第60話 晶窟のオーガ討伐戦⑤
オーガたちにとって、人間とはつまるところ、触れれば壊れてしまう程度の存在であった。軽く腕を振るえばそれだけで臓腑をまき散らして命を散らし、武器を使えば、赤い染みしか残らない。オーガは森や洞窟、気に入れば町にすら。住む場所を選ばなかったから、他の討伐ランク金級の魔獣よりも人間と遭遇することも多かった。
それゆえに、オーガたちにとって人間とは、有象無象の存在であり、気にすることもない存在として認識されていた。人間に殺される同胞もいたようだがそれは稀。大抵の場合、オーガの敵に人間はなりえなかった。
ならばオーガの敵は何か。それは当然同じオーガだ。オーガの持つ凶暴性は、何より同じオーガに発揮される。
オーガ同士が出会えば、始まるのは凄惨な殺し合い。どちらかが相手を屈服させるまで争いは続く。数年に一度起こる発情期を除けば、それはオーガたちにとって至極当然の摂理だった。
目に入る魔獣がいれば殺し、同胞すらも殺す。そんな非合理的なあり方でなぜオーガが滅びないかといえば、一重にオーガに並び立てる魔獣がほとんどいないことと、龍を除く魔獣としては破格の、百年以上の寿命。そして一度番ができ、子をなせば十、二十と子を産み落とすからに他ならない。
とあるオーガがその場所を見つけたのは偶然だ。薄っぺらな封鎖のされた洞窟。洞窟で生まれ落ちたそのオーガにとってみれば丁度良い住み場に見えた。
板を壊し、中に入ると感じたのは圧倒的な土の気配。知能の低いオーガは知らぬことだったが、そこは晶窟と呼ばれる場所だった。
中に広がる黄色の結晶と薄暗さ。何より満ちた黄の精霊の気配。オーガは一目で晶窟を気に入った。濃密な気配を感じ、生えている結晶を喰らえば、腹も満たされたし、自由に動ける程度には中も広い。恰好の住処といえた。
だが恰好の住処を見つけるのが自分一人ではなく、他のオーガも寄ってくることはある意味当然のことであった。オーガが住処を見つけてから人の年月で約一年。オーガの肉体が晶窟の環境に適応を始めていた頃、晶窟に別のオーガが入ってきた。
オーガ同士が出会えば始めるのは殺し合い。けれどその時オーガたちは丁度発情期を迎えていた。
先に洞窟に入っていたオーガはまだ若いオーガと出会い、番になった。周囲に生える黄色の結晶を喰らいながらまぐわう。珍しいことに生まれた子は少なかった。
多産のオーガには珍しいこと。だがそれ以上に珍しいことがあった。
生まれた子らは、オーガらしからぬ姿をしていたのだ。
*
人の気配を感じ、二体のオーガはねぐらから起きあがった。番の雄は片腕片目を失い、顎も切り落とされている。けれど矮小な人間への憎悪と殺意にも似た闘志を燃やしていた。小柄な雌も棍棒を握りしめ、人間の気配のする方をにらみつけている。
「ガララァァ」
「グロォォォォ」
番のオーガは互いを見やり、うなり声を上げる。オーガには仲間同士で協力するという概念はない。ただがむしゃらに暴れるだけだ。
殺す。その一心に満ちていたオーガ。しかし彼らの意志を妨げるものがいた。
「キシィィィ」
ねぐらの最奥にいる小柄な影。それがうなると、オーガがびくりとした様子で、その影を見た。オーガの顔に浮かぶのは畏れ。人間に殺されかけた時には微塵にも浮かんでいなかった恐怖が、二体のオーガを支配していた。
凶暴かつ、恐怖というものを知らないはずのオーガは、その小さな影に怯えていた。
幼い番の王は、傷ついたオーガを眺め、にんまりとした笑みを浮かべた。そしてそれは怯える傷ついたオーガの腹に手を当て、そして――
*
「はっ! 随分と速いお出迎えじゃねぇか」
