第1話 突然の来訪 そして突きつけられる無茶な要求
「久しぶり。突然で悪いんだけどお願い聞いてくれない?」
「お断りします。火急速やかにお帰り下さい」
太陽の光も穏やかな秋の昼下がり。その日、イラは自室でくつろぎながら、趣味と仕事を兼ねた精霊器作りに勤しんでいた。
イラはくすんだ色の銀髪と濃い藍と緑の虹彩異色を除けば、取り立てて特徴のない平凡な見てくれの男だ。精霊術士が好んで着るローブを纏い、眼鏡をかけたその姿は、いかにも冴えない精霊術士といった様子である。
ゆったりと流れる時間の中で紅茶を飲みながら、完成したばかりの精霊器を調節していると、玄関の扉がノックされた。
はて。今日は来客の予定はなかったはずだがと思いつつも、「はーい」と返事をして玄関の扉を開ける。扉の向こうにいたのはイラの古い友人だった。そこで開口一発、冒頭の台詞が飛び出したわけである。
*
イラは迷うことなく扉を閉め、鍵をかけた。早業だった。扉の向こうから友人がドンドン、ドンドンと扉を叩く音がする。
「ちょっと! なんで閉めるのよ! 入れてよ!」
「嫌ですよ。明らかに面倒ごとじゃないですか」
彼女が来る時は大概が面倒を持ってくる。三年ほど前来た時も面倒ごとに巻き込まれ、ひどい目に合った。なぜ田舎で隠遁している人間に裏組織の壊滅なんてものを命じるのか。壊滅させるために何度死にかけたことか。今回もきっとそうだ。ろくな目に合うはずがない
その証拠が彼女の足元に転がっていた「もの」。どう考えても、碌な目に合わないことは確実だ。
「当然じゃない。知り合いの誰も対応できないから、わざわざ貴方に頼んでいるんだもの。頼めるのが貴方しかいないのよ」
「そんなこと言われましてもね。自分にだって予定のあるし、色々やりたいことがあるんです。急に来られても困りますよ」
「どうせ暇つぶしがてらの精霊器作りでしょう!? ほら王国を助けると思って。それにほら! お妃さまのお願いを無視するなんてありえないわよ」
「まず王のお妃さまがこんなところにまで来ないでください。ここは辺境ですよ? そっちの方がありえないです」
呆れたようにイラは深くため息をついた。イラの古い友人の名前はリリアーナ・ウァンティア・オウルファクト。間違いなくこの国の王妃である。国の最重要人物がこんな辺境の村にいること自体おかしいのだ。
「それに突然来て向こうは大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。何も言わないで来たから」
「それを大丈夫とは言わねぇよ!?」
頭痛がして、イラは頭を押さえた。リリアーナを探して、王城を走り回るエクスの姿が目に浮かぶ。
「とにかく開けてよ。これじゃ入れないじゃない」
「入れたくないからこうしてるんですがね……」
「しょうがないな」
ポツリとリリアーナが低く呟いた。イラの頭の中の警報が鳴り響く。
「ちょ……まさか」
「エザク エタナウ」
リリアーナと詠唱に導かれて、周囲に漂う緑の精霊が扉の向こうに消えていく。それが陣の形に集まり、一つの意味を成す。
同時にドウンという轟音と共に、扉に暴風が吹きつけられた。それを受けて、家全体が大きく軋む。イラはこの家をかなり頑丈に作ったはずだが、同じ精霊術を何度かくらえば家が崩壊してしまうそうな威力があった。
「待て待て待て待て!」
思わず扉越しに声を張り上げる。
「むむ。意外と頑丈ね。なら……」
「開ける! 開けるから! 頼むから家を壊してくれるな!」
「あらそう?」
イラは慌てて扉を開ける。そこにはニコニコと笑うリリアーナの姿があった。彼女の計画通りにことを進められて、イラはがっくりと肩を落とした。
*
「んー! んんっー!!」
「……はぁ。それで?お願いとは何ですか?」
言いたいことは山ほどあるが、しょうがない。色々と諦めて、イラはおとなしくリリアーナをもてなすことにした。居間兼客間に彼女を通し、自分が先ほどまで飲んでいたのと同じ紅茶を出す。ついでに自分の分も淹れ直した。
