閑話② 新ロエ村の人々
「それでの、俺は思うんだよ……」
「はいはい」
その日、真琴はトクロに捕まり、何度目になるか分からない話を聞いていた。話題は「自分の嫁」について。トクロは惚気話を長々続けている。
「俺の嫁は世界一だってな」
「へー」
拳を固く握りしめて熱く語るトクロに、真琴は棒読みの空返事を返す。
「じっちゃん。話終わった?」
「いやなんのなんの。話はこれからが本番よ!」
「おぅ」
目に強い光を湛えてトクロは断言する。反対に真琴の目からは光が失われようとしていた。後何時間トクロに捕まったままになるのだろうか。
ちなみに、真琴はトクロのことを「じっちゃん」と呼んでいるがトクロの年齢は四十代前半でまだ「じっちゃん」と呼ばれる齢ではない。それでも真琴がトクロを「じっちゃん」と呼ぶのは彼が老け顔であり、同じような長話するところが老人のようだったからだ。
「それで……」
「やっかましいわ。長話男! 同じ話を何度もすんじゃないよ!」
話し出そうとしたトクロにピシャリとした声をかける人がいた。助け船が来たと思ってそちらを向けば、そこにいたのは一組の男女。
「先生と……ティアラばぁさん?」
「はい」
「相変わらずだねあんたも」
一人は先生ことイラ・クリストルクで、もう一人は村で紅茶を作っているティアラだ。新ロエ村最年長の老女ティアラは持った杖をトントンと叩きながら、トクロに呆れの表情を見せる。
「ったく。あんたの嫁自慢は聞き飽きたよ。いい加減にしな」
「なんだよ。ティアラさんには今日はまだ言ってないだろ」
「今日はまだ、だろうが。あたしが何度その話を聞かされたと思ってるんだい」
「あはは……」
気風のいい語り口のティアラに、隣にいたイラは苦笑いをする。
「でもトクロさんは本当に奥さんが好きだったんですね」
ふと思い立ったようにイラが言う。また自慢話が始まってしまうと真琴は思ったが、様子が違った。
「当たり前よ。だからあいつがいなくなって、俺も寂しいってもんだよ……」
ズンとトクロが落ち込む。元々トクロは夫婦そろって新ロエ村に移住してきていたのだが、数年前、流行り病にかかって妻はぽっくり逝ってしまった。それからずっとトクロは一人暮らしだ。
「ただまぁ、最近はマコト君も来てくれて、村も随分とにぎやかになったってもんだよな」
「ええ全く」
落ちた気持ちを持ち上げるための言葉に、イラも乗っかる。ティアラはやれやれと肩をすくめた。
「そういや、なんで先生とティアラばぁさんは一緒にいたの?」
「あん?」
真琴の疑問。ティアラは語尾を上げる。
「あぁ、イラ君にね、精霊器の修理を頼んでたのさ」
「乾燥機の調子が悪いということで、様子を見ていたんですよ」
「そんなとこにまで精霊器が使われてんのか……」
真琴は呆れ顏だ。ティアラは紅茶農家。摘んだ茶葉を乾燥させるために精霊器を使っているのだろうが、個人経営の農家が精霊器を使うなんて話は聞いたことがない。
そもそも精霊器は貴重品だ。一般的な家庭だとたまに一つ持っているかどうかで、大抵は軍人や裕福な商人、貴族が専有しているのが実情である。
値段にしても安価なもので平均的な平民の一月分の食費に値するから、便利であっても買うに買えないのだ。それに生産量も少ない。
「陣を刻んだ部分に汚れがついていただけなので、修理は簡単でした」
「おかげでまた美味い紅茶が作れるよ」
「はい。ティアラさんの紅茶は国の王妃も絶賛するほどですからね」
「よしなよ。王妃さまが私なんかの紅茶を飲むわけないじゃないか」
飲んだんだよなこれが、と真琴は内心思ったが言わない。師弟揃ってティアラをおちょくっていると思われるだけだ。
「そういや、王妃のリリアーナ様は大層な美人らしいな」
ニヤリと笑ってトクロが言った。また始まった。トクロの長話だ。真琴はやはり口には出さない。
「どんだけ王妃さまが別嬪でも、俺の嫁さんには敵わねぇ……っとそういえば」
トクロの話が急停止。トクロは話をイラに振った。
「そういえば、イラ君は好きな女はいないのかい? 村にはいねぇとしても、外とか。もういい歳だろう?」
世界と性別が違えばセクハラで訴えられそうな言葉だな。だが内容自体は気になったので真琴は何も言わない。ティアラも同じのようだ。
色恋にとんと疎そうなイラのコイバナ。興味がある。
「好きな女……ですか」
「おうよ。いんだろ? 惚れた女の一人や二人」
「はい。いましたね」
「え……」
真琴は思わず声をもらした。てっきイラは適当なことを言って話を逸らすのかと思っていた。思わぬ直球にトクロやティアラも驚いている。
「お、おう。それでその人は……」
「もう、いません。彼女は俺の目の前で殺されました。心から愛した人でしたから、とても辛かったですよ」
沈黙が場に満ちた。イラの表情は光を反射した眼鏡に遮られて見えない。しかし彼の口元に皮肉げに歪んでいた。
「そ、そうか」
「気にしないでください。もう終わったことですから。ただまぁ……」
カチャリと眼鏡に一度触れ、イラははぁと小さく呟いた。
「あの子のことが忘れられないから、俺はまだ独り身でいるんですよ」




