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リア充と非リア充は紙一重

作者: ybox

平成29年度 新入生歓迎号掲載

 ふと、人を殴りたくなる時ってあると思います。

 誰でもいつでも、暴力に頼りたくなることはあると思います。


 例えば――今、この時。

 充実している方々の、充足した行為を見せつけられている瞬間とかは、ストレスを吐き出すのに適していると思うのです。


 ……本当は昼休みって、もっと平和で有意義な時間のはずですけどね。


「ねー今週の土日どこ行くー?」

「んーどこでもいいけど、どっかは行きたいよな」

「それって、どういう意味? イマイチよくわかんなーい」

「夜雨と一緒なら、どこに出掛けようと楽しいだろうなってこと」

「あは、うれしい。コオって結構ストレートだねっ」

「夜雨ほどじゃないさ」


 わたしの、今川伊(いまがわい)(おり)の前で展開されるいちゃつきには、拳を振り下ろしたくなります。今右手で握りしめている箸を、目の前のバカおん――山県(やまがた)()()さんに突き立てたくなります。


 彼氏も彼氏です。私の右斜め前に座っている高坂(こうさか)(こおり)さんも、なんで教室にいるのでしょうか。出て行ってほしいです。キリっとしてカッコいい見た目に反して、彼女に引きずられすぎですよ。


 ワックスでワイルドっぽくした髪は飾りですか。

 二人っきりならどれだけくっついてもキスしてもそれより先のことをしても構わないですが、ここではダメです公共の場所です。屋上の鍵は壊れていますから、さっさとそこに消えてください。


「――あはっ、なにそれうけるー」


 何がうけるんでしょうか。何もうけませんよ。


 私の目の前では、山県さんのカールした茶髪が感情を示しながら揺れています。無駄に艶があって枝毛も無く、ちゃんと整えられていて面白くありません。明るいイメージをプラスする髪の色は、きっと天然ものでしょう。


「なんかさー、ここ、狭くない?」


 それはお互いの身体を出来るだけ近づけようとしているからです。ちゃんと座ればストレスフリーです。


「じゃあ、外行く?」


 郡さん、そこは『行く』ではなく、『行こう』です。男らしく引っ張ってください。


「でも、この狭さも良いっていうかー」

「狭くて良いことなんてあるか?」

「やだなーもう。鈍いなぁ」


 甘ったるい猫撫で声を出しながら、山県さんはもっと体を彼氏さんの方に寄せます。衣擦れの音をここまで耳障りにするなんて、よほどの天才ですね。

 郡さんも郡さんで、驚く素振りを見せながらも拒否していません。体は正直なんですね、失望しました。


「おい、まずいって。こう近いと、せっかくの夜雨手作り弁当が食べられなくなる」

「だいじょーぶ。あーしが食べさせるから」


 なんかもう色々突っ込みたくなります。まず懸念することがそれなんだ、とか。『あーし』とかいう一人称は一体なんだキャラ付けか、とか。


 だめですね。一人でご飯を食べていると心が大きく波打ちます。普段は一緒に食べる人がいるので、こうはならないのですが。――本当ですよ?


「はい、あーん」

「あ、あーん」

「どう、おいしい?」

「――美味い。いつもいつも美味しくてびっくりしてるけど、今日は特別美味いよ」

「えへ、良かった。今日のはあーしも自信あったから」


 見た目の軽薄さに反して、この人料理が出来るんですよね。というか全般的に女子力が高いのです。オールラウンダーです。彼氏さんが出来て、その女子力数値は加速度的に上昇してるのが何とも言えません。

 最大値とかないのでしょうか。最小値がないのはわたし自身を以って知っているので、そこを教えてほしいです。


「ねーえ、明日はなにがいい?」

「夜雨が好きなの」

「あーしが好きなモノってのは、コオの好きなモノだから――教えて?」

「ったく、困らせるなよ。じゃあ――」


 はぁ、もう耳に入れるのも馬鹿馬鹿しいですね。こんな会話を聞いていたら脳みそまで砂糖漬けになってしまいますから、イヤホンでもしましょう。うんそれがいい。


「――――――」


 無音の世界で、わたしは黙々と自分の弁当に向き合います。

 出汁巻き卵を腹いせに口に放りこむと、強烈な塩分が舌に襲い掛かりました。朝のわたしは醤油の量を間違えたみたいですね。無能です。次のわたしはもっと上手くやるでしょう。


