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第69話 憎悪


 真琴はハイオーガとの戦いで大きく成長した。そう思っていたのだが違ったのだろうか。


「くそっ」

「その程度なの?」

 身をかがめ、滑るように距離を詰めて下から切り上げる。女は胸の前に刀をかざして受け止める。刹那、女は手首を返して龍剣の力の方向をそらした。


 剣が真横に流れる。崩れそうになる体勢を真琴は両足で踏ん張って耐える。その間に女が空いた左手で掌底。病み上がりの真琴の体に重い振動が走る。

「この……」

 力任せに回転切り。勢いづいた一撃を女は間合いを見切り、身を後ろにそらして回避。その際、左のロングコートの裾から何かが飛び出し、真琴の膝に突き立てられる。


「つ……」

 そこにあったものは光を反射しないよう、黒く塗られた針。暗器の類だ。しかも針はぬらぬらとした何かで濡れている。

 毒だ。真琴は後ろに思い切り下がりながら針を抜き捨て、無色の精霊を活性化。身体能力を高めて、解毒をしようと試みる。


「治癒に回せば防御はおざなりになる」

 真琴が下がった分だけの距離を、女は詰めてきた。袈裟切りに刀が振るわれる。とっさに龍剣で受ける。

 ガツンと膝に痛みが走った。切りつけると同時に、女が針を受けたところにつま先を食い込ませたのだ。靴に加工でもしているのか、鈍い刃のついたつま先のせいで傷口が広がる。真琴は軽いめまいを覚えた。


「イウ エタナウ」

 解毒は間に合わない。真琴は傷口ごと女の足に火を放った。直前で女は足を引く。びゅんと女の腕がしなる。真琴の視界が揺れた。

「なんで」

 女の拳が真琴の顎を殴られる。脳が揺らされて吐き気がする。くらむ視界に女の笑い顔。


「ざけんな」

 負けるものか。真琴はふらつく体のまま大きく後ろに飛んで隣の屋根に移る。ほんの数秒で脳を揺らされた衝撃が癒える。毒もすぐに対処したおかげで、全身を覆う倦怠感だけですんだ。


「ふぅん」

 女はその場に立ったまま、真琴のことを興味深そうにじっと見つめていた。実験動物を観察するかのような態度に真琴は鳥肌立つ。

「判断は悪くない、か」

 またトンと飛んで女は真琴のいる屋根に飛び移る。顔には笑みを浮かべたまま。男の視線を惹きつける蠱惑的なものだ。その表情が、戦っている真琴には気味悪い。


「てめぇは一体何者だよ」

「……何者でもいいじゃない」

 戦う前に言った問いをもう一度口にする。深い意味があったわけではない。呼吸が整うまで、考えがまとまるまでの時間稼ぎだ。だが女の回答は一度目の時とは違っていた。


「私の方があなたより強い。戦いで、必要な情報はそれだけではなくて?」

「ぬかしてろ」

「あら。まだ若いのに、挑発にはのってくれないか」

 赤いロングコートの女の齢は、真琴とそう変わらないように見える。女は明らかに真琴を挑発していた。そのあけすけな挑発に真琴は飛び掛かりそうになるのを、理性で抑え込む。


「……」

 女は真琴より自分の方が強いと言う。悔しいが事実だ。


 女とハイオーガを比べれば、身体能力も、見せている能力もはるかにハイオーガの方が上だ。だが女はハイオーガより()()()

 真琴の動きの先読みの精度。技を繰り出すタイミング。繊細な体のコントロール。勝負勘。全てが卓越していて、真琴は思うように戦うことができない。シイナの戦い方とこの女のそれはよく似ている。


 あるいは真琴が“龍骸”を使えば圧倒できるだろう。今見せている女の手札で、“龍骸”の守りを貫けるものはない。しかしここは市街地で、“龍骸”を使うと町に大きな被害が出る。それ以前に“龍骸”というコントロールできない力に軽々と頼るべきではない。

「なら、今持ってる手札でやるしかない。つまりはいつも通りだ」

 今真琴は“勤勉”を持っておらず、鎧も着ていない。オーガとの戦いで修復不可能なまでに破壊されたから、身に着けられるものがない。


 まずは観察。女の武器は手に持った禍々しい黒の刀と腰に差したもう一本の刀。おそらく見せていないがあちこちに暗器を仕込んでいる。

 防具は赤いロングコート一枚。厚手でゆったりとしたデザインのせいで、その下に何を着ているかはわからない。

 肉体能力は真琴の方が上だが、技術は女が上。戦況は五分より悪い。だが致命的ではない。


 どう戦うか。女は真琴と七歩の間合いで刀をだらりと下ろしている。見かけは油断しているように見えるがそれは見せかけだ。女は今も真琴の動きをコンマ一ミリも見逃すまいとしている。

