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第50話 イゾの町への道中


 真琴とその師匠イラ・クリストルクと合流してから、旅がぐっと楽になった。ヘーハイトスは後ろからの襲撃を一応、警戒しながら思う。


「周囲に敵はいないな」

 ヘーハイトスたちは馬車を中心に、前方をガッツとイラ。左右に真琴とクイナスを置き、後方にヘーハイトスを置いて進んでいた。

 前衛に盾役を置き、左右に遊撃。後方に目のいい射手を置く。どこから来ても対応できる布陣。だがイラたちと合流して二日。魔獣と一度も遭遇していない。


 原因は分かっている、前方を歩くあの男だ。

「いえ、あそこの草むらに隠れて何匹かこちらを窺っています。左にそれて回避しましょう。

「草むら?」

「はい。一キロほど遠くになりますが」

 後ろから声をかけると、イラは右の方角を指さして答えた。ヘーハイトスも目を凝らしてみるが、草むらは見えても魔獣の姿は見えない。


「本当か?」

「えぇ。緑の精霊術の索敵に引っかかっています。感じからして大した魔獣ではなさそうですが、どうします?殺しますか?」

「いや、避けられるなら避けよう」

 クイナスの一言で馬車は草むらから遠ざかるようにして動いた。ヘーハイトスがじっと見つめていると、不意にガサリと草むらが揺れて、魔獣の赤い目が見えた。


「……確かにいたな」

「はい」

 魔獣たちはまたすぐに草むらの中に隠れる。どうやら馬車を狙うには遠すぎると判断したらしい。


 あるいはイラ・クリストルクを恐れたか。


 クイナスとガッツは知らなかったようだが、ヘーハイトスはイラのことを知っていた。“黄の玉石”、“透徹の暴霊”は王国軍の中ではというか、八年前にあった王国と帝国の戦争に関わった者なら誰でも知っている存在だ。


 “龍王の咆哮”は同じ北部の村出身の若者三人で作り上げたクランだ。ヘーハイトスが“透徹”のことを知ったのは、五年前に気まぐれで村に帰って来ていた時だ。

 クイナスとガッツは農民の息子で、戦争との関わりは浅い。ヘーハイトスだけが兵士の息子で、齢の離れた兄も兵士として王国北部を守る仕事についていた。

 そして偶然、兄の帰省時期とヘーハイトスの帰って来ていた時期が一致した。


「兄貴も老けたな」

「放蕩弟に言われたくないな」


 五年前、ヘーハイトスは二八で兄は三五だった。十五の時に三人で村を飛び出したヘーハイトスだったが、両親は意外と温かくヘーハイトスを迎え入れてくれた。家族で一つの卓を囲んで酒を飲む。久しぶりにあった兄は顔にしわが浮かび、立ち振る舞いも老人っぽさが垣間見えた。まだ三五なのに。

 しばらくヘーハイトスが冒険者としていかに活躍したかを話し、家族は彼の話を聞いて、驚いたり笑みを浮かべたりしていた。ヘーハイトスの話が尽きて、酒を飲む音だけになった頃を見計らって兄が語り出した。


