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 とにかく身を潜めていた。

 樹齢千年は確実にあるだろうと思われる巨大な木の幹に隠れていた。ひと一人が入れるほどの空間が穴を空けていたのだ。

 すぐ近くを兵士が通り抜けていく。

 生きた心地がしなかった。みつかったら最後、殺されてしまうだろう。自分はテロリストではないのに……それとも、さっきのはなにかのまちがいで、おとなしく投降すれば、保護してもらえるのだろうか。

 いや、そんなことにはならない……自分もろとも、全員殺す気だったのだ。

(……)

 ふと考えた。

 そうだとすれば……ここにいた人間を殲滅する気だったとすれば……人質の三人も殺そうとするのではないか!?

(まさか……)

 三人のうちの一人は、この国のトップだ。そんなことあるわけがない……。

 兵士の気配が遠ざかっていった。

 仙道は穴から出て、フラミンゴから強引に奪ったアタッシュケースを見た。すでに開かないことは立証済みだ。鍵穴などは見当たらない。とても頑丈に出来ている。

 このケースが、ただの入れ物でないことは、ほぼまちがいないだろう。

 このなかに、日本の明暗を分けるほどのなにかが入っている。

 仙道は、現場にもどろうと決めた。

 時すでに遅し……かもしれない。が、総理大臣が殺されるかもしれないのに、ただ黙っているわけにはいかない。自分に、そんな力も義務もないことは承知している。それでもやらなければならないこともあるのだ。

 そうしなければ、明日から生徒たちに生き方を説くことなどできなくなってしまう。

 自分は、いま立派な大人であるだろうか?

 子供たちが尊敬できる人間であるだろうか……。

 自分自身の姿を確認したくなった。

 手鏡があったことを思い出し、内ポケットに入れていたそれを取り出した。何度見ても覚えのないものだが、いまはそんなことはどうでもいい。

 狡賢い、ことなかれ主義の大人にだけは映りたくなかった。

 鏡には罅が入っていた。さきほど三階から飛び降りたときに割れてしまったのだ。

 大丈夫だった。ちゃんとした男が、そこにいた。

 けっして美男子というわけではないが、卑怯な人間にはなっていなかった。

 まだ自分は、腐っていない。

 まだ教師として、終わってはいない。

「え?」

 思わず仙道は、声をあげてしまった。

 罅のせいだろうか、鏡がどこか異常だ。もともと映りは悪いと感じていたのだが、それでもしっかりと光を反射していた。それが罅の部分だけ、鏡というより、まるで液晶画面のような素材に見えたのだ。

 もしや……と思い、爪の先で罅の箇所を削ってみた。

(シール?)

 鏡はシール状になっていて、剥がれた。

 あとに残ったのは、まさしく液晶画面だった。やはり割れてはいるのだが、なにかが表示されていた。まるで、最新の携帯のようではないか。

 いや、携帯だ。

 操作してみる。動いた。

 登録されている番号を確かめてみた。

 驚いた。

 登録されていたのは、クラスの生徒たちの名前と番号だった。

 てっきり徳井たちが仕込んだ発信機だと考えていたのだが、そうではなかったようだ。

 そういえば……。

 徳井と花房につれていかれるとき、校庭で板倉光司とぶつかった。

 あのとき、これを……。

 彼はよく、新発明の機械を、自分を使って試す癖がある。これも、それなのだろうか?

