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 授業をうけている気分ではなかった。

 予想どおり、来蔵先生は休みをとった。それが先生自身の都合ではないことを、美咲は知っている。英語の授業だったが、その内容は耳に入ってこない。教室を見渡してみても、事情を知っている仲間は同じ状態のようだ。

 結局、電話はかかってこなかった。取り上げられてしまったのか……板倉光司が忍び込ませた携帯に気づいていないのか……。彼の仕掛けたGPS機能は、二〇キロ離れてしまったら使用できないらしく、先生がいまどこにいるのかもわからない。

 美咲は、先生に恩義を感じていた。いまではこの学校の生徒会長であり、ディベートの全国大会で優勝も経験している。しかしそんな自分は、先生と知り合ってから誕生したのだ。

 それまでの美咲は、人見知りで暗い、自己主張することもできない引っ込み思案の女生徒だった。当時はメガネをかけていたから、《メガネちゃん》と呼ばれていた。

 ほかのクラスでイジメにあっている友達がいた。中学で、ずっといっしょだった。美咲は、その友達をかばうことができなかった。怖かったし、勇気がなかった。かといって、友達のクラス担任はなにもしてくれない。

 そんな美咲に来蔵先生は、魔法をかけてくれた。

 メガネを取って、こう言った。

 ──見えないなら、なにも怖くないだろ?

 美咲は、かすれた視力で、友達のクラスに突っ込んでいった。

 イジメている生徒たち、見て見ぬふりのクラスメイトたち、なにもしない担任に、あらんかぎりの罵詈雑言をあびせた。

 延々と、叫びつづけた。

 イジメが、どれほど人の心を傷つけるのか。どれほど、くだらない行為なのか。どれほど、美咲自身が友達を思っているのか。

 ほかのクラスの生徒や、教員たちも集まっていた。よく見えない美咲には、どうでもいいことだった。そのとき自覚はなかったが、あとで見物人から聞いた話によると、演説は三〇分以上にもおよんでいたそうだ。言い終わったとき、周囲から拍手があがった。

 教室は、大きな喝采につつまれた。イジメていた生徒ですら、拍手をおしまなかった。

 引っ込み思案の《メガネちゃん》は、もうどこにもいなかった。

 拍手をしているなかに、来蔵先生の姿もあった。ほかはよく見えないのに、先生の笑顔だけはハッキリと見えた。

(先生……)

 なんとしても、先生の笑顔をもう一度見るんだ──美咲は、強く思った。


         * * *


 仙道は、アパートかマンションのように見えた建物に連行されていた。三階建てだ。さきほどの信者から、この場所の概要を説明されたのだが、どうやらここは信者が集まって共同生活をしていたところのようだ。あの牛舎で家畜を飼い、農作業もしていた。ここと、あと二棟あるという宿舎に数百人が住んでいたらしい。

 その一室に入れられた。三階だ。部屋には、スチール製の机と椅子が置かれていた。

 そして机の上には、一台の黒電話があった。

「ここでは携帯をはじめ、無線のたぐいは使えない」

 ぶっきらぼうに、兵士の一人が言った。ほかにも二人いる。

「電話回線は、ここしかつながっていない」

 捕らえられるまえに、耳のイヤホンから「妨害電波」という徳井の声が聞こえた。つまり有線でつながったここからしか、外部に連絡できないということなのだろう。

「交渉をはじめろ。1をダイヤルすれば、官邸につながるようになっている。あと、そのパスワードを知らせてやれ」

 それを告げると、兵士たちは部屋を出ていこうとした。交渉のあいだは、一人にしてくれるらしい。

 電話の横に、一枚のメモ用紙があった。

『nirvaaNa』と書かれていた。たしか、「涅槃」という意味の言葉だ。

 これが、パスワードだろうか? だが、いったいなんの?

