第51話 身分を証明できない人はイゾの町へは入れません
オウルファクト王国東部に位置するイゾの町は、王国中央にある王都と東西南北にある地方都市、北のロク、西のクト、南のマミ、東のペリほどではないが、小国として十分な規模をもつ町だ。しかし周囲に豊かな農耕地を持つイゾの町は、帝国との戦争中占拠されて長らく拠点として使われた経緯がある。
現在、休戦とともに王国へ返還されたが、戦争末期王国軍はイゾの町周辺まで戦線を押し戻していたため、イゾの町を取り戻そうとする王国軍と死守しようとした帝国の間で何度も激しい戦いがあった。
イゾの町奪還戦。あるいはイゾの町防衛線。“玉石”の中で市街戦でもっぱら駆り出されたのはイラとエクスだった。フィリーネは王都防衛のために動くことができず、“黒”のニントスやグランヘルムが本気で戦えば町の形が残らない。戦闘が本職ではないリリアーナも、敵味方や障害物が入り乱れる戦場は不得手としていた。
その点、対人に特化し、小規模に敵を的確に殺す技術を持ったイラとエクスは市街戦向きと言えた。
「ここに来るのも八年ぶりですか」
イラにとってイゾの町とは、王国の町というより、帝国領という印象が強い。イゾの町は関所を通って入るのではなく、城壁と敵を斬り裂いて侵入する場所であり、仲間と朗らかに笑いあう場所ではなく、醜い笑みを浮かべて虐殺に興じる場所であった。
「身分を証明できるものはありますか?」
だからイラは今、困り果てていた。城壁のある町に入るには身分を証明できる何かが必要だ。冒険者ならギルドタグがある。行商人なら王都か都市が発行する証明証がある。
ならイラにも自分が“玉石”と証明できそうなものがありそうなものだが、“玉石”は立場が特殊過ぎて証明証のようなものはない。まずもって構成するメンバーの内二人が王族なのだ。エクスとニントスは王国の要職に務めているし、フィリーネも今は騎士学校の生徒だ。
つまり、“玉石”の中ではイラだけが身分を証明できない。
「もしないなら、申し訳ありませんがイゾの町へは入れないのですが」
「妙に、厳重なんですね」
イラが呟くと、顔に幼さを残す兵士は当然とでも言いたげに肩をすくめた。
「帝国との戦争が終わってまだ八年なんですよ?帝国と遠い西部なんかならともかく、帝国に近い東部の町でゆるゆるな管理をできるはずがないじゃないですか!」
その戦争の最前線にいたのがイラなのだが。イラはチラリと後ろにいる冒険者たちに目を向ける。
「なら村から冒険者になりたいと出てきた人はどうするんですか?ギルドタグを発行できる町は城壁のある町と都市、それに一部の支部だけでしょう?」
イラの視線を受けて、クイナスと真琴が苦笑して答えた。
「俺たちが冒険者になった時は帝国と戦争していなかったからな。そのあたりの管理はかなり緩かったよ」
「俺は最初西部だったから。適当に魔獣狩って、そいつを売る代わりにってことで入れた」
王国でも、東部でない他の町はいくらかの金を払えば町の中に入ることはできる。ここまで制限が厳しいのは東部だけだ。また東部の町で冒険者になりたいという子どもは、村長の許可証が必要になる。
そのような事情はあるが、今大事なことはただ一つ。このままではイラは町に入ることができないということだ。
口利きしてくれそうなビヘイヨは商人向けの入り口から先に入ってしまっている。わいろを握らせようにも、この幼く正義感の強そうな兵士には通用しなさそうだ。むしろやってしまえば二度と入れてくれなさそうな気配すらある。
「大体あなたは何をやっている人なんですか?村から出稼ぎですか?」
兵士の言葉が胸に痛い。何をやっているかと聞かれたら、辺境の村に引きこもって精霊器を作っていたとしか言えないし、何をやっていたかと聞かれたら“玉石”として帝国兵を殺していたとしか言えない。