「はぁ」


 自然とため息が零れます。放課後まであと何時間でしょうか。

  



 物に当たってイライラを解消するなんて、最低だと思ってた。

 だけど今はそんな気持ちも分かる。こんな感情は、すぐさま吐き出してしまいたい。せっかくの昼休みをこのまま過ごすのは嫌だ。


「えへへ」

「やけにご機嫌だね、どうしたの?」

「やっぱり『誰か』と食べるご飯はいいなぁって」

「――昨日は休んじゃってごめんね」

「そんなにしゅんとした顔しないでください。お見舞いでお昼の損失は十分に補填できましたから、大丈夫ですよ。寝顔が見れたので、総合するとプラスかもしれません」

「その話はやめて、恥ずかしいから」

「ふふ、可愛かったですよ」


 あーやば、蹴りたくなってきた。席替えであいつらの真後ろの席を引いてしまった、運のない昨日のあたし――山県夜雨も一緒に蹴り飛ばしたい。


 この二人のなにが性質悪いかって、両方とも可愛らしいのだ。片方だけではない。ぶっちゃけあたしは、今川伊織の彼氏の方が――片桐(かたぎり)(かんな)の方が、可愛いと思っている。同じ格好をさせれば、あの嫌な女の数百倍は愛らしくなるだろう。


「お昼、楽しみです。空腹なんて空虚なモノからくる欲求と比べて、愛情から発生する期待はなんてすばらしいのでしょう」


 光を吸い寄せるほどに美しい黒髪が、あたしの前でご機嫌にサラサラと流れている。ボブに切り揃えているから、後姿が良く出来た日本人形みたい。


「では、いつものようにしましょうか」


 今川はそう言って素早く立ち上がり、鉋くんの膝の上に乗っかった。


 ――え? アタシが目を擦っても、目の前の光景は変わらない。すぐに思考が凍りついてしまう。

 抱っこ? 膝抱っこ? ちょっと待って、ここは教室だゾ? 二人っきりでもないのに膝抱っこでお昼ご飯? 


 あたしの疑問を置き去りにして、二人は会話を進めていく。


「ああ、こうしていると落ち着きます。本当にリラックスできますね……」

「この体勢でほんとにいいのかな、ここだとやっぱりまずくない? 屋上の時はともかく、教室では……」

「大丈夫ですよ、カンナくん。みんなご飯に夢中ですから、心配することありません。まあ屋上がベストなのは確かですけどね、もっと色々できますし。――無理やり扉を開けて使ったのは反省点です」


 ヤバい。カレシがまともすぎて、カノジョがゴミ過ぎる。ていうか進入禁止の屋上使ってたんすか。しかも鍵を壊して……。真面目な見た目に反してやること無茶苦茶だなー。


「カンナくん、お弁当はまだですか」

「待ってて、今出すから」


 え、ちょっと待って。カレシの手作り弁当? 鉋くんが昼食を作ってるの? 嘘でしょ。それはもう、カノジョとして女子力マイナスじゃない? 


