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第63話 龍骸


 強敵だった。


 ハイオーガは敵を地面に埋めた後も油断せずに人間が埋まっている場所を眺めていた。

 しかし一分たっても、二分たっても人間は出てこない。ハイオーガは知っていた。人間は呼吸をしなければ生きていけない。土の中では息はできない。出てこないということなら、死んだのだろう。


 ハイオーガは嬲り殺しにするつもりで残しておいた人間たちに目を向けた。


「マコト……嘘だろ?」

 意識の残っている人間は三人。一番体格のいい人間は完璧に意識を刈り取った。だが他の連中は意識がある。一人は気を失っていたはずだが目を覚ましたらしい。

 顔に浮かんでいるのは絶望。ここにいる人間はあの人間の仲間だったか。にしてはずいぶん弱いが、何か理由でもあるのだろうか。


「キシシシシ」

 ともあれ、この人間たちを生かしておく理由はないだろう。あの人間との戦いを通じてわかった。


「キィシャァァァ」

 戦いとは一方的に蹂躙(じゅうりん)し、嬲るものではない。対等な力を持った相手を命のやり取りをすることだ。

 ハイオーガはにんまりと顔に笑みを浮かべる。あの戦いは楽しかった。両親を嬲っていた時とは比べようもない。転がる人間たちなど比較することすらおこがましい。全力を発揮し、渾身を振り絞り、死線をくぐりぬけて成長し、知恵を巡らせて相手を倒す。

 至上の快楽だ。だが目の前の人間たちはハイオーガを楽しませてくれない。なら生かしておく理由もない。


「お、お前はぁぁぁあぁ!!」

 長い刀を持った人間が襲い掛かってきた。何度も打ちのめしてやったというのに、しぶといものだ。しぶといだけでつまらない。


 弱い。


「シィィ」

「おっ……」

 振り下ろされた長刀をパシンと軽く手で払う。のけ反り、がら空きの腹にめがけて拳。軽く殴っただけなのに、人間は口から血反吐をばらまきながら飛んで行った。


「キシシッ」

 もういい。殺すか。そう思い、ハイオーガが飛んでいった人間に手を伸ばした瞬間、


 ハイオーガの背後から、どす黒い敵意が噴出した。


   *


 真っ暗だ。何も見えなくて、苦しい。


 真琴はハイオーガの精霊術で晶窟の地面の中に埋められた。女神様からもらった屈強な肉体は、十分くらいなら息をしなくても問題ない。だがそれもわずかな差。息ができず、ここから抜け出す手段がない以上、真琴は死ぬ。


 いやだ。


 死にたくない。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 真琴の頭を埋め尽くす負の感情。閉塞した暗闇が一度死んだときのことを思い出させる。雨の日に道路に飛び出した女の子を助けようとして、真琴はトラックに轢かれた。

 重厚な質量と速度を伴う鉄の塊にぶつかって、脆弱な肉体ははぜて、骨は砕けて肉は散って、神経は飛び出して、脳はザクロみたいになって、地面に落ちて赤い液体が広がって絵画のようになって、アスファルトを汚して、いろんな人に見られて、写真にとられて、笑われて、気持ち悪がられて、泣かれて、吐かれて、見られて、見られて、見られて、それで、それで、それで。


 すぐには死なない。けれど確実に迫る死。それは人をたやすく狂気に陥れる。


 助けてほしい。誰か。先生。クイナス。ヘーハイトス。ガッツ。シイナ。トコイル。ティアラさん。じっちゃん。エクス。ベアさん。父さん。母さん。誰か。


 助けて。誰か俺を。俺は()()()()()()()()



 なら助けてやろうか?



 恐怖が飽和しそうになった寸前、真琴は誰かの声を聴いた。幻聴だろうか。死におびえる真琴が生み出した幻。声はえらく遠くから聞こえてきて、でも不思議と近くから聞こえているようにも感じられた。


 お前が力を望むなら、我は力を貸そう。


 誰?


 誰とは失礼な。我はずっとお前に力を貸してきたではないか。


 誰だよ。わけがわからない。


 ふん。それでもよい。どうせこの場を逃れたら、またお前は我の声を聴けなくなる。


 声はひどく偉そうで、無機質だった。頼っていいのか?頭をかすめる思いは、すぐ死にたくないという恐怖で押しやられる。


 どうする?