だがそれを言っても信じてもらえなさそうだ。王妃の命令で王都を目指しているというのも同様。
イラには兵士が自分を侮っていると分かった。
「先生……」
真琴の心配の声がグサリと刺さった。
「早くしろよ」
順番待ちの冒険者たちの声が追い打ちをかけた。
「そうですか。自分はこんなにも無力だったのですね」
辺境のロエ村で生まれて、十六年間一村人として育った。村がなくなってからは一人の復讐者として戦争を駆け抜け、八年間また村人として生活していた。
辺境と戦場にしかいない人生。イラは自分が思っていたよりも世間知らずだった。だから武力の通じないこんなところで立ち往生している。
「どうしてリリアーナが旅をするように言ったのかわかりましたよ」
リリアーナはイラが世間知らずであると知らせたくてこんなことをしたのだ。だから町の通行証を渡さなかったのだ。そうか、そういうことか。
イラは悟りを開いた気分になり、清らかな気持ちに……
「いや、なんで渡さねぇんだよ。渡しておけよ。絶対悪意があるだろ」
「何ブツブツ言ってるんですか?身分を証明できないなら列から離れて、他の人に順番を譲ってください」
思わず素が出たイラ。兵士は不機嫌そうに眉を顰めている。
*
「へくちっ!」
同時刻、リリアーナがくしゃみをした。ここは王城にあるリリアーナの私室。白を基調とした品のいい部屋で、大きなベッドや小洒落たテーブルなどが置かれている。広さは新ロエ村にあるイラの家全体と同じくらいだ。
純白のテーブルをはさんで、休憩にとリリアーナの私室で一緒にお茶をしていたグランヘルムがくくっと笑う。
「んだよ。誰かがリリーの噂でもしてんのかね」
「かもしれませんわね。誰かしら」
「さあな。ところでそろそろイラはイゾあたりについた頃かしら」
ぐすぐすと鼻をこすりながら、リリアーナは東の方向を眺める。
「だろうな。イラのバカめ。俺がわざと通行証を渡さなかったことに気づく頃合いだな。人前で大恥をかくがいい」
悪戯の成功を喜ぶグランヘルムの笑み。リリアーナはジト目でグランヘルムをにらみつける。
「え?あなたそんなことしてたんですか?うわぁ……我が夫ではありますけど、悪趣味ですね」
「いや、気づかないリリーもリリーだろ」
そう言って優雅に紅茶を飲む二人。しばしの沈黙。すると遠くから、
「王!どこですか王!!仕事が山積みなのです!速く出てきてください!!」
というエクスの声が聞こえてきた。
「……すまんが俺はもう行く。またな」
「ええ」
エクスのグランヘルムを探す声に、グランヘルムは立ち上がった。筋骨隆々な肉体からは彼の内包する隠しきれない王威を感じさせ、見慣れたリリアーナですら自然と背筋が伸びるほどだ。
立ち上がったグランヘルムは部屋の出口……ではなく窓の方へ向かった。グランヘルムは両手で誇らし気に窓をバンと解き放つと、冬の冷たい風に髪をたなびかせながら窓の縁に足をかけた。
「じゃ、俺はも少し遊んでくるから。適当に誤魔化しといてくれ」
「大概にね」
言うや否やグランヘルムは窓の外へ飛び降りた。リリアーナの部屋は王城の五階にある。そのままなら潰れてご臨終となりそうだが、五階程度の高さなら問題にならない。無色の精霊強化なり、緑の精霊術なりでどうにかするだろう。
「失礼します!」
コンコンコンとノックがあり、返事を待つ前にエクスがリリアーナの部屋に入ってきた。エクスの額にはすでに血管が浮いており、目の下には隠し切れない疲労と寝不足のにじむクマが浮いていた。ちなみに、目は当然のように据わっている。
「ご苦労様。グランはそこの窓から下へ逃げたわ」
「なっ……ありがとうございます。失礼します」
返事を待たなかったことを突っ込みはしない。先日の件でエクスもエクスで忙しいのだ。馬鹿貴族のちょっかいの対処と、グランヘルムの補佐。特に帝国の不可解な動きや、その他周辺国との交渉で、国王であるグランヘルムの仕事は増える一方で、付き合わされるエクスも仕事は増えている。