「うわぁ、今日も華やかですね。カンナくんのこだわりは、いつもいつも尋常じゃないです‼」


 自分以外のことなんて滅多に褒めない女子が、これだけ弁当を褒めている。

 カレシにお昼を作っているあたしとしては、内容を確かめずにはいられない。あたしは水筒をカバンから取り出すふりをして、鉋くんの弁当を盗み見た。


 ――うわ、すご。びっくりマークも付かないくらいすごい。

 まず目を引くのは煮物。大根、人参、里芋、筍――それぞれの具材が傷ついてないのはもちろん、面取りや隠し包丁、飾り切りまでされている。更に視線を動かすと、ふわっふわの厚焼き卵が意識に引っかかった。時間が経ってるはずなのに、潰れてないのは何故⁉ 他にもハンバーグ、ポテトサラダ、きんぴら――どれだけ作ったんだこの男。


「それほどでもないよ。料理は好きだから、さほど苦でもないし。それに――」

「それに?」

「伊織が喜んでくれるから、毎回頑張っちゃうというか」

「~~っ⁉ もぉもぉ、そんなこと言うのは反則ですよっ! 罰として、一生ボクのお婿さんです!」

「それじゃ罰にならないけどいいの?」

「いいのです」


 おっとあぶないあぶない、思わず殴りそうになった。鉋くんの背が今川をあたしから隠していなかったら、顔面にグーパンするところだった。


 大事なのは深呼吸をして、情報を整理していくこと。それから違和感にツッコんで、心に積もるストレスを吐き出そう。


 まず一つ目。片桐鉋の女子力、いやヒロイン力が高すぎる。たぶんあたしでは測定不能だ。ちょっと色々教わりたいくらい。

 続いて二つ目。『ボク』って何だ『ボク』って! 初めて聞いたぞ⁉ キャラ付け? あざとすぎない? ド直球すぎて、逆にすんなりと受け入れられる。

 そして最後。今川伊織の婿になることは罰だ。これ以上ないほどの刑罰だと思う。きっと鉋くんはMっ気があるに違いない。


 色々吐き出したら、大分いらいらが収まってきた。とはいえストレスを解消しても、ストレッサーは解決できてないんだけど。


 未だに、砂糖一〇〇パーセントで出来た会話は続いているし。


「ねえ鉋くん、お弁当食べさせてもらってもいいですか?」

「それはさすがにダメだよ、自分で食べて。ちゃんと両手が空いてるでしょ。ほら、お箸どうぞ」

「今現在、ボクは急速にカンナくんをぎゅっと抱きしめたくなりました。そのため、この両腕はもう使えません」


 うわ奇遇だな、あたしも今川の首をきゅっと絞めたくなってきた。手錠で両腕が使えなくなりそうだ。


「ほら、またそんなこと言って――って、ほんとにやってる⁉」

「ボクは有言実行の徒です。意思は固いです。カンナくんが食べさせてくれないと、午後を空腹で過ごすことになります」


 もうそのまま餓死すればいいと思う。そうすればこのクラスの非リアたちが、きっと平穏な心を取り戻せるだろうから。


 クラス皆の心がきっと一体となった、その時。


 あたしの位置からでも分かるほど、きゅるりと誰かさんのお腹が鳴った。あざとい演出のために、運まで今川に味方している。


「うぅ、その上目遣いはずるいって……」

「ほら、あーん」

「それって食べさせる側の台詞だよね。もう、しょうがないなぁ……」


 うわ、鉋くんの理性が堕ちた。今川の勝利だ。しつこさとあざとさで生み出した完全勝利。もしかしたら。この方法は有効なのかもしれない。


 ……あたしもコウにやってみよっかな。


「どうかな、美味しい?」

「ええ、とっても。いつも以上に!」

「それは良かった」

「ではほら、カンナくんも」


 ああ、やっぱりカレシにも同じことやるよね。


「ぼ、ぼくはいいよ。自分で食べられるし」

「ふむ、そうですかそうですか。カンナくん、ちょっと左手でボクの頭を撫でてください」

「……こう?」

「では、右手をボクの腰に回してください」

「……こう?」

「両手、ふさがりましたね?」


 ……あー、くだんな。心底下らない。

