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核ミサイルの発射システムが起動する。辻本は、そのときを喜悦にまみれながら待っていた。
本当に発射されるわけではない。政府のなかでも、ごくわずかな人間しか知らない発射基地に信号が送られ、そこにいる士官が発射を準備する。その後、ただちに最終確認の通信が総理に向けてされるのだ。
──とはいえ、発射基地に核ミサイルなどない。あるのは、弾頭のついていないハリボテだ。
が、それで充分だ。核システムを乗っ取られ、発射にまで至った事実だけで。
総理の携帯は、いま辻本の手元にあった。
もうまもなく、最終確認の連絡があるはずだ。
大型スクリーンのなかでは、テロリストに成り下がった高校教師がノートパソコンを操作している。もちろん、この映像を見ている人間の多くは、内幕を知らない。あるていど真相に気づいている者も、知らないふりをしている。
辻本は、自然に浮き上がってくる笑みを抑えながら、人目を忍んで対策室を出た。
* * *
仙道は、見た。
パソコンの画面が崩れていく。
まるで砂の城が、さらさらと霧散していくように。
「これは……」
* * *
国内某所──。
地下深くに建設された核ミサイル発射基地。
その存在は、ほとんどの国民に知られていない。まさしく秘密基地だった。任務にあたる士官は、数人。身内のいないものから選ばれ、この施設から一年中出ることを許されていない。休暇もなければ、任期を待たずにやめることもできない。自由を奪われた監獄のようなものだ。
ただし、一生の安泰は約束されている。多額の特別年金が、五〇歳から死ぬまで支給されつづける。職務内容は、なにもすることはない。月に一度、機器の点検をするだけだ。
それなのに……。
緊急信号が突然、鳴り出した。施設内が赤く点滅していた。
こんなことは、はじめてだ。
係官の男は、なにをどうすればいいのかわからなくなった。そうだ。マニュアルを思い出すんだ。
発射許可が総理大臣から発令されたのだろうか?
では、核ミサイルを発射するということか……そんなバカな。それともこれは、訓練なのだろうか!?
そもそも、ここに核ミサイルなど……。
そこで気がついた。
ちがう。
核発射のプロセスではない。
「なんだ、これは……?」
男の役目は、核発射の信号が送られてきたら総理に最終確認をあおぎ、GOサインに従い、実際にミサイルを発射させることだ。
だがどうやら、そういうことではない。
なにかしらの信号は送られてきたが、それがなにかまではよく知らない。この施設が稼働することなどないと信じていたから、型どおりの訓練しかやってこなかった。緊急事態のマニュアルも読んでいないし、話し合ってもこなかった。
なにかの警告であることは、まちがいなさそうだ。
べつの職員も、右往左往していた。技師が二人と、食事や清掃などをおこなう雑用係数名。
技師の一人が言った。
「……消去だ」
呆然と、それでいて恐怖に満ちていた。
「システム消去だ!」
男は、ハッとなった。
この発射システムの破棄を意味する。
そのときの行動手順は、どうだっただろうか!?
思い出した。
総理に、ここからの撤退許可を得なくてはならない。
システム消去──発射システムのプログラム、通信装置、その他もろもろのすべてを無くすことだ。いざというときのための仕掛けであり、最終手段なのだ。
すべてを無くす……この施設さえをも破壊する、という意味だ。
作動から十分で、ここはあとかたもなく爆発する!
総理の携帯にのみつながるホットラインの受話器を取った。
* * *
ついに最終確認の電話がかかってきた。
これで、計画が成就する。
「もしもし? わたしだ」
声音を変えることもなく、応答した。本来ならありえない事態に、係官も総理の声でないことに気づかないだろうから。
しかし相手からの言葉が、尋常でない「なにか」が起こったのだと直感させた。
『た、退避命令を! 総理!!』
「どうした!? 何事だ!?」
『緊急コードが発令されました! ここも、あと十分……』
緊急コードだと!?
辻本は、驚愕した。
すべてのことを無に帰すためのものだ。それは、もしものときの危機に備えて──核からの脅威を無くすためのものであると同時に、すべての秘密を隠蔽するためでもある。
このシステムが存在していたことを、この世から消滅させる。
『そ、総理! 退避命令を!』
施設内にいる人間は、総理大臣の指示がなければ、外へ出ることはできない。
「クソッ!」
辻本はそこでようやく、やつらに一杯食わされたことを知った。
これまでの人生で、こんなに怒り、屈辱を味わったことはなかった。
携帯電話を叩きつけた。
施設のやつらが、どうなろうと知ったことではない。命の危険が迫れば、どうせ命令など役にはたたないのだ。好きなように逃げるだろう。
「まんまとハメられたってわけか……!」
「どうしましたか!?」
坂巻に声をかけられた。対策室から出て、ほかにだれもいない通路にいた。工作員の一人であるこの部下だけは、ついてきたのだ。
「やられた……やつらに」
歯噛みしながらつぶやいたとき、べつの気配が近づいてきた。
「辻本さん、どうしたんですか!? 早くもどってください! また映像が途切れました」
林だった。いつもこの男は、神経を逆撫でする。そう強く思った。
「いまもどる!」
辻本は、吐き捨てた。もっと八つ当たりしたい感情をどうにか我慢して、対策室に急いだ。
こうなったらなんとしても、あの交渉人と総理、そして《御影》を始末しなれば。
秘密保持のためだけではない。
報復だ。
目に物みせてやる!
ドス黒い感情に支配されて、辻本は決意を固めた。