 ……頼むよ。俺を助けてくれ。


 そうか。そうか。


 絞り出すような真琴の懇願。声はカラカラと笑った。そして何かが真琴に干渉してきた。真琴の右手から、かすんだ映像が流れ込んでくる。



 黄昏の空と灰色の大地が視界を埋め尽くす。大地の上を必死に駆けているのは人間だろうか。黒い点にしか見えない。でも人間とわかる。足の遅い有象無象に白い炎が大地に降り注いだ。炎は雨のように落ち、悲鳴すらなく人間をたやすく葬り去る。後には何も残らない黒ずんだ大地。

 楽しい。愉しい。タノシイ。抵抗できない人間をいたぶることは楽しい。無様に逃げ惑う人間を見ることはよくできた娯楽だ。何にも代えがたい愉悦だ。

 しかし、その中にあって一人動くものがあった。それは高く飛び上がり、我の目の前に現れる。顔に怒りを浮かべ、身の丈ほどの剣を持つ。

 我が唯一滅ぼせぬ、人間のくせに脆弱な分際で我の敵になりうる人間。それは赤銅色の肌をした——



 あの神にも感謝をせねばな。あやつが封印されていた我を形代(よりしろ)に武器にしなければ、こうして現界することもなかったであろう。


 そう声は言い残して、消えた。頭に入ってきた映像も乱雑に閉じられる。残ったものは両手に残る剣。龍剣から新たな脈動を感じる。その脈動に真琴はそっと手を伸ばし、触れる。真っ黒で、だけど透明なそれはまだ真琴に扱いきれるものではない。しかし手にした新しい力を解放しなければ、今ここで死ぬのは真琴だ。


「“龍骸”」


 名前は自然と口からついて出た。名前を呼ばれると同時に力が解き放たれる。その力は真琴の体を埋め尽くし押し流し、そして——


   *


「キィィィシャァ!?」

 死んだはずの人間がよみがえった。ハイオーガは地面を突き破って出てきた人間を見て目を見張る。それほどまでに真琴の姿は異様だった。


「ぁ……ぁ」


 両手に龍剣と“勤勉”を力なく持ち、切っ先はだらりと下を向いている。吊られたように全身に力は入っておらず、開けられた穴の上で浮遊している。首を垂れているせいで顔は見えない。黒髪は風に吹かれているかのように上へと上がり、龍剣を中心にどす黒いオーラが渦巻いていた。

 そして真琴の体を覆うように、半透明の龍の肉体があった。両手には爪のとがった腕があり、背中には背丈よりも大きな両翼。ゆっくりとのたうつ長く凶悪な龍尾。真琴を覆う龍の肉体は透けているが鱗の一枚一枚まで見え、ギチギチと不穏な音を奏でている。鱗の一枚一枚が小さな刃だ。

 その龍に首から上は存在しておらず、頭部の代わりに炎のように揺らぐ半透明の何かがあるだけだ。


「シィィィィ」

 ハイオーガは再び剣を作って真琴と向き合う。ハイオーガが剣を両手で構えると、真琴が顔を上げた。


「……ぁあ」

「シ……」

 じりとハイオーガは一歩後ずさりした。真琴の目には真っ黒な闇があふれていた。深淵に吸い込まれてしまいそうな目の闇に、ハイオーガは生まれて初めて恐怖を覚える。

 暗いのだ。黒いのだ。吸い込まれてしまいそうな黒。深淵に落ちてしまいそうな黒。闇。暗くて黒くて目が離せなくなるような落ちてしまいそうな。

 この黒に自分の精神をゆだねてしまえばどれほど楽か――


「あ、ぁー……あぁあぁぁああ。い」

「ギ」

 真琴はハイオーガに深淵の目を合わせたまま、意味不明な音の羅列を重ねている。その声でハイオーガは我に返った。


 そして、真琴はゆっくりと右手の龍剣をハイオーガに向かって持ち上げ——


「キィィィィアアアアアアッ!!!!」


 振り落とされた龍剣とハイオーガの剣が正面から打ち合われた。互角。真琴の腕の上下だけで振り下ろされた一撃とハイオーガの一撃は互角だった。

 剣同士がぶつかり合ったとは思えない轟音。底無し沼の目がハイオーガをとらえる。まん丸に開かれた黒。その目に見られているだけでまたじわりじわりと正気を溶かされそうになる。

 目を合わせてはいけない。ハイオーガは身をかがめ、空に浮かぶ真琴の股下を潜り抜けて背後に回り込む。


 その途中で尻尾がグンとうねった。寸の間尻尾の形が消え、ハイオーガの顔面に現れる。

「キシィィア」

 龍尾はハイオーガの鎧と相殺される。ハイオーガを守る鎧の大部分が吹き飛んだ。信じられない威力だ。一撃を受けながらも背後に回り込んだハイオーガは精霊術を編む。真琴のいる空域の地面を操り、再び生き埋めにせんとする。


