第65話 決着のその後に
落ちて行く視界。ハイオーガは自身が敗北したことを悟った。目の前には剣を振り切った真琴の姿。ハイオーガは上半身と下半身を切り離し、地面に倒れ伏した。
「ぜっ……ぜっ」
真琴は倒れたハイオーガを見下ろして、辛そうに呼吸をしている。息をすることすらきつそうだ。体中に風穴が空いているのだから当然か。それを見たハイオーガはすがすがしい気分になった。
「シィ、ア」
ハイオーガは死力を尽くした。真琴も死力を尽くした。極限の戦いとはこれほどまでに心地よいものだったか。もっと味わってみたかったが、その果てに死ぬのであれば、悔いなどあるはずがない。
だがこのまま朽ちるのも癪だ。ハイオーガは最高の喜びを与えてくれた真琴に何かを与えたかった。
ハイオーガは思考し、行き着く。この肉体だ。死闘の末、傷ついた我が身だが、この肉体は人間の力になるに違いない。ハイオーガは精霊に干渉。傷を赤と黄の精霊で埋めて癒す。
いや、それは癒すという行為ではない。自分を生物ではない何かに変換する行為だ。耐えがたい痛みが走るが、その痛みすらハイオーガには心地よい。
なすべきことをして、意識が閉じる。もう二度と目が覚めることはないだろう。けれどよい。このまま息絶えれるのならば、
私は幸せだ。
*
真琴がハイオーガにとどめを刺した後、ハイオーガの体に変化が起きた。黄と赤の精霊が皮膚や肉、骨に集まり形を変える。くまなくついた傷から変色し、黄土色だった体が色鮮やかなオレンジ色になる。そして皮膚は滑らかに、裂けたところから見える骨もこころなし艶やかになる。
ハイオーガの変化は、胸の鼓動が止まると同時に止まった。残ったものは精霊結晶にも似た色形の、ハイオーガの死体。
その死体を確認して、真琴は気が抜けたのだろう。“龍骸”が消えた。そして龍剣を落として膝をつく。
「が……」
口から大量の血がこぼれた。その色は黒。いつの間にかハイオーガが目の前にいた。違う。真琴も倒れたのだ。
“龍骸”を解除したからか、胸に巣食っていた黒い感情は影も形も残っていなかった。手足の感覚がない。視界が黒に満たされる。
確かな達成感を胸にそのまま、真琴はハイオーガのすぐそばで気を失った。
*
「マコト!」
それからまたしばらくして、クイナス達が崩落しかけの晶窟から出てきた。真琴が異形をまとってハイオーガとともに晶窟を抜け出した後、クイナスはまともに動かない体で出口を目指した。
骨は折れていただろう。内臓もいくつか傷ついていたかもしれない。重傷をおして時間をかけて脱出する。
途中でかついでいたベアが目を覚ましたから、多少足は速くなった。そうでなければ途中で行き倒れていただろう。
出口から見えた光景に、冒険者四人は絶句した。
「なんだこれ」
ようやくのこと口からこぼれ出た言葉はそんな間の抜けたものだった。もともと岩肌だった場所だが、焼け焦げ、焦土と化した大地。あちこちが斬撃や爪か何かでえぐれ、砕けた岩槍や礫が転がっている。末期の戦場でもここまでひどくないというありさまで、極めつけは未だぐつぐつと煮えたぎるマグマがゆっくりと広がり続けていることか。
この世の終わりかという光景の中に、一行の中で一番目のいいヘーハイトスは二つの倒れた影を見つけた。
「いたぞ!」
ふらふらの足を進めると、影の姿形がはっきりとしてきた。一つはオレンジ色の精霊結晶にも似た死骸のような何か。上と下で体を両断された状態で地面に転がっている。
「マコト!」
そしてもう一人は真っ黒な血だまりの中に沈んでいた。身に着けていたはずの鎧は欠片も残っておらず、近くには“勤勉”の魔剣と装飾華美な黄金の剣、龍剣が落ちていた。
「生きてるか!」
一番怪我の少ないヘーハイトスが駆け寄る。真琴は意識を失っていた。体中に貫通痕を作り、血は流れ切ってしまったかのようにもう流れていない。まさか。ヘーハイトスの血の気が引く。
「おい!」
「どけ!」
真琴を前に立ちすくんでしまったヘーハイトスを押しのけて、真琴の胸に手を当てたのはガッツだ。彼はしばらく胸に手を当てたまま、険しい顔をしていると、ぱっと表情を明るくした。
「まだ生きてる!」
「! ……そうか。よかった」
