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第0話 とある復讐者の絶望(2/2)


 死を撒き散らした“透徹”はニタリと嗤い、詠唱。


「ウレアノト アリ イエリエス オルタウ エソロク ウコイスコル」


 彼の求めに応じ、地面に撒き散らされた精霊結晶が弾けて三々五々に術の形を為す。一つ一つは単色の、それも精々が下級だ。個で見れば、対処はそう難しくない。


 だが数が多かった。例え小さな術式でもそれが十、二十と積み重なれば中級。やもすればその威力は上級にまで手が届く。


 蠢く炎の蛇が、鋭い岩石の針が、風のカミソリが、しなる水の鞭が、危機感を鈍らせる白の祝福が、絶望をもたらす黒の呪いが、からみあい、混ざり合い雪崩のように帝国兵に迫り、蹂躙する。ぐちゃぐちゃになった帝国兵の死体だけが残る。

 死屍累々となった帝国軍の真ん中で、“透徹”はゲラゲラと嗤い出した。嗤いながら死した帝国兵を足蹴にする。


「無様。無様無様無様ァ! ヒィ、アハハハハハハッハハアハ!!!」


 “透徹”は狂ったように笑う。その姿は狂人のそれと同じで、無様にも見えた。或いはどうにかして現実から目を逸らそうとしているようにも。

 その時だ。“透徹”の近くの空間がグニャリと歪んだ。その歪みはますます大きくなり、歪みの中から一組の男女と彼らにつき従う従士たちが現れた。


「イラ」


 歪みから現れた金色と紅の鎧を纏った威丈夫が口を開く。二十代後半の茶髪の男だ。若いながらもその姿からは、民衆を従えるに足る王威が感じられる。


 グランヘルム・レクスティア・オウルファクト。無能な実父を追いやり、帝国と戦うことを決意した若き王。武技の達人であり、いくつもの奇策で絶体絶命の王国を救った策士であり、赤の精霊術に長けた“赤の玉石”だ。


 もしこの世に神というものがいるのなら、きっとグランヘルムは神のお気に入りだ。


 グランヘルムは苦々しい顔で“透徹”を制止する。

「もう止めろ。戦争は終わったんだ。帝国は白旗を上げた。俺たちの勝利だ」

「終わり、だと」


 グランヘルムの言い聞かせるような言葉に“透徹”は信じられないという顔を見せ、それから肩を震わせる。グランヘルムの言葉に嘘がないことを理解し、そして汚泥にどっぷりとつかった、血走り憎悪に溺れた目で彼をにらみつけた。


「ふざけるなぁ! これで終わり? これで終わりなものか! まだ帝国を滅ぼしていないじゃないか!」


「違う。もう終わったんだ! 帝国はもう戦争を続ける力がない。だが王国もそれ以上に力が残っていないんだ。わかってくれイラ。帝国の休戦宣言を受けなければ、先に滅びるのは俺たちなんだ」


「そんな、そんなこと」


 “透徹”は苦悩をにじませて自分の顔に爪を立てる。ギチギチと音を立ててイラの顔の皮膚が裂き千切られる。血をダラダラ流しながら数度頭を振って、憎悪の視線をグランヘルムに向けた。


「……受け入れられない。俺は一人になっても戦い続ける。だから、邪魔をするな」


 “透徹”の言葉を聞いて、従士たちが武器を“透徹”に向けた。殺意には殺意で返す。だがそんな従士たちをグランヘルムの隣に立つ女が止めた。


 絹の如き白い肌に薄桃色の唇。強い意志を感じさせる淡い紫色の瞳。艶やかに流れる髪は漆黒。純白のドレスを身につけて、踵の高いヒールを履いた彼女は明らかに戦場には似つかわしくない。


「下がりなさい。イラは私とグランヘルムが……説得します」


 だがそんな戦場と不釣り合いな女の言葉に従士たちが戸惑い、足踏みする。王に仇なすというのなら、例え“透徹”といえども止めねばならないが、彼らには彼女に従わないという選択肢もまた存在しない。

 女の名前はリリアーナ・ウァンティア・オウルファクト。グランヘルムの妻にして、あらゆる精霊術に長けた“白の玉石”だからだ。


 王妃命令。しかしほとんどの従士が剣の向け先を失う中、一人異を唱えた者がいた。

「お待ちください。まさかリリアーナ王妃、“透徹”を許すというのですか?確かに彼は帝国との戦争で多大な戦果をもたらしました。ですがそれ以上にあの男は軍法を犯し、味方を殺している。さらに戦争終結後に帝国を攻撃し、あまつさえ王への反抗。玉石でなければ死刑であって当然の男です」


 そう言ったのは白銀に青のラインが入った甲冑を着て、騎士然とした壮年の男。彼は険しい顔をして二人の意思に反抗する。


「エクス。貴方の諫言は分かります。ですが……」

「私は騎士として、“青の玉石”として、今だけは己の職分を優先させていただきたい」

「つまり、イラを殺せと?」

「はい」


 “青の玉石”エクスは厳しい視線をリリアーナに向ける。憲兵にして騎士でもあるエクスは軍法を犯した“透徹”を殺すつもりだ。しかしリリアーナにもグランヘルムにも“透徹”を殺す意思はない。

