野崎とあの人と
「知ってたか、中学の時、アイツお前の事好きだったらしいぞ」
何となく、そんな気はしていた。当時は全く気付かなかったが、後々思い出して「そうだったのかな」と考えたりした事はあった。
「お前に初彼女ができた頃だよ、関の母が亡くなったの」
そして、彼女と疎遠になったのもその頃だ。だが、そんな事、態々言わなくてもいいだろうに。批判を込めた目線を向けるが、彼女はこちらを向いてさえいない。
「真逆、だよな。お前と関って」
それは、境遇の事を言っていたのだろう。確かに、見様によっては私の幸せが高まった頃、彼女が不幸になっていると取れなくもない。
だが私は、その言葉の別の側面に苛まれた。本質的に真逆な彼女を、直視すればするほど、私自身の卑小さ、醜悪さ、そう言ったものが浮き彫りになる気がした。
「全くだ。本当に、嫌になるくらいに正反対だ」
自分でも驚くほど、暗い気分になった。他人の話にここまで気持ちが動かされるのも珍しい。
これは、後悔、だろうか。少し違う気がする。私は、私のしたことを反省こそしているものの、後悔はしていない。ならばやはり、後ろめたさの様なものなのだろう。
「あ、いや。別にお前を責めたわけじゃ……」
私が考えている事を大きく誤解したであろう彼女の言葉に、私は少しだけ、本当に少しだけ苛立ちを覚えた。
しかし、秘したのは私自身であり、彼女が知らないのは当然である。だと言うのに、まるで自分を理解できない相手に対するが如く、怒りを向けるのは如何なものか。
「何でもない。何でもないよ」
苛立ちは募る。無論、彼女にではなく、自身の無茶苦茶さにである。
「……本当に?」
暫し沈黙が流れる。
先程から私も野崎も、視線を合わしていない。だから、相手の表情がどんな風か、語気から素視察するしかないが、恐らく笑顔ではあるまい。
居心地の悪さから、キャスター付のソファで距離を取る。
「……ちょっと、飲み物取ってくる」
そう言って立ち上がり、ドアノブを掴んだ。しかし、次の瞬間、手に持ったコップから残った液体と氷が床に飛び散る。
「なぁ、何を隠してるんだよ」
野崎が、コップごと私の腕を強く引いたのだ。見れば、彼女の顔も服も濡れている。
「君こそ、何か私に言いたいのか」
私は、その表情を見て、ようやく今日一日の彼女が何をしたかったのかを理解した。だからこそ、敢えて嫌な言い方をした。
「泣くほど意外だったか、私がまだあの人の事を引きずっていたのが」
意外、だけで泣く訳はない。彼女の顔は、先程より更に酷いものになるが、それも承知の上で、私は言葉を続ける。
「中学の時、私が何て言って振られたか知っているか?『まだ好きだけど』って言ったんだ、あの人は。『でも別れよう』って」
当時は混乱したし、意味が解らなかった。周囲からも、何故別れたのか、不思議がられた程だ。
「君は彼女と親友だったな。何度か聞いたが改めて聞こう。何故なのか知らないか?」
とうとう、彼女は俯いてしまった。
「私は高校に行こうが大学に入ろうが、片時も彼女を忘れた事はなかったよ。そして、これからもそれは変わらない」
それだけ言うと、腕を振りほどき、部屋を後にした。料金は、無理を言ってフロントの人に預かってもらった。お釣りが出たら連れに渡してくれと少し多めに置いて来た。
幸い、カラオケルームだ。泣き叫んだって誰も聞いちゃいないだろう。そこだけは彼女にとって良かったのではないだろうか。
外に出ると、夜空に浮かんだ月が見える。普段なら優しく見える青白い光も、今日は、今だけは違って見える。こちらを見てほくそ笑んでいる様にも、何処か哀し気に涙を流している様にも見えた。
あの優しさが、この光と似た色合いであったのだとすれば、私はなんて間抜けだったのだろう、と思った。