「戦争に帰って来てからずっと俺はこんな感じだよ」

「そんなに帝国が怖かったのかよ」

 (あざけ)るような口調ではあったが、仕方がないだろうともヘーハイトスは思っていた。何せ相手は大国だ。元々小さな国でしかない王国が勝てる理由もない。

 戦争初期から参加し、生き残った兄はさぞ帝国に対して恐怖心を抱いているのだろう。そう思ったのだが、兄の返事は違った。


「いや。帝国も怖くないと言えば嘘になるが、味方の方がもっと怖かったよ」

「味方?どういうことだよ」

「それは……」

 兄の手は震えていた。それどころか顔色が悪くなり、呼吸も怪しくなる。過去から来る何かに兄は怯えていた。


「ちょっと、大丈夫かよ」

「“透徹”」

 兄の代わりに答えたのは退役し、村の守り人をしている父だった。父は兄の背中をさすりながら口を開いた。


「“透徹”?」

「そうだ。冒険者のお前は知らんかもしれんが、王国には六人の凄腕精霊術士がいてな。“透徹”とはそのうちの一人。“黄の玉石”って奴だ」

「あいつは、あいつは俺の目の前でみんなを」

 兄は顔を手で覆い、震えるように泣いた。ヘーハイトスだけがその意味が分からず、兄と父の顔を交互に見る。


「待て待て待て。そいつは帝国じゃなくて王国側。つまり味方なんだろ?なら王国兵の兄貴がビビる必要なんてちっとも」

「“透徹”は仲間も平然と殺したよ」

「はぁ!?」

「味方殺しの“透徹”。あいつと同じ戦場にいた兵士は皆裏でそう呼んでたよ。表だって言わんのは、言ったら殺されそうだったからだな」


 味方ごと剣で突き刺す。炎で焼き払う。敵味方の入り乱れる戦場で、大規模精霊術を撃つ。

 父の口から語られる“透徹”は悪鬼羅刹か何かのようで、敵にも味方にもしたくない人物だった。敵を殺すために同じだけの味方を殺すような悪魔。一つの精霊術で何十もの敵を惨殺する技量。まるでおとぎ話に出てくる悪魔のようだった。

「もちろん、あいつがいたから王国と帝国が休戦になったところはある。だがそれでもあれのやったことは恐ろしい」


 後世になれば英雄と呼ばれるかもしれないが、見たことのある者にとっては悪夢に等しい。父は“透徹”のことを頭から追い出すためのように、何度も杯を重ねていた。



 その“透徹”が今ここにいる。父や兄が言っていた狂人の姿はなく、ヘーハイトスの目には尋常ではない実力をもった、冷静な精霊術士に見える。

 だがヘーハイトスはイラが怖かった。どこが、と言うことはできない。強いて言えば全てだ。精霊術の腕から、指の先の細胞一つに至るまで、イラ・クリストルクを構成する全ての要素が、ヘーハイトスには恐ろしい。


 様々な冒険を重ねたからこそ分かる。ヘーハイトスには、イラのことが何一つ理解できない。実力の底も、考えていることも分からないから恐ろしいのだ。


   *


 夜。真琴は不寝番をやっていた。隣にいるのはヘーハイトス。彼はたき火の前で火をじっと眺めていた。

 ヘーハイトスはどんな恰好をしていても様になる。真琴が“龍王の咆哮”にいた頃、酒場で娼婦を含めた女たちに声をかけられる回数が一番多かったのがヘーハイトスだ。


 ヘーハイトスはイケメンだ。男から見れば格好つけの憎たらしい、しかし女から見れば泣き黒子や笑い方がとても魅力的……らしい。ヘーハイトスもそれを自覚して気障ったらしく女と接している節がある。

 そのせいでヘーハイトスは同じ冒険者たちから評判が悪い。女をもっていく……もといたぶらかすクズ野郎だと。しかしヘーハイトスと同じパーティを組んだことのある冒険者なら誰でも知っている。


「相変わらずヘーハイトスは真面目だな」

「そうか?」

 ヘーハイトスはクランの中で自分の仕事に対して一番真面目だ。女癖が悪いのは事実だが、関係を長引かせて冒険者としての依頼をないがしろにすることは絶対にない。


 事実、今日だってイラという自分よりも圧倒的に優れた索敵手がいるにも関わらず、周囲の警戒を止めようとはしなかった。今だってたき火に目を向けているが、不審な音がないか耳を澄ませている。

