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「どうなっても知らんからな」

「大丈夫です。計算はあります」

 総理の愚痴を相手にしながら、仙道は奥をめざした。ただし、少し進んだころには、もう方向感覚がなくなっていたから、本当に向かっている方角が奥なのかはさだかでない。というより、奥とは東西南北のいずれなのだろう。ゴールのわからない旅路のようなものだった。

 ライトは気兼ねなくつけていた。ここが樹海だとわかれば、兵士たちが深追いしてこないことも、おのずと理解できる。

「ああ、こんな森のなかで尽き果てるのか。総理にまでのぼりつめた私が……」

「あきらめるのは、まだ早いですよ。そんなに悲観しないでください」

「いま悲観せずに、いつ悲観するというのだ……嘆くというのも、気力がなければできないんだ……」

 陰鬱な気持ちにさせられる会話だった。

「大丈夫ですよ、たぶん。ぼくらのことを、ちゃんと監視してるはずです」

 仙道は、頃合いを見計らって立ち止まった。背中に総理がぶつかった。

「急に止まるな!」

 仙道は、左手に持っていたアタッシュケースを地面に置いた。木の根が這っているが、そこには下生えはなく、土が剥き出しになっていた。

「交渉しましょう」

 仙道は、呼びかけた。

「なに言ってるんだ……っていうか、だれに言ってるんだ!?」

 もちろん、総理にではない。

「いまも見てるんでしょう? ここなら、あの急襲してきた戦闘員たちに聞かれる心配もありません。出てきてください!」

 しばし、沈黙が森を支配した。風はなく、葉擦りの音すらやんでいた。

〈なにを交渉するつもりだ?〉

 女の声が、ふいに聞こえた。

「ぼくたちを助けてください」

〈おまえの命なら、すでに二度助けているはずだ〉

「今度は、ぼくと総理の二人です」

〈図々しいヤツだ〉

 声は、むしろおもしろがっているように響いた。

〈その《箱》をどうするつもりだ?〉

「これは、破棄します」

〈それは、わたしが貸しているものだ〉

「こんなものは、存在しちゃいけないんだ」

〈わかってるじゃないか……そうだ。存在してはいけない〉

「やっぱり、あなたがたの目的は、それですね?」

〈……そんなことはどうでもいい。おまえの愉快さに免じて、助けてやろう。食料と車を用意してやる〉

「ありがとうございます」

〈はやまるな。ここでは渡せない。いや、食料と水なら渡せるが、車となると、ここではムリだ。とりあえず、この場で指示を待て〉

 声は途切れた。

 十分ほど経っても、何事もおこらなかった。しびれを切らしたように、総理の愚痴が再開した。仙道は立ったままだったが、早々に座り込んでいる。

「これを破棄するなんて、なに勝手なことを……まあ、どうせ殺されるんだから、今後のことなんてどうでもいいがな」

 さらに十分。そのころには、仙道も座り込んでいた。

「嘘だったら、私はもう動けんぞ……水と食料がこなけりゃ、もうここで死ぬ!」

 さらに十分。

 近くで、ドサッという音がした。重いものが落下したときに発するものだ。ライトでその方角を照らす。一瞬、二人で顔を見合い、音の発生源をめざした。

 大きめのバッグが落ちていた。雑に投げられたようだ。急いで開けてみた。菓子パンとペットボトルの水が入っていた。

「これは夢か……」

 すぐ口にするのも忘れ、総理は感動にひたっていた。思い出したように水をがぶ飲みする。五〇〇㎖をあっというまに飲み干した。仙道も同じように、喉へ流し込んだ。一本ではたりなかった。バッグには水が十本ほど入っている。二本目の半分を飲んだところで、ようやく渇きが一息ついた。

 すると、食欲が襲ってきた。菓子パンの袋を乱暴に開けて、何味だかわからないパンを頬張った。暗い場所だと味覚が鈍くなる。人間は視覚で味を判断しているのだということを経験した。食べていくにつれ、チョコパンだと気づいた。だが味など、どうでもよかった。いまのうちに食欲を満たすことを本能が求めていた。