 ああいう風にならないようにしよう、絶対に。


 そう固く心に決めて、あたしはヘッドホンをした。単なる逃げだ。

 無線でつながったスマホを適当に操作して、適当に曲を流す。 

 その後、冷たい機械から流れ出るのは薄っぺらい恋愛の歌だった。




「ぼくはイオと山県さんに仲良くしてほしいんだ」

「どうした鉋。急にそんなこと言って」


 お昼休みに突入してすぐに、ぼくは幼馴染の高坂に話題を振った。内容は彼女同士の不仲について。女子の体育が長引いている今だからできる、男同士の密談だ。


「まあ確かに俺も同じことは思ってるけど……夜雨と今川さんは、今や犬猿の仲だぞ。仲良くなんてできるのか?」

「舌打ちが挨拶代わりだもんね、難しそう」

「ったく、何があったんだか。鉋は知ってるか?」

「分からない。特に喧嘩してたような覚えもないし……」


 ぼくらは揃って首を傾げるしかない。ここ二、三日でいきなり険悪な仲になったのだ。心当たりが無さすぎる。


「性格が合いそうにないとは思ってたが、ここまでとはなぁ。夜雨はあんな見た目してるが、根は真面目ってのが不仲を拍車させてる」

「イオは容姿の割に結構適当でワガママなんだよね。大抵の人が、イメージとのギャップでびっくりするし」

「いやでも頭は良くなかったか?」

「成績の良さが性格の良さに直結するわけじゃないよ」

「夜雨はあんまり出来が良くないし、あの二人ってとことん反対なんだな……」


「そうだね……。せめて、好きなものが一緒だったりすればなぁ。共通の話題で何とか――ならないよね」

「とりあえず夜雨の好きなものを俺が挙げてくから、鉋はそれが今川さんも好きかどうか考えてみてくれ」

「うん、分かった」


 ぼくはお弁当を取りだしながら、黙って記憶の発掘に集中した。それっぽく腕を組んで、イオの好きなものを思い浮かべてみる。


「夜雨は音楽とか好きだぜ。気に入ってるジャンルとかはいまいち分かんないけど。濫読ならぬ濫聴って感じに、とりあえず流してる感じだ」


「イオはどうかなぁ……カラオケ一緒に行ったら狂喜乱舞してくれたけど、音楽聴いてるのを見たことないからなぁ」

「女子らしくショッピングってのはどうだ? 特に服関係。夜雨はかなりの頻度で新作見に行ってるぞ」

「あ、洋服はイオも好きだね。自分を着飾るっていうよりも、他人のコーディネートするのが楽しいみたい。ぼくにもよくしてくれるんだ」

「……」


 すると急に高坂は沈黙した。少し目を細めて、ずうっとこっちを見ている。なにか言いたげだ。

 それから会話の断絶が数秒続いて、彼はため息の後に言葉を紡ぐ。


「あとは料理も好きだ。毎日俺に弁当作ってくれる。しかも上手い」

「んー、イオは食べるより作る方が好きかな。僕が作ったやつを喜んで食べてくれるし。手料理してるのはあんまり見たことないかも」

「じゃあ――」


 続けてぼくらはいくつか候補を出しあった。その結果は芳しくなく、むしろ高坂は顔を曇らせる始末。


「まったく一致しそうにないね。結局収穫は無い、か……」

「鉋、収穫がないわけじゃない。俺には分かったことが一つある」

「何?」

「今川伊織が好きなものは、片桐鉋だけだ」

「…………」

「おい無言になるな。こっちだって言ってて恥ずかしい」


 親友の発見は、一生口を閉じたくなるようなことだった。耳にすると、じっとしていられなくなるような言葉だった。


「鉋と一緒なら何でも楽しいってのが、今川さんの基本スタンスだ。だから、夜雨と共有できる何かを見つけるのは難しいと思う」

「そっか……」


 太陽が雲に隠されたみたいに、僕らの会話はトーンダウン。新たな発想が浮かぶまで、長い沈黙が続くだろうと思っていた。


 しかし、僕の予想は当たらない。


「あるよ、共有してること」 


 沈黙している男子二人の間に割り込んだのは、華やかで明るい女子の声。言葉の発生源の方を向けば、体育から戻ったばかりのクラスメイトが――市ヶ谷さんがにまにま笑っていた。