『節制』の能力で不眠不休で働くことができるとはいえ、実際に不眠不休で仕事をこなしているエクスは限界をすでに突破している。
王城を舞台にエクスと追いかけっこすることでストレスを発散しているグランヘルムだが、少々空気が読めていなさすぎるというか、エクスの疲労が頭から抜けている。それだけグランヘルムにも負荷がかかっているということだろうが。
エクスはリリアーナから情報を聞くと、テーブルの上にある二つのカップと開いたままの窓に目を向け、そのまま廊下を走り出した。
「これで窓から飛び降りれたら、すぐに捕まえられると思うのだけど」
それができないからエクスはいつまでたってもグランヘルムを捕まえられないのだ。さっきは逃がしたが、エクスの手伝いでもしようと、リリアーナも椅子から立ち上がった。
十分後、グランヘルムの悲鳴とエクスの説教の声が城中に響き渡ったことは言うまでもない。
*
「おい門番」
さすがに見ていられなくなったのか、クイナスがイラの後ろから出てきた。
「なんですか?」
「俺は金級クラン“龍王の咆哮”のリーダーのクイナスだ。こいつを俺たちの臨時見習いとして扱う。これでどうだ?」
「どういうことです?」
臨時見習い。聞き覚えのない言葉にイラは首を傾げる。
「金級以上のクランは冒険者じゃない奴でも臨時見習いってことで一時的に冒険者にすることができんだよ。臨時見習いにした奴が悪いことをしたら罰せられるのはクランの方だが、あんたはマコトの師匠だ。なら問題はないだろ」
「あ、ありがとうございます」
毒気を抜かれたイラに、クイナスはため息をついた。
「そういうことならどうぞ。イゾの町へようこそ」
若い兵士もそれでようやくイラを通してくれた。後ろの方で何人かの冒険者が恐れ交じりに「金級……」と言っているのが聞こえる。
「調子が狂うな」
ヘーハイトスは門を潜り抜けながらそっと呟いた。
*
イラたちがイゾの町へ入ってからしばらく。門の前に一人の女が現れた。女は門番に近く歩み寄ると、吐息すら感じられそうな距離で口を開いた。
「イゾの町に入るためにはここで手続きをすればいいのかしら?」
「は、はい!えと、身分を証明できるものはありますか?」
イラには臆せず話せた兵士だったが、その女には同じようにはできなかった。
すっきりとした目に長い睫毛。どこか目を引く灰色の長い髪は後ろで一つにまとめられ、意志の強さを感じさせる。豊満な胸や尻から、凛としたたたずまいの中にも隠しきれない色気があり、たまたま近くにいた男たちは彼女から視線を外せないでいた。
女は赤のロングコートに大きなリュックサックを背負い、両腰には護身用なのか二本の刀を差していた。
うぶな兵士は女の色気に耐えられない。顔を真っ赤にした兵士に、女は嫣然と微笑みかけた。
「ええ、あるわ。これでどう?」
「はい……はい!これは、分かりました。どうぞお通り下さい」
女が差し出した証明証を見て、兵士は顔色を変える。職務通り、背筋を伸ばして敬礼をした兵士に女は下ろした手を、腰に差した剣にかけた。
「ありがとう」
寸の間、女の手が消える。イラか、そうでなくとも真琴ほどの実力があれば視認することができたであろう。女は剣を抜き、兵士を両断してからまた剣を鞘に納めた。
居合からの抜刀術。イゾの町の門で惨劇が起こる……
「いえ!それほどのことでは!」
ことにはならなかった。兵士の体には傷跡の一つもなく、何もなかったかのように女を見ている。
「じゃあまたね」
女は兵士のことを振り返ることなく、門をくぐりイゾの町へ入った。女は町の景色に目を細め、長い舌で唇をなめた。
「“透徹”がこの町にいる。ならば、ここがお前の墓標だ」
彼女の声には隠し切れない憎悪と愉悦があった。こうして二人の復讐者がイゾの町に侵入した。
第三章 二人の復讐者