「これは?」

 振り向いて訊いた。ちょうど彼らは、扉を開けたところだった。

「伝えれば、むこうが考える」

 それだけしか教えてくれなかった。

 扉が閉じきるまえに、一人が顔だけを出した。

「念のため言っておくが、ここでの会話はわれわれも聞いているからな」

 今度こそ出ていった。一人の気配は確かに遠ざかっていったが、あとの二人は扉の外にとどまっているようだ。一人にはしてくれたが、同時に監禁状態となってしまった。

 ただジッとしていても埒があかないから、仙道は受話器を取った。

『1』に指を通し、ダイヤルした。

 プッシュ式でない電話を、子供のころ以来、久しぶりに触った。

 すぐに呼び出し音がして、相手方につながった。

「もしもし?」

 恐る恐る、しゃべりかけた。

『官邸対策室です。仙道さんですか?』

 落ちついた男性の声が応対した。

「そうです」

『犯人グループは、そこにいますか?』

「ここにはいませんが、部屋の外にいます。この会話も聞かれていると思います」

『仙道さんは、無事ですか? 怪我はされていませんか?』

 騒動に巻き込まれて、はじめて身を案じられた。少し嬉しかった。

「大丈夫です」

『総理の様子は、どうですか?』

 そうたずねる熱量が、自分のときとは大きくちがった。本音では、総理の命さえ無事であればそれでいいのだろう。こちらの心配は、ただの社交辞令なのだ。とはいえ、嬉しさよりも落胆のほうが上回ることはなかった。徳井も花房も、そんな見え透いた言葉すら吐いてくれなかったのだ。

「真壁総理大臣も拘束はされていますが、無事なようです」

『報告ありがとうございます』

 本当にありがたいと思っているようだ。

「あの……犯人グループは、総理たちを撮影しているようでしたが……」

 三脚で固定したカメラが気になっていた。もしや、リアルタイムでネット配信しているのではないだろうか?

「それと……これを伝えるようにと──」

 そこで、思い当たった。パスワードが必要なもので一番スタンダードなものは、コンピューター関連だ。

 ネット配信を観るためのパスワードではないだろうか?

「nirvaaNa──それがパスワードです」

 その旨とともに、パスワードを伝えた。パソコンも携帯もないここでは、推理の確認をする術はない。むこうで、さがしてもらうしかなかった。

 だが、本題はここからだった。

「犯人グループからの要求を伝えます。いいですか?」

『……どうぞ』

 相手の声が硬くなった。

「まず一つ目です。教祖の鳳楽院のぼるを釈放すること」

 過去にあったカルト教団による大事件は仙道でも知っていたが、それとはちがう。仙道の記憶にはない名前だった。教祖と口にしても、それが何教のことを指しているのか、仙道自身、理解していない。

「二つ目が……現金で三〇億円を用意すること」

 あまりにも法外な金額だから、一瞬言葉にするのをためらった。

「三つ目が、彼らを海外逃亡させること──以上です」

『たしかに承りました。こちらで検討し、要求に応じられるよう、最善を尽くします』

 はたして、どこまで本気になってくれるのだろうか……。

 むかしはともかく、現在の世界情勢において、テロには屈しないというのがセオリーだ。いかに首相を人質にとられたとしても、犯罪者を釈放するというのは現実的ではない。

 三〇億も莫大すぎる。

 逃亡についても、応じる可能性は低いだろう。

 しかし、それらを交渉しなければ、総理大臣はおろか、自分もただではすまない。

 これから、いったいどうなってしまうのだ……。

 仙道は、自身の未来に恐怖を感じていた。


         * * *


 BからAへ。

 緊急をようする。

 下請けの思惑が判明。

 彼らも花火の打ち上げを画策している模様。

 プラン②から、プラン③へ移行されたし。

 繰り返す。プラン③へ移行されたし。

 花火中枢への侵入に、二つの鍵を設定した。答えは、Aにも教えられない。

 ただちに、《凡庸なる男》の適性を見極められたし。


         * * *


 AからBへ、報告。

 プラン③のこと、了解。

 下請けは、《箱》で釣り上げる。

 以上。


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