第十二話 オアシスと狙撃兵
「あー死にたい…鬱だ。年頃の女の子の考え方がわからねぇ」
突如、そんな言葉が頭に浮かんだ。心の中で呟いたつもりだったがしっかり口に出していたらしい。
「はい?いきなりどうしたんですか。エドワード軍曹!」
「マイク…気にするな。エドワードは時々、意味が分からねぇんだ」
「そ、そうですか…」
俺の突然の独り言に反応する部下達。俺も、自分自身に困惑していた。実際、なぜそんなこと急に呟いたのか俺だって分からないんだ。
軽く咳払いして誤魔化す。
「いや…何でもない。ところで俺達かなり歩いたよな。マイク、距離は後どれくらいだ?」
「……?ええと、そうですね。あと2km程度でしょう。エドワード軍曹、ジープでもあればいいんですけど」
「いや、自動車は目立つ。それにエンジンの音、タイヤの痕跡が残って活動が敵にバレバレになるから徒歩で偵察するしかない」
「はは…僕たち貧乏くじを引かされましたね」
「二日間隔で偵察任務とは…上層部のやつら、ずいぶんコキ使ってくれるよな。エドワード…なんとかならんのか?」
「そうですね…」
「この任務が終了したらウィリアムを通して上層部に掛け合ってみる。後少しだから頑張ってくれ」
「ラジャー…」
指揮下の12人の米兵達は、隊列を組んでひたすら、フランスの田舎道を歩き続けた。
すでに、安全地帯から離脱して警戒区域の森林地帯に入っていた。この偵察行動には意味がある。敵はあちこちに出没しており、もし反抗の前兆があれば、それを事前に阻止しなければならないのだ。
カーン市に立てこもった敵部隊がかなり強力なため、連合軍は出鼻を挫かれることとなった。
敵戦力の抵抗が激しいために予断を許さない状況となっており、連合軍は占領地域の偵察を欠かさずに行っている。
そして、我々の小隊は前回の戦闘で多大な貢献をしたため、お偉いさん方からの指示で、常に最前線に投入されることとなった。マイクが貧乏くじと言ったのにも頷かされる。
「なんだか色々と疲れたぜ…日没前に夜営地に帰りたいところだな」
「何事も起こらなければいいんですが…」
「おいおい、マイク…フラグを立てるのは止めてくれ…」
「まったくだぜ!不吉な事言うのは止めろよ!ガハハ」
トムがBARを担ぎ直して笑い飛ばした。平和で何よりだ。六月の心地よい気温は行軍をずいぶん楽にさせたが、あまりの激務に兵達はくたくたになっていた。それに青空の向こうからどんよりとした雲がこちらに向かっていた。マイクがその暗雲を指差した。
「軍曹、嵐が来るかも知れません…」
「目的地まで後少しだ。そこまで偵察したら、さっさと引き上げるぞ。どうせ何もねぇよ」
「同感です」
「俺もそいつに一票だ」
皆の意見が一致する。あぁ…疲れた。早く基地に帰るか休暇が欲しいぜ。もう偵察任務をぶっ通しで続けて二週間だ。肉体的にも精神的にも限界だった。
俺たちはひたすら黙って、森林地帯を歩き続けた。
しばらくして、前方に密集していた木々を抜けると、少し開けた場所に着いた。
そこには広い庭を持つ二階建ての一軒家があった。これは…人が住んでいるかもしれない。俺は一気に警戒感を高めた。
「総員…静かに伏せろ」
俺が呟くと、兵士達は音を出さないように気を付けながら木々の後ろにしゃがみこんだ。表情は一気に強張り、全員が殺気を放つ。
「了解。あれは…民家でしょうか?」
「俺にはそう見えるぜ。マイク」
「あぁ…もしかしたらドイツ兵がいるかもな…」
「どうする?エドワード」
「あぁ…そうだな」
思考をぐるぐる巡らせると、小声で後ろから声が掛けられる。
「僕たちが偵察して来ましょうか?」
振り向くと、二人の兵士がニヤニヤしながら挙手していた。細くて慎重が高いアンドレイと、小太りのトーマスだ。俺が軍曹になった後、二人とも新しく部隊に転属して部下になったのだ。
階級はどちらも一等兵…実戦経験が無い二人に偵察させるのは危険だと一瞬で判断する。
ここは俺が行くしかないな…いつも通り指示を飛ばす。