 裏をかくのは難しい。なら強みを生かして正攻法。女の手札をさらす方が先だ。


「加速」


 切れる手札のうち、特に強力な一枚を出す。真琴の視界にモノクロの世界が広がる。真琴以外の物体の動きが全て緩やかになる。それは女も例外ではない。女は刀をだらりと垂らしたまま静止した。

「しぃっ!」

 加速のもつ時間は短い。真琴は女に走り寄る。女は動かない。


 加速した世界を認識できていない?


 ならこのまま倒せるか?真琴は女を間合いにとらえる。女は動かない。女は顔に薄い微笑みを浮かべたまま。


 殺せる?わずかな期待が湧き、真琴は剣を振りあげた。女は動かない。女は……


 ズン。


「んのがっ!」

 加速した世界が終わる。真琴は女の真横に倒れていた。女は酷薄な笑みを浮かべて真琴を見下ろす。何が起きた?わからない。女の体のどこかが動いた。そう思った瞬間には体勢が崩れていた。

 知覚外の攻撃に、真琴は一瞬パニックになる。

 真琴は屋根に倒れこんだ。真琴が倒された理由を解明する前に、女が刀を逆手に持ち換えて、真琴に向かって突き下ろす。


「あぁっ!」

 真琴はバクバクと跳ね回る心臓に負荷をかけて転がり逃げる。女の刀は屋根に突き立ち、黒い瘴気が刀の周りを渦巻いた。

 “龍骸”を使った時に龍剣から出てきたものと似ている。あれに触れてはいけない。真琴はごくりと生唾を飲む。

「何を……」

「教えると思って?」

 真琴が跳ね起きると同時に女が距離を詰めて刀で切りつけてきた。加速の反動と毒のせいで体が裂けるように痛い。真琴は身を伏せて横薙ぎの一撃を躱す。そしてかがんだまま後ろに飛ぶ。隣の屋根に飛び移る。


「また逃げるの?」

 大きな動きで逃げた真琴に見せつけるように、女は最低限の動きで追いかけてくる。再び間合いに入る。真琴の目が泳ぐ。切るべき手札はなんだ?迷いが浮かぶ。ハイオーガと戦った時のように、即断はできない。


 真琴自身は気づいていないことだったが、イラが見ていればはっきり言っただろう。真琴は普段のテンポを崩していた。

 ハイオーガとの戦いが真琴にとって鮮烈すぎたのだ。あの今までとは全く違う次元の戦いが体に残っていたせいで、真琴は感覚に違いに苦しめられていた。本来であれば、訓練を繰り返すことによって、本来の実力と折り合いをつけて、一歩先の力として定着できたはずだが、女がそれを待ってくれるはずもなかった。