「数は……」
「私のと、貴方の。二つでいいわ」
有無を言わさぬ口調だ。
「……そうですか」
「んーっ!!」
何も言うまい。リリアーナの足元は見ないようにして、彼女の言う通り、紅茶を二つ淹れて、片方をリリアーナの前に置いた後に、自分の近くにもう片方の紅茶を置いた。
「んんんっー!」
「どうぞ」
リリアーナは置かれた紅茶をためらいもせずに口に含むと、目じりをふんわりと和らげた。
「どうも。あらおいしいわね。この紅茶」
「隣に住んでいるおばあさんが作っているものです。高級な品に慣れたリリアーナの目に適ったと知れば、あの人も喜ぶでしょうね」
「ええ。後でお妃さまがほめていたと言っておいて」
「絶対信じてくれませんよ。それ」
ははっと乾いた笑いがイラの口からこぼれた。お互い紅茶で口を湿らせ、一息ついたところで本題に入る。
「ねぇ。イラは私が今王都でどんなことやってるか知ってる?」
「はい? ……そうですね。確か前聞いた時は妃としての仕事以外に精霊術士協会の会長と服飾関係のプランナー、復興委員会に宮廷精霊術士の顧問でしたっけ?」
指を折りながら挙げてみると、一人でこなすには多すぎる仕事量だ。最も要領のいいリリアーナのことだから、適度に部下に割り振っているのだろうが、それでも多い。
帝国との戦争が終わって八年。減りに減った兵力に乏しい食料。まだまだ国内の問題は山積みで、有能な人材に休む暇はない。そういえば以前もらった手紙にも使える人間が少なくて困ると書いてあった。
「正解。ああでも服飾関係と復興委員会は仕事から手を引いたわ。ようやく任せられる人材が育ったから」
「それは良かった」
「それで今は代わりに騎士学校の理事長をやってるの」
「なぜ……」
明らかに仕事が増えているじゃないか。イラはリリアーナをまじまじと眺めた。艶やかな漆黒の髪と淡い紫色の瞳。見た目いいところの令嬢(二十九歳)で実際高貴な立場にいる彼女が、まさか地道な努力と積み重ねが必要な教育関係に手を出しているとは思わなかった。
それにリリアーナは感覚派の天才だ。人を教えるのには致命的に向いてない。
「人材が足りていないからね。いないなら育てればいい」
「なるほど。道理ですが気の長い計画ですね。ところで騎士学校とは? 自分は寡聞にして知らないのですが」
「こんな辺境に引きこもっていたらしょうがないわね。四年前かな。私が作ったの。目的は貴族も平民も関係なく有能な人間を国に引き入れるため。騎士育成ということで、どちらかといえば戦闘方面に傾いているけど、文官も育成するつもり。極力ぼんくらな貴族どもの干渉を避けるために私が頭をやってるの」
最後の一言に強い毒が混じる。リリアーナの口ぶりからは、無能な貴族への怒りが感じられた。現王のグランヘルムは実力至上主義を掲げているが、王城の人間に平民は少なく、貴族階級や準貴族階級の人間ばかりだ。それはグランヘルム自身歯痒く思っているところのようだが、彼らを一度に除くと政治が回らなくなるらしい。先王の時代から高い地位に居座っている者ほど、私腹を肥やしたい連中は多いようだ。
帝国との戦争の記憶もまだ新しいだろうに。大変欲深で、結構なことだ。戦争で蓄えを消費しきった王国には、横領や着服なんてする余裕がないはず。しようとしてもリリアーナやグランヘルムが黙って見ているとは思えない。とすると少ないリソースを巡って派閥争いでもしているのだろうか。
その努力をもっと国のために使えばいいのに。
「例え平民でも学校を卒業すれば一代限りの準貴族になれるし、貴族なら卒業することで箔がつく。もちろん卒業のためのハードルは高いし、できるだけ有能な教師を集めたからね。今のところ上手くいってる。……いってたんだけど」
「何か問題でもありましたか?」
イラが問いかけると、リリアーナはついに視線を先ほどから床に転がっているもの……人間に向けた。
「んー!」