「アンドレイとトーマス。お前らはマイクの指揮下に入って後方を警戒しろ。マイク…分隊の指揮を宜しく頼んだぞ」
アンドレイとトーマスの顔が一瞬だけ不満げな表情になる。しかしすぐ媚びるような目付きで頷いた。なんだ…?こいつら、気持ち悪い…
少し引っ掛かったが、マイクが勢いよく返事した。
「ラジャー!」
続いて指示を出す。
「残りの兵士はここで待機してくれ。何かあれば支援火器で援護しろ」
「「了解!」」
「トム。お前は俺と一緒に来い」
「…分かった。エドワード」
「よし。行くぞ…」
その言葉を合図に全員が頷く。マイクは、アンドレイとトーマスを含めた半数の兵を引き連れて後方に移動する。残りの兵士は武器を民家の方向に構えて、射撃態勢に入った。
俺もトンプソンを肩から外して、いつでも発砲できるように構えた。アドレナリンが放出されて心臓がバクバク動いている。
二人でしゃがみながら、ゆっくりと民家に近づいていく。その時、トムが俺に小声で囁いた。
「偵察ならアンドレイとトーマスで良かったんじゃないか?」
「あいつらに任せられない。嫌な予感がしたんだよ。それに、お前が一番信頼できる」
「信頼も糞も…皆、あんたの部下だろ?」
「どの集団にも良い奴と悪い奴がいるからな。トム、お前は前者だろ?」
「あぁ…いや。悪いが、お前の言ってる意味がよく分からん」
その民家の前に辿り着く。
「…ドアだ。開けるぞ」
「ノックしてみるか?」
「いや…音は出すな」
「了解した」
ドアノブに手をそっと掛けると、ゆっくりと回した。鍵は掛かってない。ギギィ…と不愉快な音を立ててドアが半開きになる。室内に一歩足を踏み入れ…一気に見渡す。続いてトムが機関銃を構えながら家に踏み込んだ。
家具とテーブルに散乱した食器…火が着いた暖炉。ok.人が居る。問題はドイツ兵か否かだ。トムに手をひらひら降って合図する。
《ここで待機》
《了解》
俺は銃を構え直して居間を歩き回った。リビングに向かい誰もいないことを確認する。どうやら一階は無人みたいだ。トムに目配りして二階に上がる事を伝えた。
《二階に、行くぞ》
《気を付けろ》
トムの合図に手をひらひらと動かして返答する。そのまま、二回の階段を一歩ずつ上がって行った。
ギシギシと木製の階段を軋ませながら進むと部屋の扉…おそらく寝室だろう…を開けた。そこにはベッドと机と、カーテンの空いた窓と…
震える三人の女が居た。
30台後半に差し掛かったであろう黒髪の美しい妙齢の女性と、茶髪の髪の毛の二人の女の子。片方は17くらいだろうか?体の線を隠しているが胸が大きい。
もう片方は13くらいにしか見えないが…とても整った顔立ちをしていた。
三人とも震えていて、17くらいの女がこちらを睨みながら、二人を庇うようにして立っている。
俺はゆっくり銃を下ろして、三人を観察した。スコット伍長は確かフランス語の辞書を持っていた筈だ。
しかし、今彼はこの場にはいない。スコットの分隊は俺たちと離れて、北上している。その判断を悔やんだ。
取り合えず、睨み合っても仕方ないので話しかけた。
「アメリカ兵だ」
「xxxxx.... 」
「誰か…英語は話せるか?ボンジュール。マドモアゼル」
「xxxxx Yes.. . . 」
問いかけに答えたのは17歳くらいの女だ。どうやらコミュニケーションは可能なようだ。
「安心してほしい。危害を加えるつもりはない」
「xxxxx... 」
「俺はフランス語は分からないんだ。英語で頼む。それと君の名前を教えてくれ」
「はい…シェリー」
シェリーと名乗った女は辿々しいフランス語訛りの英語を話した。
「シェリー、家の中に人はいるのか?」
「人、いない…三人だけ」
「男はどうした?父親は?」
「パパ、兵士…二年いえ来ない…」
「…そうか」
俺は胸からタバコを取り出して口に咥えると、マッチを擦って火を付けた。ニコチンを取らないとやってられない…そんな気持ちと共に白い煙を吐き捨てる。煙の中には俺の深い溜め息も含まれていた。
シェリーの後ろに隠れていた、美しい女の子が咳き込んだ。喘息なのだろうか…?