 女が距離を詰めてくる。目を細め、真琴のどこを狙おうかと品定めしてくる。女は捕食者なら、真琴は獲物だ。

「弱虫」


 女が刀を見よがしに振りあげる。夕暮れの美しい空に、禍々しい黒が差す。振り下ろされた刀を真琴は半身になって避ける。避けながら手札を切る。

「ふぅん」

 幻影剣。不可視分裂の剣を女に見舞う。いきなり姿を消した剣に対し、女がとったのは防御ではなく回避だった。瞬きの間に真琴との距離が離れる。


「エザク エタナウ」

 ここだ。真琴はすぐさま陣を形成。突風を生んで女を吹き飛ばす。

「甘いわね」

 突風が女に吹いたのは両足が離れている時。ならばそのまま吹き飛ばされそうなものだが、女の無色の精霊が活性化する。次の瞬間には風の範囲から離れた位置にいた。

「は?」

「隙だらけよ」


 女の指が何かを弾く。真琴の右肩に弾丸のようなものが食い込んだ。骨と肉に重い衝撃が走る。的確に穿たれた小さな鉄球。鈍い痛みに真琴の額から脂汗が流れる。

 真琴は痛みをこらえて女をにらみつける。変わらない女の笑い顔。小首をかしげて女はつぶやいた。

「ほんとに隙だらけ。技の練習ができて嬉しいわ」

「……殺す」

「やってみなさいな。タマナシ」


 女は真琴の股間を指さして嗤う。冷静であろうとした真琴だったが、たて続けの挑発に耐えられなかった。

 白炎。真琴は最後にとっておいた手札を切る。ただ、白炎の威力は女にとっても想定外だったらしい。女の笑みが初めて崩れた。


「ちっ」

 しかしその後の対処が速い。女は真琴から大きく距離を取って白炎の範囲から逃れる。そして白炎の向こう側にいる真琴に対してにらみつける。


「あぁっ!」

 そこに真琴が白炎をかき分けて突っ込んできた。顔は額にしわが寄り、怒り狂っていることがわかる。笑みを消した女は即座に刀で真琴と打ち合う……

 つもりだったが、真琴の剣は刀身が消えていた。怒りの感情が、ハイオーガ戦の時のように真琴に思い切りのいい動きをさせた。柄だけしか持たれていない真琴の腕が振り抜かれる。女はまた無色の精霊を活性化。瞬間移動にも見える動きを取る。


 毛先一本で女は真琴の追撃をかわした。ハラリと女の灰色の髪が宙を舞った。キッと真琴が女をにらみつける。

「ちょこまかと避けやがって」

「あなたに言われたくないわね。羽虫みたいにちょこちょこと」


 真琴と女が互いに武器を構える。

「いきなり襲い掛かってきやがって。何が目的だよコート野郎」

「ふん。野郎って男に使う言葉だって知ってる?その頭はスカスカなのかしら?」

「はん!言葉尻とらえてつまんねぇ奴」

「そのつまらない奴に言葉尻とらえられていることを忘れないでほしいわ」

「口の悪い奴だな」


 真琴と女は互いに悪態をつきあう。女は真琴を挑発するために。真琴は挑発された腹いせに。どちらにせよ、真琴に深い意図があったわけではない。さして頭を使って話したわけでもない、軽い言葉の応酬。


「親からどんな教育を受けてきたんだか」


 だからこの言葉のその一つ。頭に思い付いた言葉を適当に言い捨てたに違いない。だがその一言で女は豹変した。

 ゾワリと、真琴の背に悪寒が走り抜ける。飄々(ひょうひょう)とした態度を崩さなかった女から感情が消え、能面のような顔で真琴を見る。


「うっ……」

 それが湧き出る感情の全てを瞬時に押し殺した結果だということが真琴には分かった。ユラリと女の体が傾き、一歩踏み出す。異様な雰囲気に、真琴は無意識に一歩後ずさる。


 それが功を奏した。真琴が下がったところに白銀の剣閃が通り抜ける。ちょうど真琴の首があった位置。真琴は息が止まるかと思った。

 女の手には、今まで抜かれていなかった二本目の刀があった。名のある太刀なのだろう。幅厚の刀身は白銀色で、どれほど固いものでも切り裂いてしまいそうな頼もしさがある。


「……」

 これまでの多弁が嘘のようだ。女は無言のままに、左に持った白銀の刀で斬りかかってきた。


 一刀目。右斜めから剣閃が飛んでくる。腕全体を鞭のようにしならせ、正面からでありながら、背後まで刃が伸びてきそうな一振りだ。

 女の刀はこれまでの攻防が手を抜いていたかと思うほど、鋭く速い。いや、実際手を抜いていたのだろう。真琴は龍剣を両手持ちにし、刀の根本を押さえる。


 龍剣から伝わってくるのはハイオーガにも劣らないような重みだ。両腕ごと持っていかれそうな一撃を真琴は受け流すこともできずに、耐えしのぐ。


「っぁ」

 不意に龍剣にかかる圧が消える。二刀目。女は大きく踏み込んで真琴の腹を下から切り捨てようと振りあげる。真琴は刀を視認すると同時に魔眼で精霊を操作。緑の精霊を活性化させて剣閃を鈍らせる。

 力任せの暴風で稼げた時間は一瞬。真琴は加速を使って、死線から逃れる。


「あっ……げほ!」

 使ったのは一瞬。だが度重なる負荷に真琴の体は悲鳴を上げる。身を折り曲げてせき込む真琴に、しかし女は容赦しない。


 続く三刀目。見切ることはできなかった。雷撃のごとき突きが真琴を射抜く。太ももを貫かれた真琴は「ぐぉ」と苦悶の声をあげる。


「死ね……と言いたいところだが、お前にはまだ価値がある」

 地の底から響いてくるような女の声。真琴に刃を突き刺したまま白銀の刀から手を離した女は、右に持っていたどす黒い刀を真琴に向ける。刀からは真っ黒な瘴気があふれて周囲に薄い霧のように漂っていた。


