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第7話 優しい抱擁

 俺は目を覚ました。ここは安眠を妨害する耳障りな目覚まし時計は存在しない。携帯を見ると時刻は午前9時30分だった。部屋は朝日が入り込み、白い壁が清潔感を醸し出していた。


 この家は三階建て、しかもプール付きの豪邸だった。彼女と以前チャットをしていた時聞いたことだが、ロリリンの父親はフランス国営貿易船舶の船長を勤めており、彼の収入により一家は裕福に暮らしているのだ。



 俺が以前住んでいた日本とはまるで家の広さと作りが違う。階段を降りて一階に行くと、ガラスの窓から広い芝生が見えた。素晴らしい庭作りに感心してガラス越しに芝生を眺めていたところ、後ろから声が掛けられた。


「あら、おはようレン」


「おはようごさいます。ミセスヴァイオラ」



 振り返ると、そこにいたのほっそりとした体を持つ落ち着いた雰囲気の女性だ。この人はヴァイオラ。ロリリンの母だ。俺を今回ホームステイに受け入れてくれた懐の広い女性だ。


「こっちはもう慣れたかしらー?」


「いえ、日本からだと時差があるので少し眠いですね」


「あらあら、それはいけないわねー。目覚ましにコーヒーと朝食はどう?」


「すみません。頂いても宜しいですか?」


「もちろんよ!」


 俺はヴァイオラがコーヒーを入れている間にロリリンのことを考えた。彼女とふとしたきっかけで出会ったのは去年の春。


 インターネットの友達募集掲示板をなんとなく眺めていたところ、ある書き込みを見つけた事から始まった。



''アニメ、と、日本料理、が、好きです!友達、が、ほしです!''


 辿々しい日本語で書き込まれたその言葉に興味本意でメッセージを送信したら、翌日すぐに返事が帰ってきたのだ。


''私、と、Skypeしませんか?''



 それ以降、俺はのめり込むように彼女とチャットをするようになった。その時俺は19歳で、初めての外国人の友達が出来たことが嬉しかったのだ。ロリリンは日本語を書くことも読むことも出来なかったので、コミュニケーションはすべて英文だった。


 まるで英語が苦手だった俺はGoogle翻訳を使いながら辿々しくチャットをしたが、それでも彼女と過ごす時間は楽しかった。



 ロリリンと知り合って三ヶ月ほど経ったときだ。だいぶ英文を書くことに慣れてきた頃、彼女からある誘いを受けた。



《ねえ。レン頼みがあるんだけど…》


《どうしたの?》


《フランスでは舞踏会があるんだ…プロムっていうんだけど》


《それ聞いたことある。踊ったりするの?》


《うーん。まぁそうなんだけど…困ったことに、必ず異性のパートナーを同伴しなくちゃいけなくてね》


《へえ。かっこいいな。ところで君はパートナーは決まってるの?》


《それなんだけどね…レンが私のパートナーになってくれるといいかな?とか思ってるの!》


《…え?》


《えへへー》


《……はぁ?それってフランスでやる舞踏会だよね?》


《えへへ。そうだよ》


《つまり俺にフランスに来て欲しいってことかな?》


《そのとおり!》





 その次の日から、俺は必死に中華料理店でウェイターとしてアルバイトを始めた。


 フランスへの渡航費を稼ぐのにかなり無理してアルバイトをやったため、大学の成績がガクンと下がった。


 別に裕福な家庭の生まれでもない俺は海外旅行なんて行ったこと無かったし、親が渡航費を出すはずがないことは分かってたから…半年間アルバイトをして渡航費の総額45万あまりを貯蓄したのだった。




