エピローグ#4
方法はいくつかある。
でも、私は一度、悪魔に魂を売ってしまった人間。
こうするしかない。
それが彼の願いであるなら、私は叶えるべきだろうと、思う。
ゴメンねトキ。私、あなたを利用しちゃった。
笹山小学校が見える頃には、黒い雲ですっぽりと空は覆われていた。
大粒の雨が落ちてきたかと思うと、一気にバケツをひっくり返したような激しさで、地面を叩きつけ始める。ワイパーなんか利かない。風も激しさを増し、前が見えなくなる。
「イライラしながら、努は車を徐行させる。
交差点に差し掛かりハンドルを左に切ろうとした時、窓を叩かれ、努は車を止めた。
少しだけ窓を開ける。
「すいません。この先は通行止めです」
少しだけ開けた窓から雨粒が中に入って来た。
「分かりました」
警官に愛想よく答えた努は、仕方なく右にハンドルを切りそのまま進んだ。
雨が酷過ぎて、努は公園を見つけその脇に車を止めた。
雷が唸り、努はおかしくもないのにヘラヘラと笑った。
ふらりと車を降りると、油が切れたブランコの軋む音が聞こえて来る。
ピシャン。
どうでも良い気分になっていた。
努はネクタイを外し、ぼんやり見えている木に向かってふらふら歩きだす。
稲光が一瞬、辺りを照らし出した。
ギョッとした努が、立ち止まる。
木の下に先客が転がっていた。
足を速めて近付くと、少年が青白い顔で仰向けに倒れていた。
「よう、久しぶりだな」
白地に黒の斑模様を付けたあの猫だ。長い尻尾が小気味よく振られている。
ポケットをまさぐり、携帯を探す。
「おい、しっかりしろ。目を覚ませ」
猫が足に纏わりついて来る。
「おまえ、人を呼んできてくれないか」
「変わらないな。もう少しましになっていたかと思ったけど、努は努なんだよな」
ハッとした努が、手の中の少年の顔をよく見る。
もしかしてこれは僕?
猫が長い尻尾を一回振りしてから、コクンと頷く。
その途端、耳の奥で劈く音が聞こえ唸りうずくまる。
そして、周りの景色が歪み始め、努は身を絞られる感覚の襲われていた。。
そんなこんな焦燥している間に、努の時間が確実に刻まれていく。
「何てことだ」
努の呟きに、俺の耳が反応して動く。
俺はそれに合わせて瞼をそっと閉じる。
ザワザワと木々が揺れ、看板がガタガタ騒ぎ出す。
ゆっくりと顔を上げた努の手には、ブルーのマス目が入った、見るからに小学生が使うノートの切れ端が持たれ、遺書とたどたどしい文字で書かれてある。
鉛筆で書かれた文字の上には、数滴、水が落ちたようなシミが出来ていた。
努は、軽く頭を振る。
断片的に残された記憶。何かが引っ掛かって上手く思い出せずにいた。
この公園に来れば、すべてが分かると思ったのに。
しかし、自分がこの街で暮らした記憶はない。
深い息を漏らし、努は立ち上がる。
地区計画と大きく書かれた看板が立ち、工事車両が何台も行き来きしているのに、この公園だけがすっぽり切り抜かれたように、古びている。
花壇も手入れをされていないようで、雑草が伸び、ベンチもペンキが剥がれ落ちている。辛うじて、昔は白く塗らえていたんだろうと分かる程度に、色が残っているだけだった。
急ぎ足で車へと戻る。
もう10年以上乗り込んだ軽自動車だ。ナビも古く、このあたりの地図も詳しく表示されずに、ここへたどり着くまで、一苦労させられてしまった。
努は携帯を確認する。
着信履歴。上司の名前が一時間おきに入っている。一番下に美耶子の名前を見つけ、努はリダイヤルボタンを押す。
呼び出し音がしばらく続き、美耶子の明るい声が聞こえ、ホッとなる。
「今、どこにいるの?」
努はハンドルに左手を掛け、一瞬躊躇してから、得意先に向かうところだと答える。
「そうなんだ」
疑う様子もない声。
二人は、結婚式を間近に控えている。
美耶子とは、他愛もない会話を一言二言すると、声が聞きたかっただけだからと言って、電話を切った。
どっと罪悪感が努の押し寄せる。
悪いことをしているわけじゃないのに……。
私は丁寧に、彼の願いを繋げていく。
何度も何度も補正して、やっと辿り着けた場所。
気が付くと努は、誠司と一緒にベンチに腰掛けていた。日差しが強く、額から汗がにじみ出る。
「橋田さんはなぜあんな雨の中、こんな人寂しい公園に来ていたんですか?」
「本当は交差点を左折するつもりだったんです。運が良かったのか悪かったのか通行止になっていて、仕方なく右に曲がったんです」
誠司は何かを感じたように、少し考え込んでから訊いた。
「失礼ですけど、お仕事は?」
「保険を売っています」
「営業ですか? 骨が折れるでしょう? 私も似たようなものです。売っているものが違うだけで変わりがない」
努は誠司の顔をジッと見つめる。
「お恥ずかしい話です。家族のために頑張ってやって来たつもりなんですが、すっかり溝が出来てしまって。こんなことになってしまうなんて……」
「寝る間も惜しんでですか?」
誠司は頷く。
「もっと家族を大切にしていれば良かった。息子が何を思い、妻が何を求めているのか分かってやれていたらと思うと、胸が張り裂けそうになるんです」
努ぎこちなく微笑む。
誠司も微笑み返した。
「言葉を使って人の心を動かす仕事をしていたのに、家族との会話がないなんて、最低な営業マンですよ。私は」
誠司は涙ぐむ。
「大丈夫です。今からでも遅くないです。きちんと伝わります。絶対に僕が保証します。子供は心では感謝しているものです。素直に口に出せないだけだと思います」
「不思議だな。橋田さんと話していると、何だか息子と話をしているような気になるな」
涙が出そうになり、努は顔を反らした。
「きっと同じ孤独感を持っているからでしょう」
努は言ってしまってから、あっと口を押さえる。
誠司の目が、弄るように努の顔をじっと見て来る。。
努は観念して、あの日、公園に行った本当の目的を白状した。
誠司は悲しそうな目で、努を怒鳴った。
「死んではダメだ。生きなくては何も始まらないし何も終われない。人の末期は決まっているんだ。君が勝手に終わらせていいものではない。世の中には生きたくても生きられない人が山ほどいる。お願いだから歯を食いしばって生きてくれ。頼む。この通りだ」
誠司が涙をボロボロこぼしながら、努の肩を掴み揺す振り、懇願するように言った。
努は退職することを決心し、もう馬鹿なことは考えないと誠司に誓って別れる。
「これでいいのよね誠司さん」
リサが寂しそうに笑う。