 真琴やクイナスたちだと、どうしてもどこかでさぼってしまっていたはずだ。

「俺も索敵きちんとやるから。少し話をしようぜ」

「構わんが……マコトは最後にあった時より丸くなったな」

 ヘーハイトスは力を抜き、夜空を見上げて言った。


「そうか?ってかこの齢で丸くなったとかってあんまり言われたくねぇな」

「あの男が理由か?」

 ヘーハイトスの視線の先は真琴の左手。手首の先から義手になった部分だ。


「あーそうだな。……勘違いしないでほしいんだけど、この手は自分のヘマでやったことだ。先生がいなけりゃ俺はとっくに死んでる」

「そうなのか?」

「あぁ。あの人は俺の命の恩人だし、大事な先生だよ」

 いいところばかりの人間ではない。むしろ悪いところもたくさんあるような人間だ。しかしだからこそ、真琴はそんなイラの生徒でいられて嬉しいと思う。


「やっぱり丸くなったな。前のマコトはそんな風に素直に自分の気持ちを話してくれることなんてなかった。まったく“透徹”のことが少し恨めしいよ」

「やっぱヘーハイトスは先生のことを知ってたか」

 ピクリと、ヘーハイトスの肩が震えた。イラは自己紹介の時に“透徹”の二つ名を出していない。


「クイナスもガッツも先生の強さには驚いててもびびってはいなかった。でもヘーハイトスだけはなんて言うかな。ちょっと怖がってた」

「……親父と兄貴から話は聞いてたからな」

 だから“透徹”と一緒にいて大丈夫なのか?聞こうとしてヘーハイトスの目が真琴の目とあった。

 息を詰まらせる。真琴は真っ直ぐにヘーハイトスを見ていた。前クランにいた時、真琴はこんな風に相手を見ることはなかった。

 澄んだ黒い瞳がヘーハイトスの迷いの浮かんだ顔を映す。まるで別人を見ているかのよう。ヘーハイトスは真琴の成長を肌で感じた。


「確かに先生は色んな人から恨まれてるし、それが真っ当な恨みだってことも知ってる」

「なら」

「でも俺には関係ねぇよ」

 ヘーハイトスの言葉を真琴がすぐに遮った。


「俺は全部分かった上で先生の生徒やってんだ。だから、まぁ……なんだ」

 その後の言葉は続かなかった。はぁと真琴はため息をつく。


「分かったよ」

 だからその後の言葉はヘーハイトスが引き継いだ。

「イラ・クリストルクはマコトにとって大事な人間。それでいいか?」

「あ、ええと……そうだな。それでいいや」

 真琴もいい言葉が浮かばず、あいまいに頷いた。


   *


「ビヘイヨさん。ちょっといいですか?」

「何でしょうか?」

 同時刻。イラとビヘイヨは馬車の荷台の中にいた。テント代わりだ。クイナスとガッツは同じ荷台の中でぐっすり眠っているが、イラとビヘイヨは不寝番の交代が近いということで目を覚ましていた。

 ビヘイヨもずっとそわそわした様子だったが、イラに話しかけられるとすぐにピシリとするのだからある意味さすがである。


「本当なら町の中ですべきでしょうが、ここでも落ち着けるでしょう?」

「えぇ。玉石がいるというだけで安心感が違いますね」

 ビヘイヨはイラの意図を察し、くすりと笑う。イラは一刻も早く欲しいと言った表情だ。


「あなたが運んでいるという荷物について聞きたいですね。実は自分がリリアーナとグランヘルムに頼んでいた品があるんですが、もしかして」

「はい。こちらになりますね」

 ビヘイヨは積み荷の中から小さな箱を取り出した。粗末な箱にも見えるそれだが、よく見れば精霊術による高度な封印がされていることが分かる。


「どうやらリリアーナはきっちり仕事をしてくれたみたいですね」

「細かい加工は任せる、との言付けです。イラ様自らやった方がよいだろうと」

「それはそうですね」

 ビヘイヨから箱を受け取り、魔眼を使って封印を読み解く。専門の職人がやったのだろう。中々に高度な封印だ。


 精霊術による封印は六色の精霊術を混成して作られる。物理的に開くことは困難で、開けるには鍵となる詠唱か、封印を施した術士以上の技量が必要となる。後者については六色全てに適性を持つ者か、複数人で行う儀式術式を高度な精度で行える集団でなければ不可能だ。

 結局のところ、高度な封印は鍵となる音節を知らなければ解除できないのだ。


「……解除完了です」

 とはいえ“玉石”であるイラにその常識は通用しない。ぱぱっと封印を外して中身を開ける。

 箱の中から見えた輝きに、イラは思わず笑みをこぼした。


「最高純度の赤色結晶。助かります」

「ご満足いただけたようで何よりです」

 そこには月灯りを反射して美しく輝く宝石のような精霊結晶があった。『六色細剣』を完璧な状態にするための最後のピース。思わず、イラの頬が緩む。


「これで『六色細剣』が使えます。これがないとどうにも落ち着きませんから」

「そうですか」

 イラは赤色結晶を夜空に掲げて、ふふふと微笑んだ。


   *


 翌日。真琴たちは城壁のある町にたどりついた。新ロエ村やこれまで立ち寄った町のような小さい集落とは違い、大陸の都市や町はある程度の規模になると魔獣除けのために人の背丈ほどの城壁が築かれる。

 つまりこのイゾの町はそれなりの規模を持った町ということだ。


 真琴たちは王国東の拠点の一つ、イゾの町に到着した。

 今年の投稿はこれでおしまいです。ありがとうございました。来年度もよろしくお願いします。

 感想、ブクマ、ポイントなどいただけると、来年への弾みとなります。

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