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 官邸対策室で動きがあった。

 交渉人に指名されていた男性から連絡があり、犯人グループの要求が伝えられた。そして対策室の大型スクリーンに、ある映像が映し出された。

 おお、と室内がどよめいた。

 人質にとられている三人だった。

 中央に総理大臣・真壁慎之助。右に秘書官。左に運転手。

 その運転手はSPではない。SPは全員殺害されている。護衛の車を運転するのはSPだが、総理専用車を運転するのは官邸職員なのだ。つまり、総理を守り抜くことができるかもしれない人間は、画像のなかにはいないことになる。

「これは、インターネットで配信されている映像のようです」

 辻本の言葉に、その他大勢は嘆きにも似た声をもらした。

「不特定多数に観られているのか!?」

「いいえ、いまのところは。パスワードを入力しなければ、観ることはできないようです。ですが、素人でも解析することは簡単なようで、いずれは……」

「な、なんとかならんのか!? このことを国民に知られるわけにはいかん!」

「ちなみに、この映像は『鳳心教』という名前のサイトから観られます」

「鳳心教……」

 だれかのつぶやきが、鐘の余韻のように響いた。

「鳳楽院のぼるの釈放……すると、犯行グループは、信者か」

「その可能性が高いですね」

 辻本の声は、あくまでも冷静だ。

『鳳心教』という名は、あまり一般的には知られていない。知られるまえに、ある場所へ隔離したからだ。

 日本で最も有名なカルト教団は、例の事件を起こした『O教』だろう。まさしくテロ教団の顔をもっていた。だが鳳心教は、そういったものではない。

 しかし、弾圧された。秘密裏に──。

 教祖をはじめ、多くの幹部は逮捕された。

 罪状は、でっち上げだった。未解決の殺人や放火の容疑で捕まえて、裁判でも有罪になっている。しかも、裁判は非公開でおこなわれている。いや、傍聴人もいるにはいたのだが、すべて仕込みだった。

 当然のごとく、被告人たちは無罪を主張したのだが、裁判記録では、素直に犯行を認めたことになっている。被告が、鳳心教の信者、もしくは教祖であるということも、記されていない。

 弁護士も買収されていたから、判決に異をとなえる者はいなかった。被告の声も、黙殺された。

 国家は、鳳心教の存在を認めるわけにはいかなかったのだ。

 過激なテロ行為を企てようとしていたわけでもなかったし、政府が恐れをなすほどの信徒数があったわけでもない。

 なのに、弾圧された。

 理由はもちろんのこと、表沙汰にはなっていない。

 できない。

 一国の首相が洗脳されたなど……。

 当時の総理大臣は、まさしく与党の重鎮だった。いつ総理になってもおかしくないと言われつづけ、ついにその椅子を手に入れた。

 が、そのときには、すでに鳳心教に心酔していた。マスコミに嗅ぎつけられるまえに、公安が気づいた。幸いなことだった。

 政治家が宗教を信じていけないわけでは無論ない。しかし、それがカルトとなると話はちがってくる。『O教』のときは、警察官や自衛隊員にまで信徒が拡散し、結果いろいろな犯罪行為がおこなわれた。もし、総理大臣がテロ活動に巻き込まれたら……もっといえば、自ら起こそうとしたら……。この国を鳳心教の国につくりかえようともくろむかもれない。

 公安主導で、その対策が練られることになった。

 まず、首相には急病になってもらった。名目上のことではなく、本当に。

 殺さないように、薬を盛った。

 そのうえで、教団には消えてもらった。それが、でっちあげの逮捕劇だった。

 急病となった総理には、頃合いを見計らって、いなくなってもらった。比喩ではない。口封こそが、完璧な秘密保全なのだ。

「鳳心教の残党か……」

 だれかの言葉が、辻本の耳に届いた。ここにいる人間でも、その闇を知らない者も少なくはない。いまの発言者は、内情を知っているようだ。

 辻本は、警備局長として部下に指示をあたえる立場だった。裏の隅々まで、事の顛末を知り尽くしている。

 鳳心教は、その後──ある場所でしばらく生き長らえることになる。教祖や幹部たちは有罪になったあと、刑務所ではなく、ある隔離施設に収容された。その場所のことは、軽々しく口にできない。この国のなかでも、最重要項目に入る機密だからだ。