もう一服だけ吸って、タバコの先をトンプソンの銃床に擦り付けて火を消した。シェリーはそんな俺の行動をじっと見つめていた。
「ドイツ兵がどこに居るか分かるか?」
「ドイツ人、たくさん、朝、近くに、居た」
「どこだ?」
「西…今は、知らない」
「分かった。十分だ。協力に感謝する」
「え.. ?」
「30分だけでいい。このまま動かずじっとしてろ」
「なぜ…?」
「庭に、俺の部隊がいるからだ」
「…はい…静か、にする…」
「良い子だ」
俺はタバコをポケットに戻すと、銃を肩に掛け直して、寝室から出る。ゆっくりとドアを閉める瞬間、シェリーがありがとう…と消え入るような声で呟いた。俺はあえて大きな音で床を踏み鳴らしながら、トムが待機する一階へと戻った。
「トム。二階に腰の悪そうな老いぼれの夫婦が居ただけだったぜ。肩透かしだったな」
トムはガサガサと戸棚を物色して…食料や備蓄品をテーブルに並べていた。
「なるほどな。二人とも敵じゃないのか?ところでエドワード。こいつを見てくれ。ワインにフランスの茶葉もあるぞ!」
「二人ともただの民間人だ。それと、酒も茶葉も夜営地に戻れば腐るほど手に入るだろ?全部置いてってやれ。あいつら、死にそうなくらい痩せてたんだ」
「むむ。それはそうだな。分かったよ…エドワード」
残念そうにワインをテーブルに戻すトム。こいつは単純だが良い奴なのだ。
「ドイツ兵が西の方角に、朝の時点で偵察していたらしい。ここは危険だ」
「どれくらいの人数だ?」
「たくさん、と言っていた。軽く見積もって小隊規模だろうな、こいつを無線でHQに報告するぞ」
「つまり…偵察任務は完了ということなんだな?」
「情報収集が目的だ。交戦する必要はない」
「了解した。さっさと戻ろうぜ」
「あぁ…撤収しよう」
三人の女達が住む家から、無事に帰ってきた俺たちを見て兵が緊張を解いたのか銃を下ろし始めた。大きな無線を担いだ兵士を側に呼んで、本部に無線するように指示した。そいつはすぐに無線機をいじり始めた。
「トム。マイクの分隊を呼んできてくれ、すぐ出発しよう」
「あぁ…分かった。エドワード、しかし…」
「どうした?」
空を指差すトム。
「雨が降りそうだ」
マイクが戻ってきた頃には、すでに本部への報告と、スコットの分隊に連絡が終わっており。基地に向けて帰還する所だった。兵士達の体は疲れ果てており、足取りは重かったが黙々と元来た道を引き返す。
俺の隣に二人の兵士が近寄ってきた。アンドレイとトーマスだ。小太りのトーマスがへらへらした口調で話しかけた。
「エドワード軍曹~あの民家に嗜好品はありませんでしたかぁ?チーズとかウインナーとか。あるいは金になりそうな時計とかぁ?」
「あぁ?」
「…いやぁ冗談ですよぉ…ははぁ」
「なんだ。トーマス…もう一度言ってみろよ」
「すいませんね…軍曹。こいつは食いしん坊なんすよ。おい。デブ!軍曹に謝れよ」
「いやー軍曹、申し訳ありませーん。ぐふふ」
その場を取り繕うようにアンドレイが割って入ってきた。なるほど、俺は違和感の根元を理解した。やはりこいつらをあの家に入らせなかった事は正解だ。
「作戦中の私語は慎め。異常があれば報告しろ」
俺はそいつらの顔も見ずに吐き捨てた。その態度に二人が苛立って、舌打ちする音が後ろから聞こえた。
「…あいつ…ちょっと前まで二等兵だったくせに…偉そうにしやがって…」
「シッ聞こえるぞ…ふふ」
無視して歩き続ける。ポツポツと雨音が聞こえて頬に冷たい水が一筋流れるのを感じた。
「やっぱり雨だ…」
マイクが呟いた。俺は頭を抱えそうになった。なぜなら雨で行軍の足跡が残ってしまうからだ。
「エドワード…あの家に引き返すか?」
トムが俺に意見を求めた。しかし…俺は急にニヤニヤし始めたトーマスとアンドレイを見た。その後ろに疲れきってストレスの溜まった兵士達…
そして、あの家には無防備な女が三人。俺は迷った。しかし…
「Noだ。このまま進むぞ。あの民家には12人の兵士を賄う食料が備蓄してなかった。一晩飯を抜くのも疲れるだろ?どのみち後一時間程で夜営地だ」
「それは…そうだが。まぁ、お前がそう言うなら俺は指示に従うまでだ。エドワード」
「ああ、もう少しの辛抱だ…」
まさかその判断が間違ってると、たった30分後に思い知らされるとは想像すら付かなかった。
ドォン!!!
