第5話 模擬戦という名の格の差を知る何か
家から出て、イラと真琴は村にある小さな広場に向かう。その道すがらイラはすれ違った村人たちににこやかに挨拶をする。
村人たちは揃ってイラに好意的に挨拶を返し、後ろにいる真琴について問うてくる。彼はそれについては毎回適当にお茶を濁していた。慣れ合いの人間関係。その様子がいかにも田舎くさくてイライラする。
なぜか模擬戦をすることになってしまった。真琴は不満げにブツブツと呟く。
相手はさえないおっさん。突然訳の分からない、気持ち悪い気配を出したことには驚いたが、あんな冴えない男だ。きっと弱いに違いない。わざわざ金級冒険者の自分が戦ってやるのももったいないくらいだが、勝てばここから出て行ってもいいという。
出て行くのに許可がいるとは思わないし、おっさんの言う責任がどうとかということも「知ったことか」とは思うが、責任をわざわざおっさんが取ってくれるというのであれば戦ってやらなくもない。
真琴は転生していなければ、まだ高校生だ。責任など言われても困る。
それに真琴は異世界で自由に楽しく生活を送りたいのであって、断じて学びを得ようなどとは思っていない。ベンキョーなんて、ごめんだ。
家の近くにある広場で二人は向き合う。こんなおっさん相手にわざわざ龍剣を使うまでもないだろう。適当に遊んで、身の程を理解させてやる。真琴は腰の龍剣ではなく、予備に使っている片手剣を抜いた。それを見たおっさんが目を細める。
「“勤勉”の片手剣ですか」
「ああ。俺からしてみればこんなモン予備でしかないけどな」
はんと鼻を鳴らす。おっさんは冷めた目で真琴を眺め、懐から大ぶりのナイフを取り出した。
刃渡り三十センチ位の片刃のナイフだ。冒険者として経験を積んできた真琴にはそれが結構な業物であることが分かる。ただ、刃の中心に黄色の結晶がはめ込まれているところが特徴的だった。
「なかなかカッコイイもん持ってんじゃねぇかよ。あんたみたいな奴にはもったいねぇ」
「そうですか。なら自分に勝ったらこれも差し上げますよ」
どうせ勝てるはずありませんし。
分かりやすい挑発の言葉。それこそ登録したての冒険者ギルドで何度も聞いたような陳腐でありふれた言葉だ。だが金級冒険者であることに強い自負心を持っている今の真琴にとってその言葉はかなり、頭にくるものだった。異世界召喚にありふれたテンプレートだと断ずることはできない。
「ああそうかよ。ならこれでもくらってみろやぁ!」
額に青筋を浮かべて内側に存在する“気”に意識を向ける。肉体の高ぶりを感じる。その上で“勤勉”の能力を発動した。
“勤勉”。その数打ちの能力は空間内に存在する力の活性化。真琴は自分の体に合わせるように空間を指定する。わざわざ相手も強化してしまうような間抜けな真似はしない。
剣を居合のように構え、そして足に強く力を込めて直進。目にも止まらぬ速さで懐に入り込み、死なない程度に浅く斬りつける。
これで終わりだ。活性化された目がおっさんの姿を捉える。おっさんは真琴の動きに反応できていない。皮膚の皮一枚切って、お前を殺すことは簡単なのだと見せつける。真琴が剣を振り上げようとしたその時。
ギョロリとおっさんの目が蠢き、真琴を捉えた。
瞬間、真琴の背を駆けあがるような不快感が走った。わずかに剣筋が乱れる。おっさんの手が動く。ナイフを持ったその手は正確に真琴の剣に迫り、剣の下腹を撫でるように滑った。ヌルリとナイフに撫でられて、剣の軌道がずれる。剣はおっさんにかすめることなく、頭上を通り抜けていった。
「はっ?」
何だ今のは。真琴は冷や汗を流した。冷や汗を流したのはいつぶりだろう。一人で亜龍の討伐をした時も、こんなことはなかった。
何をされたのか分からない。それはリリアーナや“緑の玉石”と戦った時と同じ感覚だ。
「……」
息遣いが聞こえてきそうなくらいの距離にいるおっさんは沈黙したまま、温度を感じさせない目で真琴を見る。言いようもない恐怖に耐え兼ね、真琴は一度距離を取る。おっさんは追ってこなかった。ただつまらなそうに真琴を眺めるばかり。
下がって剣を下段に構え直し、認識も改める。おっさんは弱くない。少なくとも見かけで判断しては痛い目を見る。
だがそれでも俺の方が上だ。さっきは油断していただけ。本気を出せば余裕で勝てる。じりじりと一歩一歩距離を詰めていく。おっさんはダラリと手を垂らし、脱力した姿勢を取る。馬鹿にしているのかとも思ったが、これ以上油断はできない。
五歩、四歩、三歩。
二歩。剣が届く。皮膚一枚なんて言わない。殺すつもりで真琴は剣を下から上に振り上げた。おっさんの手が迸る。やはり剣の軌道に合わせるようにナイフも動き、側面を撫でられて身幅から剣が外れる。
「っう!」
それだけなら始めと同じ。だからいなされた剣を力任せに振り戻す。