「お前」

 女の声は深い憎悪で濡れていた。全く違う声だが、真琴はそんな、憎しみに彩られた声を知っていた。


「先生と」

 他でもない。真琴の先生イラ・クリストルク。彼が帝国兵を目の前にした時、同じ雰囲気を宿していた。


 女の顔も、あの時のイラと同じだった。憎悪に溺れ、復讐だけを求める者の顔。女が黒い刀を振りあげる。

 ビュンという音と同時に、真琴の体を刀が通り抜けた。刀は真琴を傷つけない。しかし通り抜けた刀は真琴に確かなものを残した。


「あ……ぐぁ」

 どす黒い、真っ黒な感情が真琴を支配しようとする。憎い。憎い。憎い。憎しみが真琴の中に植え付けられる。

 植え付けられた憎しみは真琴の心臓から毛先にまで浸透し、意識を塗りつぶそうとする。けれどこの感情は生々しくあっても、“龍骸”から与えられたあの情念の方が、濃密だった。


「て、てめぇ……」

 真琴は黒い感情を抑え込みながら、目の前にいる女をにらみつける。女はそんな真琴を見て、驚いたように目を見開いた。

「……斬られても正気を保つか。まぁいい」

 ブスリと、真琴の心臓に黒い刀が突き刺さる。どくどくと憎悪の感情が真琴に流れ込んでくる。


「……っあ」

 まずい。憎しみの感情は次第に真琴を追い詰め、肉体の主導権を奪い取る。大雨の濁流のような感情に、真琴は抗いきれない。真琴には目の前の女から暴力的な共感を覚え始めていた。


「な……めん、な!!」

 視界が黒く染まる。憎悪は真琴の記憶を漁り、一人の人物を見つける。するとその人物への記憶に手を伸ばし、ぐちゃぐちゃにかき乱す。

 ()への思いが塗りつぶされ、書き換えられる。許せなかった。最後の力を振り絞って、真琴は地面に寝ていた龍剣を振りあげる。

「はっ」

「く……そ」


 女の嘲笑。龍剣は確かに女のロングコート越しに女の腹を切りつけた。

 だが龍剣は女を傷つけることはなかった。赤いロングコートは切り裂かれ、しかしその奥から()()()()()()が見えた。


「てい、こ……先生、ごめ」

 限界だった。真琴の瞼がゆっくりと閉じられていく。真琴はイラの顔を思い浮かべて、そして、


「殺す」

 とつぶやいた。


   *


「なんでだ」

 いつの間にか日は沈み、夜になっていた。ヘーハイトスは月明り以外には明かりもない見知らぬ街並みを一人駆ける。

「くそが!」


 背後から迫る三人の人影。そのうちの二人はヘーハイトスの味方だったはずだ。

 後ろから風。ヘーハイトスは前に転がり込んだ。起き上がって向き合うと、そこにいるのは無表情の男たち。


 クイナスとガッツ。二人はベアと共に味方のはずのヘーハイトスを追い詰めていた。

 どうしてこうなった。ヘーハイトスは自問自答する。狂い始めたのはヘーハイトスたちがベアを取り押さえてからだ。

 武器がなくとも金級冒険者。ベアを制圧することは難しくなかった。問題はそれから。ナイフを落としたベアが苦し紛れにクイナスの手に爪を立ててからだ。


 そこから調子がおかしくなったクイナスはベアの拘束を緩め、ベアがクイナスに組みかかった。爪を立て、歯を立てて、まるで獣か何かのようにクイナスに組み付くベアにガッツもヘーハイトスも手出しができなかった。

 そしてベアがクイナスに襲い掛かるのをやめたかと思うと、無表情のクイナスが敵に回ったのだ。


 ベアとクイナスの二人がかりでガッツも襲われ、敵に回り、ヘーハイトスは一人だ。荒れる息を整えながら、ヘーハイトスは三人をにらみつける。

「ふざけやがって」

「ごめんなさいね」

 そしてヘーハイトスの胸から真っ黒な刀が生えた。背後からの不意打ち。そうと認識する前に、耐えがたい憎悪がヘーハイトスを侵し、視界は闇に沈む。


「これでお前も“仲間”だ」

 その刹那、ヘーハイトスは真琴の声を聞いた気がした。

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