第18話 人の形をした怪物
この時の光景を、真琴は一生忘れることはないだろう。
殲滅を始めようと宣言した後、イラは赤、青、黄、緑、白。多種多様な精霊術を使い始めた。戦いは熾烈を極め、時間は夜を通りすぎて朝へと変わろうとしている。
真琴は初めイラの意図が分からなくなったが、魔眼で見ているうちにイラがやりたいことが見えてきた。
空間内の精霊の量が均一になりつつある。自然界での精霊の量は赤、青、黄、緑が多く、白と黒が極端に少ない。それをイラは調節している。
「ィィィィ!」
「ナヂアク イクウク」
怪物は獣の足で縦横無尽に動き回りながら触手と拳を振り回す。イラはその猛追を、空を駆けることで避けた。イラの踏むところに黄と緑の精霊が集中し、一瞬だけ実体化する。
イラは攻撃をかわしながら空を駆けあがり、じっと周囲を観察する。
森には精霊が溢れていた。色とりどりの精霊が周囲を動き回り、跳ね回る。幻想的でありながらも確かにこの世のものと実感できる光景。物質位階とはズレた、しかし同じところに存在する別の世界。
イラは精霊術を使えば使う程、精霊の量が増えると言っていたがまさにその通りだった。この空域一帯に精霊が溢れかえって、その色彩と輝きで目が痛くなりそうだ。
だがこれがはるか高みに至った精霊術士の住む世界なのだ。溢れかえりそうな精霊を操り、奪い合い、形を為して術を編む。空よりも高く、海よりも深い領域。未だに精霊術士とも騎士とも名乗れない真琴には、足を踏み入れることすらできない世界。
「マコト! 今から透徹を解除します。解除されたら巻き込まれたくないなら逃げなさい!」
空中で大地を見下ろしながらイラが叫んだ。真琴はイラの言葉に素直に頷き、そこではたと気づいた。
「名前、初めて呼ばれたな」
精霊術が解除される。すでに集まっていた魔獣は殲滅されている。イラが意図してやったわけではない。イラと怪物の戦いについていけず、巻き込まれただけだ。
これから何が起きるか分からない。だが真琴はイラの言う通り、水晶の檻が消えると同時に怪物に背を向けて走り出していった。
「リ、テ、リ、リィィィィィ!」
「こんなものか」
空中に留まりながら、イラは怪物を見下ろす。怪物は腹立たし気に触手や拳をイラに伸ばすが、当たらない距離を維持しているためそれらは空を切るばかりだ。
ここまで状況を持ってくるのに苦労した。怪物は存在しているだけで黒の精霊を吐きだし続ける。イラが今からやろうとしていることは六色の精霊が全て均等にならないといけないため、調整するのは至難の技だった。特に白の精霊を増やすために六色細剣にも負担がかかった。これが終わったら一度分解して、手入れをせねばなるまい。
マコトが場を去ったことを確認し、わずかに不足している黒の精霊が怪物自身の手で満たされたことを確認した瞬間、イラは詠唱を始めた。
「ウレアノト アリ イエシエス オル」
精霊器を作る時に用いる“炉”の精霊術。通常なら小さな空間を六色均等に維持し、なおかつ高温にするだけの精霊術だが、今回はすでに“炉”を形成する環境を整えていたので大規模な展開をすることができた。
「ウレアノト アリ ウヒアン オン ウテツオト ウルス ウウイクナウ」
次にその“炉”を囲うように水晶の檻を作り出す。目的はこれから行う破壊を“炉”の中だけで納めるため。
“炉”の中は金属を溶かすほどの高温だ。怪物は苦しみ、“炉”から這い出ようとするが、怪物の力では透徹の檻は破れない。
イラは六色細剣から赤の精霊結晶を抜き出し、長年世話になった結晶に心の中で詫びてからそれを砕いた。
高位の精霊結晶は精霊を込めると対応した色の精霊に変えて放出してくれるのだが、一度に許容量以上の精霊を流し込むと砕けてしまうのだ。
イラが六色細剣で使っていた精霊結晶は中でも特に高位なもの。買えば低位貴族が一年間暮らせるほどの価格があるだろう。だが背に腹は代えられない。最高位の精霊結晶を砕いたのだ。イラの周りに真赤な精霊があふれ出る。
「アカ エラムタ イオヅト」
イラはあふれ出た赤の精霊だけを厳選して集め、圧縮する。イラのできる限界まで精霊を圧縮し、次の詠唱。
「オノム ウリス オウ イアシキス アウ エラウ オノム ウリス オウ アグニ アウ エラウ オレアトク イン イアゲン アガウ ネトナウ」
イラは精密に陣を描き、精霊術を作っていく。並外れた精霊術士であるイラですら極度の集中力と精神の摩耗が強要される精霊術。一節一節を魂込めて唱え、精霊を陣の形に誘導していく。