真琴の心臓はゆっくりとだが動きを止めていなかった。ガッツの言葉を聞いて、クイナスたちはへたりこんでしまった。彼らもまた気が抜けたのだ。はぁーっと深いため息をついた。死にかけのくせに真琴はすっきりとした顔をしている。同時に彼は晶窟で見た真琴の姿を思い浮かべていた。
どす黒いオーラを渦巻かせ、龍の肉体のような何かをまとった真琴。目からはこんこんとした闇があふれ、まるで人間ではないかのようだった。
「そうでなくとも、こいつは一人であの化け物を殺した」
クイナスはハイオーガに手も足も出なかった。長刀は素手で止められ、手加減された一撃で沈んだ。大人と子どもほどの差がそこにはあった。
「情けねぇな」
「だな」
「あぁ」
クイナスの言葉にヘーハイトスとガッツはうなずいた。金級冒険者といえば、市井では最高峰の戦士として扱われる。どこに行っても尊敬のまなざしだ。
なのにこの体たらくはなんだ。何が最高峰。何が尊敬。実力が足りなさすぎる。弱すぎる。
「遠いな」
ダンと、クイナスは拳を地面にたたきつけた。寒さの残る時期でありながら、地面にはまだ戦いの余熱が残っていた。熱い。それがまた、悔しい。
「もっと強くならなきゃぁな」
真琴に再会できて嬉しかった。しかし、再会した真琴は自分たちの手の届かないところに行ってしまった。
「あぁ、これじゃ対等な仲間とは言えない。守る側と守られる側。依頼人と冒険者じゃないか」
ガッツの言葉だ。なまじ力がある分、依頼人よりひどい。真琴のことは今でも仲間だと思っている。けれど実力の差という現実は、それを認めてくれない。
「もっと強くなろう」
最後にヘーハイトスが言って、彼らは黙り込んだ。その様子を後ろから見ていたのはベアだ。
「なんて、遠い」
真琴もそうだが、銀級冒険者であるベアからしてみればクイナス達も遠い。
ベアはハイオーガを目にして、瞬時に勝てないと悟ってしまった。古参の冒険者であるベアは変異種のことを知っていた。その実力がどれほどかも。だから勝てるはずがないと。だからこそハイオーガの一撃で軽く沈み、最後まで目覚めることもできなかった。
クイナスたちも同じ恐怖を味わったはずだ。絶対に勝てない。逃げられない。致死の恐怖。それを知ってなぜまた強くなろうと思える?
ベアは今年で四十三。戦士として今以上の成長は望めない。銀級冒険者で頭打ちだ。それ以上、金級冒険者になれるとは思えない。あと数年もすれば、ベアは引退だろう。引退した冒険者の将来といえば、冒険者時代の知人を頼ってどこかの店の手伝いでもするか、運が良ければギルドに雇ってもらえるか。
町の顔役であるベアなら、まず確実にギルドに雇ってもらえるだろう。
真琴が、クイナスが、ガッツがヘーハイトスがうらやましい。ベアの心にもやもやとした、黒い渦のようなものが生まれていた。
*** ***
*** ***
「ここは……」
やわらかいものに包まれた感覚とともに真琴は目を覚ました。ここはどこだろう。板張りの天井に良い匂いのする部屋。冬空の天井と、焦土となった大地の上ではない。真琴はハイオーガと戦っていたはずだ。それなのにどうしてこんなところに……
「ようやく目覚めましたか」
真琴が困惑しながら左右に目を動かしていると、聞きなれた声が上から降ってきた。
「先生」
「はい。……何があったか思い出せますか?聞けばずいぶんと無茶をしたそうじゃないですか」
真琴の先生――イラの口調にはわずかなとげがあった。真琴は額に手を乗せようとして、激しい痛みに襲われた。
「あがっ!」
「無理しないでください。いくら君が規格外の肉体を持っているといっても、常人なら十回は死んでいてもおかしくない怪我だったんですよ」
痛みとともに真琴は何があったかを思い出した。真琴は晶窟にオーガ討伐に行って、ハイオーガと出会った。一度は敗北したけれど、“龍骸”という強力な力を発現したおかげで勝つことができた。
「……俺、よくあそこまでやれたな」
「はぁ」
戦いの一部始終を思い出して、冷静になった真琴が思ったことがそれだ。冗談抜きで、あの時の真琴はおかしかった。同じことをもう一度やれと言われても無理。真琴とハイオーガの間には百回やって百回負けるだけの実力差があった。“龍骸”というイレギュラーがあったからこそ、かろうじて百一回目を拾うことができた。
「まぁいいでしょう。君はしばらく休養です。二日も眠りっぱなしだったんですから」