 黄、赤、白、青。王国の誇る最高戦力の三分の二が帝国軍の中心で対立する。“透徹”はグランヘルムに憎悪と敵意を向け、そんな“透徹”を殺そうとするエクスをリリアーナが制止する。


 従士たちもそれぞれが百戦錬磨の戦士たちだ。しかしそんな従士たちであっても玉石たちの力は、次元が違う。歯向かっても鎧袖一触。無駄死にしかならない。見ていることしかできない彼らは、場に漂う緊張感で吐き気すら催し始めた。


「なぁ、イラよ。どうしても帝国を滅ぼしたいか?」

 漂う緊張感の中、口火を切ったのはグランヘルムだ。


「当然だろう」

 ドロドロとした暗い情念のにじむ声で“透徹”は答える。手に持った細剣をゆっくりとグランヘルムに向ける。邪魔するなら殺す。そんな意志をグランヘルムに向ける。


「“透徹”!」

 己の仕える王に刃を向けた。“透徹”にエクスが長槍を構えた。これ以上見ていられない。長槍にはすでに目が痛いくらいの青の精霊で編まれた陣が形成されている。


「ウオシウス エタナウ」


 長槍の先から放たれるのは水の槍。しかしそれはもはや槍ではなかった。下級の精霊術でありながら、その威力は上級の精霊術を超える。柱ほどの水の奔流が、“透徹”に向かって飛んでいく。


 当たれば死、間違い無しの一撃。だが水の槍は途中で()()()()した。


「王妃!」


「ウレアノト アンーアイリル イラン オノム ウルガト オウ ネニアグ エラウ エサウォク オウ ウオシウス エタト オウ ナクウク ウレアノト エテクドト イラワマカス オン アグンンイ」


 結果の後に詠唱が続く。陣の構成と詠唱の後に発動する精霊術の常識を、“白の玉石”は当然のように覆す。リリアーナはエクスに鋭い視線を向けた。


「させませんよ」


「私は私の意思を通します。どいてください王妃」


「できません」


 エクスの意思は固い。エクスは先ほど超高威力の精霊術を放ったにも関わらず、わずかにも消耗していない。それこそが彼の所有する美徳剣の一つ“節制”、その原典の能力だ。

 “節制”の所有者はどれだけ精霊術を行使しても保持する精霊を消費しないし、どれだけ動きまわっても疲れるということがない。持ち主にある種の永続性を与える能力を持つ。


 白と青の小競り合いを背後に聞きながら、グランヘルムは細剣を向けられたまま、“透徹”に言葉を投げかける。


「俺だってさ、何でも分かるとは言わねぇよ。だけどお前の憎しみや苦しみがどれほどのもんか、ちっとは分かってるつもりだよ。頼むよイラ。ここでお前が止まらなきゃお前みたいなやつがもっと増えちまうんだよ」


 グランヘルムの真摯な言葉に“透徹”は歯噛みする。細剣を持った手がわずかに震えた。

「知った……ことか。他人のことなんかどうでもいい。他人がどうなろうが、俺の大事なものは帰ってこない。なあ、知ってるか? グランヘルム」


 親しみすら感じさせる口調で“透徹”は語る。


「アイビーは首を斬り落とされて殺された」


 “透徹”は自らの首に爪を立てる。


「ヘンリルは泥沼に無理矢理沈められて殺された」


 “透徹”の顔が苦し気に歪む。


「ロッドは生きたまま両手足を切断されて殺された」


 なのに“透徹”の口調は淡々としていて生きた温度を感じさせない。


「クラリスは両の目をくり抜かれて耳から針で脳を傷つけられて殺された」


 今の“透徹”は盲目だ。彼の目には過去しか映っていない。


「キッドは皮膚という皮膚をはがされて殺された」


 それだけ“透徹”の心は帝国に破壊されてしまったから。


「セイは火あぶりで殺された」


 痛みにもだえるように、“透徹”の言葉が震えた。温度のない声に別の何かが混じる。そして、


「ヘルミナは……ヘルミナは俺の目の前で魔獣に犯されて殺されたんだぞ!!」


 爆発した。澱みと怨嗟と憎悪と無念が、“透徹”から溢れて止まらない。


「イラ……」


「あいつらは悪魔だ。悪魔を殺す。それの何が悪いというんだ! 俺は悪魔を殺すためなら悪魔にでもなってやる。俺が何のために今まで戦ってきたと思っている! 全てはあのクズどもを殺すためだ。憎いあの野郎どもに溺れるほど後悔させて、この世に生まれてきたことに絶望させて殺す。そのために俺は何でもやってきた! 異形を受け入れ! 概念化した武装を取り込み! 人間を止めた!あいつらはあの子たちを笑いながら殺した。ならば俺だってあいつらを笑いながら殺してもいいだろう! 村の皆を殺されたんだ。なら俺だって帝国の人間を皆殺しにしてもいいだろう!? 俺が! あいつらに全てを奪われた俺があいつらを殺すんだ! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国帝国殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!」