 画面を操作して、仙道は長岡美咲にかけてみた。彼女は生徒会長であり、とても頼りになる存在だ。教師である自分よりも、教師らしい。

 この、だれも味方のいない状況において、彼女のようなしっかり者にすがりつきたかった。

 コール音が鳴った。ちゃんと動くようだ。

(出てくれ……)


         * * *


 授業は、無機質に続いていく。まるで、制止した世界のなかで、自分だけが動いているかのようだった。

 こんなことをしていていいのだろうか……美咲は、そう考える。

 この国のどこかで、重大なことがおこっている。その中心に、来蔵先生がいる。ニュースでも新聞でも、そのことには触れていない。

 先生が窮地に立たされている。それだけはわかる。

 そのときだった。携帯が振動した。

 校則では、授業中は電源を切っておかなければならない。その校則を制定したのは、ほかでもなく美咲たち生徒会だ。だから本当なら守らなくてはならない。だがいまは、そんなルールに縛られている場合ではないのだ。

「あら、長岡さん?」

 現国の女性教師に、そう見咎められた。

「授業中は携帯、ダメなはずでしょ?」

「先生!」

 美咲は、手を挙げた。

「どうしたの?」

「仙道先生からかもしれません」

「え? 仙道先生は、今日はお休みのはずでしょ。体調が悪いとかで……」

「出ます」

「ちょ、ちょっと……なに言って」

 かまわずに美咲は出た。

「ライゾウちゃん!?」

『な、長岡か!?』

「そうよ! ライゾウちゃん、無事!?」


         * * *


 美咲の声を聞いたら、泣きそうになった。

『ライゾウちゃん、いまどこにいるの!?』

「どこかの森だ……」

『わたし知ってる。総理大臣が誘拐されてるんでしょ!?』

「どうしてそれを……」

『わたしたちをナメないで。ミラクルクラスをなんだと思ってるの?』

 仙道は思い出した。廃業したホテルで警備員のような男が、高校生らしき侵入者がいたと話していた。するとその高校生は、クラスのだれかだったのだ。

『いまは、どういう状況!? 危険はない?』

 仙道はかいつまんで、これまでの経緯を話した。かつてあった宗教団体の施設に落とされたこと。そこで、犯人グループと政府側との交渉をさせられたこと。そして、謎の部隊に襲撃されたこと。殺されそうになったこと。

『わかった。これからは、ライゾウちゃん一人だけじゃない。わたしたちがついてる!』


         * * *


「ちょっと、長岡さん! いいかげんにしないさい!」

「いいかげんにするのは、先生のほうです」

 美咲は、来蔵先生と話していることに文句を言われて、現国教師に食ってかかった。

「あ、あなた……なに言って……生徒会長がそんなことじゃダメでしょう!?」

「うるさ~い! いまから、うちのクラスは全授業をボイコットしますっ!」

 美咲は溜まったうっぷんを吐き出して、そう宣言した。

「イサム! 先生をつまみ出して!」

「い、いや……つまみ出すって……」

「いいからやって!」

 命令された狩野勇は、渋々といった感じで、現国教師のもとへ行く。

「先生、お願いですから出てください」

「狩野君! 本気なの!?」

 教師は呆れ顔だ。

「しゃあねえな……」

 面倒くさそうながらも、森崎省吾も立ち上がった。

「仙道の一大事なんだ。みんな、会長の言うとおりにしようぜ」

 男子生徒の何人かが、女教師へ迫る。

「こ、こんなことして、ただですむと思わないでちょうだい!」

「いや、ほら、オレたち、仙道がいなければ、こんな学校とっくにやめてるかもしんねえし──」

 代表して、森崎省吾が言った。

「……転倒したことがあったんだ。それから、恐怖心からタイムが出せなくなった。もうあきらめようかと思ったよ。仙道が言ったんだ。一回倒れたんだから、二回も三回も同じだろ──オレは笑ったね。また転倒するかもしれないことを想像するのがバカらしくなったんだ」