「え?二日?」
「はい」
「はぁっ!?」
二日も寝込んでいた。今までにない熟睡っぷりに真琴は大声を上げる。
「うるさいです。他のお客もいるのですから、少し静かにしてください」
「お、おぉ……なんか先生とげとげしくない?」
なんとなくイラが怒っているように見える。聞くと、イラは大きなため息をついた。
「あきれているんです。状況は聞いています。だからしょうがないことだとは理解しています。ですが、それとこれとは話が別です」
イラはがりがりと頭を掻く。なんといえばいいものかと額をとんとんと指でたたき、もう一度ため息をついた。
「いえ、これ以上言うのはやめておきましょう。実際、変異種の魔獣相手に良く生き残ったと思いますよ?しかも一対一。どうやったかを聞きたいところですが……」
「あー、それはまた今度でいいか?」
「なぜです?」
イラは戦後、リリアーナの依頼で隣国に現れた変異種の魔獣と戦った経験があった。だからこそわかる。イラの知る真琴に変異種の単独討伐は不可能だ。
クイナス達から聞いたことも含め、根掘り葉掘り聞きたいところだったが、真琴は首を横に振った。
「実際に見てもらって判断してほしい。あの力は危険だと思う」
「……なるほどそうですか」
真琴の言葉には、今までになかった落ち着きがあった。あったのは確かな自信。どうやら変異種と戦って、真琴は一皮むけたらしい。
「なら詳しく聞くのはその時にしましょうか。ちょうど自分も赤色結晶の削り出しが終わったところです。あとは調整だけですから、何か滋養のあるものでも作りましょう」
そう言って、イラは材料を買うために、宿の部屋から出て行った。
一人ベッドに残された真琴はつぶやく。
「みんなは無事かね」
*
「くそっ!」
オーガ討伐が終わった翌日。イゾの町に帰ってきたベアは荒れていた。クイナスたちに真琴を任せ、自分はオーガ討伐の報告とハイオーガの出現と討伐をした。見知った受付たちがベアに尊敬のまなざしを向けていることがまた悔しい。
違う。違うのだ。ベアはオーガを倒す一端は担っていても、ハイオーガを倒したわけではない。だがベアのちゃちなプライドがそれを言うことも許さず、ベアが疲れているからとギルドを足早に去り、普段は使わない酒場で度数の高い酒を注文していた。
「んぐっ! んぐっ!」
出された酒を一気に呷る。それを見た店員は目を丸くしていた。
「すごいですね」
「すごくなんかない」
店員の言葉にそっけなく答える。ベアは柔和な顔立ちをしているが、体は大きく険しい表情をしていた。店員はびくりと肩を震わせるとそれっきり、ベアの注文にこたえるだけの存在になった。
「どうしてそんなにお酒を飲んでいるの?」
空いたグラスの数が二桁に達しようかという時、ベアに話しかける女がいた。チラリと目を向けると、そこにいたのは灰色の髪をした、まだ若い女。
「別に……お前さんには関係ないだろ」
女は並外れて美しい。若い男であれば女を見て欲情しそうなものだが、そろそろ老年の域に差し掛かろうかというベアはそういった気が起きず、無愛想に返した。その返しに女はクスリと笑う。
「なんだよ」
「妬ましい。恨めしい。悔しい。そして何よりうらやましい」
耳から脳へ入り込むような女の言葉に、ベアはぞっとした。グラスを置いて、女の顔をまじまじと見る。
「一体何を……」
「あなたの心の代弁。そう思っているんでしょう?見ればわかるわ」
昼間の酒場だ。店にはベアと店員、そして女がいるだけだ。店員は我関せずとばかりにグラスを磨いている。
その様子に、酔いの回ったベアは違和感を抱く。
「それも無理ないことなのかもしれない。自分より若い男たちに置いて行かれる恐怖。自分がふがいなくて、才能ある誰かがうらやましい。でもそれを表に出すことはできない。だってあなたはイゾの町の冒険者の顔役。銀級冒険者ベアなんだもの。出せるはずがない」
「おま……っ!」
名乗っていない相手が自分の名前を知っていた。ベアの頭の中に警報が鳴り響き、椅子から立ち上がった。ガタンと椅子が倒れる。女は嗤っていた。そしてベアの後ろを指さす。
「お願いします」
「はい」
「っ!?」
グラスの砕ける音がした。いきなりベアは後ろから組み付かれた。さっきまでグラスを磨いていた店員だ。もちろん、店員の力は弱く、戦いを生業にしているベアに比べられるものではない。