翌日、できる限りの準備を整えた真琴たちは再びオーガ二体の住む晶窟に突入した。昨日は巣穴に入って三時間ほどでオーガと出くわしたが、速足で入って行ったからか、一時間程度でオーガと再び会いまみえることになった。
「ガァァァァァァァァ!!!!」
先陣を切って走る真琴が見たものは昨日と同じ二体のオーガ。前にいるのは瀕死のままのオーガ。片腕を切り落とされ、片目をつぶされ、あちこちに深い切り傷を作っている。何より、腹を斜めに切り裂かれた傷がまだ生々しかった。
「悪いがお前の相手は俺じゃねぇよ」
傷だらけのオーガは片腕に持った大鉈を振り上げながら真琴に走り寄る。真琴がオーガの間合いに入った瞬間、目視困難な速度で鉈が振り下ろされる。その一撃を真琴は身を伏せ、速度を緩めることなくオーガの股下を潜り抜けることで回避した。
「来いや」
「ゴララララララララッ!!」
そして真琴の眼前にいるのは一匹目よりは小柄な、棍棒を持ったオーガだ。オーガは突如滑り込んできた真琴に対し、ためらいもなく棍棒を振り下ろす。
「ワンパターン!!」
オーガの狙いは真琴の脳天。バレバレだ。真琴は魔眼の力で緑の精霊を操作。風を起こして真横に飛んで棍棒を避ける。
風に乗った真琴は洞窟の天井に着地した。
「戦闘開始だ」
二匹のオーガは真琴をにらみつけると、鉈と棍棒を真琴に向かってそれぞれ振り上げる。
「忘れてもらっては困るな」
オーガの視線が真琴に向いた。その機会を狙っていた。真琴に遅れて走り込んだクイナスが鉈を持ったオーガに長刀を振るう。
「グラガァ!?」
直前で気づいたオーガが長刀を大鉈で受け止めようとするが、唐突に目の前に矢が飛んできた。それで反応が遅れる。
オーガはクイナスの長刀で真正面から斬りつけられた。長刀はオーガの体を縦に裂き、傷を増やす。
「ん?」
クイナスは刀から何か妙な手ごたえを感じ取ったが、それを考えている余裕はなかった。オーガが踏みしめていた足を蹴り上げる。クイナスは慌てて後ろに下がって回避した。
「頼む!」
「任せろ!」
「応ッ!」
代わりに入り込んだのはガッツとベア。二人はオーガが足を蹴り上げきると同時にオーガの前に踊り込んだ。
「ガァァ……」
「お前の相手は俺たちだ」
瀕死のオーガに対し、四人の冒険者。長刀を肩に担ぎ、腰を落としたクイナスが不敵な笑みを浮かべてみせた。
*
作戦は上手くはまったらしい。天井から降り立った真琴は棍棒持ちのオーガを前にして、居合の型をとる。
特別複雑な作戦を立てていたわけではない。真琴が先行し、オーガを攪乱しながら注意を引きつける。その間に陣形をしっかりと組んでクイナス達が傷ついたオーガと対峙する。クイナスがオーガに一太刀入れるのも計算の内だ。
現在二体のオーガの距離は約三メートル。いつ二体の間合いが重なってもおかしくない。戦いやすくするために、真琴は目の前のオーガを引き離さないといけない。
「エザク エタナウ」
真琴は“勤勉”の魔剣に触れたまま詠唱。さらに“勤勉”の能力も発動。活性化させた風に乗って真琴は剣を斬り払う。
「ロリィィ!?」
真琴の動きについていけなかったオーガは真琴の斬撃をもろに食らうことになった。胸から下腹にかけた深く刻まれる剣閃。返す刀で真琴は剣の刃を寝かせて、剣の腹でオーガに二打目を与える。当然“勤勉”の活性化の力も乗せる。活性化させたのは勢いとパワーだ。
「飛べ」
両腕からオーガの重い体重が乗ってくる。治ったばかりの傷が痛む。フルスイングで振り上げる形の剣がオーガの両足を浮かせた。真琴はニヤッと笑う。
「来ったぁぁ! イツト エタナウ!」
足が浮いたところに詠唱。真琴の周りに土の弾丸が生まれ、オーガに向かって放たれる。
「まだまだ! イツト エタナウ! イツト エタナウ! イツト エタナウ!」