「なにを言ってるのかわからないけど、こんなことをしたら、ヘタすれば退学になるかもしれないわよ!」

「オレ、将来はプロの道が約束されてるから、高校中退でもいいんだよ」

 バイクレース界の新鋭は、すでに数社とのスポンサー契約がなされている。いずれ国内トップチームに入り、海外も念頭においている。

「オレも、道場を継ぐからさ」

 勇が続いた。

「ここは、ミラクルクラスだぜ。全員、なにかしらのエキスパートだ。高校をやめさせられたとしても、べつの高校が涎流して招いてくれるさ」

 このクラスには、数学オリンピック選手も、機械の天才も、スポーツ才女も、ピアノの天才も、その他もろもろの才能の持ち主が在籍している。

 そしてそのだれもが、仙道という教師に恩がある。来蔵先生の何気ない一言で救われ、偉業をなし遂げてきたのだ。

 先生自身に、その自覚はないのかもしれない。だが、彼がいたからこそ、みんなが輝いていられる。

 それが、《ミラクルクラス》と呼ばれる所以だ。

 圧力に押されて、現国教師が教室を出ていった。

「よし、これで邪魔者は消えたわ」

『お、おい……』

 美咲の耳に、来蔵先生の心配げな声が届く。

「こっちの心配してる場合じゃないでしょう? もっと詳しく状況を教えて」

『あ、ああ』

 先生は総理大臣の安否を確認するため、また宗教団体の施設だったところにもどろうとしているようだ。

「なに言ってるの!? ライゾウちゃんに、そんな真似できるわけないでしょう!? それにテロリストを制圧したんなら、総理の味方のはずでしょう!?」

『そうでもなさそうなんだ……なにか気になるんだ、あ!』

「どうしたの!?」

『兵士が来た……』

「何人?」

『一人みたいだ……』

「そうねえ……倒しちゃいましょう!」

『え!? どうやって!?』

「こういうときは……小林くん!」

 美咲は、柔道部の小林に携帯を渡した。

「先生」

 柔道部という響きとは正反対の甲高い声だった。身体も細く、とてもではないが強そうには見えない。全国大会への出場経験はあるが、初戦で見事に一本負けをきっしている。

 が、彼には柔道界が一目置いている、ある理由があった。

《絞殺魔》という呼び名。絞め技を得意とし、どんな体勢からでも絞め落とすことができる。現に、一本負けをしたときも投げられた瞬間に絞め技をかけていて、投げおわったとき、相手は失神してしまっていたのだ。しかし先に投げ技がきまったとされ、その絞めが認められなかったにすぎない。

「先生、気づかれてないですね? 背後をとってください」

『そんなこと言ったって、素人にはムリだ!』

 来蔵先生は声をひそめながらも、語気を荒らげた。美咲も小林に近づいて、聞き耳を立てていた。

「大丈夫です。ボクの練習台になってくれましたね? 思い出してください」


         * * *


 仙道は、思い出していた。

 小林は、投げ技をきめるには足腰が弱かった。ある試合で、投げられて有効を取られたことがあったという。倒されたまま、相手に押さえ込まれた。しかし結果は、小林の逆転勝ちだった。どうやったのか本人も覚えていないということだったが、押さえ込みをはずそうともがいていたときに、偶然、絞め技がきまったというのだ。

 だが、その一度の偶然が、小林を変えた。

 どんな相手と組み合っていても、瞬時に絞め技が脳裏に浮かぶようになったという。とはいえ、柔道は投げの競技であり、投げ技のあとの絞め技であり関節技なのだ。

 小林は、自分の柔道に迷っていた。絞め技なら勝てそうだが、最初から絞め技を狙うなんて邪道だと、顧問の先生にも注意された。

 仙道は、そんな彼に、こう言ったことがある。アドバイス、という偉そうなものではない。仙道に柔道経験などないのだから。

 ──ルールでOKなら、いいんじゃないか?

 どうやら、気軽に口にしたその言葉が、小林から迷いを取り払ったようだ。

 それからの小林は、立ったままでも絞め技を狙うようになった。普通、寝技の一つとして絞め技があるのだが、小林の戦法は現在の柔道界では常軌を逸していた。しかし、それが彼の個性として注目されるようになったのだ。

 その特訓に仙道はつきあった。同じ柔道部員が、だれも協力してくれなかったからだ。

 何度も絞められ、落とされた。いまでは、いい思い出だ。

『先生、ボクの言うとおりにすれば、絶対に大丈夫です』

「で、でも携帯を手放さなきゃ……」

 仙道は、ひらめいた。ネクタイをはずして、それを頭に巻き付けた。携帯を耳に固定するためだ。

『いいですか? 背後をとってください』

 それが一番難しい。訓練された兵士の裏をかくことなどできるだろうか?