 もしかして、もう二人とも帰ってきちゃったかな……。


「あー、まだ二人は来てない。というか当分来れないと思う。なんか揉めていた」

「またなの……」

「まあいつものことだ、しょうがない。それより、俺はさっきの言葉の続きが聞きたい。夜雨と今川さんが共有しているものって何だ?」

「分かりきったことだよ、高坂君。彼女たちが夢中なものは、『恋愛』だ」


 高坂の喉元に指を突きつけるようにして、彼女は言った。


「恋愛、恋愛か……。ダメだ、その事柄であの二人が仲良くなる気がしない。むしろ反発しそうだ」

「ぼくも高坂に同感」

「私も仲良くなることは難しいと思う。ただ――」


 市ヶ谷さんは邪悪な笑みを湛えながら、次の言葉を溜めた。

 その様子は見る者にひどい寒気を齎すほどで、


「恋愛という目的の元に、協力させることは可能だ」


 実際、彼女の提案は僕にとって災厄だった。


「ダブルデートを、私は提案する」




「この服やっぱり落ち着かないよぉ」

「うるさい、我慢しろ。二人の不仲を無くすためだ」


 人は何かを得るよりも、何かを失う方が重く感じるらしい。そうであるならば嫌いな相手を排除して得る良い環境よりも、大切なモノを守る方が優先されるだろう。

 その理論を携えて、俺たちは夜雨と今川さんに相対する。


「なんかこの格好だと、女子っぽくてやだなぁ」

「耐えろ。鉋の姿がそれっぽく見えないと、この作戦の意味はない」

「分かってるけど……うぅ」


 待ち合わせ場所に指定した駅中の商業施設には、夕方だけあってそれなりの人気があった。周囲の視線を気にして、親友は何度か身を捩っている。


「もうちょっとだけ、何とかならないかな」


 近くにあったショーウィンドウを鏡代わりにして、鉋は服やら髪型やらをいじっている。

 だぼだぼのパーカー、スキニ―、ふんわりしたニット帽、丸い伊達メガネ――市ヶ谷さんの口車に乗せられて選んでしまった服装は、どう弄ろうと男らしくならない組み合わせ。鉋の努力は空しい徒労でしかないが、止める気にもなれなかった。


 何しろ、あまりにも似合いすぎている。ちょっと出来過ぎだ。鉋との初対面がこの姿であれば、九割九分性別を間違えるだろう。

 この完成度では、俺までリスクを抱え込んでしまう。高坂郡のみを知っている奴がこの場を見れば、ただの浮気現場でしかない。


「ほどほどにしとけよ」

「分かってる。でも、さすがにこれはやだなぁ。メガネとか要る? 帽子も被らなくていいと思うんだよね」

「それぐらいだったら外してもいいと思うぞ。てか、よくそういう物をすぐ揃えられたよな。計画したの今日の昼だぞ」

「帰った後に妹に相談したら、全部持ってきてくれた。『お兄ちゃんに必要だと思ってたよ』って」

「お前の妹大丈夫か……」


 たった一言からにじみ出るブラコンの闇を感じつつ、俺は二人の到着を待つ。鉋は未だに男らしさの演出に必死だった。


「これさ、パーカーがいけないと思うんだ」

「そのルーズさが印象の核だからな」

「脱いで腰辺りに巻いたら、もっと良くなると思わない?」


 そう言って、いそいそと脱ぎ始める鉋。


「おい待て、それだと作戦の前提が成立しない!」


 脱衣を阻止するため、俺は鉋の手首を掴もうとする。


「や、やめてっ! ぼくはこれで、もうちょっとかっこよくなれるんだ!」

「それじゃ意味ねえって言ってるだろ! パーカーないと可愛さがグッと減る‼」


 思いの他激しい抵抗にあって、俺たちは揉みあいになった。女っぽい男と、組み合うようになってしまった。

 そしてこれは、最悪の失敗。



「遅れちゃったー、ごめーん……ってあれ?」

「お待たせしました……ん?」



 遠くからの声に振り返った時には、もう手遅れだった。

 二人のドン引きした表情を、高坂郡は忘れられない。




 その光景は、一言で表すと悪夢だった。


 目の前では、自分のカレシがクラスメイトの女装男子に絡んでいる――ように見える。もしくはバカップルが激しくイチャついてるように見える。『可愛さ』なんて単語が、心をざわつかせる。