 そんなこんなで俺のホームステイの計画が決まり、ロリリンと相談しながら彼女とプロムに参加するという壮大な目標が立ち上がったのだ。



「コーヒー出来たわよー」


「ありがとう。ミセスヴァイオラ」



 ヴァイオラが入れてくれたコーヒーを飲む。味はブラックだった。豆の香りが香ばしい…そのコーヒーの苦さとコクが心を落ち着かせた。


「すごく美味しいコーヒーですね」


「そうでしょ?ロリリンのお父さんがアフリカの港に寄った時に買った豆なのー」


「それは…凄いですね。そんな高級な物を頂いてもいいんですか?」


「いいのいいのーレンはお客さんだから」


「ありがとうございます。ところでロリリンはまだ寝てますか?」


「あらーあの子は今日学校よ。七時に家を出ていったわ」


 九時半まで爆睡していた俺は、恥ずかしくなって顔が赤くなった。そうか学校…ロリリンはまだ高校生だったんだ。


「すみません。寝てました…」


「謝らなくていいのよ。時差ボケもあるでしょ?それに朝食もとらなくちゃ!お腹すいてるでしょー」


「あの…」


「ん?なにー?」


「ありがとうございます」


 俺のお礼に灰色の美しい目を輝かせながらヴァイオラは笑顔を浮かべた。



 朝食を食べた後食器を洗い、俺はヴァイオラの指示に従って家を掃除機をかける。


 ロリリン一家の好意で、俺は滞在費を払っていない。正確には、ユーロが入った封筒をヴァイオラに手渡ししようとしたが、彼女は頑なに俺が用意した現金を受け取らなかったのだ。


 そのとき''あなたはロリリンのお客さんだからそんなことしなくていいのよ!''と笑顔で言われた。そこで俺はせめて家事だけでもやりたいと言ったのだ。





 広い家の掃除がようやく終わると、時計の針は1時を指していた。もうすぐ学校が終わる時間だ。



「レン!ロリリンのこと迎えに行くわよ!」


「分かりました。ミセス」


 俺はコートを来て、ヴァイオラと一緒に車庫まで歩いた。彼女が手に持っていたスイッチを押すとシャッターが上がり、車庫からぴかぴかのメルセデスベンツが登場した。何もかもがすげぇ…財力の違いに俺は言葉を失った。


 メルセデスベンツで市内を10分ほど移動したら、すぐに学校に到着した。そのまま門の側に車を寄せて構内を観察する。ちょうど、学生達が校門から出てくるところだった。


 しばらく待っていると見覚えのある女の子が友達と会話しながら出てきた。最初に空港であった時もそうだが、とても驚いた。ウェーブがかったふわふわの金色の髪。白人特有の美しさと合わさって超美少女だからだ。


 高い鼻と立体感のある顔つき、少しだけ憂いを帯びた青空のような青い瞳。美しい柔らかそうな金髪。細く長い真っ直ぐの手足。彼女は洗練されており、他の生徒よりも一際目立っていた。


 俺はあまりの美しさに息を飲んで、空港で一目惚れをしていたのだ…二日目になってもまだ慣れない。


「ロリリーン!!」


 ヴァイオラが彼女を呼ぶと、友達と会話を止めて、小走りにこっちに来た。


「あら、待ったかしら?」


 彼女が車のドアを開けて入ってきた。助手席に座る。


「今来たところよ。さー帰りましょ!ご飯を食べて家でゆっくりしましょー」


「うん。ママ」


「あーえと」


 そこで俺が割って入る。なんだか存在が忘れ去られそうだったからだ。


「どうしたの?レン」


「あーなんだ、おかえり。ロリリン」


 彼女は深く澄んだ青空みたいな目で俺を見つめた後に、満面のほほ笑みを浮かべた。


「ただいま!」










 夕食中。彼女の美しい顔をまともに見ることができなかった。ロリリンの青く澄んだ目で見つめられるとどうしてもこそばゆいような、気恥ずかしさを感じてしまう。それに俺はフランスでは食事のマナーが重要だと聞いたから、とても緊張しており胃に穴が開くようなストレスを感じていた。


