第二章 僕は透明人間#3
「まったく、俺様をなんだと思っているんだ?」
俺はベッドの上に放り捨てられ、不満げに睨みつける。
髪を掻き毟り、努はイライラしながら部屋中を歩き回っていた。
猫の存在が、どうしても努の中で結びつかないのだ。
大体、どうして自分がびしょ濡れになってしまったのかも、うっすらとした記憶になっていて、考えようとすると頭がやたらに重たくなり、目の奥辺りが痛むのだ。
「まぁ落ち着けよ」
「どうしてママは、お前を知っているんだ?」
乱暴な言い方に、俺は首を竦めてみせる。
「何故って? お前が拾ってきたからだろ!」
「いつ? どこで? 僕が化け猫なんか拾って来るわけないだろう? 嘘つくな! お前、ママに何かしただろう?」
「何かって? 何だよ?」
「どう考えたっておかしすぎる。僕は何も知らない。記憶にないことを並べられても困る。トキって何だよ?」
「俺様の素晴らしい名前だ!」
「はぁ? 僕はそんな名前を付けた覚えがない。いったい何をしたんだよ」
努は声を詰まらせる。
「つべこべ喧しい。この弱虫が!」
「僕は弱虫なんかじゃない」
「よく言うわ。くよくよと泣いて、ハァ~。何が僕の気持ちは僕にしかわからないだ? 先生は、優しい振りをして、友達を作れなんて言うし、ママはママで僕のことを厄介者扱いをするだぁ。僕がいなくなっても誰も悲しまないだぁ。このクソガキが何を抜かしやがる。透明人間ってなんだよ? 誰にも自分の存在価値を認められないから、そんな自分が嫌だから自ら命を絶つなんざ、俺様から言わせれば、10億万年はぇんだよ。この弱虫野郎が」
「どうしてそれを」
「ああ俺様は何だって知っているぞ。桃山小学校4年3組23番。身長は143センチ。痩せでいじけ虫」
「うるさいうるさい。猫のお前に何が分かる。あいつらに逆らえないんだよ。クラス、んん、全員が僕にとって敵なんだからな」
「おお大きく出たもんだ」
「本当のことだよ。僕は僕は……」
努の顔が涙でぐちゃぐちゃになる。
俺は大きく息を吐き出す。
「まぁあれだ。少し落ち着こうぜ。良いからそこへ座れ。話し、聞いてやっから」
俺は瞬きを二回する。それに合わせて尻尾を床の上で左右に揺らす。
余計な感情や時間は、これで大体取り除かれるはずである。
取扱書を頭上で開き、俺はおぼつかないが、それを試してみたのだ。
おとなしくなった努は力なく、ベッドに腰を下ろし、俺はその横で寄り添うように躰を丸める。
一度、天の声に尋ねてみたいと思う。
どうして俺は、こんな姿にならなければならなかったのかだ。己が、猫だった気がしない。
実に不便だ。
ついあくびが出てしまう。
長い壁伝いをさ迷い歩いていた時には、まったくなかった眠気が俺を襲う。
眠気を払おうとして、立ち上がって頭を振った拍子に、尻尾も一緒に動かしてしまった俺は、ギョッとなる。
「ばーか」
「うるせぇ。早く何とかしろよ」
「してくださいでしょ」
「ああ何でもいいから、早くしねぇとうわっ~」
白猫が俺の躰を蹴って、飛び上がって行くのが目の端に映っていた。
「おい」
「このままじゃらちが明かないから、仮想圏にあんたたちを移動させる」
「え?」
――カチカチ。
もぞもぞと暗闇の中、努が目を覚まし、躰を動かし始める。
「痛てぇ。気をつけろよ」
寝ぼけ眼で暗がりの中、努は声の主を探す。
「え? ごめん。時計が見つからないんだ」
「時計?」
「今、何時かなって思って」
時間の感覚がないのも無理はない。
仮想圏へと潜り込めたことを実感した俺は、やれやれと思った瞬間、やたら腹が空いていることに気が付く。
「多分、八時ぐらい」
「ふーん。もうそんな時間? 学校から何時に帰って来たんだっけ?」
努は目覚まし時計を探すのは諦めて、仰向けになって俺に尋ねる。
「何で?」
「別に。理由は無いけど……覚えてないんだ」
「それだけ、疲れてたってことじゃないの? それより、腹減った! 飯食いに行こうぜ!」
声の主が誰なのかはっきりしないまま、起き上がろうとした瞬間、努の頭に強烈な痛みが走る。
「どうした? 頭が痛むのか?」
呻き声を上げて蹲る努を見て、俺は焦る。
少し強引に飛び過ぎたのかもしれないと思った。
時空に歪みが生じ、向う側が透けて見えている。
恐怖が俺にのしかかってくる。
大急ぎで頭上に広げた説明書をめくるが、大正方が見当たらなかった。
努の顔がみるみる青ざめていた。
「何をしているの、落ち着きなさい」
白猫が努を覗き込みながら怒鳴る。
「落ち着けってよ、こいつ、大丈夫なのか? 躰がスカスカだぜ」
「あったりまえで諸。もともと存在しない物体を、無理やりこちらへ移してきたんだから」
「それってよ。やっぱ、まずいんじゃ……」
「何を弱気になっているの? 阿吽たちの仕事減らすには、ほんのわずかな灯火が感じられる命に対し、それなりの対処をする。それが私たちの仕事でしょ。あんた、光から何も聞かされていないの?」
「光って?」
「だから、名前なんてわかんないからさ。やたら眩しかったから私が、勝手にそう呼んでいるだけよ。もう、そんなことまで説明させないで」
「わりぃ。俺はちなみに天の声って呼んでいる」
「そんなこと、どうでもいい。捕まって、一気に飛ぶわよ」
「待ってくれ。心の準備が」
「ちょっと、暴れないでよ、軌道がぁぁぁぁ」
何とかしなくてはと焦りまくった俺は、手当たり次第、躰のあちこちを動かす。
頭がぐるぐる回り、尻尾がそばにあったものを払いのける。耳がキーンとなり、吐き気がしてきた。
余程暴れたらしく、躰のあちらこちらが痛み、俺は不覚にも気を失ってしまう。
白猫が飛び退く。
俺は光の渦の中へと、躰ごと飛ばされてしまっていた。