精霊術の縄に縛られ、猿轡をはめられているのはまだ齢若い黒髪黒目の少年だ。齢は十六か十七歳位だろうか。黒髪は目の前のリリアーナがそうであるように、さほど珍しくはないが、瞳の色まで黒というのはいささか珍しい。
しかし、この少年を縛っている精霊術はかなり高度なものだ。おそらくリリアーナが仕掛けたものなのだろう。六色の精霊全てを用いた中級の精霊術。一つだけではなく、複数の術を組み合わせる連携術式にすることで上級に近い拘束力を発揮している。
リリアーナの精霊術の技術は卓越している。見事なものだと感心していると縛られている少年と目があった。
救いを求める視線と失望と落胆の表情。助けてほしいが目の前の男は助けにならなさそうだ。そんな思考の流れが手に取るように分かる。
軽く腹が立った。
「人材を集めるために、去年冒険者ギルドからも人を募ったんだけどね」
そんなイラの心情を知ってか知らずか、リリアーナは構わず話を続ける。
冒険者ギルド。冒険者とはいわゆる荒事専門の何でも屋だ。国の手の回らない魔獣の討伐や古代遺跡や調査や精霊結晶の取れる晶窟の探索。商隊の護衛から薬草取りまで肉体労働なら何でも行う荒くれ者の集団だ。
冒険者は実力に見合った依頼を紹介するために等級制なるものを導入している。これは初心者の木級から下位冒険者である鉄級、鋼級。高位冒険者の銅級、銀級と来て大ベテランの金級。それに聖銀級と真金級を含めた計八階級に分けられており、等級が高くなるにつれて仕事の危険度と報酬も増していく。
事実上の最高ランクである聖銀級(真金級は聖銀級でも測り切れないごくごく一部の限られた者だけに与えられるものだ)になれば、魔獣の頂点に位置する龍とも正面から戦える、らしい。
冒険者は国に縛られない、民間に根付いた組織だ。高位の冒険者になれば下手な貴族よりもいい暮らしをすることができる。だから冒険者は腕っぷしに自信のある平民憧れの職業だ。国としても自らの手が届かないところまで手を届かせられる、潤滑油の役割を担っているから何かと都合がいい。
ちなみに冒険者登録は誰にでも簡単にできるが、イラはその登録をしていない。イラの生まれ育ったロエ村には冒険者ギルドの施設はなかったし、登録する必要性も感じていなかった。今後登録をする予定もない。
「なるほど。もしかしてそこの少年が?」
「そういうこと。彼の名前はマコト・カミヤ。金級の冒険者よ」
「金級……。確か王国に十人ほどしかいなかったはずですが?」
「ええ。そのうちの一人。……ただとても変わった経歴の持ち主でね。彼が冒険者ギルドに入ったのは今から半年前」
「半年? たったそれだけで等級を金にまで上げたんですか?」
イラは冒険者の等級に詳しいわけではないが、それがとんでもないことであることは分かる。冒険者ギルドには「下積み五年に苦労は一生」という言葉がある。この言葉は下積み扱いの下位冒険者が上位冒険者の入り口である銅級に上がるまでに平均五年。上位冒険者になって等級を上げる作業は一生かかるということで生まれた言葉らしい。
「そうなの。よほど才能に恵まれていたみたいでね。困難な依頼を次々にクリアして、とんとん拍子に等級を上げた。でもそんな彼を冒険者ギルドも持て余していたみたい」
人格に難ありなのだとリリアーナは言う。
「自分は異世界からの召喚者だって言い張って、可愛い女の子に執拗につきまとうのよ」
「イセカイ?」
「妄言よね」
素っ頓狂な言葉にイラは目を丸くする。チラリとマコトの方を見るが、どことなく誇らしげにしているように見える。
またイラっときたので「はんっ」と鼻で笑っておいた。マコトの顔が歪む。
「イセカイ、いせかい……異世界ねぇ」
異なる世界に行くとするなら時空干渉の類の精霊術か。精霊位階から物質位階に干渉する通常の精霊術では到底できることではないだろう。考えられるとするなら概念位階に干渉する精霊術か。概念干渉はイラよりもリリアーナの方が遥かに詳しい。だが当の彼女が妄言と断じているのだから、彼女にも異世界とやらへの干渉は難しいのだろう。
