黒歴史クリーナー
二〇××年、そのシステムはこの世に誕生した。
最初はただのお遊び程度に過ぎなかった――というのも当時引籠もりを拗らせていた男子高校生が、自分のためにと作ったシステムだからである。今までの自分の言動、周りの評価に関する悪評やら、記憶に残すには煩わしい事を全て消し去れればと、そんな誰もが一度は考えるであろう妄想の範疇に過ぎなかったのだから。
しかし、それが現実のものとなってしまったのだからもう止まらない。このシステムはネットを通じて世界中に広がり、少年の元には多くのメッセージが送られた。そしてそれは多くの企業などにも広まり、技術をどうか我が社へと、システムの買収や少年を引き抜こうとする電話やメールが絶えなくなった。最終的にそれは政府の耳に届き、現在は政府から陰で資金を提供される形で、システムを有効活用し世のため人のためになるようにと会社を起業。業績はうなぎのぼり、その度に依頼を受けるためのスペースを有するため、社も広がる一方だという――
――というのはこの会社の先輩から聞いた話である。人生はすごろくによく例えられるが、この話を聞くとなるほど、確かにと思ってしまう。盤面によって、賽の出す目によって幾枝にも分岐する事が出来るのだから。にしても大分話に色が付いている様な気がしないでもないが、まぁそれは今の話の論点からは逸れるため置いておく事にする。
「凄くない?流石よね~やっぱり天才は眠っているものなのよ……」
「能ある鷹は爪を隠す……ってやつですかね」
「それそれ!アンタ分かっているじゃない!」
「ぐふっ」
あまりに熱が入りすぎてやしないだろうか、叩かれた背中が痛み、不意を突かれた肺は驚きを隠せなかった様子で噎せ返る。先輩は勢いだけが取り柄――というと、入社一、二年程度の新人が何を、と後で雷が落ちそうなので止めておくが、とにかくパワフルなお姉さん的存在といった人だ。
「ホントに凄いわよね、黒歴史クリーナー(・・・・・)」
黒歴史クリーナー。
それが前述のシステムの名である。そしてここがそのシステムを利用して商売をする会社、『黒歴史クリーナー株式会社』である。
僕はこの会社に勤めて一年半程度になる。ほぼ新人には変わり無い。
この会社は電話やメール、面会を通して、依頼者の消したい記憶などについて情報を集めては、文字通りクリーナーを掛ける事が仕事だ。なんら難しい事は無い、ただ(・・)集めて(・・・)消せば(・・・)いい(・・)のである。集めた情報をささっとパソコンのソフトに突っ込んでエンターを押すだけ。こんな簡単な仕事は無い。最近はネットの書き込みに関する依頼が急増しているため、更に楽だ。というのも指定の情報元を復元し、それを突っ込むだけであら不思議、そこから派生した掲示板なども全て消えてしまうのだから。
さらにこのシステムが世界を驚かせた一番の特徴が、その(・・)黒歴史を(・)人間の(・)脳内記憶から(・・)も(・)消し去る(・・・・)事である。
「……あれ、先輩」
「お、どうした新人?」
「このシステムって、どうやって人の記憶からも消しているんですかね」
「だから、黒歴史突っ込んでエンターだって」
「いや、操作方法はいくらなんだって覚えますよ、何件やってきたと……じゃなくて、このシステムの仕組み的な話です」
「あー……残念ながらそれは私にも分からないわね」
「それは、他の方に聞いても分からないですかね、例えば――社長とか」
僕が社長の名を挙げた理由を挙げるとすると、この判断が一番効率が良いと判断したからである。何故か。このシステムを開発した当時高校生の少年こそが、この黒歴史クリーナー株式会社の現社長なのだ。
「社長ねー……」
「駄目ですかね」
「実は私もね、昔気になって色んな人に聞いて回ったことがあったのよ」
「色んな人に……」
行動力の良さは今に始まった事では無いらしい。
「そう、それで誰かが言っていたのよね、社長に聞いてみた事があったけど、教えて貰えなかったって」
「はあ、それは企業秘密……というより、開発者の機密事項といったような」
「なるほどね、それはあるかも。やっぱアンタ頭は良いわよね頭は」