同じ精霊術を何度も使う。全身に浴びせられる土の礫を受けて、オーガの体が少しずつ後ろに下がっていく。
「イツト エタナウ! ……ウサクウ オウ イイフオブ イケカト アウ イサタウ!」
オーガの姿勢が完全に崩れたところで違う精霊術。真琴の使える精霊術の中でも一番のもの。中級緑の精霊術を浴びせる。
真琴の目に暴風が吹き荒れた。洞窟の中を支配する風に、オーガはあえなく吹き飛ばされる。
「後は任せたぜ」
洞窟の奥深くに飛ばしたオーガを追いながら、真琴は後ろで戦っているクイナスたちに声をかけた。
*
「任せた、ねぇ」
休む間もなく攻撃をしかけるクイナスは、真琴の言葉にため息をついた。
「あいつ一人で何でもやってしまうそうな勢いなのに、な」
「ガァァァァァァ!!」
オーガは死にもの狂いで鉈を振り回す。この魔獣は死の直前まで動きを鈍らせることがない。油断はできないが、余裕はある。
「やっぱ、片腕がないのは大きいよな」
オーガの鉈をガッツが受け止める。負傷の残るガッツには、一撃一撃が重い。フォローするように、ベアが横から戦斧を振り、後ろからヘーハイトスが矢を射かける。オーガは戦斧を身を反らして避け、矢は上半身を大きくよじってかわす。
死に体になったオーガにクイナスが背後から長刀を斬り抜く。オーガは躱せない。瀕死のオーガがさらに死に近づく。
クイナスは手に握る刀を見た。聖銀と黒鉄の合金で作られ、名工によって打たれた長刀“ヒキサメ”。クイナスが一目ぼれし、クラン全員の金をはたいて購入した名刀だ。
魔剣や妖刀のように、特異な力は持たない。しかしいくら斬っても切れ味が鈍らず、無茶な使い方をしても刃こぼれしないこの刀は、クイナスの最高の相棒だ。
精霊器の明かりに照らされて、黒銀の刀身がギラリと光る。しかしその先端。刃先がわずかにこぼれていた。
「なんだ?」
クイナスに斬られ、ぐらりと、オーガの体は傾いた。それでもオーガは鉈を振り回す。おかしい。確かにオーガは凶暴でしぶとい魔獣だ。致命傷を与えても動きは鈍らない。
だがこのオーガはすでに致命傷を踏み越えたラインにいる。体に傷のないところはなく、片腕片目はない。いくらオーガでも、膝をついていいダメージだ。
そして何よりヒキサメの傷。違和感は腹を斬った時にあった。そして背後や横から斬る時、ヒキサメの刃先は必ず腹の辺りを通る。
こいつ、腹の中に何かを仕込んでいる?
「倒れるぞ!」
考えながらも刀は振るわれる。足の腱、関節、喉。立て続けに長刀を振るってオーガを攻め立てる。ついにオーガの体から力が抜け、鉈を取り落とす。
ヘーハイトスの号令で、全員がオーガから距離を取った。オーガは膝をつき、顔は洞窟の天井を向いている。口から赤黒い泡をふいていた。
「やった……のか?」
それからピクリとも動かなくなったオーガを前に、ベアが思わずつぶやいた。幾多のオーガを殺してきたクイナス達も、このオーガが死んだと分かった。
なのになぜだろう。
クイナス達は戦いが終わったとは到底思えなかった。
「は……?」
最初にそんな間の抜けた声を上げたのはガッツだった。彼がいたのは丁度オーガの真正面。ガッツは見た。
オーガの腹から小さな手が飛び出ていた。
「子ども……?」
飛び出た手はオーガの血で汚れていた。手はメキメキと嫌な音を立てながら腹を引き裂き、中にいた存在を解放する。否、それは解放ではない。
「キシィィィィ」
この化け物が自らの意志でオーガの腹の中に潜んでいたのだ。
「ぅあ」
血みどろの化け物を見て、ガッツは後退る。それが命拾いした。
小さな手が顔面に伸びる。強い衝撃の後、ガッツは意識を失った。
*
目の前のオーガを前にして、真琴の知る者たちならどう対応するだろう。