「何でも女神様にちーと能力をもらったそうよ」
「はぁ」
リリアーナが言いにくそうに「ちーと」と言うさまは不必要に可愛らしい。
「そして異世界に召喚されたからには、女の子を集めてハーレムを作るのが常識らしいわ」
「わけが分からない」
精霊の存在は常識として認知されているが、神の存在は未だに証明されておらず、形而上の存在に過ぎないと言われている。だからといって軽々しく否定するのはナンセンスだし、女神様の力だと言われて、それに見合う力を見せられれば、そうなのだと納得するしかないだろう。だが後者の方は意味不明だ。
「ハーレム……何ですか? 彼は白の精霊術を悪用した媚薬をまき散らす術式でも持っているんですか?」
そんな気持ち悪い精霊術、イラは見たことも聞いたこともないし、使いたいとも思わないが。
「生憎と、そんな様子はないわね。そっちについては本格的に妄想の妄言。聞き流していい類の話ね」
「んー!」
不平を訴えるようにマコトが声を上げるが、イラもリリアーナも取り合う様子はない。
「ただ規格外の才能があることは確かね。精霊全適性に“大罪”、“美徳”の魔剣も全てに適合してる」
「は?」
「ね?規格外でしょ?」
精霊術の行使の上で「適性」というものがある。六色ある精霊の適性の数は大体が一つか二つしかないのが通常だ。適性なし。なんてこともざらにある。この適性はそのまま行使できる精霊術の規模に直結していて、適性のない色の精霊術は初級と下級しか使えない。適性があってもその深さによって中級までしか使えない者もいれば上級と、それを飛び越えて固有術式に到達する者もいる。
適性の深さについては努力で何とかなる部分は大きいが、一部の例外を除き、根本的な適性の有無そのものについては、後天的にどうこうできない要素である。
ただこの精霊の全適正はそこまで驚くべきことではない。現にリリアーナも生来の全色適性者だ。珍しいが、いないわけではない。だが“大罪”、“美徳”の魔剣の方に関しては別だ。
七つの大罪と七つの美徳。それらに当てはめて作られた十四本の原典とも言うべき武器とその複製品である各種百本ずつ存在する数打ち。合計世界に一四一四本あるその武器たちは数打ちであっても強大な力を誇る。その反面、適合せずに使えない者も多く、あって一つ。多くて三つが限界と言われている。
これは“大罪”と“美徳”の適性がその人の本質的な性格に依存しているかららしい。かといって大罪に適合した人間が、皆悪人であるわけではないし、美徳に適合した人間が善人である確証はない。
そのはずなのにこの少年は十四種の剣全てを扱えるのだという。本当なら人格が破綻しているはずだ。
「それだけじゃないわよ」
「まだあるんですか」
もうお腹いっぱいだ。これ以上わけのわからない話を聞きたくない。
「彼にしか抜けない龍剣に魔眼も持ってる」
「……」
絶句。ただただ絶句。龍剣とやらに心当たりはないが、魔眼についてはよく知っている。イラが途方もない苦しみの果てに手に入れたそれを、このろくに苦労もしていなさそうな少年が持っている?
さてはこいつ、イラを侮辱するために生まれてきたな? そんな邪推すらしてしまう。
「魔眼についての説明は言わないわね。なんでもその龍剣っていうのは、この世界にしてこの世界ではない裏側の世界に住まう古代龍を剣に作りなおしたものだそーで、彼の成長に従って剣の力が解放されていく仕様らしいわー」
「もういいですリリアーナ。それでそんなカミサマに愛された少年をどうしろと?」
リリアーナですら棒読み。もううんざりだ。早くリリアーナのお願いとやらを教えてほしい。しかし騎士学校。連れてこられた少年。手の付けられないハイスペック。ここまで揃えば、薄々予想はついてしまう。できれば違っていることを願ってイラは問いかける。だが現実は非情だった。
「イラがこの子の先生になってよ」
「全力でお断りしたいですが無理なんでしょうね畜生!」
小さな家にイラの叫び声が響き渡った。
第一章 かくして二人は出会った