行うことは事象の反転。概念術式一歩手前の超高難易度の精霊術だ。イラは右手に集めた赤の精霊を反転され、「赤でない」精霊、概念上でのみ存在する、非存在の精霊を便宜的に生み出す。
「くっ」
全身から滝のように汗が流れ、呼吸がおぼつかなくなる。概念術式を中途半端に使っている代償だ。概念を書き換えても書き換えていないともいえない状態を維持することは、世界が秩序を保とうとすることによる揺り戻しをくらう。
しかしここでめげるわけにはいかない。イラはこれから、さらに強い揺り戻しに耐えなければならないのだ。
赤の精霊は熱を司っている。反転が終了した。イラは右手に赤の精霊、左手に「赤でない」精霊を集めている。
「熱がある状態」と「熱がない状態」、相反する二つの概念の塊を持った両手をイラは重ね合わせた。
「エラン オレコト エラザム エラン オレコト エラザム」
相反し、反発する二つをイラは強引に混ぜ合わせ、成立させる。溶けあわず、押し返すそれを無理矢理にギリギリと押し込める。
揺り戻しと反発で、皮膚が裂け、血が噴き出る。骨に亀裂が入り、筋繊維が断裂する。それを補うため、筋繊維と神経細胞に入り込んでいる操糸は大活躍だ。
反発しあう同量の概念が混ぜ合わされた。するとそこに生まれるのは「熱がある状態」でも「熱がない状態」でもない、「熱」という概念が存在しない空間だ。六色ある精霊の内一色だけが抜け落ちた概念。それを創り出した。
「ウタナウ オウ ネニアグ アウ アリ」
ここまでくれば後はスピード勝負。持っているだけで体力全てを持っていかれそうな歪極まりない漆黒の概念を手放す。自然落下の速度で落ちていく概念の先にあるのはすでに作ってあった“炉”とその中にいる怪物。
「ウレアノト アリ エタグ ネヒアク ウテツオト ウレアノト エテクヅト ウクイスサ オル」
最後の詠唱に従い、“炉”を包み込んでいた水晶に少しだけ穴が空く。そして怪物を苦しめていた“炉”が圧縮され、怪物を中心に一回り小さくなった。
穿たれた穴に「熱」という概念がない空間の塊が侵入する。そしてそれが“炉”に触れた時、イラの施した仕掛けが作動した。
生命を取り込み、異形の肉体を持った怪物。イラはその正体を粘液性の肉体を持った怪物ではなく、細い無数の糸の集合体で構成された、死という概念で作られた非生命体であると看破した。
見霊の義眼で観察した結果、寄生と吸収の機能は怪物本来の機能として所有していたが、再生の機能は持っていなかった。そしてそれは他の生命から吸収したものではないことも。
これはおかしい。最初イラはそう思った。怪物はイラの攻撃を受けて、肉体を修復する素振りを見せた。目に見える形で再生している様子も見ている。なのに精霊の動きを見る限り、どこを見ても再生を行う器官がなかった。
だがよくよく見てみると、怪物そのものを動かす精霊の動き自体に違和感を覚えた。そして理解する。内界位階の精霊の動きは円。だが怪物の精霊は無数の小さな円が集まって一つの円を為していたのだ。イラはこのような動きを見せる生物には群生体以外思いつかなかった。
もし仮に怪物が群生体であるなら再生の機能の説明はつく。怪物は再生していたのではない。損傷した部分を切り捨てて、他の部分で補っただけだ。そこに治癒の二文字はない。
そうなると寄生の機能も分かりやすい。群生体は集団にして一。自身の一部を他の生命に植え付け、生命の対極に位置する「黒」の概念で塗りつぶしたのだ。それが生きているのか死んでいるのか分からない寄生された魔獣たちの正体。
粘液状に見えるのはそれが糸の塊だから。触手という形も糸を肥大化したものをイメージしているのだろう。
ただ怪物の正体を見極めたところで問題はあった。相手の正体は群生体。群生体の滅ぼし方は全個体をどこか一か所に閉じ込めて、一匹残らず殺しきること。だがこの怪物に関してだけはそれだけでは解決しない。
怪物は黒の精霊、つまり「死」という概念で構成されている。要するに怪物は死んでいる状態が当たり前であるがゆえに死なないのだ。死んでいるから殺せない。簡単すぎて涙が出てくる理屈を、この怪物は平然と押し付けてくる。
だからイラも自身の秘中の秘を見せるしかなかった。イラの根幹たるあの装飾のない刀があれば、そんな苦労を侵す必要もなかったのだが。