「シイナなら、気配を殺して急所を狙うだろうな」
オーガの棍棒。荒い呼吸を盗んで懐に入る。オーガには真琴の姿が消えたように見えたはずだ。“勤勉”を振り、オーガの喉を引き裂く。
「リリアーナ様なら、精霊術で圧倒するんだろう」
エザク エタナウ 晶窟の中は黄の精霊で満ちているが、真琴が何度も緑の精霊を使ったおかげで、外界と同じくらいの緑の精霊が場に存在している。顔面に風を浴びせて目を潰す。
まだ精霊術をマスターしていない真琴には、この程度が精一杯だ。
「エクスの野郎なら、槍で突き殺すか」
だから真琴は“勤勉”で何度もオーガを斬りつける。上からの斬り下ろし。下からの斬り上げ。手首を返しての斜め切り。息つく間もなく立て続けにオーガを斬り続ける。
あっという間にオーガの体は血まみれになった。
「イイイイィィィィィィィィィッ!!!」
「メイド馬鹿は守りに徹するんだっけ」
目を潰された隙に数え切れないほどの斬撃を受けたオーガは、棍棒を両手持ちにして振り下ろす。真琴は“勤勉”を棍棒の真横に当てて、緑の精霊を操作。豪打を受け流して横に跳び、壁に足をつける。
「そして先生なら」
イウク エタナウ 壁に手を当て詠唱。壁から一本の長い杭が飛び出し、オーガの首を貫く……ことはなく、オーガは身を伏せて回避した。
「エザク エタナウ」
伏せたところに精霊術。オーガの顔面の真下から上に向かって突風がふく。その不意打ちに、オーガが身を固まらせる。
「馬鹿か」
敵を近くにおいて、動きを止めるなんて。イラであれば零点を言い渡される。罰は痛烈な一撃。壁を踏みつけて“勤勉”での一閃。速度を活性化させた剣閃は、オーガを両断するほど深くその体を傷つける。
「リォ……」
オーガの口から吐息がもれた。遅れてどぼどぼと血がこぼれ出る。
「ネク エザク」
壁から壁に着地。そのまま深く入った線に、真琴は風の剣を打ち込んだ。外部は固い皮膚に守られているオーガだが、内側はそれほどでもない。風の大剣がオーガの傷を抉った。
内部を傷つけても貫通はしない。力不足に眉を顰め、さらに詠唱。
「イトニ」
「リ……ッ!?」
ボコンと、オーガの腹が膨れ上がった。風の大剣でオーガの体に空間が生まれた。そこに入り込んだ黄の精霊をそのまま土に変える。内側から異物によって破壊される感覚に、オーガはもう反撃することすらできない。
「先生なら、もっと多彩に手際よく片づけるんだろうけどな」
真琴はオーガの前に躍り出て、『勤勉』を横薙ぐ。オーガの眼球が横一文字に斬られた。目が見えない。もう一度剣を振る。今度はオーガの舌が切り落とされた。
「んじゃ」
そして真琴はオーガの心臓に剣を突き立て、勢いを活性化させて剣を振り上げた。振り上げた剣はオーガの頭を二つに裂いて灰色の脳髄をまき散らす。
ぐちゃりという音と共に、オーガは絶命した。
「はぁ」
死んだオーガを前にして、真琴はため息をついた。
「一人でもオーガは殺せた。でも先生たちはまだ遠いな」
昔の真琴なら、龍剣なしにオーガを殺すなんて不可能だった。今は龍剣なしでも殺せる。それでも真琴は満足できなかった。
もしシイナなら、もしエクスやイラなら。もっと簡単に、もっときれいにオーガを殺すだろう。今の真琴の目指す先は彼らだ。
まだまだ足りない。“勤勉”の魔剣だって、もっとうまい使い方があるはずだ。オーガ程度では、足りない。
「そっか。なら……」
真琴が己の胸の内を吐き出そうとした時、嫌な気配が晶窟を支配した。背筋が鳥肌立ち、剣を持つ手に力が入る。
「何が……」
嫌な気配がするのはクイナス達が戦っている方。気づけば、戦闘の音は消えていた。真琴は嫌な予感を振り払いつつ、来た道を引き返していった。
ここからが三章中盤の本番です。