頭を狙った斬撃。これをおっさんは後ろに身を反らすことによって回避した。再び剣は空を切る。これで終わるかと真横に薙いだ剣で今度は袈裟切りに。おっさんはナイフを持っていない手を地面につき、その手を軸に横っ飛びに飛んだ。三度、剣は虚空を切り裂く。
「斬り合う勇気もないのかよくそ雑魚が!」
当たらないことに苛立ち、真琴は挑発してみる。おっさんは冷めた目のまま真琴を眺め、「ならやりましょうか」と呟いた。
剣をかわすために宙に浮いていた足が地面に触れる。その瞬間、おっさんが真琴の目の前に現れた。いつ移動したのか分からなかった。動揺を押し殺して迫るナイフを剣で受け止める。
ガキィィンと甲高い音が響き、真琴の手に重い衝撃が走る。たった一撃で手がしびれた。
「くっ!」
だがその痺れもすぐに消える。女神からもらったチート補正のかかった肉体は頑丈なのだ。縦横無尽に振るわれるナイフと斬り結びながら、真琴は相手の隙を伺う。
……駄目だ。隙が見えない。おっさんのナイフは真琴の体をかすめることはあっても、その逆はない。やはり人と魔獣では戦い方が違う。真琴が培ってきた全力が出せない。
そんな言い訳を心の中で行いつつ、真琴は剣での打ち合いを諦める。そもそも剣のような武器を使う魔獣なんていないのだ。だからこれはしょうがない。
真琴は魔眼の力を強める。真琴の魔眼の能力は精霊の視認と視認した精霊の直接操作。それに精霊術を重ねがけして、おっさんに向けて放つ。
「ィう!」
「火」を表す精霊語を唱えて真琴は間近にあるおっさんの顔面に炎を浴びせる。人の頭なんて簡単に燃やし尽くしてしまえるほどの熱量。これなら。
今の真琴の頭には手加減という言葉はない。確実に殺しきる。それだけだ。
「はぁ」
しかし。そんな殺意ある攻撃に対しておっさんは退屈そうにため息を一つついただけだった。おっさんの頭を覆ったはずの炎はあっという間に消えて霧散する。
「嘘だろ」
「発音が悪い。陣すらない初級の術式。精霊の操作が甘い。位階をまたぐのが遅い。理論がまるでなってない。そんなんで精霊術のつもりですか?」
おっさんの濃い藍色をした右の目が淡い光を発する。そして「イウ」と小さく呟いた。
「がぁっ!」
熱い。熱い。熱い! 灼熱の炎が真琴を包み込んだ。炎が真琴に触れていることで、“勤勉”の力が真琴にまで及ぶ。おっさんが発した炎まで活性化させてしまう。真琴は“勤勉”を放り捨てて、たまらず腰にある龍剣を手に取った。
「オーノウ オン ウーイラ!」
そしてその剣の名前を呼ぶ。龍剣の力が真琴を包み込み、炎を自在に操れるようになる。真琴を焦がしていた炎を操ってそれを消す。
「『オーノウ オン ウーイラ』…。『龍の炎』か。なるほどね」
おっさんは首の骨をコキリと鳴らした。じっと龍剣を見つめ、ナイフを鞘に納めた。そして「ウレアノト アリ ネク ウテツオト」と詠唱した。
空気中の精霊がおっさんのもとへ集まり、複雑な形を為す。するとおっさんの手に水晶でできた剣が生成された。透明で虹色に光を反射する片手剣。それを見た真琴は目を見張る。
「何だよその精霊術…」
「単なる固有術式ですが、何か?」
精霊は黄色を中心に全色集まっていた。六色混成の精霊術というだけなら騎士学校の授業で見たことは何度もある。だが水晶を生成する精霊術なんて聞いたことがなかった。
「さすがに金級ですか。思っていたよりもやりますね」
おっさんはフンと鼻で笑う。挑発だ。挑発には乗るな。飛び出しそうになるのを抑え、真琴は自分に言い聞かせる。
「来なさい。自分に勝って、こんな退屈なド田舎からおさらばするんでしょう?」
「黙れ! 俺は! あぁくそ! 死んでも知らねぇぞ!」
龍剣は真琴の成長に応じて能力が解放される。今真琴が解放している能力は白炎と幻影剣の二つだ。
真琴とおっさんが存在する空間を白炎で満たし、それを壁として目くらましにする。飛び出る先はおっさんの右斜め。幻影剣の力で刀身は見えず、しかも分裂する。これを使って倒せなかった相手はいない。
白炎と幻影剣による二重構え。相手はまず龍剣の炎でやられ、次に真琴の幻影剣でやられる。真琴が強敵と戦って確立した必殺技。龍剣で生み出し、操る炎は真琴を傷つけることはない。炎の中を走って真琴はおっさんへと迫る。
「おらぁ!」
そして幻影剣を発動。剣の刃が蜃気楼に包まれたかのように見えなくなり、それに反するように不可視の刃が発生する。
炎を掻き分けおっさんに飛び掛かる。
おっさんと、目が合った。
「あ?」
おっさんは真琴を見失うことなく、捉えていた。おっさんが何か呟く。
視界が空転した。真琴は青々と広がる空を目視する。さらにその空を覆うような人影が。
「な…んで」
「あなたの思考は獣なみですね」
真琴が最後に見たのはおっさんの握る水晶の剣の、虹色の輝きだった。
衝撃。真琴の意識は途切れる。
殺意を殺意と理解できない真琴は大変に残念な人です。