 “透徹”は叫ぶ。グランヘルムが神に愛された男だとするならば、“透徹”は神に見向きもされていなかった男だ。神の祝福を受けぬ者が、神に愛された者と対等になるために。“透徹”は自分の全てを犠牲にして、対価として支払った。


「首を切り落とし! 泥沼に溺れさせて! 生きたまま両手足を切り落とし! 両の目をくり抜いて! 皮膚を剥がして! 火で炙って! ……愛する者の目の前で! 魔獣を使って! 犯してみせて! 殺すことの何がいけない!! なぁ、答えろよグランヘルム! 答えてみろよ! 俺は何か間違っているのか!? 間違っていないというのであれば俺の邪魔をするな。だがもし間違っているというのなら……」


「お前は間違っちゃいねぇよ。きっと間違っているのは俺の方なんだろうさ。だがそれでも俺はお前を止めるよ。王として、国民を守るためにお前のことを止めなきゃならん」


 グランヘルムの凛とした声が響く。“透徹”の顔がゆがんだ。

「ぁ、ならば……ならばお前は俺の敵だ。……引くなら、今のうちだぞ」

 “透徹”の手に持った細剣が消え、虚空から一振りの刀が現れる。変わり映えのしないどこにでもあるような刀。だがそれが現れた瞬間、ただでさえ顔色の悪かった従士たちの顔色が白を通りこして土気色になった。エクスやリリアーナも表情に逼迫(ひっぱく)したものに変わる。


 刀が抜かれると同時に、世界が変貌を始める。血と死にまみれた()()が無味乾燥とした()()へと変貌する。


 変わりゆく世界の中でグランヘルムだけがただ一人、真っ直ぐ“透徹”のことを見つめていた。


「引かねぇよ。俺はお前のダチだがその前に王なんだ。通りたいってんなら俺を殺してから行け。……心配するな。俺は抵抗しねぇ。やるならさっさとしろ」


「王!」


 エクスの叫びにもグランヘルムは耳を貸さない。宣言した通り、彼は腕組みをして仁王立ちしている。刀を向けられても反撃する気配がない。


「どうしたよ。早くやれよ」

「くっ……」


 そこで初めて“透徹”の目に明確な迷いが浮かんだ。はぁっはぁっと荒い呼吸をする。刀を強く握りしめる。そして刀を片手に持ったまま、グランヘルムの首を掴みあげ、ギリギリと力をこめ始めた。


「くっ、ふ。何だよ。力がよえぇぞ。そんなんじゃ俺は殺せねぇよ」

 グランヘルムはそう言って不敵な笑みを見せる。


「だま……れ。黙れよ。いいから道を開けろ。俺は。おれ、は」

「なあイラよ。分かってんじゃないのか?お前だって」

「黙ってくれ!」

「イラ!!」


 グランヘルムの言葉を聞き入れまいとするように“透徹”は叫ぶ。そして震える手で刀を持ち上げた。それをグランヘルムに振り下ろそうとして、


 振り下ろそうとして、


 “透徹”は。


 イラは……。


 カチャンという音がした。“透徹”は刀を手から取り落とした。そのまま力を失ったかのようにグランヘルムの首から手を離し、膝から地面に崩れ落ちた。


「イラ……」

「どうしろと、俺にどうしろというんだ。この憎しみを、この怒りをどこに持っていけと。こっ、殺せるはず、殺せるはずがないだろうが。俺が! お前らを殺せるはずがないだろうがぁ!! ずるい! ずるいぞグランヘルム・レクスティア・オウルファクト!! 俺は! おれ、俺……はぁ!!」


 “透徹”は哭いた。焦がれるほどの願いを叶えることができないと知って。否応なく理解してしまって彼は絶望する。


「アイビー、ヘンリル、ロッド、クラリス、キッド、セイ……ヘルミナ。ごめん。でも俺……ごめん。ごめん。俺は……ごめん。ごめん」


 “透徹”は虚ろな顔で失った者の名を呼ぶ。それからもう二度と会えない者たちへ「ごめん、ごめん」と繰り返した。

 その目にはもう過去も、未来も、今すらも映っておらず、虚無と深い絶望だけが残っていた。


 リリアーナとエクスも、それを見て手を止めて、うつむいた。


 グランヘルムはただ一言「すまない」と言った。



   ***   ***



   ***   ***



 八年の月日が流れた。秋の穏やかな昼の日、リリアーナは辺境にある小さな村の、とある家の扉の前に立っていた。彼は元気にしているだろうか。手紙では度々連絡を取り合っているが、会うのは数年ぶりだ。


「さて」


 リリアーナは足元に転がしている「荷物」に一度だけ目を向けて、コンコンとその扉をノックした。

 感想、ブクマ、ポイント評価などいただけると嬉しいです。次話から本編開始です。

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