 パンも、十個ほど入っているようだ。二人それぞれが三つをたいらげ、二本目の水を飲みきったところで、食べる手が止まった。

「生き返った……」

 総理が、しみじみと言った。それまで、消される殺されると嘆いていた男の姿はなかった。食欲を満たしたことで、生きる気力もわいてきたようだ。

「で、これからどうすりゃいいんだ?」

 食料と水は約束どおりもらえたが、車のほうはどうなっているのだろう。

〈食事は終わったな〉

 突然の声に、総理ともども、ビクッとしてしまった。知っている声でも、リラックスした状態では、そうなってしまう。

〈これから、車のところまで案内する。わたしについてこい〉

 そして、足音がした。

 あの女性テロリスト──《フラミンゴ》が闇から現れた。黒一色の衣装に着替えられていて、背中にバックパックをからっている。

「こ、この女は……いったい何者なんだ?」

「なに言ってるんだ? わたしたちは顔を合わせてるじゃないか」

 仙道は、総理に耳打ちした。

「お婆さんだった人です」

「え!?」

 総理は、ライトで女性の姿を照らした。

「おまえか……っ!」

 瞬間沸騰した怒りで、つかみかかりそうになった。

「おさえてください!」

「は、はなせ! このテロリストめ! 成敗してくれるっ!」

「落ち着いてください」

「なんで、こんな極悪人に頼らなきゃならんのだ!?」

「このさい、眼をつぶってください! この人に助けてもらうしかないんです!」

 その説得で、ようやく鎮まってくれた。

「くっ……政治家になって、これほどまでに屈辱を感じたことはない……」

「なにほざいてるんだい。厚顔無恥とはこのことだね。あんたのようなバカ政治家が、この世をおかしくしてるっていうのに」

 フラミンゴが、火に油を注ぐようなことを……。

「な、なんだと……無礼な!」

「総理! いまは言い争ってる場合じゃありません!」

 強く言い聞かせた。

「わ、わかってる……」

「じゃあ、案内しよう」

 彼女につれられて、樹海のなかを歩き出した。仙道がアタッシュケースを、総理がパンと水の入ったバッグを持っている。どちらが重いかをくらべてみたら、わずかアタッシュケースのほうに軍配があがった。水を四本減らしたので、それでだいぶ軽くなったのだ。

 しばらくすると、森を抜け、あの開けた場所へ出た。牛舎や寺院があるとこからは離れている。細長く開拓されているので、長いところでは端から端まで数キロにおよぶ。この地点からは、寺院近くにいる兵士たちにみつかることはないだろう。

「ここからは急ぐぞ」

 フラミンゴの足が速くなった。平原を抜け、向こう側の森に入った。そこからは、逆に慎重な足取りに変わった。

「あれが?」

 二〇メートルほど進んだところだった。二人の兵士が見張っている。その後ろには、なにかがあるようだ。だが、さすがにライトを向けるわけにはいかない。それがなんであるかは確認できないが、これまでの展開を読み解くと、車が隠されているようだ。

「あれを奪う」

「どうやって?」

 仙道は、小声で質問した。

「息の根を止めるしかないだろう」

「ダメです……殺すなんて」

 瞳で訴えかけた。

「ここは、学校じゃない。こっちの方針に合わせてもらうよ」

 しかし、聞き入れてもらえなかった。

 彼女は拳銃を腰のホルスターから抜くと、かまえた。銃口の先端には、消音装置がついていた。

 パシュ、パシュと二回、空気を裂いた。

「ぐわ!」

 二人とも肩を射抜かれた。

「なにボサッとしてるんだ。あんたのやり方を採用したんだから、あとはどうにかしてみな」

 仙道は決意を固めるまえに、飛び出していた。彼女は、狙いをわざとはずしたのだ。

 その気になれば、額や喉元を狙撃することもできたのだろう。

 仙道は、傷をおさえてうずくまる二人に襲いかかった。一人の背後を取り、絞め技を使った。

「眠れ!」

 一人の意識は飛ばしたが、もう一人がナイフを抜いたのを、絶望の眼差しで見た。急いで気絶させた男から離れたが、逆に上から組み付かれてしまった。

 刃の切っ先が、顔面に迫った。

 ドンッ! 鈍い音がした。

 ナイフをかまえた男が、崩れ折れた。

 彼女が拳銃のグリップで、兵士の後頭部を殴ったのだ。

「た、助かりました……」

「世話が焼ける」

 意識を失った二人をそのままにして、彼女は車に近づいた。仙道には最初、そこに車があることがわからなかった。木の枝や草などが覆いかぶさっていたのだ。あきらかにカムフラージュされていた。

 車は、数台あるようだった。そのうちの一台をあらわにして、彼女は運転席のドアを開けた。4WDタイプのゴツイ車体だ。

「乗りな」

 言われるままに、仙道は運転席に乗り込んだ。総理は助手席へ。彼女は乗らないようだった。

「運転はできるな?」

「い、一応は……」

「《箱》は、おまえに託す」

「え?」

「ここまで生き残った努力賞だ。これを持っていけ」

 彼女が、からっていたバックパックから、平べったいものを取り出した。

「これ……」

 それは、ノートパソコンだった。

「わたしの任務だったが、おまえが引き継ぐんだ」

「任務? あなたは、何者なんですか!?」

「そんなことは、どうでもいい。いいか、パスワードを解読して、《箱》の秘密をおおやけにするんだ」

「どういうことですか!?」

「それはすなわち、《箱》を壊すのと同じことになる」

「ですから──」

「行け!」

 そのとき──ライトの光芒が、幾筋も森のなかを縦横に駆けめぐった。追手だ。

「真っ直ぐ進むんだ。道がないようで、ちゃんと道になってる」

 彼女の言葉の途中で、仙道はアクセルを踏み込んでいた。

 眼前に迫るのは、木々の群れだ。

「ぶつかるぞ!」

 総理の悲鳴にも近い声で、耳鳴りをおこした。

「え!?」

 しかし、車は順調に走行を続けていた。舗装はされていないから上下に揺れはしたが、確かに道となっているようだ。真っ直ぐ、真っ直ぐ──仙道は、ハンドルを動かさないように注意した。

