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たどりついたそこは、廃墟のような場所だった。
ついさきほどまで都会の街並みだったはずなのに、どういうことだろう?
車から降ろされた仙道は、倒壊寸前のような建物につれていかれた。なかは思ったほどでもないが、人が居住できる空間ではない。電気が通っているのかもあやしい。
「ここは、潰れたホテルでね。火災があって何人も死んだんだ。いまでは、東京の真ん中で、このありさまさ」
仙道の記憶にもあった。まだ子供のころにニュースで観たことがある。二〇年はむかしになるだろう。
「ここで、なにをするんですか?」
仙道は、おびえていた。
こんなところで、取り調べがおこなわれるわけがない。こういうところでおこなわれるのは、まちがいなく「よからぬ」ことだ。
「な、なぜここなんですか!?」
たまらずに、仙道は訊いていた。
警察署の取調室を想定していたのに……それがまさか、こんな廃墟だなんて。
とある部屋に入った。もとは客室だったのだろうが、いまでは見るかげもない。
中央付近に、ポツンとパイプ椅子が一つ置かれていた。不自然な光景だった。その椅子の存在だけが浮いている。彼らが用意したものだろう。
どうぞ、というふうに、細身の男が手で示した。仙道は、おとなしくそれに従った。
パイプ椅子が、ひんやりと背中を冷やした。
「そうでした、はじめに携帯電話を出してもらえますか?」
着信記録などを調べられるのだと考えた。しかし、それは浅い思慮だった。
仙道が差し出すと、年季の入った旧型機が無残に折られた。角刈りは、まるで自らの力を誇示するかのように、真っ二つになった携帯を床に投げ捨てた。
「な、なにをするんですか!?」
「外部と連絡をとってもらったら、困るのでね」
悪びれもせずに、細身の男は言った。
「この男を知っていますか?」
そう言って、細身は一枚の写真を仙道に見せた。サングラスをした男が写っていた。監視カメラかなにかの映像を拡大したものらしく、鮮明ではない。
それでも断言できる。知らない人物だ。
仙道は、首を横に振った。
「この男の名は、御影冷二。いえ……、そうだと思われている人物です」
「思われてる……?」
「むかしの姿なら、もっとハッキリしたものがあります」
もう一枚、写真を出した。
それには、証明写真のように顔のアップがしっかりと写っていた。だが、最初の写真が鮮明でないとはいえ、あきらかに顔形がちがっていた。
「この男は元自衛官だったんですが、なにを思ったか、ある日、テロリストに寝返ったんですよ。いまでは、顔まで変えて暗躍しています」
なるほど。二枚目の写真では、だから制服のようなものを着ているのだ。
「この男が、どうしたっていうんですか?」
「あなたは、この男と接触しているんです」
「車のなかでも、そんなこと言ってましたけど……ぼくには覚えがありません」
「もう一枚、見てください」
それは、いつのものだろう?
