すれ違うスーツと連れる犬
翌日、森は朝から病院で検査だと言うので、一時間程の仮眠をした後、帰路についた。なんでも、剣道経験者にはよくある腎臓の持病らしい。前日に酒を飲んでいいものなのかと問うたら「まぁ肝臓じゃないし大丈夫だろう」との事だった。
今日は日曜日だと言うのに、街には既にスーツを纏った人達が行きかっていた。そんな中に私もいずれ混じるのかと考えるとぞっとしないが、逆にあの中に混じる事の出来ない自分と言うものにより恐怖した。居ても立ってもいられず、急ぎ足で街を通り抜けた。
先週こちらに戻って、色々立て込んでいた為に今まで余り考えていなかったが、明日からの生活はどうすべきだろうか。大学を出た同級生達ももう昨年から働きに出ている。
今日はまだ日曜なので問題ないが、平日の昼日中に、時間の開いている人間はそうそう居るものではない。そう思うと、世界の全てから取り残されたかのような感覚に陥った。
「ただいま」
そう言って玄関の扉を開くと、飼い犬が飛び出していこうとする。その首輪を引っ掴み、乱暴に家の中に押し込もうとすると、わん、と一つ大きく吠えた。それに呼応するように、洗濯物の山を抱えた母が現れる。
「おかえり。暇なら散歩行ってきてあげて。昨日お父さん遅くて行けてないから」
と犬の方を見ながら話しかける。別にその視線には何ら意味はなかったのだろう。だからこれは私の考えすぎだ。しかし、ここに着くまで考えていた事と、「暇なら」と言うワードの奇妙な符号に、昨日飲んだものを全て吐き出したい気分だった。
「解った」
なるべく心境を悟られない様に短く応え、玄関脇に置いてあるリードを手に取る。早く外に出たいのかそわそわと動き回る所為で、上手く首輪を取り付けられない。もどかしさに苛々していると、わん、ともう一つ吠えた。
「お前は気楽でいいな」
頭をぽん、と撫でてやると少し落ち着いた。その隙にリードを取り付け出発した。
と言っても、私は普段から犬の散歩はそんなに長い時間かけたりはしない。父は平気で二時間程歩き回っている様だが、私は十分もすれば帰ってきてしまう。
飼い始めた頃でこそ、帰路につこうとすると反抗してきたが、今はもう諦めているのか、二、三度リードを引っ張るとトボトボと着いてくる。可哀想だと思わなくもないが、父と行く時に満足させてもらえばいい。