 夕食に出されたのはフレンチ風のクラムチャウダーとトンカツだ。長ったらしい名前があったけど、忘れた。ヴァイオラの手作り料理は凄く美味しかった。


「ねぇレン。なんか緊張してない?」


「え!いや、あーどうだろ?」


「もっと自然でいいよ。ガチガチだと気まずいよ」


「わ…悪い」


 こほんと俺は息を整えて仕切り直した。


「あーロリリン!ところで君はとても肌が白いね!」


「うん。日焼けが嫌いなの。私は外で遊ぶよりも、パソコンいじってる方が好きだしね」


「そういえば俺たちいつもチャットしてたよな」


 うーん。とフォークをテーブルに置いて、人差し指を唇に添えて考えるロリリン。


「最高記録は何時間だったかしら?」


「たぶん…7時間くらい?」


「あはは。私達おかしいね!」


 俺達はお互いに目を合わせてクスクスと笑い合う。その様子を見たヴァイオラがフライパンを洗いながら声を掛けた。


「あらあらー中が良くて大変結構だけど早く食べちゃってお風呂入りなさい。二人とも疲れてるでしょ?」


「ふむ…そうね」


 上品にフォークとナイフを動かす彼女の白くて細い指はとても美しかった。まるで映画のワンシーンみたいな…夢の中みたいな…こんなに幸せな時間を現実で過ごせるなら、どうして異世界なんかに行きたがるんだろう?


 俺にとってはフランスは最高の異世界みたいなものだ。でもここは紛れもない現実だ。時差七時間の壁の向こうに日本がある。


 そこで俺の親や友達や親戚のみんなが暮らしてる。そして俺は向こう側からこっちの世界にやって来た。ロリリンを抱きしめた時のはっきりとした感触と、クラムチャウダーの甘さも、銀製食器の音も全てリアルだった。



 夕食が終わるといつの間にか空は真っ暗になっており、時間が早く過ぎてることに気付いた。


 俺は食器すぐ片付けた後シャワーを浴びると、居間にはロリリンがソファーに座っていた。彼女も髪が濡れていた。どうやらシャワーを浴びたようだ。金髪の濡れた髪が頬に何本か張り付いている。ピンク色の頬が色っぽかった。俺も彼女の隣に座る。



「ねね?私の家のシャワーどうだった?」


「水量を調節するノズルの向きが日本と逆だから最初は戸惑ったけど、すぐお湯が出てきて快適だったよ」


「そうかそうか…良かった良かった!私の家にはお風呂が三つもあるの!すごいでしょ?」


「ああ…ほんと凄いよ。びっくりした。家も広いし」


「ずーっとここにいてもいいからね!」


「ええ…!?まぁそれは凄く良いアイディアだけど…」


「でしょ?」


「なあ…ところでプロム…舞踏会の準備とかしなくていいのか?」


「あ…あれね」


 ロリリンは目を明後日の方向に反らすと、間を置いて答えた。


「まぁそのうち準備しようね」


「分かった」


 俺は心の中で、彼女にとっての最高のパートナーに絶対なると決めた。


 東の国から来た日本人。紳士として絶対彼女に恥を掻かせないよう勤めよう!


 


 ふと彼女を見ると色っぽいピンク色の頬…それと濡れた金髪の奥に何かを期待するような、爛々と輝いている青色の目が俺を真っ直ぐ見つめていた。


 華奢でほっそりした体にふかふかの毛皮を纏った高貴な肉食獣みたいなロリリン。なんとなく雰囲気で感じたことだが、彼女は待っていた。俺はそれがはっきりと分かった。


「ロリリン…」


「ん…?」



 俺は、彼女の細い肩をそっと抱き締め、頬にキスをした。それはただ触れるだけの、一瞬のキスだった。




「挨拶のほっぺキス…やっとしてくれたね…レン」


「ごめん。恥ずかしくて空港では無理だった」


「ん…」



 彼女は腕を広げ俺を優しく抱きしめた。


 まるで子どもをあやすように。


 柔らかくて暖かい胸の感触が俺の頬に触れた。目を閉じると彼女の鼓動の音が聴こえる…子供の時に母によく抱き締めてもらった思い出が頭の中に浮かんだ。



「ようこそ我が家へ。よろしくね。レン」


「…うん。ロリリン」



 俺は彼女の献身的な愛情に危うく溺れかけるところだった。


 男は誰しもが母性に脆いのだ…そんな下らないことを考えながら目を閉じた。




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