第一章 原因解明#1
自分の意思とは関係なく、覚えのない、時間へ弾き飛ばされてしまうとは、実に情けない。
きっとこの気持ち悪さは、乗り物酔いのようなものと同様と思われる。
「常備薬を、用意する必要があるな」
くだらないことを口にして、俺は気を紛らわした。
相当、努の時間は歪みを期しているしるしだと、何となく理解をするが、やはり気分がいいものではない。
吐き気が如何にも収まらず、しばらくその場から動けずにいた。
あの雨の公園よりも前の時間へ、俺はどうやら飛ばされてしまったらしい。
落ちた先は、学校の花壇の中だった。
草が刺さって、チクチク痛んだ。
躰を一振りし振り払った俺は、校庭へ出て、後者を見渡す。
こんな遠目で、何が分かる。などと、卑屈めいたことを呟きながら見上げて数秒、あっさり見つけ出した俺は、瞬間移動を試みる。
二日酔いの原理だった。
向かい酒ならぬ、時間移動を決め込んだ俺は、げっぷを数回し、そっと目を窓へと向けた。
教室の真ん中の席、努は誰かと向き合って座っていた。
そこには、ただならぬ嫌な臭いを放った、空気が漂っていた。
状況を把握するため、耳を研ぎ澄まし、じっと中の様子を窺う。
「誰も僕を信じてくれない」
どんよりとした、重たい気持ちを感じ取った、俺の瞳孔が細くなる。
「永田、先生の話をちゃんと聞いているのか? 今回は大事にならなかったからいいものの、一歩間違えれば命取りだぞ。このまま黙っている気なのか?」
僕は、何も悪いことなんかしていない。
あまりにくだらなすぎて、窓をぶち破り、中にいる連中を掻きむしってやりたい衝動に駆られる。
違う。喉まで出てきた言葉を、努は飲み込んでいた。
ノロノロとした時間の帯が、努の足に絡みつき、やがて全身を覆っていくのが分かった。
ギシギシときしませながら、躰を締め付けて行く。
チッ。
遠くで舌打つ音が聞こえた気がしたと同時に、おかしな感覚に俺は陥ってしまっていた。
どうせ。と言う言葉が、俺の頭ヘ浮かぶ。
眼鏡の下から覗いている冷ややかな目が、俺を捕えていた。
前にも似たような目を見たことがある、気がする。
僕が非を認めればいいんだ。
脱力感が襲う。
おいおい。止めてくれよ。何でだ。ちげーだろ。バカ止めろ。
努が謝ろうとするのを、必死で俺は止めようとしていた。
「永田」
担任の鋭い声が引き金になる。
悲哀の目を向ける母親に、俺は苛立つ。
「努」
じわじわと追い込まれていく。
上目を向け、悲しみがどっと押し寄せてくる。
「もうしないな」
「しないわよね」
コクンと努が頷く。
そうじゃねーだろ。悪くないなら、そう主張しやがれ。バカすぎるだろ。
つい力がこもり、しっぽを強く打ち付けてしまっていた。
カチッ。
まずい。時間が飛んでしまう。
「待て待てっ」
俺は慌てて、躰を捻る。
本能的だった。何の根拠もない。躰が勝手に動いていた。どうやら、それは間違いではなかったようだ。
「努、ちゃんと先生に謝りなさい」
「私に謝れても困ります」
「この足で、三上さんのお宅へ伺って、謝って参ります」
どいつもこいつもクズだな。
「フン」
鼻を鳴らす努を見て、担任と母親が顔を見合わせる。
「永田君、言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい」
言ったところで、聞く耳持つとは思えんけどな。
俺のありのままの心が、態度に出てしまっているようだった。
「何だ? その目は……」
言いたいこと……。
弱気な努の気持ちに、俺の心が押し除ける。
努は視線を落とし、口を噤む。
じっと机の傷を見つめだす努に、俺は苛立つ。
焦れたくて、仕方がなかった。どうにも見て入られない気分になった俺は、天を仰ぎ、固く目を閉じる。尻尾を数回、振り落す。
自分が努の中にいることなど、その時の俺には頭になかった。
「戻れ戻れ。努がそもそも、こんなことに巻き込まれてしまった、時間まで」
躰が強い力で引っ張られる。
目まぐるしい光の矢が襲ってくる感覚が、気分を害す。
躰がバラバラになるんじゃないかと思うくらい痛んだ。それが収まると、次は吐き気がやってくる。
時間から吐き出された衝撃で、俺は努の躰から離れ、強く躰を打ちうつけてしまっていた。
割の合わない仕事だな。おい。己を知らなくても、どうにかなる。辞めだ辞めだ。辞めてやる。
ぐったりと横たわり、俺は天を恨めしく仰ぎ見る。
暗く長い壁伝い。俺の足音だけが響く。
ウヒャウヒャと笑う声が、頭を木霊していく。
「僕のことは僕にしかわからない。僕のことは誰も見えない透明人間なんだ。僕はこんな僕が嫌いだ。大嫌いだ。僕は本当の透明人間になる。僕は自分で、自分の存在をこの世から抹消する。僕がいなくなっても誰も悲しまない……」
風に揺らされたブランコが、耳障りな音を鳴らす。
轟く雷鳴。
阿吽たちが、長蛇の列にうんざり顔をする。
「命を粗末にするもんではないですよ」
不意に頭を過って行く言葉に、胸が苦しくなる。
手を暖かい感触が包む。
木漏れ日が目に入って、冷たいものが流れ落ちる。
「クソッ。ガキがしみったれたこと抜かしやがって。ふざんな」
俺は強く一度目を瞑り、よろよろと立ち上がる。
「良いですね。仕事の姿勢は、そうでなくてはいけません」
「うるせぇ」
「よろしく頼みましたよ」
「都合のいい時ばかり現れやがって」
高らかに笑う声を残す天の声に、ムッとなりながら、努へ目をやる。