「おい! 後ろから来るぞ!」

 ヘッドライトのまぶしさを、ルームミラーが反射していた。ハイビームにしているようだ。

 バン! バン! 銃声が響きわたる。

 とにかく、アクセルを目一杯踏み込んだ。

 後部の窓ガラスに銃弾が当たっているようだが、罅ができるだけで割れることはなかった。防弾仕様なのだ。

 速度メーターは恐ろしくて見ることができなかった。

 こんな経験をしたことがある──思い出した。

 森崎省吾のバイクの後ろに乗ったことがあるのだ。あれは、サーキットに応援しにいったときのことだった。レース本番ではなく、練習走行だったのだが、そのとき後ろに乗ってストレートでのスピードを体験させてもらったのだ。

 想像を絶するほどの速度だった。音速を超えているのではないかと考えたほどだ。

 あのときのことを思い出したら、不思議と恐怖は消えた。

 また、生徒たちに助けられた。

「いいぞ! 引き離してる!」

 前方に、柵のようなものが見えた。総理も気づいたようだ。

「ま、まえ!」

 だが、ここでアクセルをゆるめるわけにはいかない。

 覚悟を決めた。

 柵にぶつかった。木製だったようで、あとかたもなく粉砕した。すると、舗装路に出た。

 瞬間的に、ブレーキを踏んでいた。

 危なかった。そのまま直進していたら、巨木に激突していた。

 舗装路は、逃げてきた道と、ほぼ垂直に交わっていた。ハンドルを右に切って、再び走り出した。二〇〇メートルほど進んだところで、追手がついてきていないことを知った。

 速度は落としたが、それでも急いでこの場から離れたかった。

 樹海のなかを通っている道路を抜け、いつしか一般道に入っていた。市街地とはほど遠いが、家々や商店もみかけるようなった。車内の時計は、一時を表示していた。深夜だから、どの家も暗く、店も閉まっている。二四時間営業のコンビニやファミレスは、こんな山間部では期待できなかった。

 仙道は路肩に寄り、駐車できそうなスペースに車を停めた。

「どうした? このまま逃げればいいじゃないか」

「街中が安全とはかぎりません。安心できる場所は、もうないんでしたよね?」

「……そうだったな」

 仙道は、後部席に置いたノートパソコンを手に取った。開いてみる。休止状態から起動した。

「なんの画面でしょう?」

 ウェブページのようだが、表示されている文字が、すべて見慣れない記号のようになっていた。文字化けしているようだ。

 画面の中央に、パスワードを打ち込むようになっている。PASSWORDという文字だけが読み取れた。

 画面を総理に見せた。

「パスワードを入れろってことだろ?」

「……つまり、これを解読しろってことですかね?」

 彼女が言っていたことからすると、そういうことになる。だとすれば、《箱》に関係するページのはずだ。

「わからないんですか?」

「何度も言わせるな。私は、ただの政治家でしかない」

 本当に何度も聞いたセリフだったから、あえて取り上げるようなこともしなかった。

 これを解け、ということのようだ。

 ヒントが無いから、そもそもなにを打ち込めばいいのかわからない。《箱》は、総理が所持していたものだから、とりあえず総理の名前を打ち込んでみた。

『MAKABE SHINNOSUKE』

 ダメだった。姓と名を入れ替えても試した。

「そういうことじゃないんじゃないか?」

 総理が、他人事のように言う。

「じゃあ、なにが正解なんですか?」

「たぶん、これは《箱》関連の秘密にアクセスできるページなんだろうから、そんな単純なものじゃないよ」

「どういう人が、アクセスするんですか?」

「この《箱》のことを知っている人のなかでも、それこそ中心にいる人物に限られる」

「総理よりも?」

「私は、下っ端もいいところだ」

 口にして悲しくならないのかと、仙道は心配した。

「この計画の立案者や、システム構築した人間、まあ……そんなとこだろう」

「どういう人ですか? 防衛省とか、自衛隊の高官とか?」

「そいつらよりは、私のほうが上だ。そうだな……普段は表に出てこない。私ですら会ったこともないような御方たちだ。だが、そういう御方との使いっぱしりなら知ってる」

「だれですか?」

「辻本だ。危機管理監の」

「もしかして、どことなく人を不快にさせません? その方」

「ああ、させるさせる」

 たぶん、電話に出た「上の地位に立つ者」と語った人物だ。

「その人なら、話したことがあります」

「ヤツは、公安警察出身で、こういう裏工作はお手の物だ」

 腹黒いものを感じたのは、そのためか。

「その人なら、パスワードを知ってるんですね?」


         * * *


 AからBへ、報告。

 例のものを《凡庸なる男》に渡した。

 以上。


         * * *


 BからAへ。

 プラン③の仕上げに入れ。


         * * *


 AからBへ、確認。

《凡庸なる男》が、プロテクトを突破したら?


         * * *


 BからAへ。

 想定する必要はない。

 だが。

 もしも、そうなったら……プラン④になる。


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