閑話④ トクロとイラ
トクロが寝込んだ。見舞いのために、真琴はイラと共にトクロの家を訪れていた。
「最近せき込んでたのは知ってたんだけどな……」
「気にしているんですか?」
イラの問いかけに真琴は首を振った。
「そう言うわけじゃねぇよ。ただ何かできたことがあったんじゃねぇかなって」
「それを人は気にする、というんですよ」
微笑してイラが言う。二人はトクロの家の扉にノックをした。
「トクロさーん。お見舞いに来ましたよぉ」
「イラくんかーい。げほえほげほっ! 鍵はないから入ってくれぇ」
扉を開ける。その先にはベッドに横になっているトクロの姿があった。
「なんて言うか……何もない部屋だな」
トクロの部屋に初めて入った感想がそれだ。ベッドと椅子くらししかない簡素で小さな家。明かりとなる精霊器や仕事のための道具はあるが、楽しみのための嗜好品の類は一切見られない。
「真琴。人の部屋を見てそんな風にいうものではありません」
「あっ。ごめんじっちゃん」
「いいんだよ。なぁんもねぇのは本当だ」
トクロは横になったまま答える。起き上がるのも辛いのかもしれない。真琴が最後にあった時よりも、トクロはずっと痩せていた。
「だからすまんね。イラ君とマコト君。何にも出せるものがねぇや」
「お構いなく。我々は見舞いに来たのですから」
そう言ってイラが手渡したのは温風を発する精霊器だ。病人に晩秋の風はこたえる。
イラがスイッチを入れると、温かな空気が家の中に広がった。
「けほっ。おぉすごいな。さすがはイラ君だ」
「いえ大したことはありませんよ」
口元に笑みを作り、イラはじっとトクロを見る。そして小さく首を横に振った。
「そうかい」
「はい」
「ん?」
イラとトクロの小さなやり取りに真琴は気づかなかった。不思議そうにする真琴にイラはトクロに顏を向けたまま言った。
「すみません。真琴、一つ頼み事をお願いしてもいいですか?」
「ん? なんだよ」
「実は家におかゆを作るための材料を忘れてしまいまして。取って来てもらってもいいですか?」
「はぁっ!? あんだけ持って来てんのかって聞いてたのに、なんで持って来てないんだよ!」
「すみません」
「あぁもぅくっそ。すぐとってくるから待ってろ!」
真琴は眉を顰めながらトクロの家を飛び出していった。その姿が遠くに行くのを確認してから、イラは口を開いた。
「それで……」
「あと俺はどれくらい生きられる?」
迷いのないその言葉に、イラはしばし言葉に詰まらせる。しかしすぐに答えた。
「……長くて一月、でしょうか」
「そうかい」
元々ティアラを通じて頼まれていたのだ。イラは戦争での体験から、人の死期を見るのに長けている。治すことはできない。ただ見るだけの嫌な特技だ。しかしは仰向けになって呟くトクロの言葉に悲しみの色や死を恐れはなく、ただ清々しさとわずかな喜びがあった。
「これであいつのところに行けんのか」
「そうに違いありません」
人が死んだらどうなるかはイラもトクロも知らない。二人はトクロが彼の妻と再会できることを疑ってはいなかった。
「けほっ。何年だったか。もう三年か? あいつのいない毎日は、ごほっ! ずっと味のないパンを食ってる気分だったからなぁ」
トクロは自分の妻を心の底から愛していた。不運にも子どもはできず、途中トクロは戦争で離れ離れになることもあったが、二人の絆は死以外で分かつことはなかった。
「分かります」
トクロとその妻のオシドリ夫婦っぷりは村でも有名だったから、イラもよく知っていた。そしてほのかに羨ましいとも思っていたのだ。
「……イラ君は、俺のことが羨ましいのかい?」
まるでイラの心を読んだかのような言葉。イラは目を見開いた後、小さく頷いた。
「はい。愛する人との離別の悲しみと苦しみは俺もよく知っています。再会を願って自ら死を望む気持ちも」
「なら……けほっ! げほげほっうぇ!」
「大丈夫ですか?」
トクロが激しくせき込んだ。イラがトクロに水差しを手渡すと、トクロはぐいっと水を飲んだ。
「あ、あぁもう大丈夫だ。げほっ」
トクロは依然として苦しそうにしている。しかし伝えたいことがあると、目に強い光を宿して言った。
「なら、さ。イラ君。君は死にたいと思ったことはなかったのかい? 死んだら連れ添いに会えるかもしれない。そうは、思わなかったのかい?」
その問いに、イラは口を開いて答えようとし、何度か口を開け閉めした。言葉は出ない。だからその代わりに、とびきりの空しさと苦悩をこめた表情を作った。
「そう、か。死ねなかったか」
「……はい」
短く、イラは答えた。死にたいと思ったことがあるか? ある。何度もある。死にたくなかったことなんてない。いつも死にたいと思っていた。
どうしてあの時生き伸びてしまったのか。自分だけが生きているのか。その意味が分からなくて、昔は何度も死のうとした。
けれど死ねなかった。死ぬより大事な目標があったから。復讐と憎悪の感情があったから、イラは今もなおここで生き恥をさらしている。
そして戦争が終わった今もまた。消えもせず、果たせもしなかった願いを抱いたままイラはのうのうと生きている。
「イラ君が何を抱えていて、何をしてきたかは知らんよ。けどね」
目を瞑り、囁くような声でトクロは言った。
「俺はイラ君に会えて良かったよ。マコト君にも会えたしなぁ。だから、さ」
「はい。もう自分は死にません。いえ死ねませんよ。だって……」
「くっそ! なんであんなに分かりにくいところにあんだよ!」
その時、真琴が勢いよく扉を開けて帰ってきた。よほど急いでいたのか、真琴は肩で息をしている。
イラとトクロはその様子を見て、ククッと笑った。
「な、なんだよ」
「いえ、すみません。とにかく自分にはこの出来の悪い生徒がいますからね」
まだまだ死ねませんよ。イラの最後の一言は胸の内に秘めた。
「そうかい」
けれどトクロには伝わった。心底嬉しそうなトクロの笑み。
「は? は? 何の話だ?」
その中で真琴だけが首を傾げていた。