一言余計どころかその線を考えられなかったのか。流石脳筋。と、その前に社長に聞きに行くという強者がいたなんて、鋼の心臓でも持っている人間がいたのだろうか。兎に角、一度は皆、気になる事項であったことに変わりはない。それ以上に、前述したシステム(・・・・)の(・)内容が(・)虚偽である可能性だって否定できないのだから。
「じゃあ、謎の多いシステムを私達は取り扱っている訳ですね」
「そうなるわね、って別にいいじゃないそんな難しいこと考えなくたって」
「いや、まぁ……少し気になった程度なので、これ以上考える気もありませんけど」
「うん、それで良し、ところで君」
「はい」
「電話」
言われるまで気付かなかった、すかさず受話器を取り慌てて耳に当てがる。
全く先輩も意地悪な事だ。少し位声を掛けてくれたって良いものを……と言うとまたうだうだと言われてしまいそうなので遠慮する。
***
少々珍しい客が来るのでは、と思う。というのも、大体の客は電話やメールで依頼を済ませてしまう。見知らぬ人間の前で黒歴史を曝そうなんて者はなかなかいないだろうし、それが自分だとすればわざわざ黒歴史を曝しに会社へ出向こうなんて思わない。
それが、依頼主は会社に来て話すというのだから少々驚いている。(自分のキャリア的問題かもしれないが)
依頼主は女子高校生、三日前に先輩とシステムの話をしていた時、慌てて受話器を取ったその先で発せられる声はとても大人しく、ぎこちない気がした。そんな彼女が電話より会って話したいというのだから、なんとなくイメージが……やめよう、セクハラ紛いにも聞こえかねない。(もちろん、別段その気は全く無い)
彼女はこの会社の近くの高校に通っているというので、放課後にそのまま会社へ寄るとのことだった。わざわざ黒歴史を……否、何でも無い。
四時頃になって、客人は姿を現した。
今時の女の子らしい鞄に補助バック、いかにも優等生らしいきっちりとした出で立ちであった。しかし、その表情にはどこかぼんやりとした、不安定な部分がうかがえる。
「あ、あの……」
「嗚呼、こっちです、こっち。ここに荷物を、そこの席で話聞きますから」
ついぼーっとしてしまった。いけない、最近面談する事が無かったがゆえの不始末である。などと脳内で言い訳が浮かぶがまぁ良い。事実には変わり無いのだから。後は先輩が見ていない事を願うのみだ。
彼女は席について辺りをきょろきょろと見回している。仕事場のスペースは何ら普通の企業と変わらないとは思うのだが。
「どうしました?」
「あっ、いや……広いですね」
「だんだんと依頼が多くなってきているので、社員が増える度に広くなっていったらしいです」
「はあ……」
返事が不甲斐無かっただろうか。よく人に何を考えているか分からないと言われるのだが、はて、自分とて何も考えていない事は確かである――実質自分でも分かっていないのかもしれない。
「あ、本題に入りますか。家の方も心配しますしね、帰りが遅いと」
「ありがとうございます……」
お茶を汲んで彼女の前に差し出す。それから近くのミックスペーパーの籠から一枚紙をメモ代わりにと取り出してから、向かいの席に着いた。
「ここで話した事はもちろん、誰にも漏らしたりは致しませんので。心配せず話してください」
いつもの決まり文句を告げると、彼女はそっと口を開いた。
「これを……」
彼女は自分の端末を見せてきた。画面にはSNSの書き込みが映っている。何かを嘲笑っている様な、馬鹿にしたような書き込みだろうか。
「同級生の書き込みなんですが……親友が見せてくれて、どうやら私の事みたいなんです」
「ははあ」
「今まで普通に話していた子なんですけど、最近ちょっと変な感じがするなと思ったら、まぁ……陰でこそこそという感じで……」
「こうなったきっかけと言いますか、何か原因みたいなものは分かっていたりするんですかね」
「一応……私の行動が無ければこんな事を書かれるに至らなかったと思うんです、黒歴史クリーナーって、ネットの書き込みだけじゃなくて記憶も消してくれるんですよね、だからどうか、その記憶を彼女や他の子からも消して欲しくて……」
なるほど、そんな事か。よくある依頼だ。
最近の子は、大体何かあると陰口に等しくネットに書き込むクセがあるようだと、仕事柄分かってきた。彼女と同年代の子供たちから似通った依頼が来るのである。それからその情報をリークする人間がおり、それを不快、もしくはショックだと思った人間がこの会社に傾れ込むのだ。