イラの作りだした「熱」という概念が欠落した塊が“炉”に触れる。“炉”は六色均等に揃った高温の空間だ。高温、そう「熱」だ。“炉”は赤の精霊に偏っているわけではないのに高温になっているという概念的に不自然な状態になっている。そんな状態の“炉”に「熱」の概念の欠落で、何よりも「熱」という概念に敏感な“炉”が触れたらどうなるか。
そして“炉”の中は六色均等に揃った状態。つまり概念に干渉する概念術式がなせる状態にあるということ。そんな概念に敏感な“炉”に概念が欠落した塊を落とせばどうなるか。
答えは概念爆発。二重に概念が歪なものが触れ合い、「熱」という概念を中心に“炉”の中の概念全てがあいまいになり、均衡を保とうと荒れ狂う。
「熱」の欠落した塊に「熱」が入り込み、それが「熱」と「熱がない」に分離して、状態が固定されていたはずの青や黄、緑の精霊にまで出鱈目な変化を起こし、それにつられて白や黒の精霊も滅茶苦茶な動きを起こす。
“炉”は膨張と縮小を繰り返し、中にある存在を概念的に破壊していく。それは「死」という概念で構成された怪物にとって致命的な一撃となった。
イラは上空から砕けようとする水晶を操作、修復し、水晶の中では怪物がその身を引き裂かれ、己の本質が狂わされていく。
怪物は悲鳴一つ上げることができずに消滅した。
幾重にも超高等精霊術を折り重ね、積み重ねたイラの精霊術は圧巻の一言だった。魔眼越しにそのすさまじい光景を見て真琴は、すさまじい精霊の躍動と輝きに焼かれた両眼を手で押さえながら、怪物が滅んだことを確認する。
イラが起こした精霊術はあまりにひどく、そしてむごいものだった。あれは世界への叛逆だ。秩序への冒涜だ。あるべきものを欠落させ、それを特異な環境に運び、外にも内にも救いのない状態を作って、理の外側で破壊する。
そんなことをしでかしたイラを真琴はどう見ればいいのか。だがそれを考えるのは後で言いだろう。
空中に浮いていたイラの体がグラリと傾いた。
「おっさん!」
おそらくスタミナ切れだ。落下の速度を抑えることもなく、イラはそのまま地面に墜落する。ゴスンという音が鳴った。真琴がイラの元に駆け寄ると、イラは地面にうつ伏せになって倒れていた。かつては森だったその場所は、イラの精霊術によって草一本生えない荒野となっている。背中はきちんと上下しているから気絶しているだけだろうけど、心配だ。
その時、イラの隣で何かが動いた。それはこの世の汚泥と悪辣を煮詰めたような黒をしたひも状の物体で、今にも消えてしまいそうな動きでイラの方へその先端を向けている。
まずい。そう直感する。イラのあの攻撃を受けてなお、怪物は生き残ったのだ。それで自身が滅びないためにイラの体を乗っ取ろうとしている。
怪物はイラの概念爆発を受けて、その不死性を狂わされているが、まだ寄生する能力は辛うじて残っていた。イラも操糸の作用で怪物の寄生を弾けるが、力を使い果たし、気を失っている今だとどうなるか分からない。
真琴は走った。だが真琴が追いつくよりも先に怪物の方が先にイラに触れてしまう。
「ィ」
「おっさん!」
真琴はイラへ向かって手を伸ばす。その手は怪物にもイラにも届かない。ようやく怪物を滅ぼせたはずだったのに。真琴の頭が真っ白になったその時だ。
「えい」
「ィ?」
「は?」
イラに触れようとした怪物が唐突に輪切りになった。それで最後だった。怪物は間抜けな声を上げて今度こそ本当に消滅した。
「だ、誰が……」
真琴は伸ばした手もそのままに、ポカンとした顔をする。辺りを見渡しても誰もいないし、イラが起きたわけでもない。
「間にあて、良かたです」
「誰だ!」
何もないところから声がした。真琴は龍剣を構えて魔眼を使って声の主を探す。だが見つからない。この場にはイラと真琴以外、どこにも誰もいない。
「あ……ごめなさい。隠形、解きます」
「な」
不意に目の前に人影が現れた。灰色のローブを着た人間。フードで目元を隠しているので、その人物が男か女かも分からない。
その人物は手に細身で反りのない短刀を持っていた。
「誰だお前」
「自己紹介、いるです?」
舌ったらずなしゃべり方をするその人物は、フードを被ったまま首を傾げる。身元を隠す服装を除けば、どこか緊張感を削ぐ雰囲気に真琴はその人物を警戒することが馬鹿らしくなってくる。
「頼む」
「わかりました」
その人間はフードをバサリととった。
「私は王国“影衆”シイナいいます。どもです」
フードの下には黒髪青目、そばかすのある素朴な雰囲気の少女の顔があった。
そして朝日が昇る。
これにて一章の本編は終了。後はエピローグです。そしてようやくこの話にもヒロイン(?)が……(感動)。