 ……あ、これはかなりショックだ。衝撃的過ぎて、頭の中が真っ白になってる。デートに誘われて浮かれていたあたしには、この落差がとっても辛い。


「……っぁ」


 声を掛けようとしても、喉からは擦れた音しか出てこない。コウに近づこうとしても、足踏みすることしかできない。

 でも、あの嫌な女は違った。


「わたしのカンナくんに、何してるんですかっ⁉」


 被っていた仮面を脱ぎ捨てて、既に一歩を踏み出している。同時に可愛らしい鞄からナニカを取りだして、二人に向かって行く。


 あいつの右手できらりと輝いているのは、単なるニッパーだ。走り抜ける間に二度三度、カチカチと金属の当たる音がする。


「ちょ、今川さん、待って待って⁉」


 コウの言葉にはまったく耳を貸さずに、今川伊織は突進。


「イオ、ストップ‼ 何もないから! ぼくは怪我一つないから! ほら、いい子だから、ね?」

「……むぅ」


 子供をあやすような鉋くんの言葉で、暴走女子はスローダウン。

 そのままぽすりと鉋くんに衝突して、今川は仮面を被りなおす。


「ほんとぉ、です? カンナくん、ボクに嘘ついてませんか?」

「ついてないついてない。これは、えっと、なんというか……合意の上、みたいな?」


 ただ、鉋くんは絶望的に言葉選びが下手だった。


「あの、高坂郡さんにお聞きしたいんですけど――ナニ、してたんデスか?」 


 仮面が一瞬で外れる。代わりに薄っぺらい笑顔を貼り付けて、今川はコウに尋ねた。カチンと、持っているモノを鳴らしながら。


 コウはあたしの方を向いて、ヘルプの目線を送ってくる。


「はぁ、なにしてんの……」

 呆れながらも、コウが頼りにしてくれることは素直に嬉しかった。

 とぼとぼ歩いてから、あたしはコウの片手を攫って腕を組む。


「あーしのカレシ、キズものにしないでもらえます?」

「そっちの彼氏が、ボクの彼氏に手を出さないんだったら、少しは考えます」


 うわ、今川の目が超怖い。これは優等生のふりしたサイコパス。


「てか、手なんか出してないっしょ。なんかの事故事故。コウ、そっち系じゃないもんねー」

「あ、あぁ……」

「では、証明してもらってもいいですか? ボクとしては、大切な人の安全を確保したいので」

「どうぞどうぞ、ご自由に」 

「では、ちょっと準備します」


 今川はコウから鉋くんを離して、色々と服装を整え始めた。それからないしょ話をして、こっちに素早く戻ってくる。


「では、打ち合わせの通りに」

「ほんとにやるの……?」

「カンナくん自身のためです。頑張ってください」


 深呼吸をして覚悟を決め、鉋くんはコウに接近。そのまま上目遣いで微笑んだ。うわ、かなりのアルカイックスマイル。


 でも作られた表情は、すぐに崩れてしまう。


 

「~~~~っ! やっぱムリ! ぼく男だし! ね、高坂もこんなことするのおかしいと思わない⁉ 思うでしょ⁉」


 

 すご、やば、かわいい。


 恥じらう鉋くんの破壊力は、それはもう、とんでもなかった。あたしなんかが言葉にしても、伝わらないくらい。むしろ、言葉のバリエーションは無くなっていくまである。


 女子のあたしでさえこうなら、男子のコウはどうなるかなんてわかりきっていた。


「いやぁ今川の指示すげえなここまで鉋が良く見えるだなんてなでもやっぱり親友だからなドキっとしたりはしないっていうかまあ所詮男だしな彼女には及ぶはずもない――」


 あたしのカレシは、頬を染めながら動転していた。まさかの反応に、鉋くんが少し引いている。怯えた子犬みたい。


「コウ、言い訳はかっこ悪い」

「すみませんちょっとびっくりしました……」

「ちなみに、ボクはこんな指示してませんからね。『胸に飛び込んでから抱きついて、とびっきりの猫撫で声で攻めて』って言ったのに、言いつけを破って更なる可愛さを出しに来ました。さすがですね。さすがボクの彼氏さんですよ」