空港。そうだ……ディベート部の付き添いで、全国大会に行った帰り。
ディベートの全国大会は毎年、東京でおこなわれているのだが、今年は記念大会ということで、福岡で開催されたのだ。羽田空港──そのロビーで写されたものだ。やはり監視カメラの映像を引き伸ばしているようだ。
確かに、サングラスの男──御影冷二と仙道がすれちがっている。
しかし、仙道の記憶にはない。あたりまえだ。空港には、何千何万という人々がいるのだ。すれちがった人たち全員を覚えているわけがない。
「なぜ、ぼくを疑うんですか? 空港にいたのなら、ほかの客ともすれちがっているでしょう?」
当然の疑問だった。それとも警察は、その大多数にもこういうことをしているのだろうか……。
「本日、ある事件が起こりましてね」
「え?」
「まあ、ある人物が誘拐されたんですが」
ある事件、ある人物──細身の男は、わざとぼかして説明しているのか、それとも、もったいつけた話し方が癖なのか……。
頭のなかでイメージしようにも、しきれるものではない。
「で、われわれは犯人グループと交渉しようとしたんですが……」
もったいつけるのは、癖のようだ。細身の男は、なかなか先を言わない。
「──むこうが指名してきた交渉人はね、あなたなんですよ」
仙道の口は、ポカンと空いたままになった。
* * *
「交渉人が、仙道──え? だから仙道が、交渉人だって」
そこは、大むかしに火事で燃えたホテルだということだった。森崎は知らなかったが、板倉がそう教えてくれた。性格に難はあるが、知識が豊富なのは認めざるをえない。
『どういうこと!?』
「オレに聞くなって」
仙道は、ビルのなからしかった。森崎と板倉は、建物の外、立ち入り禁止の敷地内に入り込んでいた。
板倉がラジオのようなもので、仙道と公安だという刑事たちの声を受信している。
それを聞きながら、森崎は同時に、長岡美咲に電話で伝えているのだ。
『ぼ、ぼくが交渉人!?』
『そうです。どういうわけか犯人グループは、あなたを指名しているんです。われわれが、あなたを警戒している意味がわかるでしょう?』
『ど、どうしてぼくが……』
『それを知りたいのは、われわれのほうですよ』
『い、いったい……だれが、誘拐されたんですか?』
『この国のトップです』
『そ……それは……』
『総理大臣ですよ』
『え!?』
『え!?』
ラジオのようなものから聞こえた仙道の驚き声と、長岡美咲の声が、連続して森崎の鼓膜を突き刺した。
『総理大臣って、どういうことよ!?』
「オレじゃわかんねえよ!」
「総理大臣が誘拐されたってことでしょう。そして、その交渉人に指名されたのが、仙道先生」
冷静に、板倉がそう口を挟んだ。携帯から漏れた美咲の声が聞こえているようだ。
「だってよ……聞こえたか?」
『こ、これは異常事態だわ』
「なあ、オレたちは、いつまでこうしてりゃいいんだ? ずっとここにいるわけにもいかないぞ。それに、仙道たちも移動しちゃうだろ?」
『そうね……どうにかしなくちゃ』
美咲の声は、しかしなんの策もみいだしていないようだった。
『ねえ、お願い、もう少しそこにいて』
「ああ、わかった」
そう応じて、板倉に視線を向けた。板倉も異論はないようだ。立花鈴の香り効果は継続中だ。もしくは、新たになにかを要求するつもりなのだろうか。
『ライゾウちゃんの携帯は壊されちゃったんだよね? どうにかして、ライゾウちゃんと連絡できるようにしなくちゃ……』
「ないこともないけど」
板倉が言った。
『どういうこと!?』
森崎は、自分の携帯を板倉の耳にあてた。
「GPSを先生のポケットに入れてあるんだけど、それ、携帯電話の機能ももってる」
『そ、それって……』
「それってあれだよな、GPS装置ってよりも、GPS機能のついた携帯だよな。普通の……」
おそらく美咲が言いたかってであろうことを、森崎は続けた。
「そうとも言うね」
『じゃあ、それを使えば、会話ができるのね?』
「それはムリです」
『どうしてよ!? だって、携帯なんでしょ』
「まだ試作中なので、GPSの確認をしてただけ。携帯部分は完成してません」
『もう! だったら、まぎらわしいこと言わないで!』
「でも、あとちょっとで、どうにかなるかも。こっちからはかけられないけど、登録されている番号なら、むこうからはかけられる」