戦闘の始まりは一発の銃声から始まったのだ。森林地帯に入る頃には土砂降りの雨が降っていて…遠くで雷が鳴り響いていた。
そんな時にペチャクチャと小声で話してるアンドレイの頭がまず最初に吹き飛んだ。
「え…え?」
「敵襲!!!伏せろ!」
咄嗟にマイクが叫び、混乱したトーマスは硬直したまま頭に疑問符を浮かべていた。
ドォン!!
「…あ!」
狙撃主の放った二発目の弾丸がトーマスの喉を撃ち抜く。見事な腕前だった。
「ぐぶぶぶぶ!ぶびぃ!」
喉を撃ち抜かれたトーマスは絶命には至らず…殺される前の豚みたいな声を出しながら、バタバタと手足を動かして地面でダンスする。
「トーマス一等兵!」
マイクが飛び出してブルブル震えるトーマスの両足を引き摺った。あれじゃ…良い的だ!
「よせ!!頭を上げるなマイク!」
「軍曹…!」
俺は叫んだが、遅かった。マイクの頭がパッと吹き飛び。血と脳漿が地面に飛び散った。
ヘッドショット。
「…この糞野郎があああああ!出てきやがれ!」
ドドドドドドドドッ!
逆上したトムを筆頭に、マイクの部下達が出鱈目に射撃する。この射撃は無駄だ。相手にわざわざ位置を教えてるようなものだ。森林の中で銃声と怒号が響き渡り、一人、また一人と狙撃で倒れていった。このままでは全滅する。俺は怒鳴った。
「待て!発砲は控えろ!」
なんとか統率を保ち、この死地から脱出しようとしたが…その時既に詰んでいた。回りからドイツ語が聞こえてくる。しかし彼らの姿は見えない。
「エドワード……!」
トムの悲痛な声、囲まれたのか。
「クソッ…」
やはりトムとマイクの忠告どおり、あの家に留まるべきだったのだ。我々の足跡を追跡したのか、別動隊がいたのか定かではないが…我々が待ち伏せ攻撃を受けていると言う事実に変わりはなかった。
前方の木々の間から小銃を持ったドイツ兵がはっきりとこちらに突撃してくるのが見えた。
俺はトンプソンを構えると、そいつらに向けて弾層が空になるまで撃ちきった。何人か血を撒き散らしながら倒れた。
が、そこまでだった。
肩に衝撃ーーーーーー
ドォン!!
「……ッ!?」
痛みと銃声が同時に五感を刺激し、俺の視界が急速に暗くなっていく。
いつの間にか俺もトムも倒れていて、自分の体から流れ出る血が雨に打たれて地面に広がってた。その視線の向こうから何人もの兵士がこちらに向かって来るのが見えた。
なるほど、これでチェックメイトか。今回は結構長かったな。誰が指揮官なのか知らねぇが…完敗だ。やるじゃねーか。口許に隠しきれない笑みが溢れた…
「ふふっ」
そんな時なのに何処かの記憶が呼び起こされる。可愛い女と過ごしたあの大切な時間だ。
あぁ…あいつに謝っておかないと…俺は…ちゃんと向き合わないと…いつも優しいあの娘の笑顔がふと頭に浮かんでは消えてった。
ドォン!!!
続いて頭に衝撃ーーーーー
世界が闇に飲まれた。