 とにかく、その土地で布教されていった。

 結果、その隔離地にいたすべての人間が信者になってしまい、そのことが鳳心教の息の根を止めることにつながったのだ。

「犯人からの要求は三つ──」

 すでに、みなに知れ渡っていることを辻本は繰り返した。場の平静を取り戻すためだ。

 一、鳳楽院のぼるの釈放。

 二、身代金として三〇億を用意する。

 三、犯人グループを海外逃亡させる。

「いずれも無理な注文だ」

 室内の空気が、その思い一色になっていた。

 テロには屈しない──それが、現行世界の常識だった。たとえ、それが一国の首相を人質にとられていたとしても同様だ。

「赤軍の時代じゃあるまいし、超法規的措置などありえない。身代金も法外すぎる」

「辻本さん、どうするつもりだ!?」

 飛び火した話題を、辻本は、しかし涼しげな顔で受け流した。

「むこうも、これが通るとは思っていないでしょう。ここからが、交渉ですよ」

「本気だったとしたら!? 総理だけじゃないんだ……奪われてるのは」

「ご安心を。必ず事態を収拾させます」

 やはり、自信ありげに辻本は語った。


         * * *


 あれから、一時間ほどが経過した。部屋には時計のたぐいは見当たらないので、あいかわらず時刻は不明だ。外からの陽光で、正午にはなっていないということしかわからない。

 ベルが鳴った。黒電話の音は心臓をドキリとさせる刺々しさがある。子供のころ、それでよく驚いたことを思い出してしまった。

「もしもし?」

『官邸対策室です』

 さきほどと同じ声だった。

「検討してもらえましたか?」

『はい……ですが、囚人の釈放は簡単ではありません。それに、身代金も多すぎます。犯人側に譲歩するようにお願いしてください』

 予想どおりの言葉が並んだ。

「しかしですね……ぼくも人質の一人のようなものです。ぼくのほうから譲歩を引き出すのは不可能です」

『あなたは交渉人のはずです。犯人と交渉してください!』

 口調が変わっていた。有無を言わさぬ強さが込められていた。これまでの態度は演技で、本質は、彼らに都合のいいよう、こちらを操りたいのだ。

 最初、仙道は、犯人側との交渉だけをさせられるのだと考えていた。だが、そうではない。そうであると同時に、国家側との交渉もしなければならないのだ。

 板挟み状態だ……仙道は、絶望的にそう思った。

「わかりました……できるだけ、やってみます……」

 そう言うしかなかった。

 電話を切ると、扉をノックした。見張りの兵士が扉を開け、顔を出す。

「あの……むこうからの要求を伝えたいんですけど……」

「要求を伝えるのは、こちらからだ」

 兵士に冷たく言われた。

「で、でも……とにかく、リーダーの方と話がしたいんです!」

「……『9』だ」

 それだけを口にして、扉は閉まった。

 仙道は、席にもどった。ダイヤルの『9』に指を入れる。時計回りに動かした。

『なんですかな、交渉人様』

 ワンコールで、あの老婆が出た。

「ぼくの話を聞いてください……身代金の三〇億というのは、多すぎます。もう少し現実的な金額を提示してくれませんか?」

『それはできませんな。充分に適正な金額だと考えております』

「で、ですが……先方は、多すぎると……」

『多いものですか。この国の内閣総理大臣が人質になっているんですよ。もっと高くてもいいとは思いませんか?』

 困ったことを逆に問われた。

 総理の身代金の適正価格など、仙道の知るところではない。

「で、では……囚人の釈放については、どうでしょうか!? 正直、これに応じるとは思えません。せめて、釈放か身代金か、どちらかにしぼったほうが……」

『どちらも下げるつもりはありませぬ』

「……」

 仙道は言葉を失った。

 犯人側の譲歩は期待できそうにない。かといって、国側の妥協も難しそうだ。だが、人質をとられているだけに、政府側が不利な状況となっていることはまちがいないだろう。

「どうあっても、要求を変えるつもりはないんですね?」

『そのとおりです』

「わかりました。もう一度、その旨をむこうに伝えます」

 電話を切ろうとした。が、老婆のほうから会話を続けた。

『むこう様には、《箱》を預かっている、と伝えてもらえますかな』

「はい?」

『そう言えば、おわかりになると思いますよ──では』

 今度こそ、切れた。

《箱》とは……?

 なんの意味があるのだろう?

 一つの懸念が浮かんだ。

 人質だけではないのかもしれない……犯人グループは、まだなにか切り札をもっている。漠然とだが、仙道はそう感じた。

 そういえば、徳井もなにか謎めいたことを言っていなかったか?

『首相の生き死にや、身代金の問題ではない』

 この誘拐事件には、とてつもない裏がある──。


         * * *


 AからBへ、報告。

 ともに命をかけたこと、うれしく思います。

 一同、Bへ感謝します。

 以上。


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