 ――というか高坂さんの反応は本当に危ういですね。と、今川は冷静になって付け足した。 


「はぁ、これでは本当に対策が必要です。山県さん、ちょっとこちらへ。カンナくんはそこの見境ないケダモノから距離を取りつつ、待っててください」

「カンナくん、気を付けて。あーしのためにも」

「おい待て、夜雨はフォローしてくれ。てか誰がケダモノだよ。なぁ、鉋?」

「……うん、イオの言うとおりにするよ」

「って鉋⁉」




 彼氏がモテるというのは案外悪い気分ではないことを、わたしは知っています。カンナくん宛ての本命チョコやラブレターをこっそり処分する時には、否応なく心が躍るものです。


 しかし、今回は状況が違います。大事な大事な彼氏が獲られてしまうことは、何としても避けなければなりません。どこぞの女に盗られるのも嫌なのに、男に奪われたとなれば目も当てられません。


 リア充と非リア充は紙一重。急転直下は避けなければ。

 幸せを得た分だけ、損失は心に大きく響くものです。


「どうしてあなたの彼氏がわたしの彼氏を襲ってるんですか。そっち系ですか。新たな扉を開きましたか」

「ちがう」

「ならば、先ほどの状態をどう説明しますか」

「あんたのカレシが、そういう風に誘った……とか?」

「ぶち殺しますよ」


 わたしはニッパーをにぎにぎして威嚇しつつ、話を進めます。


「山県さん、協力をしましょう。仲互いをしている場合ではありません。お互いの彼氏同士が親密になってしまい、彼女との時間が無くなってしまう――なんて、馬鹿げたことを避けるために」

「それはあたしも望むところだけど、どうやって」

「わたしとあなたのいがみ合いを無くして、より魅力的に、貪欲にアタックです。二人きりなら恥ずかしい行為も、ペア同士なら意外と乗り切れるかもしれません。このダブルデートは丁度いい機会です。高坂さんを魅了して、わたしのカンナくんへの興味を奪ってください」