「ど、どうでしょうか……」
「ええ、大丈夫です。お任せ下さい」
その程度ならぱぱっと終わる。そう話すと彼女はひどく喜んで礼を告げた。
それから彼女から例の黒歴史に関する情報を貰い、データを自分のパソコンに移す。
「あ、あの……」
「はい」
「りょ、料金って……どれくらい掛かりますか……」
「この程度だと、五千円ですかね」
「えっ」
そりゃあ学生にとってみては高い金額かもしれない。しかし黒歴史クリーナーの機能を考えてみて欲しい、人の記憶からも黒歴史を抹消するのである。それを考えてみればこの値段は妥当どころか安い方だと思う。
「まぁ、お小遣いとか大変ですよね、今日すぐじゃなくても大丈夫ですよ」
「いや、そうじゃなくて……案外安かったなって」
……。
彼女は今までの貯金、それにバイト代をコツコツと貯めていたようだ。そうか……てっきり高いというかと。
ということで彼女は五千円をちょうど支払い、満面の笑みで帰って行った。これで安心だ……という前に消さなければならないのだが。
***
それから数カ月が経った。
彼女の黒歴史はすっかり削除されたようで、後日お礼の電話が来た。
礼を言われても、自分はただ情報をパソコンに入れてエンターキーを押しただけなのだが。あまりに凄い事をしたという実感が無い、だからいつもお礼の連絡が来るたびに「あ、仕事したんだ」と思う日々である。
「おーい新人」
「先輩……いつまでその呼び方なんですかね……」
「そんな事はどうでもいいの、ほら、電話、この前の子」
「どうでもよく無い……って、えっ?」
「もう、ぼーっとしないで早く出る!」
相変わらずパワフルな先輩に呼ばれて電話を変わると、まさしく例の彼女であった。
彼女の声色は、依然と同じ、大人しくぎこちない様子であった。
「お久しぶりです、あれから何かありましたか?」
「お久しぶりです、その……」
新たな依頼のようだった。
以前の黒歴史に関してはあれから何も起る事は無いという。
「新たな依頼ですかね、構いませんよ。回数制限などありませんから」
「すいません……ありがとうございます」
今回は、流れでそのまま電話での応対となった。にしても、その依頼内容は前回と比べると、とても些細なことであった。
「テストの点が悪くて……」
簡単に要約すると、テストの点があまりに悪すぎたので、その記憶を消して欲しいとのこと。以前の学校生活がしづらくなる様な状況は一切無い。成績は彼女の努力次第である。
しかしそんな事、一顧客に向かって言える立場では無い。もちろん会社が儲かる事に変わりは無いので受け入れる。
「わかりました、料金は後ほどお振り込みください」
また実感の(・)無い(・・)仕事をやってのけるのである。
***
それからというもの、彼女からの依頼が絶えなくなった。
友達の前での失言を消して欲しい。この前の予定があまり面白く無かったので消して欲しい――味を占めたように嫌な事があると依頼を持ちこむようになった。最初の大人しさも今はその影も無い。
確かに便利なシステムである。嫌な事も大変な事も消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して!
全てを、何もかも全てを!
「はぁ……」
「何―?ため息なんてついて、辛気臭い」
「辛気臭いって……いや、最近例の彼女からの依頼が絶えなくて」
「ん?誰それ、そんな子いるの?」
「え、いるじゃないですか、ほら、わざわざうちの会社まで来て話してくれた女子高生、先輩も感心していたじゃないですか」
「はぁ?最近うちに寄る学生さんなんていないけど?記録見て来てやろうか?」
「そんな、まさか、だってほら」
あまりにかみ合わない会話に嫌気がさして、ここに資料があるではないかと、ちょうど見ていた顧客リストを付きつけようと目を落とした。
(……!?)
無い。情報が(・)無い(・・)。
手元の情報が文字化けするように消えていく。今までのあの記憶は、彼女のその、この依頼は、僕は一体――
――僕は何をしていたのだろうか。手元の謎の白紙を、取り敢えずミックスペーパーに戻した。何を騒いでいたのだろうか、落ち着くためにコーヒーでも買いに行くか。
繰り返す事象、ふりだしに戻る。