だが思わず振り返ったベアは店員の目に映る色に、動揺して動きを止めてしまった。
無表情にベアに組み付く店員。その目は暗い憎悪に満ちていた。ベアに対してではない何か。その憎しみの感情はベアの中にもあった感情を引き起こす。
「さて」
一瞬、ベアの意識は女から外れた。その隙に女は腰の刀を抜く。シャリンと鞘走る音を聞いて、ベアは振り返る。
女は黒塗りの刀を手にしていた。刀身から禍々しいものを感じ、ベアは古い記憶を思い出す。
「妖刀……!」
「あら。これのことを知っていたのね」
女は嗤う。ガリと、店員がベアの腕をひっかいた。そこから真っ黒な何かが入ってくる。だがそれはベアを塗りつぶせるようなものではない。だが得体のしれない状況と湧き出る感情で、ベアの心に動揺が生まれる。
「やっぱり足りない。だからこれで」
女は妖刀を持った手を振った。妖刀はベアの体をすり抜けて、振り抜かれる。女は妖刀を鞘に納めた。
切られたベアは膝をつく。しかし彼の体にはわずかにも傷はついていなかった。違うのはただ一つ。
「あ……うぁ」
「うん。これでよし」
ベアの目には、店員と同じ、深い憎悪があった。
「町を掌握するのにあと何日かかるでしょうかね。ふふっ。楽しみ。あの男がむせび泣き、苦しむ姿を早く見たい……」
フラリと立ち上がるベアを横目に女は酒場を出る。まばゆい太陽が女の目を焼いた。
しかし、その女の目は店員やベアとは比べ物にならないほど深い、深い憎しみに満たされていた。
*** ***
*** ***
ボコン。岩肌の地面に小さな手が突き出た。その手は周囲の地面を壊し、体を起き上がらせる。
「ギ……ァ」
出てきたのはゴブリンにも似た魔獣。黄土色と赤銅色の混ざり合った肌の色で武器のようなものはもっていない。
ハイオーガ、とはいえないまがい物だ。その魔獣は晶窟で生まれ落ちた変異種のオーガの中でも、特に落ちこぼれだった。変異種の魔獣は晶窟の中で精霊結晶を食らった魔獣から生まれる。だが晶窟で生まれた魔獣の全てが変異種になるわけではない。
変異種として生まれるのはごく一部。大多数は中途半端な変異種として生まれ、変異種特有の異能を完璧に身に着けることができない。現に、このオーガもどきもハイオーガの用いた“黄の鎧”を扱うことができなかった。
「グゴ、ゲガ」
オーガもどきは地面から這い上がると、四つん這いになって、口から土を吐き出す。そして起き上がると、見ていた戦いを思い出して手に力を込める。
造られたのは黄の精霊でできたちゃちな剣。オーガもどきにできるのはその程度なものだった。生まれたばかりで力も弱く、クイナスたちに見つかっていれば、討伐されていたであろうほどの力しかもっていない。
けれど力が弱かったおかげでオーガもどきは生き残ることができた。ハイオーガという小さな王が統べる晶窟の中で、自分以外のオーガもどきはハイオーガに逆らい、殺された。生き残ったのは最初から歯向かう気のなかったこのオーガもどきと、単なるオーガでしかない両親のみ。
オーガもどきは力を持っていなかったからこそ、生き延びることができた。けれど、だ。
「ガガッ! ガガガ……」
オーガもどきは不器用に剣を振る。何度も、何度も。天性の才能に愛されていたというしかないハイオーガと違い、このオーガもどきは平凡だった。いや、中途半端に変異種としての才能を持ったせいで、オーガ特有の戦闘センスを失ってすらいた。
平凡ですらない劣等だ。
けれどオーガもどきは剣を振る。不格好に、何度も。頭に残っていたのはあの戦い。住処を襲ってきた人間たちから逃げ、晶窟の入り口でこっそりと見ていた真琴とハイオーガの戦い。
オーガもどきもオーガだ。戦いを求める心はある。オーガもどきにとって、あの戦いは鮮烈に胸に焼き付いていた。
ああなりたいと、心の底から願った。
心の折れていたオーガもどきに火が付いた。彼は日が暮れるまで剣を振る。やがてオーガもどきは非才を知って旅をする。
オーガもどきには才能も異能もない。けれど、彼にはそれを理解し、覆そうとする知性があった。中途半端な力しか持たないが故の、成長性があった。
オーガもどきが成長し、真琴たちの前に立ちふさがるのはずっと先のことだ。




