 たて続けの突っ込みに、げらげらと他の冒険者たちから笑いが起きる。この調子では何を言っても爆笑が生まれそうだ。


「はぁ」

 イラはあきらめて『玉石殺し』を少し口の中に入れる。以前のように一気飲みはしない。だからなのか、周囲の酔っ払いからぶーぶーという声が聞こえた。

「やかましい」

 真っ黒な酒を飲みこむと、腹の底がかぁっと熱くなるような感覚がした。味がどうという前に、アルコールが強すぎて甘いのか、にがいのかすらよくわからない。なんとなく前飲んだ時よりも薄くなっていることだけはかろうじてわかった。


「ったくつれないねぇ」

 『玉石殺し』を飲ませたクイナスは残念そうに肩をすくめた。

「これでも譲歩した方ですよ」

 度数の高い酒を飲んだせいだ。頭がくらくらする。イラが額に手を当てると、クイナスは目をすっと細めた。


「そうかい」

 クイナスはそれを聞くと、がっと椅子にもたれかかった。

「先生は強いねぇ。酒も戦いも」

「……その先生というのをやめていただけませんか。正直」

「マコト以外に呼ばれたくないってか?」

「えぇ」


 くくっとクイナスは笑った。真琴やヘーハイトスは席を立ち、他の客と盛り上がっている。酒を飲んで、飲ませてバカ騒ぎをして。イラにはつくづく理解できない。

「それもそうか。あんたの生徒は真琴一人だ。技を一つ教えてくれたくらいじゃ、イラ・クリストルクの生徒にはなれない」

「クイナス。やっぱり酔っていますね」

 クイナスは焦点の定まらない目で口を動かしていた。指摘すると、クイナスはまたくくっと含み笑いをする。


「だろうな。だからこんな話ができる。酔ってなきゃできない話だってあんだよ」

 クイナスはハイオーガやオーガとの戦いで、今でもあちらこちらに包帯を巻いている。彼は包帯を巻いた腕をさすった。

「気持ちをぼやかして、全部忘れてバカになって。そうしなきゃいけない時もある。特に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「クイナスさん?」

 何を言っているのか。イラはクイナスの意図を図りかねてクイナスを見る。しかしクイナスは目をつむり、指を腹の上に組んで続けた。


「なぁ、なんで先生はそんなに強いんだ?俺たちとあんたらは何が違う?どこでそんなに差がついた」

 酔っているから本音が話せる。そういうこともあるのだろう。クイナスは酔っているからこんな女々しいことが聞けるのだ。


 クイナスは今、混ざり気のない本音で話していた。


「そうですね」

 そしてイラも自分が酔っているということにした。

「どこで差がついたか。おそらく『才能』という一点に関していえば、大した違いはないと思いますよ」

 イラはバカ騒ぎをする冒険者たちを視界におさめながら、語るべき言葉を考える。実際、イラとクイナスのもって生まれたものに大きな差はない。


 イラは精霊術。


 クイナスは剣術。


 分野が違うだけで、市井では一流の才能だ。そこから差が生まれるところがあるとすれば。

「自分はかつて、理性のある獣でした」

 十三年前、イラに根付いた復讐心は彼に力を与えた。イラの手の平にあった大事なもの全てをむごたらしく殺された経験は、彼に帝国への果てない憎悪を生み出した。

 憎悪は復讐を願い、イラは自分を鍛えた。

「禁忌を恐れないこと。一瞬の余裕もなく、自分自身を追い詰めること。狂気の寸前まで、いや狂気を踏み越えてでも願いを果たすのだという狂気。それで初めて俺は限界を超えることができた」


 結局、イラとクイナスの違いはそこだ。強さのためにどれだけのものを犠牲にしたか。

 クイナスも並み以上の努力をしていたはずだ。だがそれはあくまで常識の範疇。イラは常識など当然のように踏み越え、復讐のために必要な憎悪と理性以外の全てを捧げてしまった。

 だからこその強さだ。


「そう、か。敵わないわけだ」

 クイナスはイラの言葉を聞くと、諦めたようにつぶやいた。クイナスの手はグラスに伸びる。

「ですが」

「ん?」

 しかしイラはそこで言葉を終わらせなかった。


「狂気に足を踏み入れなくても常軌を超えた男のことを俺は知っていますよ」


 “青の玉石”エクス・ナイツナイツ。戦時中互いににらみあった彼は、イラと同じ市井の天才、天才の中の凡人だった。だが彼はイラと同じだけの実力があったにもかかわらず、イラのように肉体改造も、狂気に足を踏み入れてもいなかった。

「あれもある種の狂気ですが、少なくとも外道なことは何一つしていません。極限まで己を鍛え上げる才覚と、競い合える好敵手。そして導いてくれる師匠。その全てがかみ合った結果が、“青の玉石”です」


 最後の言葉はグランヘルムからの受け売りだ。クイナスはエクスのことを聞いて、くくっという含み笑いではなく、自然とこぼれるような穏やかな笑みを浮かべた。

「なら俺もまだ頑張らなきゃな。あの大馬鹿野郎に追いつくためには、まだ足りないってことだからな」

「はい」

「そして、先生よ」

 クイナスは一度言葉を切って、イラの目を見つめた。酔っているとは思えないほどその顔は真剣だった。


「あんたもこれからがんばれよ……すまない」

「クイナスさん?」

「……さぁ、しけた話はここまでだ!飲もう飲もう!」

 クイナスはいきなり表情を緩めると、またイラに『玉石殺し』を勧めてきた。困惑を飲み下すように、イラはそのグラスの中の酒を飲み干した。


   *


 深夜になって、イラは一人店を出た。中ではまだけたたましい宴会が繰り広げられている。

「月がきれいですね」

 耳の痛くなるような喧騒なら離れてイラはようやく一息ついた。単純に疲れたのだ。なれない賑やかさはイラを疲れさせ、先に失礼することにした。


 深夜であるにも関わらず、通りには多くの人通りがあった。イラは酔いを醒ますように、ゆっくりと大通りを歩く。

 『玉石殺し』を何杯も飲んだことがよくなかったのだろう。視界がふらつき、足元がおぼつかない。

「やはり酒はほどほどにするべきですね」


 思うままに動かない体にいら立ちを覚えつつ、イラは宿に帰るためにふらふらと歩く。前からみずぼらしい身なりの男が歩いてきた。

 貧民街から来たのだろうか。目つきが悪く、ポケットに手を入れて彼もふらふらと歩いている。


 イラは男のためにすっと道を横に譲って歩く。男はイラを気にする様子もなく、横を通り抜ける。


 イラと男がすれ違った瞬間、男はポケットから手を出した。その手に握られているのは月明りを反射するナイフ。男は背中を向けた隙の見えるイラに対してナイフを振りあげ、無表情に振り下ろした。


 赤い血が、夜空に舞った。

さあ、透徹殺しを始めよう。

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