『結論を言って! できるの? できないの!?』
「こっちからは、できない。だけど、むこうからは、できる。ただし、まだだれの番号も登録してないけど」
『じゃあ、ムリなんじゃない!』
「データを入れれば、できます」
『どうやって!?』
「ここから、ぼくがこのボタンを押せば」
そう言って板倉は、自身の携帯を取り出していた。
『だったら、早くやりなさいよ!』
美咲の怒鳴り声が、空気を揺らした。
「……お願いがあります」
板倉は、しかし操作をしない。
また、よからぬことを考えついているようだ。
『わ、わかった……とにかく、やって。どんな希望なのかは、あとで聞くから』
「約束ですよ」
『可能なことなら、リンに頼んでみるから』
板倉が、ニンマリ笑ったように見えた。
一瞬のことだったので気のせいかもしれないが……不気味だった。
『さあ、やって』
* * *
ダウンロード開始。
* * *
20%──。
板倉の携帯画面に、アップロード状況が表示されている。携帯というよりも、高性能PCのようだった。
「それ、ホントに携帯か?」
板倉から返事はなかった。食い入るように画面をみつめている。その真剣な表情からは、変質的な要素は微塵もない。
50%──。
そのときだった。
「そこでなにしてる!?」
鋭い声が襲いかかった。
ハッとして、森崎は声のほうを向いた。
警備員の制服を着た人物に発見されてしまった。ここは立ち入り禁止だから、このままではまずいことになる。
瞬間的に逃げようとしたのだが、板倉が動こうとしない。
60%──。
「板倉!」
「もうちょっと」
65%──。
「おまえたち、ここは立入禁止だぞ!」
警備員との距離は、二〇メートルほど。
じりじりと近寄ってくる。
「ヤバいぞ……」
「電波が不安定だから、動いたら通信が切れるかもしれない」
警備員との距離が、半分に縮まっていた。
「なにをしてるんだ!?」
ここは、どうにかごまかすしかない。
「あ、あの……道に迷いまして……」
「本当か!?」
「す、すぐに出ていきますから……もう少し待ってください。こいつが、腹が痛いって」
とてもではないが、信じてもらえそうもなかった。だが、いくら不法侵入でも、問答無用で捕まえたりはしないだろう。
「すぐに出ていかないと、警察に突き出すぞ!」
「……おかしい」
ボソリと、板倉が口を開いた。
80%──。
「こんな廃墟に、警備員なんておくかな」
その言葉を聞いて、森崎にもその不可解さがわかった。
警備員が常駐していたり、見回りに訪れたりするような場所ではないだろう。
では、この警備員も不法侵入していることになる。
「あたなのほうこそ……本当に警備員ですか!?」
それまで緊張したようだった警備員の表情が、ふいに変化していた。
さわやかさの欠片もない笑みが、心霊写真のように浮かび上がっていた。
「ダメだなぁ。子供は素直じゃなきゃ」
警備員の手にあるものを見て、森崎は凍りついた。
拳銃。
頭のなかで、警備員も銃器を所持できるんだっけ──と、ぼんやり考えてしまった。
いや、この男は警備員ではない。たとえ警察官だったとしても、銃口を一般市民にむやみやたらと向けるわけがない。
「板倉……」
眼を向けた。
板倉は、拳銃に気づいているのか、いないのか、動じた様子はない。こういうところまで、天才の変人ぶりを発揮しなくていいものを……。
93%──。
「死にたくなければ、とっととここを出ていけ。そして、このことは忘れるんだ。おまえたちの素性を調べあげるのは、簡単なんだよ」
それはつまり、いつでも危害を加えられるぞ、という脅しだ。
「ま、まだか!?」
その間にも、警備員の扮装をした男は着実に接近していた。こちらがまだ未成年だとわかっているからか、拳銃の狙いは雑になっているようだ。
「板倉!」
「99」
* * *
ダウンロード完了。
* * *
板倉が、視線を上げた。
「逃げるぞ!」
二人そろって、一目散に逃げた。運動神経のよくない板倉だったが、逃げ足はなかなかのものだった。
後ろを振り返っている余裕はなかったから、警備員が追ってきたのかはわからない。
だが、銃声が響くことだけはなかった。
簡易的な柵を乗り越えると、急いでバイクにまたがった。
板倉が後ろに乗ったのを眼ではなく、重心の変化だけで察知すると、風のように発進した。
レース本番のスタートよりも、コンマ数秒の世界を感じた。