「魅了って言っても、どうすればいいか……」


 わたしの言葉に、山県さんはいまいちピンと来ていない様子。軽い見た目ですが、本性はピュアなのかもしれません。


「普段あれだけやっているのに、分からないんですか? お昼休みとか、クラスの皆ちょっと引いてますよ」


 ここで一つ、皮肉も含めて言及してみます。すると、


「今川に言われたくない。そっちなんてドン引きされてる」


 思わぬ反撃が返ってきました。


「そんな。わたしたちのことなんて、誰も見てませんよ。視線感じませんでしたし」

「それ意識して、見ないようにしてるだけだから。イチャつきがうざくて、視界に入れたくないだけだから」

「……え、ほんとですか」

「ほんとほんと」

「うそ……」


 わりとショックです。誰も見てないと思ってました。お腹が空いてお昼に夢中で、皆他人のことなんて気にしてないと慢心してました。


「その感じだと、マジで見られてないと思ってた?」

「ええ、恥ずかしながら……そうでもないと、あんなことできないですよ」


 山県さんに自分の盲目を指摘されるとは、今川伊織一生の不覚です。

 というかこの人、それなりに周囲を見ていますね。ただの軽い女子ではないかもしれません。


「山県さんは注目されてことを理解しながら、あんなアプローチをしていたんですね。すごい覚悟です。少し見直しました」

「え、あたしは見られてないっしょ?」

「え? ガッツリ視線ありましたけど」

「えっ、えっ⁉」


 わたしたちの間で驚きが幾度もやり取りされて、事態は困窮を極めます。

 前言は撤回し、上がった評価は取り消した方が良さそうです。


「わたしたちがいがみ合ってたことで一番イライラしてたのは、他でもないクラスの皆かもしれませんね」

「馬鹿な女子がしょーもないけんかしてただけ……うわ、うざっ‼」

「わたしたち、もう少し仲良くしましょうか。わたしや山県さんが悪く思われるのは別にいいですが、カンナくんまで悪印象を抱かれては困りますし」

「そーだなー。あたしや今川が嫌われるのはしゃーないけど、付き合ってるカレシまで変だと思われるのはしんどい」


 ある程度の合意に至ったところで、わたしは左手を差し出しました。


「なにこれ」

「握手です。協力の証を、カタチにしましょう」

「別にいいけど、協力って言うならニッパーしまったら?」

「いやです。あくまでこれは同盟。お互いに武器を握ってるくらいが、緊張感あっていいと思います。それぐらい本気でいきましょう、恋愛に」

「まあ、変にべたべたするよりはいいかな」


 軽薄に笑って、山県さんはわたしと握手します。


「よろしくです」

「よろしく」

 



 ぼくらの目的は、二人が戻ってくる頃には達成されていた。なごやかに談笑しながら歩く二人の姿は、それはもう奇妙で珍妙だった。


「さ、いこ。コウも色々楽しみたいでしょ?」


 山県さんはぼくと高坂の間に割り込むようにして、ベストポジションをゲット。そのまま親友の左腕は強奪されて、彼女はいつのまにか腕組みを成し遂げている。


「さあ、行きましょうカンナくん。つまらないことで時間を使ってしまいましたからね、巻いていくのです」


 一方イオはぼくの右側に位置取りをした。コウとの距離を離すような立ち回りだ。


「やっぱり気づきました? ボクたちの狙いに」


 イオはボクの腕をとって、誤魔化すようにぎゅうっと抱きしめた。

 これは恥ずかしい。腕を組むくらいはなんてことないけれど、これは心臓が壊れそうになる。イオの体温の高さが分かってしまう。ということは、こちらの温度も伝わっているということで。


「歩きづらくない?」


 恥ずかしさから出た偽りの言葉は、彼女の笑顔に打ち砕かれる。


「今は、これくらいしなければいけない時ですから。攻め時です。攻撃は時に、大切な人を守る防御になるのです」


 十全な笑みは、魔性と表現せざるを得ないほど蠱惑的。今までのイオが色あせて見えかねないほど、魅力に溢れている。


「そーいうーの、ずるくない? チートっていうか」

「ずるくないですよ。そう思う前に、山県さんもやればいいんです。やったもん勝ちです。プロポーション良いですし、きっと絶対効果的ですよ」

「じゃあ、試してみる」


 悪戯っぽく口角を上げるイオと山県さんは、心底楽しそうだった。普通の友人関係となんら遜色がないほどに。


「高坂、これは成功?」

「俺たちが何かした感じはないけど、まあ――成功だろ」

「それなら良かった」

「俺の払った代償が、ちょっと大きすぎる嫌いもあるけどな」

「ぼくだって尊厳を犠牲にしてるからお互い様だよ」

「はっ、それもそうか」


 作戦の成功を親友と共に喜び、笑いあう。手応えの無さは少し残念だけど、目的の達成に比べればどうってことない。

 この四人全員が、完璧な笑顔を浮かべていれば十分だ。


「後で市ヶ谷さんにはお礼を言いに行かなきゃな」

「うん、明日二人で行こう」


 間に女子を二人挟んでの、親友との会話。事情を把握していない二人の表情が面白い。訝しがるイオの顔を微笑ましく眺めていると、腕にかかる力が一層強くなった。


「カンナくん、今は、ボクを見ていてください。ダブルとはいえ、『デート』ですから」

「コウはあーしがいるでしょ。アピール中なんだから、あーしの方を向く!」


 彼女から窘められているのは、どうやらあちらも同じらしい。  


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