 壁が、天井が、床が蠢き隆起する。生きているかのように真琴に襲い掛かる大地は、その動きを不意に止めた。

「あ……いうえお、かききききききくこさささささささささささ」

 真琴の口から漏れるものは理解不能な音。しかしその音は不快な響きをもって大地の動きを止め、ぼろぼろと崩れ落ちる。

「ぃあ」

 ハイオーガの方に振り向きながら一言。それで地面は砕け散り、土くれになった。


「け」

 チリとハイオーガの本能が警報を鳴らす。ハイオーガは龍尾の一撃で失われた精霊を補填しながら鎧の防御を固める。持った剣にまで精霊を回す。


「お」

 バサリと、真琴の翼がはばたいた。風は吹かない。しかし翼の表に生える鱗がびっしりと逆立った。


 キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ


「が」

 がくんと真琴の体が水平に。収束する黒い波動。龍剣からこぼれる闇は翼に集まる。


「い……け」

 ハイオーガの顔がつかまれた。万力のように頭が締め付けられる。半透明の龍の腕につかまれた。景色が高速で流れる。


「ィアアアアアアアアアアアア!」

 真琴はハイオーガを連れて、晶窟を高速で飛んで行った。


   *


 混濁した意識の中、真琴は今起こっていることを他人事のようだった。視界は暗く、体は自由が利かない。真琴ではない何かが真琴を動かし、真琴の知らない力を使う。

 何より、真っ黒な感情が真琴の中に居座っていた。


 憎悪ではない。怒りではない。嫉妬でも嘲りでも恨みでも焦燥でも劣等感でも悲嘆でも絶望でも空虚でも殺意でも恥でも嫌悪でも無念でも後悔でも何でもない。


 負の感情としか呼べない闇は隙あらば真琴をからめとり、魂を塗りつぶそうとする。それを追い出し、御そうとするだけで手一杯で、他のことにまで気が回らない。


 ()の真琴は得体のしれない鎧のようなものをまとってハイオーガと戦っていた。その鎧の力はすさまじく、ハイオーガの膂力と真っ向から勝負し、尾の一撃で精霊の鎧をはがして見せた。

 でも、でもだ。


 外の真琴は周囲の被害も考えずに、ハイオーガの精霊術をレジストする。崩落した晶窟。クイナスの真横に瓦礫が落ち、満身創痍のヘーハイトスが転がって瓦礫を避ける。ガッツは意識を失っているベアをかばおうと上に覆いかぶさっていた。自分だって満身創痍のくせに。

 落ちた瓦礫は危うくクイナス達にまで被害を及ぼすところだった。いや、このまま戦えば確実に被害が出る。

 これじゃだめだ。ここで戦ったらクイナス達まで傷つく。


 クイナスは大事な仲間だから。()()()()仲間だから。


 真琴は負の感情に触れる。流れ込む闇。それにのまれそうになりながら思う。

「外に連れ出す」

 真琴は鉛のように重い意識で体を動かす。架空の翼に力を集め、突進。ハイオーガをつかみ上げる。


 ここにはイラもエクスもシイナもいない。仲間を守らないといけないのは俺だ。ずっと守られ続けていた俺だ。


 その俺が、仲間を傷つけてどうするんだよ!


「行け」

 翼から底無しの力が湧き立ち、ハイオーガとともに晶窟を進む。あっという間に出口の光が見えた。


「ぁああ!!」

 そして真琴はハイオーガとともに晶窟の外に飛び出した。


   *


「キィィィィシャァァァァァア!!!!」

 晶窟から出たハイオーガは目を焼く太陽の光に苦しみ、黄の精霊の少なさにいら立ちを覚えた。真琴は新鮮な空気を一杯に吸い込むと、ハイオーガを地面にたたきつけ、自分は翼をはばたかせて空高く飛んだ。


「はぁ……はぁ」

 ハイオーガを見下ろしながら、真琴は息を整える。しばらくすると、真琴を支配していた黒い感情は薄れていった。翼の推進力にするために使いきったと言っていいかもしれない。無くなったわけではない。真っ黒な感情は今もなお、真琴を闇に沈めようとしてくる。

 黒い感情の薄れは力の薄れでもあるらしい。真琴自身は気づかなかったが、目の闇は消え、龍剣からこんこんとあふれていた闇も消えた。


 残ったのは半透明の龍の仮初の肉体“龍骸”だ。しかしその“龍骸”ですら、気を抜けば真琴の肉体の支配権を奪って暴れてしまいそうだ。

「ここで……」

 この“龍骸”が何なのか。地面に埋められた時に聞いた声の仕業なのか。“龍骸”は白炎、幻影剣、加速に続く四つ目の能力であるとは思うのだが、他三つに比べると毛色が違いすぎる。()()()()だ。今の真琴の実力に対して強力すぎて、リスクが高すぎる。女神様は真琴の成長に応じて龍剣の力は解放されると言っていたが、これは真琴の制御下にない。


「暴走する危険のある力ってかっこいいと思ってたけど、実際に手にしてみると危ないだけだな」

 助かったのは事実だが、怖い。真琴はぐっと気を引き締めた。


 ハイオーガは大地に両足を踏みしめて、土の剣を大剣に変えて激しい闘志とともに真琴を見上げている。真琴はイラのいるイゾの町を視界の遠くに入れて大きく深呼吸をする。


「短期決戦。決着をつけようぜ」

 “龍骸”は長時間展開できるものではない。長々と戦うつもりはない。真琴は龍剣と『勤勉』を両手に持ち、ハイオーガに向けて急降下していった。

 次話、決着です。

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