「あ、こっちに来る……」

『じゃあ、そのまま動かないで、待ち伏せしましょう。背後をとったら、右腕を相手の首に回して襟をつかんでください。左手は相手の脇の下から通すように、肩の上に回して首裏の襟をつかんでください』

 頭のなかで反芻するが、言葉で聞いても映像が浮かんでこない。

『先生にも、かけたことのある技です!』

 なんとなく、わかった。

 そのとき、兵士が幹の向こう側にやって来た。こちらから声を出せば聞かれてしまう。

『先生?』

 小林に応答はしていられない。

「……」

 仙道は息をひそめた。

 兵士は、巨木を通りすぎていく。すぐ眼前に兵士の背中。自動小銃をかまえているために、左脇は空いている。小林に教えてもらった技には、うってつけの状況だ。

 いましかない──そう思ったタイミングで、仙道は兵士に襲いかかった。

 右腕を首に。

 左腕を脇の下から通す。

「う!」

 兵士のビクつきが身体に伝わった。

 両手とも、ガッチリと襟をつかんだ。

「とった!」

『両足で相手の胴を挟んで、倒れ込んでください!』

 指示どおりにやった。

 背中が地面から出っ張っていた根に当たって痛かったが、かまわずに絞めつづけた。

『襟を放さないで! 両足にも力を込めて』

「やってる!」

 必死に絞めた。

『5、4、3』

 小林が、カウントをはじめた。

『2、1……眠りました』

 小林がそう言ったのと、兵士の首がガクッと崩れるのが同時だった。

『片羽絞めです』

「やった……まさか、死んだわけじゃないよな?」

『先生がボクの言うとおり動いていたら、失神しただけです』

 少し怖いことを言われた。的確に動いていなければ……。

 想像するのをやめた。念のため脈をはかったら、ちゃんと生きていた。

『ボクが絞めたら三〇分は起きないと思いますけど、先生なら五分ぐらいですね』

「どうしよう……」

『あ、ライゾウちゃん!? 武器を奪っちゃいなよ』

 美咲にかわっていた。

 だが、こんな大きな銃器をあつかえるだろうか。兵士の腰に眼がいった。ホルスターに拳銃が入っていた。細長い筒状のものも、すぐとなりに収納されている。

 思い出した。サイレンサーというやつだ。スパイ映画かなにかで観たことがある。襲撃されたときの銃も、これが装着されていた。

 仙道は、拳銃とサイレンサーを奪った。使う気はないが、大型の銃も手に取る。兵士から離れて、大型のほうだけを茂みに隠した。


         * * *


 辻本は、また席をはずしていた。

 こうたびたびでは、不審に思う者がいるかもしれない。

「どうだ? プロテクトは突破できたか?」

 坂巻に言った。

「いえ。時間が必要です」

「秘書官は、どうした?」

「命令どおり、消しました」

「やつらは、まだ?」

「はい。一人は残してあるはずですが、使用はしていません」

「ならば、解除を急げ。やつらが使用をためらいつづけたときのためにな」

「それから……」

「ん?」

「《箱》の所在も不明になっています。それと、交渉人も……」

「交渉人が?」

「《箱》の奪還を最優先にしていますが、それでよろしいですか?」

「当然だ」

「解除できなかったときのために、官房長官を呼んでおきますか?」

「それは、最後の手段だ。《箱》の奪還は重要だが、あくまでもそれは使わない。交渉人を泳がせる。なにかが変わるかもしれん」

「わかりました。現場に伝えます」


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